エピソード1013『ほのかに甘く』


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エピソード1013『ほのかに甘く』

登場人物

布施美都(ふせ・みと)
過去の記憶、記録の無い娘。
紫苑(しおん)
実験で偶然作成された流体金属。猫の形を取る事が多い。料理は得意。
平塚花澄(ひらつか・かすみ)
本屋、瑞鶴の店員。布施美都と最初にであった人間。
平塚英一(ひらつか・えいいち)
花澄の兄。瑞鶴の店長。美都を一晩かくまい、その後グリーングラスへと預けた。

朝、グリーングラス

テレビ
「……と言うわけで、今日はグランドクロスと言う……」
美都
「グランドクロスかぁ……英一さんって、占いとかは信じなさそうだなぁ……」
ユラ
「美都さーん。行って来るねー」
美都
「あ、はーい。行ってらっしゃい」

階下のユラの声にテレビを見たまま答える美都。

美都
「さて……っと、そろそろ始めるよ、紫苑ちゃん」
紫苑
「ふにゃ……」
美都
「もう……何時まで猫やってるのっ。手伝ってくれるんでしょう?」
紫苑
「ええ……わかりましたよ(ふぁぁ)」

あくびをしつつ、紫苑も美都について台所に向かう。

美都
「まずは……黄身と白身を分ける……と」

必死になって殻と黄身と白身に分ける。殻も必死に分けねばならないのは、彼女の実力と言えるだろう。

美都
「白身を泡立て……」
紫苑
「すばやく正確にやるんですよ、角が立つくらいです」
美都
「結構疲れるね……」
紫苑
「手伝いましょうか?」
美都の隣で手ほどきをする紫苑は、いつもの男性体とは違って、今日は珍しく女性体である。格好は、美都のそれにそっくりだ。

美都
「あ……ううん、良い。私一人で作りたいんだ。ありがとう」
紫苑
「だったら、がんばってください」

今日は、8月11日。美都が吹利に現れてから、最初に世話になった瑞鶴の店長。平塚英一の誕生日である。
 今までの感謝の意も含め、美都は自作のケーキを作ろうと試みているのだが……。
 見ての通り、作業は難航している。

夕方、グリーングラス

美都
「できたぁ……」
紫苑
「お疲れ様でした」

台所を見れば、美都の奮闘の後が伺える。つぶれたスポンジは3つ。漕げたのが一つ。生クリームも固形化したのや、なめると砂糖の粒が感じられるものもある。

美都
「じゃあ、渡して来るね」
紫苑
「はい、気をつけてくださいね」

美都は、ドライアイス入りの箱に詰めてから、勢い良くグリーングラスを後にした。

紫苑
「さて……片づけと、ユラさんの分の晩御飯の準備ですね」

夕方、瑞鶴

美都
「こんにちは……」
英一
「いらっしゃい。ああ、美都さん」
花澄
「あら、美都さん、いらっしゃい」

店の方から、瑞鶴へと入る。まだ営業中なのだからあたりまえだが……。

美都
「えと……英一さん。お誕生日おめでとうございます」

店内に入って唐突に、それだけ告げてお辞儀をする。なぜ礼をするか良く分からないが……。

花澄
「…………そーいえば、お兄ちゃん誕生日だっけ………」

花澄の今気づいたかのような声。

英一
「……あ…ありがとうございます(深々)」

花澄の声を横目に見ながらも、深々と礼をする英一。

美都
「えへ……それで、これ作ってきたんです」

梱包した箱から、器用に取り出す。いや、取り出すにはそこそこの器用さが必要だった。
 箱の側面を開け、中から皿ごと取り出したのだが、冷えた皿に結露がつき、滑りやすさを増長する。

美都
「あっ!」
SE
ベシャ……カランッ

皿を手に取り損ね、そのまま地面へ差し出した。瀬戸物の皿は割れる事はなかったが、ケーキの方は見事につぶれた。

花澄
「あら……」
美都
「あ……」

呆然。思考能力は停止した。頭の中で意味のつながらない単語がまわり続けている。目頭が熱くなり、涙が出そうになる。

美都
「(泣かないっ)……ごめんなさい……お店、汚しちゃった……」

慌ててしゃがみ、かたずけようとする美都の手より早く、手がケーキに伸びて崩れたかけらを拾い上げ、ひょいと口に運ぶ。

英一
「ふむ、美味しい。甘さも控えめになってて、食べ易いな」
美都
「英一さん……(じわっ)」
英一
「ありがとう。美都さん。これでも3人なら十分食べられる」
花澄
「地面についてない分だけとって、ちょっと整形すれば大丈夫そうね」
美都
「えいいちさぁん……」

そのまま、胸に飛び込む事で涙を隠す。彼の前では泣かないと決めていたが、嬉し涙ならかまわないだろう。
 固まっている二人を横目に、笑みを浮かべてケーキを取り分けて行く花澄。
 ふ……と、美都の頭越しに英一と目が合う。

英一
『…………なにか?』
花澄
『いいえ……ごゆっくり』

声に出さず、口を動かすだけで会話を終える。
 ケーキを取ってから、拭き取る前にあじみをしてみる。
 ほのかにあまいクリームだった。

解説

瑞鶴店長、平塚英一の誕生日に、美都は不得意ながらもケーキを作る。紫苑の力を借りて作ったケーキを瑞鶴に持っていった美都だが……。

時系列

1999年8月11日。



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