エピソード1009『過去無き娘と想い無き猫』


目次


エピソード1009『過去無き娘と想い無き猫』

登場人物

布施美都(ふせ・みと)
  過去の記憶、記録の一切無い少女。現在はグリーングラスで居候をしている。
紫苑(しおん)
  水島孝雄の実験中に生れた金属生命体。普段は紫の猫の形か、美形の男性、女性の姿を取る。

出会った場所

美都
「ここ……」

美都と紫苑が到着したのは、吹利の森に少し入った所。
 紫苑が最初に美都を発見した場所であり、美都の記憶の始まりでもある。

紫苑
「……(やはり……異常は感知できない……何も無い筈だ……)」

美都は、わりと大きな幹の側に立ち、目を閉じている。

美都
「(それより前、私は……)」

記憶をたぐろうとするが、引き出す事は出来ない。
 幹に額を当て、寄りかかるようにしてみる。

美都
「(貴方は何か知りませんか……)」

返ってくる答えはない。植物との意思疎通など、彼女には不可能だ。
 植物の方が、特別な能力を持っていない限り……。

美都
「うえ……」

美都の口から、思わずこぼれる単語。口にした本人が一番驚く。

美都
(上を見上げる)「行けない事は無さそう……よし」

おもむろに、寄りかかっていた幹の枝に飛び付き、よじ登る。

紫苑
「にゃっ(美都っ)」

紫苑が気づいたときには、既に数メートルをのぼっていた。
 紫苑は猫の爪を利用して幹を駆け上がる。

紫苑
「……(彼女の運動神経では……危険だ)」

美都は、下を見ずに登り続け、紫苑は美都の元へと全速で急いだ。

真の姿

美都
「って……これ……かな?」

息を切らしながら、枝にぶら下がったまま幹の方を見る。そこには、何かの紋様が一つ。

美都
「これ……なんだろう? ……って、この体勢……つらい……」

握力は既に限界に来ており、震えが止まらない。足にも力が入らなくなってきていた。

紫苑
「にゃっ(美都っ)」

横合いの枝から彼女の目の前に現れる紫苑。

美都
「あ……紫苑ちゃん(にこっ)」(ずるっ)

紫苑を見た瞬間に、安堵と共に体中の力が一瞬抜ける。
 紫苑からすると、ようやく追いついた美都の身体が下に引きずられたように見えた。

紫苑
「美都っ!(高度14メートル。そのまま落ちたら危険かっ)」

紫苑は、そのまま美都を追って枝から飛び降りた。
 
 即座に空中で液化、体の形状を人間へと変える。
 そして空中で美都を抱きかかえると、自分の体をしたにして落下する。

紫苑
(受け身を取る間がない……私の体で、衝撃を吸収できるか?!)
SE
「ドンッッ」

紫苑をしたにした格好で、落下した美都。
 紫苑にしっかりと抱きしめられた格好になる。

美都
「あ……れ、わたし……落ちた?」

落下のショックの為か、少し混乱する美都

美都
(どこも痛くない……この人……誰?)
紫苑
「ん……」

衝撃のせいか、意識を失っている紫苑。
 混乱していた美都はだんだんと事態を把握し始めていた。

美都
(この人……なぜここに……)
紫苑
「ん……(目を開ける) 美都……よかった……(目を閉じる)」
美都
「……紫苑……ちゃん?」

再び目を閉じる紫苑、自己修復モードの為か意識をまた失ったようだ。

心の距離

日は中天に射しかかり、木漏れ日が地面を照らす。
 紫苑が意識を失ってから数十分が経過していた。

美都
「……」

傍らに、地面に腰を下ろして控えている。気絶したのが自分の責任なのだから、離れるわけにはいかない。
 また、猫から人間に変じた彼を、病院に連れていって良いのかも判断がつかない。

紫苑
「(機能80%回復。行動可能。再起動……) ん……」
美都
「あ……」

紫苑が目を覚ましたと同時に、何も考えてなかった美都の頭の中に不安がよぎる。

美都
「あの……」
紫苑
「ああ、美都。大丈夫ですか?」
美都
「紫苑……ちゃん?」
紫苑
「ええ。知られてしまいましたね……」

そういうと、立ち上がって美都の手を取り、立たせる。
 並んで立つと、頭一つ分くらい差がある。美都も女性としては長身のほうだが、それより更に紫苑の背が高いのだ。

美都
「貴方は……何者なの?」
紫苑
「私……ですか……」

ちょっと言いにくそうな顔をして、話し始める紫苑

紫苑
「私の名前はT-1001……正式には『Self Improving Organism of Nanomaterial T-1001』の頭文字を取って通称SIONという」
美都
「なに……それ」

美都は拳を握りしめて、青ざめた顔をして問う

紫苑
「……私は人間ではない、水島博士によって作られた、ナ ノマシンの集合体……つまり……」
美都
「……」
紫苑
「……」

意を決したように紫苑が口を開く……

紫苑
「ロボットだよ……」
SE
パシッ

紫苑の答えと同時に、頬がはじける。平手を打ったのは、美都。大した早くも無いその平手を、紫苑は甘んじて受けた。

美都
「酷い……」

今にもあふれそうな涙を瞳に溜め、かろうじて一言。
 その言葉と同時に自分の中を感情が支配する。湧きあがる感情はさまざまで、何を思っているか美都自身にも判別がつかない。

紫苑
「美都……」

向けられた紫苑の瞳が、急に作り物のように思えてきて、視線を逸らす。と同時に、背を向けて走り出していた。

紫苑
「……!」

すぐには、足が動かない。一人になるのは危険だと理解している。自分のすべき事が何かも理解している。
 自分の足を止めるものが何なのか、紫苑には分からなかった。

-SION-紫苑

それにはたまたま出逢った。
 普段なら気にかけることもなかったはずだ、だけど気になった、そしてその気持ちは『護りたい』へと変わった。
 「……美都」
 頬に軽い痛み……瞳に涙を溜め、背を向け走り去った彼女。
 
 わからない……
 この気持ちはなんなのか……感情?
 試験管の中で生まれ、数々の試験……実験、いろいろこなしてきたが、こんなのは初めてだ。
 感情とはなんだ、本来私にはないものだ……私はロボットだ、すべてはプログラムにすぎない、バグだろうか?
 
 解らない、解らない、解らない、不明、不明、不明。
 答えは出ない、胸が痛む……
 
 「考えても……ムダです……か」
 
 一人つぶやいてみる……確かにそうかもしれない、今では解らないが、そのうちの情報の蓄積により理解できるものかも知れない。
 それならば、今はこの気持ちに身をゆだねよう、あの人を護ってみよう。
 
 それが果たせる日が来れば……この気持ちも分かるに違いない……
 
 立ちつくしていた私は、美都を追った……

弱気を見せる勇気 =美都=

自分には、覚えている時から過去が無かった。
 正面から受け止めることが出来たのは、自分の心が強いだけではなかった。
 自分をはっきりと意識したいから、人と自分のつながりを大切にしたかった。
 
 たとえ、相手が自分を人と見てくれなくても……。
 
 邪な思いを抱いている男についていこうとして、止めてくれた女性が居た。
 身寄りの無い自分を引き取り、かくまってくれる女性も居た。
 自分からは踏み込まず、ただ支えてくれる男性にも出会うことが出来た。
 
 でも、最初に会ったのは、猫。
 
 いつでも、そばに居てくれた。
 その瞳は、意志があったはずだ。
 何度か聞いた、自分を呼ぶ声。あれは、幻聴ではなかった。
 矢に貫かれ、倒れて意識を失う直前。抱きとめられたのは……彼だった。
 
 改めて見た彼の瞳は、本当に意志の無いものだったのだろうか?
 
 「ロボットだよ……」
 
 低く、感情を感じさせない声。
 あれは、感情が無い声だったのか?
 人でも、感情を出すのが下手な人間が居るというのに……。
 
 自分が、何を悩んでいるのか分からなかった。
 
 紫苑がロボットだからなのか?
 紫苑が男性の姿も取れる知性ある存在だからなのか?
 紫苑が人間の理解を超えた“もの”だからなのか?
 
 「ロボットだよ……」
 
 その言葉が、耳から離れない。
 その声が、耳から離れない。
 
 彼は、その時何を思っていたのか……。
 
 答えは……出ない。

にゃあ
 
 泣き声に反応する。引き取ってもらった人が「友人」という、黒猫。
 しなやかな身体を丸め、じっとこちらを見ている。
 その瞳は美しく、生命の力を感じ、意志の力を感じる。
 彼女と黒猫は、意志の疎通が可能だという。あった時から話が出来るといっていた。何でも相談しあえる仲だと……。
 
 言葉をしゃべらない猫だから、自分の弱さを見せられたのか?
 猫には、感情など存在しないとでも思っていたのか?
 何故、彼が人の姿を取ることを拒絶するのか……。
 
 彼に心を開いたのは、“猫”だったからなのか?

にゃあ
 
 二度、泣き声。
 顔を上げると、窓から階下を見下ろしている黒猫。
 
 窓までいくと、木の下にたたずむ一人の青年。
 はっきりとは分からない。顔も見えず、こちらを向いてもいない。
 
 紫苑……。
 
 自分があの仕打ちをしてもなお、側にいてくれるのか?
 
 紫苑。
 
 これからも、自分はそう呼びかけるのだろう。
 冷たいアルファベットではなく、生気ある花の名で……。
 
 紫苑は紫苑。それ以上でも、それ以下でもない。
 答えは、簡単だった。なぜ、今までそれに思い当たらなかったのか?
 
 彼にしてもらった事。彼に支えてもらった今までを思い返す。
 彼にしてしまったこと、彼を巻き込んだ今までを思い返す。
 
 彼に返してないものがある。
 彼にしてもらいたいことがある。
 
 今はただ、彼の元へ走り寄ろう。今度は、彼の目を見て話せるはずだ……。
 今はただ、彼の側にいよう。彼の瞳に、想いが映るその日まで……。

解説

美都が自分の過去を知るために記憶のある最初の場所に向かう、そこで、美都は紫苑の正体を知ってしまう……。



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