知ることは、力にもなる……と、時折聞く。
ただ、それを振りまわすのか、振りまわされるのか。
からからと、シャッターを降ろす音。そして裏口が開く音。
瑞鶴、夜。
しゅんしゅんと元気良く音を立てるやかんを火から下ろしながら、ふと、花澄が首を傾げる。
ふむ、と、店長は合点する。
流石に、「焦げた本」を新刊書です、と胸を張って渡せるわけもない。
やはり納得する。
知る必要の無いことを知らないでいること。
そのことを……お互い、知っている。
とん、と、湯のみを目の前に置いて。
本が焼かれるということ。
その本の持つ……誰かにとっての危険性。
『吹利史』という題。
奥六郡郷土史保存協会。
東北地方の地祇(国津神)をまつる、と。
多分それは、古代の域まで遡る話だろう。
…………何故そんなものに、記憶の無い娘が追いかけられるのか。
困ったものだ、といいたげな、笑み。
さて、と言葉を濁して、店長はそのまま立ちあがった。
人には、多分、見て欲しい自分と、見て欲しくない自分が居るのだと思う。
見て欲しくない自分に、けれども気がついても欲しいのだろうと思う。
けれども……気がついて欲しい相手と、欲しくもない相手が、いることと思う。
気がつくべき相手も、いるのだと思う。
布施美都、という人間から、今は、その全ての判断が消えてしまっている。
その彼女の過去を調べること自体が……ある意味踏みこみすぎているのではないだろうか、と。
がたん、と硝子戸を開いて、瓶とグラスを取り出す。
花澄が肩をすくめる。
知ることは、関わること。
関わることは、恐らくより深く相手の領域に踏み込むこと。
踏みこまざるを得なくなること。
そして……恐らく、知ったことを呑みこむこと。
くすんと笑う。
恐らくは既に、自分よりも多くの知識を、呑みこんできた者の笑い。
からん、と瓶のふちがグラスにあたり、硬い音をたてた。
平塚花澄(ひらつか・かすみ) :
四大の力を従え「春の結界」を身にまとう女性。
書店「瑞鶴」の店番でもある。平塚英一(ひらつか・えいいち、店長) :
書店「瑞鶴」の店長。花澄の兄。
自身も異能者だが、「本が湧く本屋」である瑞鶴の性質
を最もよく知る人物。
平成11年(1999年)5月上旬、書店「瑞鶴」での出来事。
『吹利史』シリーズの第3弾です。EP『過去無き娘』に登場した美都さんの存在を受けてのお話になっています。
作者はE.Rさん、元原稿は1999/5/7 "[KATARIBE 12871] [HA06][EP] 「氾濫」" です。