折からの強風に桜の花びらが混じる。
春の嵐。咲き始めの桜を揺する、しかし暖かな風。
今でも決して朝は暖かくはない。でもセーターを着ることはなくなった。
車で大学に通う言音も、スーツ姿では暑ささえ覚える。
しかし、風通しが良く日の当たらない校舎の廊下は、まだ足下から冷気が上がってくる。言音は足早に南向きの自分の研究室に急いだ。
考古学教室・田中教授の研究室。しかしそこには、居候のように桂研究室が併設されている。そこの主は、他ならぬ桂言音助教授その人。
大学にもう少し出席と貢献をしていれば予算も自分の講座も持てるのに、研究の方が気楽だからと言って学内を顧みない彼女を見かねて田中教授が手を回したというのは、一部では有名な話。彼女の方も恩師とのギブ&テイクに何の不満もないが、おまけで付いてきた助教授職に慣れてきたのはほんのここ数年の話だ。
だがその間に彼女に学び卒業していった学生たちの彼女への評判は、高い。
言音の部屋への通り道のようになっている小部屋に、一人の研究生の姿。
そこまで言って、言音もさすがに気づく。
彼の座る筈のスペースには、今やわずかばかりの荷物しか置かれていない。それも、彼はボストンバッグの中に詰めてしまおうとしている。
先程まで、明後日は子供を誘って花見に行こうと思っていたとは、言えない。
この堀川祐司は、言音が助教授の椅子をあてがわれて渋々座った頃から彼女の下に院生として入っていた研究生である。当然つきあいも長く、端から見れば訳の分からない彼女の行動に文句を言いながらも付き合ってくれる貴重な学生たちの一人である。いなくなると思うと、なおさら残念さが募る。
昼からの講演の資料を取りに部屋に入った言音が戻ったとき、既に祐司の姿はなかった。そういえば、退去の挨拶の声は聞こえたような気がする。
日頃の享楽的な笑顔が消え、真実をかいま見た者の険しい表情に変わった。
吹利。
彼方と此の方の狭間をさまよえるもの達が集い、さざめく土地。
ごく普通の人々には何の未練も抱かせないちっぽけな山間の地。しかし、普通の人生を許されないものたちはたまらなく惹かれるという、「魔力」を帯びた土地。彼も惹かれた者の一人なのだろうか……。
言音は、懐に忍ばせていた護身符を取り出して魔力を確かめると、手近な
「学業成就」のお守りに差し込んで祐司の机の上に置いた。もちろん、言音からと言う付箋紙を貼り付けて。
もちろん、祐司を含む学生達は、彼女のこのような素性は知らない。
元の表情に戻った言音は、そう言い置くと部屋を後にした。
数日後、堀川祐司は吹利の土地に暮らす一員に加わることになる。
(終)
吹利の紅雀院大学へ赴任することになった教え子の堀川祐司を見送る、桂言音(狭間16キャラ)の話です。
1998年春、3月末の話。