エピソード667『雨の降る夜に』


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エピソード667『雨の降る夜に』

登場人物

狭淵美樹(さぶち・みき)
本好きの医大生。男。
小松訪雪(こまつ・ほうせつ)
骨董屋松陰堂の若主人

本編

雨が降っている。
 切れかけた街灯が滲む深夜、美樹は研究室の買いだしの帰途を辿っていた。街は既に寝静まって、所々に点在するコンビニの皓々とした照明さえ、いやに寂しく見える。
 サンダルと素足の間で、生ぬるい雨水が音を立てる。
 暗い路肩の水たまりに、さっき足を突っ込んだばかりだった。
 サンダルの上の素足が歩くたびに横滑りを起こす。

美樹
「(早く研究室に帰って、お酒でも飲んで寝てしまいますか)」

このうそ寒い雨の中、流石にいつまでも外にいる気はしない。
 人影すら途絶えた大通りに、雨音ばかりが大きく……

美樹
「おや……?」

桐下駄の歯がアスファルトを噛む音が近づいてくる。
 美樹は顔を上げて、足音のする方に目をやる。
 右手に唐傘を差し、左の腕に風呂敷包みを抱えた着流しの人物。
 見覚えのある歩き方のその相手に向かって、美樹は声をかけた。

美樹
「おや、大家さんではないですか。 この夜更けに、お出掛けですか?」

その人物、訪雪が、ぴたりと足を停めて、目深に差していた傘を上げる。

訪雪
「ああ、これはどうも……狭淵さん、でしたよね」

何故か少しだけ、ばつの悪そうな笑み。
 左の袖をぱらりと振って、傘の縁から垂れた滴を払う。

美樹
「やっと、覚えて頂けたようで……(笑) 和服に唐傘とは、また風流ですね」
訪雪
「風流ならいいんですがね。たまたま、手元にこれしかなかったんですよ(苦笑)」
美樹
「その台風の中を、お遣いものですか?」
訪雪
「え?」

美樹の視線の先、自分の抱えた風呂敷包みに目をやって。

訪雪
「ああ、これですか」
美樹
「お酒、ですか」

細長い包みは、中身が瓶だとひと目でわかるかたちをしている。

訪雪
「まぁ、酒の一種ではありますね。イタリアもんの、割と安い赤ワインですが……半分は、自分用です」
美樹
「もう、半分は?」
訪雪
「よかったら、御一緒に……と、言いたいところですが、生憎と先約がありましてね」
美樹
「これから御訪問ですか。余程、親しい方のようですね」
訪雪
「ええ、まあ……(笑) 腐れ縁、ですよ。 では、私はこの辺で」
美樹
「お気をつけて」
訪雪
「そちらこそ……あ、そうそう。 こんどうちで、一緒に飲みませんか。 私ゃ決して強かありませんが、酒の味は嫌いじゃない」

答えを返す美樹にかるく片手を挙げて、訪雪は雨の中を遠ざかっていった。少しの間、その背中を見送って、美樹は再び、早足に歩き始めた。

解説

同じ女性を思う、二人の男の邂逅。真実を知った後、彼らはなにを思うのだろうか。



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