12月25日 夕刻。
24日夜半から振り出した雪は、明けて25日になっても止まなかった。
吹利には珍しく、積もるほどになった雪に子供たちがはしゃいで走り回る。
鉛色の空から降りてくる無数の冬の欠片をしばらく見つめていた御影は、指先でサングラスを押し上げると、トレンチコートの襟を立て吹利駅前をゆっくり歩き出す。
小脇にはドン・ペリニヨンの化粧箱。
ポケットには飾り気の無い、小さな紙袋に収められたプレゼント。
カサリ、とポケットの中の紙袋を弄ぶ。
指先に細い鎖の感触が感じられ、何処かで六時半を告げる鐘が鳴った。
ピンポーン。
しばらく待つが返事が無い。
御影の脳裏に昨日のパーティーの帰り道が浮かぶ。
☆☆☆☆
なぜか途中からヒーローショーとなってしまったベーカリー楠のクリスマスパーティー。
ドタバタの内に時は過ぎ、皆三々五々帰っていった。
悪戯っぽく笑って御影を見上げるが、そのまま並んで歩き出す。
歩く尊の鼻先に白い冷たい物が落ちた。
何時の間にか空を覆っていた雲から、白いものが一片、二片と降りてきた。
寒さに身を震わせ、肩に降りかかる雪を払う。
途切れる事の無い雪はすべての事物を飲み込み、閉ざす。
まるで刻よ止まれとばかりに。
FLOWER SHOP Miko の前で立ち止まる。
☆☆☆☆
しかし、時計は六時半を過ぎている。
御影が来るのが解ってるのに家を開ける尊ではない。
と。ガチャリとドアが開いた。
ドアが開き尊が顔を出す。
頬が桜色に染まり、目が潤む。
促されて玄関に入るが……。
どうも、尊の様子がおかしい。
ふわふわと熱に浮かされたよう。
ぽて。
ふわりと御影の腕に納まる尊。
思わず尊の額に当てた御影の手には、平熱より大分高い温度が感じられた。
てへへ、と笑う尊。
ひょい、と尊を抱え上げ、運んで行こうとするが……
じわ……と、尊の瞳に涙がにじむ。
そんなふうに言われると、やっぱりこの男でも嬉しいらしい。
とにかく、どうした?
尊を抱き上げると奥の部屋に運んでいく。器用にノブをひねりドアを開け……
ベッド、本棚、窓際……そこかしこにヌイグルミ。あっちもこっちもヌイグルミ。ヌイグルミ、ヌイグルミ、ヌイグルミ、……。
部屋の中央に鎮座ましますは『巨大クジラ』のヌイグルミ。そして……
フェルトのサングラスをかけ、名札をつけた巨大トトロ。
尊をベッドにおろすと、ぽふぽふとトトロにパンチをくれる御影だった。
ベッドの上に座り込む尊の額に、もう一度手を当ててみる。
少し汗ばんだ額は、やはり大分熱かった。
まず滅多に風邪なんか引かない御影、対処法が解らない。
何事か思い付いたのか、慌てて携帯をプッシュする。
かけた先は留守電だったらしく、伝言を入れ切る。
尊は、ユラの薬湯を飲んだことは無いが、以前豊中がユラの調合する薬を評したのを聞いたことがある。
曰く。
『一撃必殺』と。
問題は『病気』と『本体』どちらが一撃必殺なのか聞き忘れた事だが。
ぢぃっと恨めし気に見上げる。
そっと尊の耳元で耳打ちする御影。
一瞬、表情が引きつったが、やがてにっこり笑って肯いた。
チン。
小さく泡を上らせるシャンパンをたたえたグラスが澄んだ音を立てる。
御影はベッド脇の絨毯にあぐらを掻き、尊はベッドの上で。
ドン・ペリのグラス越しに笑いながら御影を見やる。
それっきり、二人とも黙り込んでしまう。
心地よい沈黙。
ベッドのサイドテーブルに置かれたドン・ペリのボトルから手酌で自分のグラスに注ぐ御影。
ふと見ると尊がベッド脇の窓から外を眺めている。
降り続く雪が窓からの明かりに照らされ、夜の闇の中に舞い踊る。
尊のグラスにも注ぎ、自分のグラスの黄金の液体を飲み干す。
素直に背を向けた尊の細い首に、そっと銀のチェーンがかけられた。
首にかけられた鎖には少し大き目のシンプルな銀のリング。
そっぽ向きながら頭を掻く御影。
確かに、指輪は尊の指には少し大きめだった。
指輪を握り締め涙目で見上げる。
予想してたとはいえ、本人から言われればそりゃー嬉しいだろう。
豊中や十辺りに今の顔を見られたら、一騒動起きそうな位相好を崩す。
御影をベッドに座らせると、いそいそと綿入を羽織り部屋から出てゆく。
で、場面は変わってグリーングラス。
なんとか実験が一段落ついて、へろへろ〜と帰りついたユラの姿があった。
白衣とバッグを適当に放り出し、ばったりベッドに倒れこむ。枕に顔をうずめたまま手探りで留守電を再生させる。
とりあえず、悩むフリをしてみる。
当然、やる事は決まっているのだが(笑)。
一人部屋に残された御影。
律義に目を閉じ、手探りでグラスの酒を煽る。
目を閉じているせいか、それとも酒のせいか、外の雪の音がやけに耳に付く。
普段聞こえるのは車の音、商店街の雑踏、通行人の話し声...。
だが、今は唯、雪と風の音。
騒がしい静寂。
らしくない事を考える自分に苦笑がもれる。
ふと、瞼の裏に、風のように現れ風のように去っていったあの男の顔が浮かぶ。
瞼の信吾は笑ったまま肩を竦めただけだった。
御影は尊が見、戦う者、すなわち実体を持たぬ物に手出しができない。
尊と共に『仕事』に赴いた時、そのもどかしさに苛立ち、妖物を呼び出し使役していた術者を力任せに叩きのめした。
だがその時、尊は苛立つ御影にそっと言った。
『武史さんがあたしの後ろに居てくれさえすれば。
そうすればあたしは戦えます。
そう、あたしの帰る場所が有りさえすれば……。
そして、もし。
もし、又あたしが闇に囚われ堕ちそうになった時はあの時みたいに力尽くで
引き戻して……助けてください』
ふわり。
突然首筋に柔らかく暖かい感触が巻き付いた。
驚き目を開けると何時の間にか御影の隣に尊が座っていた。
御影の首には黒い毛糸のマフラーが巻かれている。
まっすぐ、御影の目を覗き込む。
もう一度目を閉じ軽く頭を振ると、脳裏の信吾がウィンクしたような気がした。
信吾の影を追い払い、首に巻かれたマフラーを手に取る。
太目の黒い毛糸で編まれた物で、ざっくりした網目のシックな物である。
だが、よく見ると所々網目が飛んだり、不揃いだったりする部分がある。
確かに、マフラーはいわゆる「御影サイズ」に輪をかけて長い物だった。
真っ赤になって俯いてしまう。
ぐっと尊を引き寄せると余ったマフラーを尊に巻く。
驚いて頭一つ高い御影を見上げる。
サングラスを外し、まっすぐ自分を見つめる瞳と重なる。
鼓動が高鳴り、全ての音が消える。
見えるのは穏やかに笑う御影だけ。
聞こえるのは、ただ御影の鼓動と自分の鼓動だけ。
声が掠れ、視界が滲む。
御影の手が頤に掛かった時、尊にできる事は只、目を閉じることだけだった。
ぴぃんぽぉ〜ん〜と。
お邪魔極まり無い、あるいは、この微妙な間を救うチャイムがなり響いた。
あらぬ方向を向いて喋る御影、声が若干裏返ってるのは御愛敬(笑)。
同じように真っ赤になってあらぬ方向を見ている尊。
そそくさと玄関に向かう御影。
「助かった」と言ったかどうかは不明である(笑)。
ドアを開けると風と共に雪が吹き込む。
スルリとドアの隙間からユラが滑り込んだ。
頭から真っ白になるくらい雪をかぶっているユラ。
何故慌てる。
邪魔されたくは無いが、尊も心配である。
この微妙な『をとこ心』。
御影の危険な気配(笑)を察知したユラは、すばやく上がり込んだ。
ぴぴっ。
表示された数字は 28.7。
くるりと振り返り、後ろで心配そうに眺めてる御影を見上げる。
半ば強制的に御影を部屋から追い出してしまう。
事実なところがちと寂しい(笑)。
ぼふっと尊のベッドに並んで腰掛ける。
後ろを振り向くと、ベッド側の曇った窓。
確かにカーテンが開いている。
ここに至ってやっと気づいたらしい。
ユラの部屋から尊の部屋に来る時は、この窓の下を通る事を。
何が大丈夫かはさて置いて。
尊の頭からぶしゅ〜っと湯気があがり出す。
ドアの外ではお湯の入った洗面器を抱えた御影が途方に暮れていた(笑)。
ユラの薬が効いたのか、はたまた安心したのか、疲れたのか。
ぐっすり眠る尊。
玄関にて。
ドアを開けると外はまだ雪。
ユラがふと振り替える。
外はまだ雪。
刻よ止まれとばかりに。
その雪が止んだとき、再び刻が流れはじめる。
二日後。
尊が直るのと入れ替わりに御影が熱を出してブッ倒れたのは、それからキッチリ二日後だったそうな。
やっぱり風邪は人にうつすと治るらしい(笑)。
Fin