エピソード1007『過去無き魂』


目次


エピソード1007『過去無き魂』

登場人物

布施美都(ふせ・みと)
過去の経歴なき娘。記憶喪失でさまよっている。身寄りも無い。強い意志と心や周りを大切にするのだが、反面自分の体を粗末にしがち。
更に、作者の意図か持ち前の性格か、読者サービスがちらほら。
平塚花澄(ひらつか・かすみ)
春宵姫。瑞鶴の店長の妹で、最初に美都に出会い、瑞鶴へと案内する。四大の申し子として、「春の結界」を発生させることができる。
噂では、「HA06の食物連鎖の頂点」らしい。
譲羽(ゆずりは)
木霊。現在は、人形に乗りうつり、花澄の疑似娘として家で生活。
その要望としぐさから、いろいろな人にいぢめられ(からかわれ)る。HA06のマスコット的な存在の一人(?)
紫苑(しおん)
水島孝雄が実験中に偶然意志を持った流動金属。普段は猫の姿か、美しい女性か男性の姿を取っているが、変幻自在。最初に美都を山の中で発見し、それ以後行動を共にする。
生まれて間も無いためか人間時の感覚は若干のずれがあり、特に服のセンスは常人の及ぶところではない。
正式名称「Self Improving Organism of Nanomaterial」
平塚英一(ひらつか・えいいち)
本屋、「瑞鶴」の店長。花澄の兄。空気を操作する異能者。瑞鶴に泊まることになった美都に……どうなるかは乞うご期待(爆)
小滝ユラ(こたき・ゆら)
植物療法師な大学院生。ハーブショップ「グリーングラス」の住み込みバイト。完全に情の移った植物や小動物との意志の疎通が可能。花澄の友人。瑞鶴で倒れた美都の治療を行うことに。
ヤバそうな事件だと言うのに首を突っ込み、挙げ句のはてには……というある意味今回一番の貧乏籤か?
マヤ(まや)
ユラの同居猫。金色の目の黒猫である。ユラの相談役、姉、娘として、ユラとともに暮らしている。
不思議な能力があるのか田舎は不明だが、「ユラが初めて目を合わせたときから意志の疎通が可能な猫」が、普通なはずはない。

瑞鶴、予兆

仕事を終え、花澄は空を見ていた。特に何が見たかったわけではない。 しかし、彼女はそれを見た。それは、「偶然」という法則が動きはじめた兆しであった。

花澄
「あら? 流れ星……」

それは一瞬。願い事を思うまもなく消えた。彼女の中には、意味のわからない不安が広がった。この時から、「偶然」という法則が徐々に動きはじめていた。

翌日、無道邸への道

無道邸への行程途中。向こうから薄汚れた服装をした女性が歩いてくる。
 

花澄
「こんにちは」
女性
「こんにちは」

普通の対応。会釈をして通り過ぎる。
 すれ違った瞬間に、ざわ、と、風が動く。
 

花澄
「何?」
『あれにはちかづくな!』

四大からの警告が、周囲の春を震わせるように響く。
 しかも、女性を物体と認識していた。

譲羽
「ぢいっ(かすみぃっ)」

腕の中の譲羽も、違和感に身を竦める。もっとも、人と会うときは動かないよう教えているのだから、元々動くことはない。

花澄
「あのっ」
女性
「はい?」
花澄
「……」

話し掛けた花澄への警告は、最大限となる。動悸が早まり、無意識に庇護を求めている。
 「春の結界」以上の……「物理的な攻撃への結界」を。
 気付いて花澄は左手を握り締めた。

女性
「なにか?」
花澄
「いえ……ごめんなさい」
女性
「そうですか、あ、ここから先の道って、どこに行くんですか?」
花澄
「え? 吹利駅前です」
女性
「そうですか、ありがとうございます(にこ)」

そこまで言うと、女性はまた歩み始めた。そのあとを一匹の猫がついていく。

紫苑
「にゃ〜(とてとて)」

ごく、自然に。
 花澄は、手を伸ばし、声をかけようとしたが、喉から声は出てこなかった。

譲羽
「ぢ……ぢぃ?(かすみ……大丈夫?)」
花澄
「大丈夫よ、ゆず。さあ、はやくお使い済ませて帰りましょう。暗くなっちゃうわ」
譲羽
「ぢぃっ(うんっ)」

夕刻前、吹利駅前

一人の女性が駅前を歩く。それだけの光景。どこにでもある風景である。

女性
「さて、ここが駅前か……思ったより大きいなぁ」

立ち止まり、上を見上げる。その足元に、猫がじゃれつく。

女性
「あ……猫だ。どうしたの?」
紫苑
「……みゃあ」
女性
(しゃがみこむ)「(にこ)きれいな猫だなぁ……名札がついてる。野良じゃないね、キミ」
紫苑
「……みゃあ(この娘、私のことがわかっているのか?)」
女性
「T-1001=SION……しおん……か、キミ(抱き上げる)オス?メス?」
紫苑
「(うわっ何をいきなり……) みぎゃ!」(逃れる)
女性
「あはは、ごめんごめん」
紫苑
「(まったく、失礼ですねぇ……)」
女性
「ごめんよ、もうしないよ。私はミト……美都って言うんだ」

彼女の表情が沈む。紫苑は、思わず眉をひそめた。(猫の状態で、眉をひそめるという表現が適切かは分からないが……)

美都
「でも……名前しかないんだ。私には……」
紫苑
「(記憶喪失……?)」
美都
「野良……なんだ……」
紫苑
「……心配するな」

低い、安心感のある声。美都は顔を上げ、あたりを見回す。

美都
「え?」

目の前に、3人の男。まだ若い。カジュアルな服装で、口に笑みを浮かべている。

「やあ」
美都
「(ナンパか。でも良いか……これで一晩はしのげるし)」

男達3人と話し込む美都を、紫苑は興味ぶかげな顔をして見守っていた。

夕刻、繁華街

配達のついでに、少しお茶をして帰路につく花澄。ついでに、夕食の買い物を済ませてしまおうと、繁華街へ向かった。
 もそもそと、背中の袋の中で、譲羽が動いている。暫くして袋のふちからぴょい、と頭だけが突き出した。

花澄
「にんじん、ジャガイモ、玉ねぎ……うん。買い忘れはないわね」
譲羽
「ぢぃっ?(かすみっ、きょうはかれー?)」
花澄
「そうよ」
譲羽
「ぢぃっ!(わぁい!)」
花澄
「……でもゆず、食べないでしょ?」
譲羽
「ぢぃっ(でもうれしいのっ)」
花澄
「そう……」
譲羽
「ぢぃ?(かすみ……どうしたの?)」
花澄
「あの人、どうしたのかなぁってね」
譲羽
「ぢぃぢぃ(おっきぃおうちに行く途中で会った人?)」
花澄
「うん、そう(……なんだか、胸騒ぎがする……)」
譲羽
「ぢ……ぢぃぢぃっ(ふうん……かすみっあれっ)」

譲羽が示した方には、男3人に囲まれて路地裏に連れて行かれる先ほどの女性の姿が見えた。
 彼女の中の警告音が、再び鳴り始める……

花澄
「……ゆず、袋に入ってらっしゃい」
譲羽
「……ぢ(頭を引っ込める)」

厭な、気配。
 そっと袋を上から撫でて、花澄は歩を進める。
 

『関わるな』
花澄
「……情報。一瞬先を読んで伝えて」
『関わるな!』

す、と、花澄は足を止めた。
 何時の間にか少し丸まっていた背を、ぴんと伸ばして。

花澄
「我が生、何れの手に有りや?」

一瞬、風が凪いだ。
 口元に苦笑を刻んで、花澄は小走りに女性の後を追った。
 警告音は、既に消えていた。
 先を進む女性の姿はどこか無防備で、男達の気配を奇麗に受け流してしまっている。
 それが、かえって怖い。
 足元に、猫。女性の足に、纏わりつくように。

花澄
「あのっ」
 
 ぱたぱたと足音に、まず男達がこちらを向く。一拍遅れて振り返った美都はあら、と、呑気な声をあげた。
美都
「先刻の」
「お友達?」

厭な、気配。
 女を、ほぼ唯一の目的の為にしか必要としない類の……
 それも、三名。

花澄
「はい」

美都がちょっと目を丸くする。

花澄
「どこに行くんです?」
美都
「すみません、私、彼らに泊めてもらうことにしたんです。今から彼らの家に行くって……」
花澄
「何故?」
美都
「今日、泊まるところないから……」
花澄
「なら、うちにいらっしゃい。場所空いてるから」

おい、と、半ば焦って掛けられた声を、かろく無視して美都は首を傾げる。

美都
「いいんですか?」
花澄
「ええ、勿論」

じゃ、と、美都は、きびすを返す。
 足元の猫も、つるんと身を翻す。
 するん、と細い腕が男のそれから抜け出し……

「それは無いだろうよ」

美都の手を掴んで、へら、と笑った男と、それに迎合するようにやはり笑った男達。三対二。勝ち目がない、と、確信しているのだろうか。

「お友達なら、一緒に来れば」

いいだろう、と、言う代わりに男の手が伸びる。すい、と、風に押されるように花澄は身をひねって手を避けた。

「……おい」

三組の腕が伸びる。一瞬先を風が読み、花澄の動き得る最も有効な場所を教える。それでも避けられなかった腕を一本、ぱん、と叩いて払いのける。

「貴様っ」

流石に本気になったと見え、男達が花澄を取り囲む。こうなると避け様が、ない。と、女性が割って入った。

美都
「私がいれば良いんでしょう? 彼女は放してあげてよ」
花澄
「あのっ!」
美都
「構いませんから、私」

それが、嘘でないのが……怖い。

「一人より二人のほうが、こちらも都合がいいって……なあっ」

語尾と共に、ぐい、と手を握られて、花澄は危うく転びかけた。
 たたらを踏んで体勢を整える。

花澄
「春眠暁を覚えずって言うわね」
「それがどう……?」

半径3m。
 みっしりと満ちる、春の気配。
 眠りを誘う…………

「このアマぁっ」
花澄
「……周囲の者皆眠る春を」

睡魔の波が、どんぶらこと打ち寄せる……
 男達は、がっくりと倒れた。
 にい、と、猫が鳴いた。
 

その名は布施美都

美都
「(眠った?それに、この陽気……一体)」
花澄
「情報はもういらない……大丈夫?」
美都
「はい、ありがとうございました」
花澄
「一体、どうしてあんな人達に」
SE
くうぅ(美都の腹の音)
美都
(赤面)
「あ……えーと、安心したら、おなかすいてきちゃって……」
花澄
「(くすっ)じゃあ、私の家に行きましょう」
美都
「はい!……あ……良いんですか?」
花澄
「ええ、勿論。さっきも言ったでしょう?」
美都
「じゃあ、お邪魔します。
 ……と、この人たち、どうしよう……」
花澄
「ほっとけば良いんじゃないですか? 良い薬ですよ」
美都
「でも……今冬だし……」
花澄
「寒いですか?」
美都
「え……そんなことはないですね。大丈夫か……」

春の結界の中にいる美都にはわからないだろうが、春先の吹利の夜は、まだまだ寒い。

花澄
「(私が離れれば、おきるでしょう) さあ、いきましょう」
美都
「はい。あ……荷物持ちます」

そういって、みずから花澄の荷物を持つ美都。その荷物を守るように、紫苑が座っていた。

紫苑
「みぁ」
美都
「紫苑ちゃん、キミはどうする?」
紫苑
「みぃ(ついていきますよ)」

話し掛けておきながら、答えを待たずに立ち上がる美都。意外な荷物の重さにふらつく。

美都
「あらら」(ふら)
花澄
(美都を支えて)
「ごめんなさい。重いでしょう」
(荷物を半分受け取る)
美都
「すみません……あ、自己紹介がまだでしたね。私は布施 
美都(ふせ・みと)って言います」
花澄
「平塚花澄です。よろしく」
紫苑
「みゃぁ(紫苑です。以後よろしく)」
美都
「あ、この子、紫苑ちゃんです。って、私の猫じゃないんで
すけどね」

二人と一匹(+ゆず)は、瑞鶴へと向かっていった。路地に、思い出したかのように冬の風が通り過ぎる。吹利の春は、もう少し先だ。

瑞鶴、来訪者

SE
 からからから……(扉の開く音)
花澄
「ただいま」

扉を開けて、立ち度まる。足元の猫が退くのを見てから中に入る花澄。

英一
「遅かったな。迷ってたか」
花澄
「(苦笑)まさか」
英一
(後ろの美都に気づいて)「おや、お客さん(ずいぶん汚い子だが……)」
花澄
「ええ………それで店長、泊めてあげて(にっこり)」
英一
「は?」
花澄
「私のところだと、お布団無いんだもの。ここだと部屋もお布団も余ってるでしょ?」
英一
「…………(思案) で、お前は?」
花澄
「泊って行きます(笑) ……こちら、布施美都さん」
美都
「布施美都っていいます。今夜一晩、お世話になります(ぺこり)」
英一
「いらっしゃい。汚いところですが、ゆっくりしてってください」
美都
「はい! ありがとうございます」
花澄
(既に奥に入ろうとしている)「こっちよ」
美都
「あ……はーい!」(お辞儀をしてから奥に行く)

後には、瑞鶴の猫に見下ろされて動けずにいる紫苑が残っていた。

瑞鶴の猫
(…………お前、何者だい?)

じろり、と、琥珀の目が睨み付ける。

紫苑
(というと?)
瑞鶴の猫
(莫迦におしでないよ。お前、同類の姿はしてるが………)

すう、と目を細めて。

瑞鶴の猫
(あの子の連れかい?)
紫苑
(というわけではないですが)
瑞鶴の猫
(ここの連中に、悪意はないだろうね?)
紫苑
(ありません)
 
 すとん、と返ってきた応えに、猫は暫く黙っていたが、
瑞鶴の猫
(……では良かろうよ)

で、座り込んだ。

瑞鶴の猫
(但し、騒ぎは法度と心得な。何の役に立つか知らんが、ここの連中、あたしに飯を食わせるくらいの礼儀は心得てるからねえ)
紫苑
(はあ)
瑞鶴の猫
(まあいい、お行き)

瑞鶴、台所

奥に入ってはじめて、花澄は肩から袋を下ろした。そのままふすまの陰にそっと袋を置く。
 美都に、見えないように。
 ぴょい、と少女人形が中から頭を突き出した。

花澄
「(小声で) 御飯作るから……いい子にしててね」
譲羽
「ぢいっ(こっくり) ぢいぢいっ(花澄、電気つけていい?)」
花澄
「はいはい(苦笑)」

壁を手で探って、蛍光灯のスイッチをつける。
 袋を引きずって、少女人形が隅の座布団の上に陣取る。
 それを見届けて、花澄は美都のほうに振り返った。

花澄
「じゃあ、作っちゃうから、先にお風呂に入ってきたら?」
美都
「え? あ……(そんなに汚いかな?)」

疑問符を浮かべながら自分を見まわす。その疑問は一瞬のうちに氷解した。町の埃の中では目立たなかったが、こうして部屋に入ると、埃と泥にまみれているのが分かる。

美都
「(……結構汚いや) はい。良いんですか?」
花澄
「ええ、お風呂場はあっち。タオルはありますから」
美都
「はい」(示された方に向う)

再び、瑞鶴台所

SE
 とんとんとん……

包丁の音。おおざっぱに、しかし大きさは均等に材料を切ってゆく。

SE
 ぎしっぎしぎしっ

2方向から、足音が聞こえる。一つは店の方から歩いてくる。もう一つは風呂場からの小走りの音だ。

英一
「花澄、それで頼んどいた奴買って来たか?」
美都
「花澄さん。この服着ちゃっても良いんですね?」

鉢合わせ。英一の視点が美都に集中する。美都は、バスタオルで前に押さえただけの姿だ。

英一
「え……?」(思考能力停止中)
美都
「あ、お風呂頂いてます(ぺこり)」

豊かな胸の前でバスタオルを持ちながら、お辞儀をする。動くたびにタオルが翻る。

花澄
「お兄ちゃん! 回れ右っ!」
英一
「はいっ!」(0.3秒で回れ右)
花澄
「美都さん、早く服着てきて下さい……」
美都
「あ、はい。ごめんなさい。こんな格好でふらついちゃって。服、ありがとうございます」
SE
ぱたぱたぱた……

英一は、後ろに足音を聞きながら、自分の頭の中の映像を消そうと必死になっていた。

英一
「えー、あー、花澄」
花澄
「もう良いわよ。私は服着てるから(絶対零度)」
英一
「…………そか」
花澄
「……はぁぁぁぁ(溜息)」
男性
「美都っ!」
SE
 ガシャン(ガラスの割れる音)
花澄
「え?」
英一
「なんだっ?」

澄んだ男性の声の数瞬後、窓ガラスの分ける音が響く。花澄と英一は風呂場へ駆け出した。

瑞鶴、脱衣所

時は少しだけ戻る。

美都
「失敗失敗、普通の女の子はあんな事しないよね」
紫苑
「にぁ〜(当たり前です)」
美都
(服を着ながら)「ん〜?紫苑ちゃん、なんか文句有るの?」
紫苑
「にゃぁっ(もう少しおしとやかにですねぇ……)」
美都
(服を着ながら)「なによ〜」(足でぐりぐり)
紫苑
「ごろごろごろ」

腹を足でくすぐられ、仰向けになる紫苑。その目に、窓から覗く木から弓を構える男の姿が見えた。矢は、明らかに美都をねらっている。

紫苑
「美都っ」
SE
ガシャンッ
美都
「えっ?……!(どんっ)」

矢は、狙い誤らずに美都の背中から貫いた。
 ゆっくりと、腹部から矢をはやした美都が、崩れ落ちる……。

花澄
「……!」

脱衣場に駆け込んだ途端、飛びこんできた風景。
 見たことの無い、青年。腕に受け止められているのは、美都。
 腹から生えている……生えている?
 一瞬の、混乱。

英一
「花澄、情報っ」
花澄
「え……はいっ」

何があった?
 口を動かしただけの問いに、打ち寄せる波のように答えが返る。

花澄
「男。外の通り。木から飛び降りて右に!」
店長
「どこだ!」
花澄
「今角を曲がるっ」

店の裏側の、路地。
 毎度、ごみを出しに行く立て札の横。
 鮮明な記憶による、位置の特定。
 空気が、凝る。
 
 どん、と、奇妙な音。

花澄
「そこでいいって……反対!」
英一
「分かってる」

飛んでいるとんぼの目の前後左右に、空気の壁を出現させる。
 走ってゆく男の前後左右に、空気の壁を出現させる。

英一
「花澄、病院」

それだけ言うと、走って脱衣場を出て行く。
 裏口のノブの回る音がそれに続いた。
 それをどこかで聞きながら、花澄は美都のほうに向き直った。

数瞬前

時は、少しだけ戻る。花澄と英一が動いていた間に、紫苑が何もしていなかったわけではない。
 猫から白いマントをまとった青年姿に変身した紫苑は、美都を腕に抱きかかえていた。

紫苑
「美都、しっかりしろ……」
美都
「う……(どろっ)」(吐血)

血を吐き出す。矢は貫通し、消化器のどこかを傷つけているようだ。

紫苑
「まずいな……とにかく矢を抜いて治療しなければ」

紫苑は美都を膝枕の状態にすると、首筋に手を置く

紫苑
「(神経接続をして、一時的に痛みを私に回すか……)ぐっ」

神経を接続したとたん、激しい痛みが紫苑を襲う。

紫苑
「いきなり抜くとまずいな……私の体でコーティング……して」

紫苑の腕が、刺さっている矢の周りを包み込むと、矢は抜け始めた。

紫苑
「(自己修復用ナノマシン投与) あとは……美都の体力次第か」

傷口がふさがり始める、が……それと同時に美都の頬が上気し始める。
 ナノマシンを投与したため、発熱しているのだ。
 美都を処置し終わり、正常な呼吸を確認すると、すっくと紫苑は立ち上がる。その目は冷たく燃えていた……

時は重なり、動き出す

花澄は美都のほうに向き直った。
 
 と、目が大きく見開かれる。

花澄
「…………どうして?」

抜け落ちている矢。ふさがった傷口。立ちあがっている青年。
 返事は大気から、脱衣場に漂う水気から来る。

花澄
「だれ?……ああ」

独り言にしか聞こえぬ言葉の後に、ふいと花澄は紫苑を見据えた。

花澄
「紫苑さん。外に刺客がいます。兄が捕まえてますから」
紫苑
「はい」
花澄
「美都さんは大丈夫?」
紫苑
「後は彼女の体力次第です」
花澄
「わかりました……すぐそこです」

破れた窓ガラスの向こうを指差す。
 青年の姿が溶けるように変じ、一匹の猫と化す。
 そのまま猫はまっすぐ、破れ目から外へと踊り出ていった。

瑞鶴裏

街灯が、周囲の闇をぼやりと払う中。男は空気の壁に阻まれ動けないで居た。
 男の前まで来ると、紫苑は猫から、先ほどの男性の身体に変化する。

紫苑
「お疲れさまです、あとは私がやりますので」
英一
「わかった、たのむ」
紫苑
「さて、お仕置きの時間です」
SE
「ひゅん」

紫苑の背中から、4本の触手が伸びる。

紫苑
「人が来るかもしれないので、手早く済ませましょうか」
刺客
「くっ、何者だ!」
紫苑
「あなたに言われたくありません」
刺客
「ちっ(しゅっ)」

後ろ手に隠していたナイフを、瞬時に紫苑に向けて投げつける刺客。
 ナイフは紫苑の体に刺さるが、平気な顔で紫苑はそれを抜き取る。

紫苑
「無駄なことを……」
刺客
「化け物がっ!」

素早く2本の触手が、刺客の体にからみつく。
 触手は、刺客の腕・足・胴にからみつき、完全に刺客の動きを封じた。

刺客
「ぐっ……」
紫苑
「さて、美都を狙ったわけを話してもらいましょうか」
刺客
「……」

徐々に力を増してゆく2本の触手……他の二本は、刺客の顔の付近を行ったり来たりしている。

紫苑
「ふむ、強情な人ですね、少し力を強めますか」
刺客
「(ごき、ばき) ぐあぁ」
紫苑
「この強さですと、通常の人間の場合は、骨の2、3本は折れているはずですが……どうしても、話してくれませんか?」
刺客
「貴様などに……話すことは……ないっ」
紫苑
「……仕方有りませんね、死んでもらいますか……」

顔の付近にあった触手が勢いをつける!

花澄
「紫苑さん! 殺しちゃだめっ」

駆けつけた花澄の、その声に反応して、触手は刺客の目の前でびくっと止まる。

英一
「それくらいでかまわんだろう。気絶しているようだしな」

そういって、刺客の側により、意識の有無を確認する。確認した後、紫苑から伸びている触手の一つに触れる。

英一
「完全に気を失っているよ、開放してあげてくれないかね?」
紫苑
「その男をどうするつもりですか?」
英一
「警察に任せる。私たちは、善良な市民だからね」
紫苑
「……」

突然、体に纏わる触手の一つが刺客の顔に巻き付く。英一が抗議の声を上げる前に、すべての触手が刺客から離れていった。

紫苑
「(組織の人間……か) ……気絶を確認しました。申し訳ありませんが、警察への連絡と対応をお願いします」

疲れたように言うと、そのまま表へ廻って家の中へと入っていく。

英一
「花澄、警察を呼んでくれ」
花澄
「……はい」

浮かない表情のまま、英一と花澄は事後処理を始めた。

瑞鶴、居間

表のシャッターは半分降りている。
 硝子戸には、「事情により臨時休業」と書いたビラが張り付けてあるのが、頼りない街灯の光でかろうじて見えているばかりである。
 裏手の騒ぎは、先程収まったばかりである。
 風が、強い。
 シャッターの鳴る音が、時折居間まで聞こえてくる。
 
 そこにいるのは、紫苑と英一のみ。花澄は台所で料理と茶の準備をしている。
 美都は、隣の部屋に寝かされていた。

英一
「なるほど……水島さん所の……」
紫苑
「はい」

それだけである。余計な説明は必要無い。試験的な流体金属。製作者は水島孝雄。作成の目的は、不安定な金属によるロボット作成の実験。主な仕様は流動的な変身能力とのことだった。

英一
「で、美都さんとはどういう……?」
紫苑
「昨夜から一緒にいます」
英一
「ご家族とかは? 行く所が無いみたいだが……」
紫苑
「不明です」

紫苑に言葉には、迷いが無い。嘘をついているようにも思えなかった。

紫苑
「私の性能の話ですが、美都には話さないほうが良いと思います」
英一
「隠したままでいるつもりなのですか?」
紫苑
「はい」
英一
「……」
紫苑
「何か問題でもありますか?」
英一
「いや、あなたがそう望むのなら、かまわないでしょう。分かりました」

二人のやり取りを台所で聞きながら、お茶を入れる花澄。
 と、花澄はさっきから執拗なノックが続いているのに気が付いた。
 風の音にまぎれてはいるが、店の硝子戸を誰かが叩き続けている。

花澄
「(警察かしら?) はい……」
ユラ
「こんばんわ」

ガラス戸の向うで、見慣れた顔が笑っていた。
 ほうっておくわけにもいかず、戸を開ける。

花澄
「お久し振り、論文の仕事で大変だったんですって?」
ユラ
「昨日、終わりました。おかげで自由の身。それで…」
花澄
「ええと、実は……」

刺客が狙ってくるような事態である。ユラを巻き込むわけにはいかない。何か適当に言い繕って……
 ふ、と言い淀んだ瞬間にするりとユラは半身を店内に滑り込ませていた。

花澄
「あの、ユラさん?」
ユラ
「いいからいいから。駄目ですよ花澄さん、かかえこんじゃ…」

ユラはくるりと身を返し、残る半身と一緒に花澄をも玄関に引っ張りこんで戸を閉めた。後ろ手に鍵までかける。

ユラ
「訳ありの、怪我人さん。……植え込みからの伝言、鳥が持ってきました。たった今、大至急、ってね。連中がそこまでするんだから……何もなかったなんて、おっしゃいませんよね?」

一気にいって、ユラは息をついた。

花澄
「ユラさん……でも、それは……」
ユラ
「花澄さん」

空気が、急変した。
 双方、しん、とした表情で互いを見交わす。睨み合うよりも緊迫した、静謐の戦い。
 先にユラが口を開いた。

ユラ
「あたしは、大丈夫よ。何を見ても、何を聞かされても」

だから、このままここから出て行くつもりはない、と。
 き、と唇の両端が釣り上がる。挑むような、笑い。
 およそグリーングラスの穏やかな店番の娘には不似合いな。

花澄
「……ユラさん……」
ユラ
「状況は知ってるって。それで見てみぬふりをしろと?」
花澄
「………………」

その申し出が、有り難くないわけではない。
 しかし正直、対処に困る。
 巻き込みたくはない……とはいえ、ユラがおとなしく引っ込む筈も無い。
 その程度には、花澄もユラのことを知っている。

ユラ
「怪我人さんは、大丈夫です?」
花澄
「…………どう?」

視線を逸らし、風に尋ねる。彼女に明かしてよいものかどうか。
 答えは、どう、と通りを走る風の音に重なった。
 知るものか、と、それは聞こえた。

花澄
「………(溜息) ……へそ曲げてる」
ユラ
「花澄さん?」
 
 仕方が無い。
 傷は塞がっているものの、熱が取れない状態である。
 自分たちには、打つ手がない。
花澄
「……どうぞ。ただし」
ユラ
「はい?」
花澄
「(苦笑) どうなっても責任持てませんって台詞が脅しにならないんだもの、ユラさんに言っても」
ユラ
「そりゃ勿論(笑)」
花澄
「でも、正直……私にもよくわからないんです」
ユラ
「というと?」
花澄
「四大が、どうも妙に警戒するんですけど、その原因がわからない」

視線を上げ、もう一度口の中で、問う。
 何が、危険なのか。
 ……返事は、無い。

花澄
「……駄目だわ」
ユラ
「……(苦笑)」

苦笑が、ふいと鋭さを増して。

ユラ
「じゃ、大丈夫。原因を知らなくても花澄さんに害はない、と、四大は判断してるってことじゃないですか?」
花澄
「……多分」
ユラ
「ならば、大丈夫ですよ」

大丈夫だ、という判断は、自分が下す。
 それは……やはり自身と共通するもので。
 

花澄
「……どうぞ。こっちへ」

寝室、診察

額に汗して寝ている美都の傍らに、花澄、ユラがいる。紫苑は猫の姿になり、部屋の隅で様子をうかがっている。

美都
「ん……」

微熱でうなされながらも眠りつづける美都。その彼女の胸をはだけさせ、ユラは診察を行う。

ユラ
「……これだけ?」
花澄
「ええ、外傷はほとんどないでしょ?」
ユラ
「どうして……」

その問いに、花澄は紫苑のほうを見る。

紫苑
「……にぃ(彼女にも告げないほうが得策でしょう)」(首を振る)
花澄
「さあ……理由までは……」

視線をユラに戻して言葉を濁す。
 花澄がそう告げると、ユラはあっさりとうなづいた。

ユラ
「そう、いろいろあるわけ……ね」

ユラは、しばらく触診してから美都の服をただす。

花澄
「どうですか?」
ユラ
「まあ……起きるのを待ちましょう」

居間、目覚め

SE
ごそごそっ

隣の部屋で音がした。美都を寝かしておいた部屋だ。

英一
「起きたようだな」
紫苑
「にぁ(まだ熱が下がっていないのではないか?)」
 
 扉を開けて、居間に居る彼らを見下ろす美都。その瞳が、一瞬潤んですぐに閉じられた。
美都
(目をこする)「あ……おはようございます」

状況的には、間抜けな挨拶。しかし、熱があり頬が上気している割には、口調はしっかりしている。

花澄
「(にこにこ) おはようございます。具合は?」(席を空ける)
美都
(空いた席に座りながら)「はい、大丈夫です。少し頭がくらくらしますけど……」
紫苑
(美都の膝に乗る)「にゃ〜」
美都
「あ……紫苑ちゃん、大丈夫だったんだ、良かった……」
紫苑
「……(体温38.2度、血圧正常、脈拍正常……ナノマシンの影響以外は、問題はなさそうだが……)」
美都
(ユラを見つけて)「えーと……こんにちは、布施美都って言います」
ユラ
「ユラ、小滝ユラといいます。よろしくね、美都さん」
美都
「どういう……方なんですか?」
ユラ
「この近くのハーブショップの雇われ店主で、植物療法士……ま、医者まがいね。腕は、いいわ。安心して」
美都
「あ、お医者さんですか。すみません。私のせいで……」
花澄
「(苦笑) じゃあ、お茶でも入れますか。聞きたいこともあるし」
ユラ
「……美都さん、ちょっと良いかしら?」(美都の額に手を当てる)
美都
「あ、はい」(目をつぶる)
ユラ
「熱……まだあるわね。ちょっと待ってて」(立ち上がって台所へ)

台所

ユラ
「花澄さん、これを使ってもらえるかしら?」

取り出したのは、ハーブの一つ。

花澄
「これは?」
ユラ
「解熱効果があるんです。効くと良いけれど……」
花澄
「分かりました。そのまま紅茶にすれば良いのかしら?」
ユラ
「ええ」
花澄
「じゃあ、やっておきますよ」
ユラ
「ついでだから、手伝うわ」
花澄
「ありがとう」

居間、生きつづけること

美都
「ふう……(溜息)」

時折、けだるそうに溜息を吐く美都。

美都
(あたりを見回す)「今、何時くらいなんですか?」
英一
「夜の9時だよ」
美都
「そうなんですか。じゃあ、あまり寝て無いんですね」
英一
「ああ、君が風呂場で倒れてから、2時間というところか」

しばらくすると、お茶が運ばれてくる。

ユラ
「美都さん、ゆっくりと飲んでね」
美都
「はい、ありがとうございます」

しばし、茶を啜る音だけが聞こえる。沈黙を破ったのは、美都であった。先ほどまでのけだるさは、居間の表情からは見えない。

美都
「私……狙われたんですね?」
英一
「……心当たりは」
美都
「いえ、全然」
英一
「……ならば、違うかもしれない」
美都
「ただ、私にも分かりません。もしかしたら、私は狙われるような人間なのかもしれない……」
ユラ
「どういう事?」
美都
「あ、私、記憶喪失みたいなんですよ。布施美都って言うのが、自分の名前だって事はなんとなく覚えているんですけどね」
ユラ
「そう。じゃあ、身寄りは」
美都
「ありません。今夜は、花澄さんに拾ってもらって助かっちゃった」
ユラ
「花澄さんがいなかったら、どうするつもりだったの?」
美都
「一晩付き合ってくれるって男の人達がいたんです。その人達は私の身体目当てだったみたいですけど……」
ユラ
「……ふうん」

美都の言葉に花澄は顔をしかめたが、普段なら真っ先に顔色をかえそうなユラのほうは、小さく肩を竦めただけだった。

ユラ
「で、その次の日はどうするつもりだったの?」
美都
「どうするって……」
ユラ
「身体が目当てなら、飽きれば、棄てるわ。そういう連中は。記憶がなくなっててもいいから、そういうことは覚えときなさい……いいわね。今日生き延びられたら、明日も生きなきゃいけないんだから」
花澄
「ユラさん……なにもそんな言い方しなくたって」
ユラ
「だって事実だわ。もっと自分を大切にしろ、って叱りたいのは山々だけど、今、彼女が守らなきゃいけないのは、今まで生きてきた自分じゃなくて、今日と明日を生きる自分なんだもの」
美都
「捨てられたら、また別の人と寝ればいいじゃないですか」
ユラ
「! ……」(手を振り上げる)
美都
「っ!」(思わず身を竦める)
 
英一
「……その生きかたされると……見ているほうは辛いなあ、美都さん(苦笑)」
美都
(そーっとユラの方を伺う)
ユラ
「ばかばかしい」
美都
「えと……拾ってくれなかったら……の話ですし、今はこうしてお世話になっているんですから、そんな事はしなくても良いんです……よね?」
花澄
「もちろんよ」
美都
「だから、大丈夫です。私を見て辛い人が居るなら、そんな事はしません」
ユラ
「そうね、美都さん、これだけは覚えといて」

言葉を切って、ユラはにっこりと笑った。

ユラ
「今はあなた、誰かの手を借りないとかなり困った状態になるわけよね?」
美都
「……ええ、まぁ……」
ユラ
「そしたらね、借りる手を選びなさい? 選べる間はね。 なるべく明日も貸してもらえそうな手を……」
花澄
「……ユラさんてば」
ユラ
「……って、ちょっと失礼な言い方ですけどね」

ユラは首をすくめて笑い、花澄にぺこりと」頭を下げてみせた。

美都
「わかりました。選べる間は選ぶことにします(にこっ)」

そこで、美都もユラも一息つく、聞きたいことは、すべて聞いた。これ以上彼女の事が分かるとは思えない。彼女自信が、わかっていないのだから。
 不意に、美都が英一に向かって口を開く。

美都
「私を狙った人って、どうなったんですか?」
英一
「捕まえて警察に突き出したよ」
美都
「そうですか……。何か、言ってましたか?」
英一
「いや……別に……」
美都
「そうですかぁ……うーん、謎ですねぇ」
花澄
「警察には、あなたの捜索願いは届いてないみたい」
美都
「そうですかぁ……私が一番謎ですね(にこっ)」
英一
「これから……どうしたい?」
美都
「どうしたい……って」
ユラ
「私のところなら、ここよりは安全だわ」
花澄
「……どうして」
ユラ
「……庭が」

ユラがひとこと頼めば、グリーングラスの庭は天然の罠の宝庫に変わり、緑の防護陣ともなる。

花澄
「でも、私たちだって……」

言いかけて、花澄は口篭もった。
 四大の加護、春の守りは花澄のためのもの。花澄がどんなに望んだとて、彼女の手を離れたものを守るわけではないのだ、と。
 しかし。

ユラ
「あとは貴方の……美都さんの決めること。うちには部屋も空いているし、来てくれてもかまわないの。……ただ、店番手伝ってもらうことくらいはあるかもしれないけれど。 いつでもいいわ。気が向いたら、尋ねてきて」

一気に言う。美都は、黙ってそれを聞いていた。

美都
「……いずれにしても、まだ身体のほうが本調子じゃないみたいなんです。もう少し寝かせてもらってからでも良いですか?」
花澄
「それは勿論……あの」
美都
「じゃあ、お先に休ませていただきます」
ユラ
「おやすみなさい」
美都
「はい……あの、すみません。変なことに巻き込んじゃって……」
英一
「巻き込んだ? 君が原因と決まったわけではないだろう?」
美都
「え……ええ、まあ」
英一
「だったら、謝ることはない」
美都
「そうですね。じゃあ……助けてくださってありがとうございました」(ぺこり)
英一
「……」
美都
「じゃあ、お先に失礼します」(先ほどの部屋に戻って行く)

夜中、書斎

一人、書物を読みふける英一。いろいろあって精神的に疲れてはいるが、まだ眠らなくてもどうにかなる。
 あした、結論を出すためにも、できる限りの情報を得ておきたかった。

英一
「奥六群……」

奥六郡郷土史保存協会。
 東北地方の地祇(国津神)をまつり、日本における東北地方の霊的独立分権を望む思想組織。という事ぐらいだろうか? 具体的な事は分からない。

SE
 ぎしっ
英一
「ん?」

英一は、今日ほどこの家の年期に感謝した事はない。

同時刻、寝室

美都は目を覚ました。体調の悪さから、思った時間に置きられないとも思ったが、しっかり目を覚ましている。
 真夜中。あれから数時間しか経っていない。

美都
「(さあ……いこう……)」(布団を畳む)

体調は悪くない。寝不足と疲労感以外には、いたって正常だ。ナノマシンによる体温の上昇も収まっている。
 通常の人間なら24時間かかる所を、わずか6時間あまりで回復してしまっていた。

美都
(寝ている紫苑をみて)「……じゃあね。バイバイ」

小さくそういうと、後は後ろも見ずに部屋からでる。玄関までは、それほど遠くない。

紫苑
「……」

紫苑に、猫の常識は通用しない。閉じたふすまの隙間からにじみ出て、廊下で猫の形を形作る。

紫苑
「……(行くか……)」

猫の足音はしない。紫苑は、黙って歩く美都の後をついていった。

玄関、頼ること

美都
「……」

玄関に立ち、しばらく廊下の方を見る。最初に入ったときに、この家の雰囲気にほっとした。
 この家で起こる一つ一つが、彼女の足りない部分を埋めて行っているようだった。
 意識を持って、ちょうど24時間。その間が彼女の人生で、その人生の半分近くをこの家で過ごしている事になる。
 涙が出そうになるのをこらえる。独りで生きて行く事を決めて、泣かないと決めた。涙は、自分の決意を溶かし、勇気を流してしまうから。

美都
「さようなら……」(深々と廊下にお辞儀)

一礼して、玄関の鍵を開ける。音を立てないように、慎重に。
 扉を開けようと手を掛け、その手が一瞬の躊躇の後に力がこもる。

美都
「! ……(あかない?)」
英一
「あかないよ」

背後からの声。物音は全くしなかった。空気の流れさえも無かったのだ。普通の人間では不可能だが、彼なら出来る。空気の壁を彼女との間に張る事によって、音と流れを防いだのである。

英一
「その扉は、開かない」
 
 なんの事はない、扉の周囲を空気で固めているだけなのだが。
英一
「何故、出ていこうとする?」
美都
「皆さん、やさしいから……私がいなければ、普通の日常が送れるじゃないですかっ」
英一
「ああ成程、関わった連中まとめて胃炎にして放り出すわけか」
美都
「だって……私……一緒にいても何もできないんです……。私には、何も無いんですよ……」
英一
「……それが、好かん。自分を見てあれが出来ないこれが無い……あんたの価値を他人がどう値踏みするか、あんたが決め付けることじゃない」
美都
「でも……私が危険なのは事実です……それは、私の勝手な解釈じゃありません」
英一
「それは、その通りみたいだな……で、それがどうした?」

語気が荒くなる。押さえていた感情が吹き出そうとするのをこらえている。彼女の考え方は、納得できない。認める事は出来ない。

英一
「あんたが危険だ、というのは、既に見て知っている。その危険の度合いについても、それぞれがそれぞれの情報から判断している。その上でどうすればいいか考えている」
美都
「だから……私だけじゃなく、皆さんまで狙われたら……」
英一
「その上で、瑞鶴か小滝さんのところか、留まったほうがいい、と言っている積りだがね」

美都は、考えてもみなかった。彼らが、自分を守ってくれるという事を。自分が、かれらを守らねばならないと思っていた。
 彼女の24時間という短い人生の中には、人に頼るという事はなかった。何かを得るという事は、別の何かを失うという事。自らの身体を、命を失う事でしか、心を、魂を守る事が出来ないと思っていた。

英一
「そういう危険も含めて、判断くらいはしている。……あんたはそれを信用できないかしれんが、こちらは己の判断をそれなりに信用している」
美都
「私っ……皆さんのこと信じてますっ。だからっ。迷惑かけたく無かっ……」
英一
「迷惑ではい。と言っている」

何も無い自分。自分は、この世界にとって、いてもいなくても良い存在だと思っていた。瑞鶴にとっても、一時の宿り木でしかない。昨夜までは自分の存在はそこにはなく、明日から自分がいなくても瑞鶴はある。
 自分がいても良い場所……。いる事を意識させてくれる場所。彼は、そこに居て良いと言ってくれているのだ。

美都
「私……頼っても……良いんですか?」

彼女の、わずかな弱気。涙と共に、捨てた筈のものが戻ってくる。
 涙がかれる事が無いように、自分の弱い心も捨てる事は出来ない。
 しかし、涙がかれる事が無いように、勇気や決意がなくなる事はないのだ。

英一
「……」

どうぞ……と言ってやるべきなのだろう。しかし、頼られて、支えられるほど、自分が強くない事も、厚顔無恥でない事も分かっていた。

英一
「……!」

泳いだ視線は、彼の迷い。それが、結果的に彼に勇気を与えた。視線の橋にかかったのは、玄関の隅、影からこちらを見ている、猫の紫苑。

英一
「………(苦笑) ……それは美都さん、あんたが自分で決めることだろう」

突き放す。自分が支えなくても、彼女は平気だと信じた。後ろから見つめる紫苑の瞳が、自分の変わりを出来ると信じた。

美都
「厳しいん……ですね(にこっ)」

笑顔。その瞳からは、涙があふれている。泣き声をあげないために、つまった喉の奥に痛みが広がる。
 涙を拭く事で、次の言葉を紡ぐための隙間を空ける。

美都
「甘えさせてくれないんだもん」
英一
「…………(苦笑) ……そういう台詞は、本当に甘えたい相手に言うように」

わずかに芽生えたいたずら心。心に余裕が戻ってきた証拠であった。靴をすばやく脱ぎ、英一の無なものに飛び込んで寄りかかる。

美都
(英一の胸に額をつけて)「私にだって、甘えたいときもあるんですよ……」

いたずら心のつもりであった。男性の胸の、驚くほどの安心感。自分とは違う骨格とにおい。
 意志の力で封じ込めていた疲労が、気のゆるみに乗じて一気に蘇る。

英一
「…………自分をもう少し、大切にせいというに(苦笑)」

引き剥がそうとして、肩に手を掛けたと同時に彼女の身体がいきなり重くなる。彼女が脱力したためだ。

英一
「っと……眠ったのか?」
美都
「すううぅ……」

質問に寝息を持って答える美都。完全に安心しきっている。

英一
「紫苑さん」
紫苑
「……」

影から出てきて、音も無く人型になる紫苑。まだ声を出さない。

英一
(美都を紫苑に渡しながら)「……頼っていいって……答えるのはあんたの筈だ」
紫苑
(受けとりながら)「(心拍数、呼吸、脳波確認。睡眠状態と確定……か) 私には……まだ彼女に答えることはできません」

紫苑は、美都を横抱きにして部屋へと連れて行く。
 英一からみても、紫苑の美都を見る瞳の光は、とても人工で作られた物のようには見えなかった。

柳に風(深夜、台所)

襖が閉まる音がしてから、英一は台所に戻った。
 
 台所の棚から、黒い、丸っこい瓶を一つ取り出す。
 ついでに、隣に並んでいるグラスを一つ引っ張り出す。
 冷凍庫から氷をグラスに受ける。
 からん、と、ひどく乾いた音に聞こえた。

英一
「…………」

黙ったまま、グラスの半分まで瓶の中身を注ぐ。
 強い匂いが一瞬こぼれる。
 
 と。

花澄
「お相伴していい?」
英一
「!?」

不意をつかれて、英一の右肩が大きく跳ねる。傾きを保ったままの瓶から危ういところで酒がこぼれ出すのを、慌てて彼は止めた。

英一
「おまいはっ」
花澄
「(小声で) 美都さん起きるわよ」
英一
「…………(憮然)」

黙ったまま、英一が瓶を左右に振る。心得て花澄がもう一つグラスを出し、氷を落しこむ。
 半分まで琥珀色の液体が注がれたグラスを持って、兄妹は座り込んだ。
 

英一
「……起きてたのか」
花澄
「それは、起きるわよ」
英一
「…………聞いてたのか」
花澄
「聞こえてきたわね」

はあ、と一つ溜息をついて、英一がグラスを一息に干す。
 それよりは流石にゆっくりとしたスピードで、花澄がグラスに口をつける。

英一
「で、お前どう思う?」
花澄
「美都さん? かわいいなあって」
英一
「……………………誰がそういうことを聞いとる」
花澄
「じゃ、何」
英一
「奥六郡郷土史保存協会……美都さんは、まだ狙われるか?」
花澄
「……と、思ってるみたいだけど」
英一
「危険か」
花澄
「今日程度のことは、あるかもね」

一つ溜息をついて、英一がまたグラスに酒を注ぐ。

花澄
「でも、そういうのって、変だと思うし……そも、国津神がそれを望んでいるとも思わない」
英一
「?」
花澄
「だって、卑しくも神と呼ばれた存在よ?呼ばれるからには……そして今に至るまで復活させようとする人間が居るような存在よ? 人にとって少なくとも害になることを進んでやるかしら」
英一
「美都さんが、敵方の神の手先、くらいに思われたとしたら」
花澄
「それにしても。矢一本で傷つく存在を、恐れるわけないでしょ」
英一
「単純明快にして根拠皆無」
花澄
「……放っといて(憮然)」

グラスをゆるりと空にしてから、花澄がテーブルにひじをついて身を乗り出した。

花澄
「……どうするの? 美都さんのこと」
英一
「危険が無いなら……小滝さんの御好意に甘えたほうがいいな。ここは基本として俺一人だから」
花澄
「そうじゃなくって」
英一
「じゃ、何だ」

不機嫌そうな物言いに、くすり、と花澄は笑った。

花澄
「……頼って良いとは、言わないんだね、お兄ちゃんも」
英一
「………………」

『私……頼っても……良いんですか?』
 
 頼りない声に、けれども良い、とは答えられない。
 裏切るのを、知っているから。
 頼られることに、いつも答えられるとは言いきれないから。
 人の心は移ろいやすいものであると、身に染みて知ってしまっているから。

英一
「……俺の役目じゃない」
花澄
「それは、美都さんが決めるこ」
英一
「くどい」

花澄が口をつぐむ。
 英一はグラスを空にする。
 
 『私にだって、甘えたいときもあるんですよ……』
 
 甘えられてもどうしようもない、と、既に知っている筈であるのに。
 それを……どこかでもどかしく思う自分がいる。
 もどかしく思うことすら、僭越であると……既に知っていた筈ではなかったか。
 
 記憶が無い、という。
 その不安は、察するに余りある。
 多分……敵ではない、と、判断したところの相手に、甘えてしまうほどに。

英一
「……可哀想に」

静かに、感情をすりかえる。得体の知れないものから、得体の知れた感情へと。
 

花澄
「……お兄ちゃん、呑みすぎ」
英一
「……まだ酔わない」
花澄
「明日、後悔するわよ」
英一
「したところで己のことだろ」
 
 一つ溜息をついて、花澄はふと真顔になった。
花澄
「お兄ちゃん、いいのね?」

何が、と問い返しかけて、莫迦らしくなって口を閉じた。
 そのまま、黙ってまたグラスを空ける。
 一面霞がかかる中、けれどもどこか一点、ひどく醒めているような……
 
 英一はまた、瓶を傾けた。

寝室、紫苑の誓い

美都
「(すぅすぅ)」

布団の中には、静かに眠る美都。その傍らには、正座をした美しい長い髪の女性が居る……。

紫苑
「なぜ……わたしは……あなたについていくのだろう」

つつつ、と美都の顔を指でなぞる

紫苑
「護ると誓った……これほどまでになぜ、気になるのだろう……」

頬に触れた指にわずかな反応を示しながら、依然として眠っている美都。

紫苑
「……」
美都
「(すぅすぅ)」
紫苑
「……解らない……でも、私はあなたについて行こう……そうしよう」

行く先を決めた紫苑は、美都の寝顔を見守る……

翌日、居間

台所では、コトコトという煮える音と、トントンという包丁を使う音が聞こえている。

美都
「おはようございます」
英一
「(ずきずき) ……おはよう」
美都
「昨日はすみませんでした……具合、悪いんですか?」
英一
「いや……何でもないよ」
花澄
(台所から)「お兄ちゃん。お皿くらい出してよ!」
英一
「ああ……」(立ち上がろうとする)
美都
「あ、私行きますよ。はーい! 今行きまーす!」
英一
「……」(額を押さえる)

朝食の準備を手伝う美都。その表情に迷いはなく、憂いも無い。こまめに動き回り、準備を進める。
 程なくして、朝食の準備は整った。

美都
「いっただっきまぁす!」

目を輝かせて箸を取る美都。

花澄
「(くすくす) 慌てなくても大丈夫ですよ」
美都
「あ、そうですね。……でも、考えてみたらこれ、初めての食事なんですよ、おなか空いちゃって」

思い返すとそうなのである。昨夜は夕食前に刺客に狙われ、そのまま眠ったために食べていない。

美都
「うん! おいしいです! やっぱりカレーは二日目ですよね」
花澄
「ごめんなさいね。残り物なんか出して……」
美都
(食べながら)「いえ(もぐもぐ) そんな(はぐはぐ)」
紫苑
(美都の膝に乗りながら)「にあぁ(よくもまぁ、食べますね)」
美都
「(もぐもぐ)ふぁ? (ごくん) あ、紫苑ちゃん、ミルク……は飲んじゃったのか。カレー食べたいの?」
紫苑
「にぁっ(別に要りませんよ)」(首を振る)
美都
「そう。まあ、辛いものって駄目だった言うしね……」
英一
「……(朝からカレーか……)」
美都
「あれ? 英一さん、食べないんですか?」
英一
「ん……ああ、食べるよ」(スプーンでいじるだけ)
美都
「おいしいですよっ!」
英一
「ああ……」

こうして、朝食が過ぎて行く。食後のお茶を出して一息ついていた。

英一
「美都さん」
美都
「……はい」

食卓に、緊張が走る。美都も、これからの事を考え、若干の不安を表情に出す。

英一
「これからのことだが……」
美都
「あれ? ここに置いてくださるんじゃないんですか?」
英一
「年頃の娘さんを、男の一人暮らしの家に置いとくわけにはいかない」
美都
「……」
英一
「さほど危険が無いと判断した。小滝さんのところでも、安全だと思う」
美都
「あの人のところだったら、英一さんは安心ですか?」
英一
「……まあね」
美都
「うー……わかりました」
英一
「納得いっていないようだね」
美都
「だってー。せっかく一緒に暮らせると思ったのに……(にこっ)」
英一
「……」

甘えるようないたずらっ子のような瞳をなげ、にこりと笑う。英一は、一瞬言葉に詰まった。

美都
「なーんて、ね。そうだ! お布団片づけて来ます」(立ち上がり、寝室へ向かう)
紫苑
「にゃ〜(とてとて)」(後について行く)
花澄
「かわいいこね(くすくす)」
英一
「……頭痛が……」
花澄
「飲みすぎよ(くすくす)」
 
SE
 どさっ(隣の部屋より)
 
花澄
「なに?」
英一
「なんだ?」
花澄
「……大丈夫みたい」
英一
「そうか……」

兄は、妹の情報に信頼をおいている。彼女が大丈夫というなら、大丈夫だろう。兄妹は、そのまま居間でお茶を飲んでいた。

寝室、美都の決意

SE
どさっ

美都は、敷いてある布団にそのままうつ伏せに倒れ込む。顔はそのまま枕にうずめる。
 

美都
「……っ」

声は、出さない。目からあふれる涙は、そのまま枕が吸い取り、頬をぬらすことはない。

紫苑
「にあ……(美都……)」
美都
「……」

今、声は出せない。出せば、涙声であろうから。口を開かず、ただ、耐える。喉の奥が、無意味な抵抗に拒否を示し、痛みを訴える。

紫苑
「……(ぺろぺろ)」
美都
「(紫苑ちゃん……)」(なでなで)

頬をなめる舌が、手に触れる毛並みが。喉の痛みを和らげてくれた。最初から傍らにいた。常に側にいた。素性の知れない、神秘的な猫。

紫苑
「にあ……(美都……)」
美都
「うん……大丈夫だよ。ありがと、紫苑ちゃん。だめだね、涙もろくって……(苦笑)」
紫苑
「……(じー)」
美都
「あの人には、涙を見せないって決めたの。もっと、強くならなくちゃね」
紫苑
「(ぺろぺろ)」
美都
「(きゅっ) ……さて、本当にお片づけしなくちゃ」

瑞鶴、玄関

花澄
「じゃあ、私が店番してるから、酔い覚ましに散歩がてらいってらっしゃい」
英一
「ああ」
美都
「じゃあ、花澄さん、本当にお世話になりました」
花澄
「ええ、私、何時もここにいるから、また来てくださいね」
美都
「はいっ」
英一
「じゃあ、行こうか……」
美都
「はい」

そう言って、もう一度最後に瑞鶴を見上げる。昨夜来たときはすでに闇夜だったからか、のしかかるような雰囲気があったが、朝日の下でそれはない。
 美都は、もう一度ぺこりとお辞儀をし、そのままくるりと背を向ける。もう、振り返らないと、心に決めた。
 
 グリーングラスへの道。特に会話もなく歩く。美都の行く位置は、わずかに英一の背中が見える隣。

英一
「あ」(振り仰いで立ち止まる)
美都
「……あの?」
英一
「あ、悪い」
美都
「いえ」(英一の見ているほうを仰ぐ)

見上げた先には、光を慕うように咲く、白い花。

美都
「(知らない花だ……きれいだな)」
英一
(見上げたままたたずんでいる)
美都
「何の花ですか?」
英一
「木蓮」
美都
「お好き、なんですか?」
英一
「うん」
美都
「(へえ……もくれん……か)」
英一
「隙だらけだからほっとする」
美都
「ほっとする?」

彼は今、何を思っているのだろうか?美都には、彼の気持ちを見透かす術はない。もしかしたら、自分と同じように、居場所を探しているのかも……ふと、そう思う。

英一
「……パラソルを振れば、中原中也か」
美都
「はい?」
英一
「いや……」
美都
「……(パラソル? なんだろ?)」

その知識は、記憶喪失の彼女には存在しない。存在しないものは、思い出しもしないのだ。考えても無駄である。

英一
「……って、悪い。小滝さんが待ってる」
美都
「……はい」

二人は、再び歩き出した。英一は前を見て、美都は、その英一の背中を横目でとらえながら。

朝、グリーングラス

ユラ
「ふう」

店の花を整理しながら、ユラは息をつく。
 瑞鶴から電話をもらってすぐに開いている部屋を整理し、ようやく通常の仕事に戻ることが出来た。
 今日から、居候が一人増える。鳥から警告を聞いた、得体の知れない娘。彼女は記憶を失っており、身寄りも無い。組織に狙われている可能性すらある。危険な娘だ。

マヤ
「わかってるの、あんたに背負えるの? その娘を……その責任を」

と、問われた。危険な娘である。しかし、それより危険なのは彼女の心、考え方。
 彼女を守る……などというつもりはない。が、自分と共に住むのが、自分にとってもっとも安心すると判断したのだ。

美都
「こんにちはー」

店先で声がする。目を移すと、瑞鶴の店長と猫を伴っている。もって来た荷物は何も無い。

ユラ
「いらっしゃい。グリーングラスへようこそ」

最高の笑顔で迎えてやる。先の事の不安を振り払うように。

美都
「はい。布施美都です。これからよろしくお願いします」

彼女も、春の朝日を受け、最高の笑顔で答えた。
              完

解説

記憶の無い娘、布施美都の登場エピソード。
 心を大切にするあまり、みずからの身体を省みない美都を諭す、瑞鶴の面々。
 美都がグリーングラスに居候するまでの話です。



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