- 小松訪雪(こまつ・ほうせつ)
- 松蔭堂の店主。子供好き。
- 譲羽(ゆずりは)
- 少女人形に宿る木霊。
:松蔭堂人外保育園年長組(笑)
- 平塚花澄(ひらつか・かすみ)
- 書店瑞鶴店員。譲羽の擬似母親。
某日、松蔭堂、夕刻。
座布団の上で、譲羽が単行本を開いている。
その隣の座布団の上で、訪雪がやはり単行本を開いている。
ぱら、と、時折ページを繰る音が耳につく。
と、訪雪がとんとん、と自分の肩を叩いた。
- 譲羽
- 「……ぢ?」
木霊が本から目を上げる。
- 譲羽
- 「ぢいぢい?(大家さん肩凝ったの?)」
- 訪雪
- 「え?」
- 譲羽
- 「ぢい(ゆず、叩いてあげる)」
そっと本を閉じると、譲羽は訪雪の肩のところまでよじ登り、とんとん、と小さな拳で肩を叩いた。
が、いかんせん人形娘では、力が足りない。
- 訪雪
- 「ああ、大丈夫だよ……ありがとう」
手を伸ばして譲羽の頭を撫でたついでに、小さな体を抱き上げて肩から離す。
気持ちは有り難いのだが、かえってくすぐったい。
- 譲羽
- 「ぢい……(ゆずじゃ出来ないのかな)」
よく、花澄も肩が凝ったといっては自分で叩いている。
ならば。
- 譲羽
- 「ぢ!」
すっく、と譲羽は立ち上がり、プラスチックの電話を抱えた。
小さな手がでたらめに番号を廻す。
そしてしばし、受話器に向かってぢいぢい言い、受話器を下ろした。
- 訪雪
- 「どこに電話してたのかね?」
- 譲羽
- 「ぢい(花澄のとこ)」
にこにこと答えて、譲羽はまた本へと視線を戻した。
さて半時間ほど後。
- 花澄
- 「ごめんください……」
- 譲羽
- 「ぢ(あ、花澄だ)」
ぴっと立ち上がると、転がるように駆けて玄関まで行く。
- 訪雪
- 「ああ、こんにちは、花澄さん」
- 花澄
- 「こんにちは。……あの、大家さん、さっきゆずから電話貰ったんですけど、肩凝ってらっしゃるんですか?」
- 訪雪
- 「は……(先刻の電話、そういう話をしとったのか)」
- 花澄
- 「何かゆずでは無理だから、代わりに私に肩叩いてくれって頼まれたんですけど……宜しいですか?」
- 訪雪
- 「はあ? ……って花澄さん(汗)」
- 花澄
- 「ゆずの代わり、ですから(にこにこ)」
良くも悪くも、花澄の感覚は普通ではない。
- 訪雪
- 「いやですけどね、そんな申し訳ない」
言いかけた訪雪の作務衣の足のところを、くん、と譲羽が引っ張った。
- 譲羽
- 「ぢ……(大家さん、しんどいの、ゆずもやだもん)」
上目遣いでじっと見あげる。
結局はその視線に負けた格好になった。
- 花澄
- 「留学中はよくやってましたから」
- 訪雪
- 「男子学生にも……ですか」
- 花澄
- 「ええ(笑) 留学生の中では一番年上だったから、すっかりおばさん扱いで……。 っていいんですけど、大家さん逃げないで下さいな」
逃げている、というよりは、つぼに当たったもので痛くて体が引いているのだが。
- 花澄
- 「一さんとかに頼んで、少しずつでもいいですからほぐしてもらったほうがいいですよ、これ」
- 訪雪
- 「凝ってますか」
- 花澄
- 「かなりひどく。それも、目からきてますね」
譲羽が横で、じっと見ている。
- 譲羽
- 『花澄、大家さん、すごく痛い顔してる(心配)』
- 花澄
- 「それはすると思うわ。それだけ凝ってるもの」
- 譲羽
- 『大家さん、大丈夫?』
心配そうに見上げられて、訪雪は苦笑した。
- 訪雪
- 「大丈夫……というか、こちらが申し訳ない」
- 花澄
- 「いえ、私もこの前のお礼をきちんとしてませんでしたから」
春の空気の中に居るのと、花澄の手自体がかなり暖かいのとの相乗効果で、だんだんと眠気がさす。
- 訪雪
- 「花澄さん、もう、そのくらいで充分ですよ。申し訳ないです」
- 花澄
- 「そうですか? ……少し楽になりました?」
- 訪雪
- 「それはもう」
手を離すと、花澄は少し首を傾げた。
- 花澄
- 「……あの、大家さん、何か変なこと聞きますけど…… 何か悩みごとか何か、あります?」
- 訪雪
- 「え?」
- 花澄
- 「そんな凝りかたしてましたよ、肩の辺り」
返事に詰まる。
思い当たることはあるのだが。
- 花澄
- 「心にしこるものがあると、体も凝るんですよね。不思議なくらい」
- 訪雪
- 「そこまでわかりますか(苦笑)」
- 花澄
- 「伊達に肩揉みおばさんしてませんでしたから(笑) ……なんて偉そうなこと言えませんけど」
傍らの木霊に視線を少し移して。
- 花澄
- 「私が、そうなものですから」
ぢい、と木霊が身を縮めた。
- 譲羽
- 『今度はね、ゆずがちゃんと肩叩いてあげるね』
- 訪雪
- 「ああ、ありがとうね、ゆずさん」
電話ごしの会話である。
- 譲羽
- 『大家さん、ちゃんとお礼に、なった?』
- 訪雪
- 「お礼?」
- 譲羽
- 『髪の毛の、お礼』
細い茶色の三つ編みは、あれから数度編み直されたらしい。譲羽がつい癖で引っ張ってしまうのが原因だ、と、花澄は笑った。
- 訪雪
- 「充分していただいたよ」
- 譲羽
- 『よかったあ(嬉)』
嬉しそうに言うと、譲羽は待っていた花澄の腕の中に、電話ごと飛び込んだ。
1997年の秋頃の話。
エピソード650『髪』の騒動の後の話です。
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