エピソード1027『さよなら、そして……』


目次


エピソード1027『さよなら、そして……』

登場人物

向坂次郎(さきさか・つぎお) :フリーターのおっさん。神出鬼没。口が軽くてお調子者。 :奈津と佳奈にそれぞれ別の所で逢った事がある。
佐久間拓巳(さくま・たくみ) :自分が幽霊だと思いこんでいる。実は幽体化能力者。 :向坂の見立てでは佳奈に一方的に思いを寄せられていたらしい。
里見鏡介(さとみ・きょうすけ) :ネクロマンサー。幽霊である遠野勇那と一緒に暮らしている。 :津村姉妹に見せた優しさが、皮肉にも誤解と葛藤を生んでしまう。
津村奈津(つむら・なつ) :吸血鬼のクォーター。津村佳奈の双子の姉。。 :鏡介が自分の妹である佳奈の事を大切にしていると思いたがっている。
水島緑(みずしま・みどり) :全身完全戦闘サイボーグの女子大生。 :奈津とは知り合い。佳奈と逢った事もある。

日時と場所

1999年8月、ある午後のベーカリー。

ベーカリー

ある午後のベーカリー。
 佐久間は心地よく涼みながらサンドイッチを食べていた。
 レジの前ではこの時間には珍しく鏡介がパンを選んでいた。
 カウンターでは緑が物思いにふけりつつ遅い昼食を食べていた。
 心地よい沈黙が支配する、けだるく長い夏の午後だった。

SE
「カランカラン」
「……んー」

ふらふらと奈津がベーカリーに入って来た。

奈津
「こんにちは……」(暑い……)
「あ、こ……こんにちは……」
鏡介
「…真夏の日差し」
佐久間
「ここで涼んでるとそんな物は忘れそうになるねぇ」
奈津
「すみません、ミックスピザパンと野菜ジュースください」
鏡介
「…(アイスティとカレーパンを買ってる)」
奈津
「奥で食べてきたいんですけど……いいでしょうか」>緑
「あ、いいですよ……」

奈津はのぼせていた。緑を店員と間違えていた。
 緑は緑でつい反射的にそれに答えていた。昔ここでアルバイトをしていた事があったからだ。

佐久間
(アイスコーヒーを飲んでいる)
奈津
「はふ……」(パンとオレンジジュースを買って佐久間の隣に座る)

横に座ってから、やっと奈津は佐久間に気が付いた。
 誰かがそこにいる事自体、座るまで気付かなかったようだった。

奈津
「あ、どうもこんにちは……」
佐久間
「あ、どうも……」

鏡介の場所

鏡介はレジをすませた。座れる場所を探す。

鏡介
「…(ここにくるのは久しぶりだな)」
「ふぅ(あー、冷気が気持ちいいー)」
奈津
(気付く)「あれ? どこかでおあいしませんでしたっけ?」
佐久間
「(少し考えて)……ああ、いつぞや公園であったんじゃなかったかな?」
奈津
「あ、あのときの……散歩で、怖い目に逢いませんでしたか?」
佐久間
「いや、夜道には結構慣れてるからね」
奈津
「そうですか。わたしなんか、いつまでも慣れませんけど……」

鏡介がすっと奈津の脇を抜けようとした。

奈津
「あ」

二人の動きが止まり、視線が一瞬だけ交差する。

奈津
「あ……(鏡介さんだ……)」
鏡介
「……(津村…奈津…)」
「(ごくごく)ふぅ」
佐久間
「まぁ、女の子は夜はあまり出歩かない方がいいと思うけどね(苦笑)」

佐久間は二人の変化には気付かなかった。
 彼の言葉にはっとして、奈津は視線を佐久間に戻した。
 やや無理のあるぎこちない笑顔を佐久間に向ける。
 鏡介はそっと佐久間の隣、彼を挟んで奈津と反対側に腰を下ろした。

奈津
「あ、はいっ、そうですね。バイトなんか入れちゃってるから。あははっ」

奈津はパンを一口分だけ口に入れ、野菜ジュースを呑んだ。

奈津
「ふぅ……おにいさんは、夜の散歩が趣味なんでしたっけ」
佐久間
「ま、僕もバイト帰りにふらついてるだけなんだけどね」
鏡介
「……うす」

鏡介は低い声で佐久間に挨拶した。
 奈津とも視線が合う。今度は、奈津も逃げる訳にはいかなかった。

奈津
「あ、……こ、こんにちは……(ぺこ)」
佐久間
「やあ。顔会わせるのは久しぶりだね」
鏡介
「隣人だというのに、なんでだろうね」

鏡介はまず佐久間と話を始めた。
 奈津は視線をあちこちに流した。緑がカウンターの端に座っている事に漸く気付く。

奈津
「あ、みどりさん」
佐久間
「行動時間帯が違うからね…って鏡介君、知り合いなの?」

佐久間は奈津を指した。奈津はびくりと震える。

「え、あ?は、な……なんでしょう?」
奈津
「こ、こんにちは……」
「あ、こんにちは〜」
奈津
「あ、見付けたから、つい声をかけてしまっただけです……」
「あ、そうでしたか(び、びっくりしたですぅ)」
奈津
「ごめんなさい……」

驚いた様子の緑に、奈津はそれ以上言葉を続けられなくなった。
 鏡介もなにも言わなかった。
 佐久間は首をかしげていた。
 なんとなく息苦しい沈黙がその場に立ち込めた。
 誰かの時計がこちこちと鳴っていた。

奈津、自爆

佐久間
(何かまずいことを言ったのかな……)
鏡介
「……」
奈津
「あ、あの、鏡介さん」

奈津はとうとう沈黙に耐えかねて喋ってしまった。

鏡介
「なに」
奈津
「佳奈と、……仲良くしてますか?」

奈津にはつらい言葉だった。だが、他にいい言葉が出てこなかった。
 鏡介の家で二人が抱き合っていた所を見、佳奈が鏡介との関係を口にしてから、奈津は「鏡介の恋人の姉」になろうと思っていた。
 その代わり、自分は新しい何かを見付けようとしていた。それが何であるかは判らなかったけれど、彼女は取り敢えず昼間の世界にそれを求めようとしていた。
 鏡介が佳奈と同じ布団に寝ていたのは他に横になる所がなかったせいでもあった。
 佳奈の言葉も、いつも自分より外向きだった姉に対する虚勢や嫉妬から来たもので、あの一件以後佳奈はほとんど鏡介とは逢っていなかった。
 しかし、奈津はそれを知らなかった。
 彼女は持ち前の性急さで自分なりにすべてを誤解してしまっていたし、またそれを訂正してくれる人もいなかった。
 奈津は、佳奈が鏡介とそれなりの関係にあると思ってしまっていた。
 いや、思おうとしていたのかも知れない。

奈津
「ほら、あの子、あんまり素直じゃないし、家に帰ってもあまり喋らないから、全然わかんないんですよ」

鏡介は暫く間を置いてから答えた。

鏡介
「ああ…あれから会ってない、色々と忙しかったし」

奈津はびくりとした。意外な台詞だったが、何故か、そう言われる事を予想していたような気がした。

奈津
「そ、……そうですか……ごめんなさい」

佐久間は眉根を寄せた。なんか、みょーな雰囲気だな、と思う。

奈津
「でも、あ、あれから、あの子、あんまりちょくちょく夜でかけていくこともなくなったし……一時期、取り憑かれたみたいに『命の光をみてあげなくちゃ』とかいっていたのも収まったみたいだし」
鏡介
「……そうなんだ」

奈津はなんとか笑顔を作った。
 まだ、鏡介が佳奈を好きだと信じていたかった。
 何故そんなことを信じていたかったのかは、その時の彼女には判らなかった。
 そう信じようとすればするほど、心が痛むのに。

奈津
「ええ……みんな、鏡介さんのお陰です」

すれ違う意図

奈津は自分の気持ちは無理に隠して言ったのだが、鏡介にはそれを皮肉として受け取ってしまっていた。

鏡介
「別に……」
奈津
「あ……」
鏡介
「(もふもふ)」
「(人間関係……難しそう)」
奈津
「でも、あの子が好きになった相手が鏡介さんだなんて思わなかった……てっきり、公園で『命の光』を見てあげる相手の人だと思ってたから」

佐久間は心の中だけで肩を竦めた、さすがに口を挟みにくかった。

佐久間
(……世間は狭いねぇ)
(命の光……)

緑はちらりと三人を見た。『命の光』という単語に聞き覚えがあった。
 が、彼女にはそれ以上詮索していられる時間はなかった。柔和な顔に心配そうな色を浮かべつつ、彼女は音を立てないようにしながらそっとベーカリーを出ていった。

奈津
「……」

鏡介、決断する

鏡介はカレーパンの最後のひとかけを嚥下した。
 視線をそのまま手元に落としつつ、彼はある決断をした。

鏡介
「別に、なんとなく声かけたらほいほい付いてきただけの付き合いだし。案外尻が軽いだけなんじゃないか?」

鏡介は敢えて言い切った。これで奈津と佳奈が自分から離れて行けばいい、と思った。酷い言葉でお互いが傷ついたところで、このままずるずる引き摺るよりはずっとましだった。
 偽悪的かもしれなかったが、ほかに良い考えが浮ばなかった。それに、もううんざりもしていた。半ばは本心から出た言葉だった。

奈津
「そんなこと、ないですっ」

奈津はびくりとして立ちあがった。
 初めて、彼女は鏡介に怒りを覚えた。
 ほとんど人と会えない佳奈を、それも、佳奈が想いを寄せているらしい鏡介がそう見ていることが心外だった。
 いや、それは自分が好きな鏡介が自分達を誤解しているように思えたからかもしれない。

佐久間
「鏡介君、そりゃちょっと言い過ぎだと思うけど…」

鏡介は無言で立ちあがった。
 そのまま、入り口に向かって大股に歩き出す。
 奈津の悲鳴のような声が追いかけた。

奈津
「……鏡介さんっ」
SE
からんからん

緊張感のない雰囲気の小男がドアを押して入って来た。
 モルタルのあちこちに付いた作業服を着ている向坂だった。

向坂
「今日は早く終わったぜ〜〜っと、青年、どうしたくらい顔して」

彼はつかつかとこちらに歩いてくる鏡介に片手を上げた。

鏡介
「お疲れさま(無視して出ていく)」
向坂
「ん? ああ……」
SE
カランカラン
奈津
「鏡介さんっ、待ってくださいっっ」(おいかける)

ふたりはベーカリーから出ていった。
 向坂は呆気に取られてそれを見送っていたが、すぐににやりとした。

おっさんのばか話

向坂
「……ふうん、もててるねぇ、青年」

向坂は店内を面白そうに見回した。
 すぐにこちらを見てる佐久間に気付いて、左手の親指で背後を指す。

向坂
「……修羅場?」
佐久間
「みたいですね」

向坂はテーブルの上に置かれたトレイやごみを見て、ふんふんと頷いた。
 彼なりの納得をしたらしかった。

向坂
「……君も当事者かね、青年」
佐久間
「いえ、偶然居合わせただけです」
向坂
「はは、そいつは災難だったな」
佐久間
「人間関係って難しいですよ」
向坂
「そうだねぇ」

向坂は出てきたアルバイトに、いゃぁご苦労さん、と人の悪い笑みを浮かべてから、フランスパンとマーガリンを買って佐久間の向かいに座った。

向坂
「なあ、出歯亀根性丸出しにして聞くんだが、あいつ、……って里見青年だが、ふたまたでもかけてたのかい」
佐久間
「詳しい事情は知らないんですよ」
向坂
「フム……(もしゃもしゃ)ん?」

向坂は佐久間のいぶかしむような視線に気が付いた。
 にやにやとばつの悪そうな笑みを浮かべる。

向坂
「あの青年とお嬢ちゃんにはちと別々のところで縁があってねえ」
佐久間
「あ、2人と知り合いだったんですか」
向坂
「ああ。しかしまぁ、難儀な奴等だ。片方は趣味が変だし、もう一方の妹は自分が吸血鬼だと思い込んでるしな」

事情を知らない向坂の無責任な発言は続く。

向坂
「妹の方にもあったが……なんでも公園であった奴に人目ぼれしたとかで」
佐久間
「……まぁ、世の中色々ですよ」
向坂
「ふられたんで腹いせに姉貴の彼氏でも取っちゃった、なんてとこだったりしてな。ははは」

佐久間はむせた。それは……知らなかった。

佐久間
「げほっ……そうなんですか?」

向坂は水も飲まずにフランスパンを一本腹に収めてしまった。

向坂
「あはは。推測推測。妄想。しかし、男に振られちまったってとこは事実」
佐久間
「……」
向坂
「しかしまあ、あれだ。男の方も酷いね。妹の方の冗談くらい付き合ってやっても良かったんじゃないかな。ありゃ、まともにいろいろ恋愛したいんじゃなくて、その雰囲気が欲しかったんだと思うんだな、俺は」

そこで、大きく反り返って伸びをしてから、ばりばりと頭を掻きつつ、独り言のようにぼそぼそと続けた。

向坂
「いのちのひかりだかなんだかしらないが、見たいんなら見せてやったって良かったんだよ。どうせ作り事だろうし、見せて減るモンじゃないだろうしなぁ」
佐久間
「……ま、世の中色んなやつがいるって事でしょうね」
向坂
「まあ、事実が俺の妄想どおりなら、妹の相手が遠因ってやつなんだろうなぁ」

向坂は楽しそうに笑う。ネタが出来たと思っているのかもしれないし、ただ冷笑しているのかもしれない。

佐久間
「そういうこと、興味本位で話しをしない方がいいと思いますよ。本人達は真剣なんですから」
向坂
「そうだな。こりゃ失敬。 しかしまぁ、なんだね。ああいうのは、当事者全員が真剣であるべきだな。そうは思わないか、青年」
佐久間
「まあ、そうあるべきでしょうけど。結局、その人次第でしょうね」
向坂
「まぁね。ま、得てして、そういうのがキャスティングボードを握ってたりするんだよな、これが」
佐久間
「というと?」
向坂
「いやまあ、これも妄想さ。妄想〜〜」

向坂は茶化すように言って立ち上がった。

佐久間
「妄想、ですか……」

向坂はおやと振り返り、意外そうな顔で佐久間を振り返った。

向坂
「まじめな奴だなぁ、君は。 そんなに考え込むなよ、他人事だろう? 疲れちまうぜ、他人のことで悩んでると」
佐久間
「……そうですね」

とは言ったものの、やはり佐久間は考えている。

向坂
「ふん……(まさか全部当たってたりして……ンなバカな)」
佐久間
「どうしたんですか?」
向坂
「いやあ、こいつも妄想妄想。……はは。しかし、なんだね、まじめだな青年」
佐久間
「そりゃあ、真面目ですよ」

その言葉に向坂はまたなにか興味を抱いたようだった。
 元の場所に座り直す。

向坂
「仮に、君がその妹を振った奴だったら、どうするね?」
佐久間
「さぁ? 実際に当事者になってみなきゃ判りませんよ」
向坂
「ふん……まじめそうだから、まともに悩むかと期待したんだが……まぁいいか」

向坂は肩をすくめた。立ち上がり、じゃあな、青年と佐久間に片手を上げ、ごちそうさんとレジに声を掛けてから、悠然とドアの外に消えていった。
 佐久間はため息をついた。
 夜の公園での出会いと、それに伴ういくつかの出来事は佐久間にとっては済んだことであったのだ。
 だがあの夜の出来事は、(先ほどの話を信じるなら)鏡介達の関係になんらかの形で影響を及ぼしたようである。
 それが他人の問題とはいえ、佐久間には気になるところであった。

佐久間
(……ほんと、人間関係ってのは面倒だね)

かなり薄くなったアイスコーヒーを飲み干すと、佐久間は店を出ていった。
 佐久間の開けた扉が閉まると、ベーカリーには沈黙が戻った。アルバイトはふっと溜息を吐いた。

解説

青年たちの優しさが空回りしてしまうさま。



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