- 布施美都(ふせ・みと)
- 過去の記憶、記録が無いため、まっとうなバイトが見つからない娘。
- 小滝ユラ(こたき・ゆら)
- 美都の保護者。大学院生。
- 豊秋竜胆(とよあき・りんどう)
- ベーカリー・楠の常連。レストラン『マリカ』の店長代理。
- 蒼月かける(あおつき・かける)
- ベーカリー・楠の常連。
- 津久見神羅(つくみ・から)
- ベーカリー・楠の常連。
- 伊佐見光(いさみ・ひかる)
- ベーカリー・楠の常連……の兄。
- 湊川観楠(みなとがわ・かなみ)
- ベーカリー・楠の店長。
- 紫苑(しおん)
- ベーカリー・楠の常連にして、美都と最初から共にいる金属生命体。
- 美都
- 「うーん……」
相変わらず悩んでいる美都。いつも何かに悩んでいるような気がしないでもない。
アルバイト斡旋雑誌をめくりながら、一つずつ条件をチェックして行く。
その大半は、条件に当てはまらない。
- 美都
- 「これと……これと、これ。……なんか、夜の労働時間のやつばかりだなぁ……」
条件に当て嵌まったものは、印をつけて行く。電話で相談だったり、直接面接があったりするが、今日はとりあえず全て目を通してみる。
- 美都
- 「みんな、時給はいいやつばっかだから助かるけど……」
- ユラ
- 「美都ちゃん。いい?」
同居人のユラが部屋に入って来る。
- 美都
- 「はい、どうぞ」
寝転がった体勢から起き上がり、若干居住まいを正す。色ペンと雑誌は手に持ったままだ。
- ユラ
- 「お茶いれたから……って、バイト探し?」
- 美都
- 「あ、はい。あまりべったりお世話になるわけにもいかないから……」
- ユラ
- 「気にしなくて良いのに……っていっても聞かないわよね……」
- 美都
- 「すみません……」
- ユラ
- 「いいのよ、別に。で、どんなバイトにするの?」
- 美都
- 「履歴書が必要ない所を探してるんですけど、なかなか無くて……」
そういって、チェックした雑誌をユラに渡す。
- ユラ
- 「(……ちょっとこれ……水商売?)」
- 美都
- 「時給が高いのは良いですけどねぇ……夜の仕事が多くて……」
- ユラ
- 「ねえ、美都ちゃん」
- 美都
- 「はい?」
- ユラ
- 「このお店とかって、どんな事させるのか分かってるの?」
- 美都
- 「え? ……えーと、このお店は“接待”って書いてありますよね。女性はフロアに出てお客さんの相手……と」
- ユラ
- 「美都ちゃん。『水商売』って知ってる?」
- 美都
- 「え……ええ、まあ……テレビとかで大体は……」
- ユラ
- 「貴方の選んだの、そのほとんどが水商売だって分かってる?」
- 美都
- 「え……あ、そうなんですか……」
- ユラ
- 「しかも、どれも怪しいのばかりよ。水商売が悪いって決め付けるつもりはないけど、貴方が選んだものは、特にたちの悪いものだわ」
- 美都
- 「でも……」
- ユラ
- 「また自分はどうなっても良いって言うつもり?」
ユラの厳しい視線。以前、美都がグリーングラスに厄介になる前にも、似た様な事を話した事がある。
美都の自分の体を軽視するような行動は、ユラとしては心配する要素の一つである。
- 美都
- 「え……あ……」
- ユラ
- 「……」
答えに窮する美都を、黙って見つめるユラ。この件は、以前決着がついている。
- ユラ
- 「履歴書が作れない理由は分かるけど、自分の事をもっと大切にしよう」
- 美都
- 「はい……。ごめんなさい」
- ユラ
- 「多分、こういう雑誌のは、全部無理だと思う。知り合いに誰かいないか聞いてみるけど……」
- 美都
- 「……やっぱり、めいわくかけちゃいますね……」
- ユラ
- 「気にしないで……って言うのは、無理かもしれないけど、私が安心できるところで働いて欲しいだけだから。ごめんなさいね」
- 美都
- 「いえ……私のわがままですから……。お願いします」
結局、ユラに頼ってしまう美都であった。
自分はひとりでは何も出来ない事を、また思い知らされる。
数日後。以前として、ユラからのバイトの紹介も無い。もともと、ユラとしても「履歴書が必要ない」バイトを探すのは難しく、ないんも聞かずに雇ってくれるところなど、どれも自分の周りでしかない。
それでは美都の気持ちを無視してしまう事も、ユラは分かっていた。だから、どうしても条件は厳しくなり、探すのも難しい。
美都も、何もしなかったわけではないが、ユラを心配させないアルバイトとなると、なかなかに難しいのは確かだ。
グリーングラスの休憩時に、昼食がてら向かいのパン屋『ベーカリー楠』に足を運ぶ。
以前、ちょっとの休憩を兼ねて立ち寄った場所だったが、その場の雰囲気と常連達の人柄もあり、ユラも利用している事もあって、良く足を運ぶようになっていた。
- SE
- からんからん
- 美都
- 「こんにちはー」
- 竜胆
- 「あ、美都ちゃんだ」
- 美都
- 「あ、竜胆さん。こんにちは」
- 竜胆
- 「美都ちゃん美都ちゃん。これが巨人の星の歌だよ」
常連の一人、竜胆とは、以前に野球の巨人軍と阪神軍の話で盛り上がり、その際に「巨人の星」という歌の話題が出たのだが、以前の記憶の無い美都は聞いた事が無かったのだ。
律義にMDにして来る事もさすがだが、会えるかどうか分からない美都のために、いつも持ち歩いていたのだろうか?
- 美都
- 「おおっ……昔の曲みたい……」
- 竜胆
- 「昔の曲だって」
MDを聞き、単純な感想を述べる。
- 美都
- 「ありがとうございました。ああいう曲だったんですね……」
- 竜胆
- 「うん、なかなかでしょ?」
- 美都
- 「はい」
そういってから、店内を見渡す。パンの置いてあるあたりで竜胆に捕まったのだが、この場所よりは奥にいった方がよさそうである。
- 美都
- 「今日は、お昼食べにきたんです。どれにしよっかなぁ……」
- 竜胆
- 「誰しもが通る道としてししゃもパンなぞどうかのう」
- 美都
- 「ししゃも……って、魚のですか?」
- 竜胆
- 「うん。健康にいいんだって」
- かける
- 「こんちわ〜」(からん)
竜胆に若干歪んだ授業を受けている最中に、もう一人店内に客が入ってきた。
- 美都
- 「あ、うぐぅの人だ(にぱ)こんにちは(にこ)」
- 神羅
- 「うぐぅ?なんやそりゃ」
- かける
- 「うぐぅ」
神羅の問いに、かけるはお決まりのうめき(?)で答える。どうやら、パソコンのゲームの台詞の一つであるらしいのだが、詳しい事は不明である。
- 美都
- 「健康に良いのかぁ……別に不健康な生活はしてないけど……じゃあ、これ一つと……」
挨拶をして既に興味は薄れたのか、さっさとパン選びに戻る美都。
“ししゃもパン”を取り、トレーに移す。
- 竜胆
- 「メロンパンの組み合わせがフルーティ」
更に横から竜胆が助言をする。
- 美都
- 「えーっと、ししゃもパンってしょっぱいんですか?」
- 竜胆
- 「どうして? そりゃちょっとは塩味だよ」
- 美都
- 「しょっぱいのかぁ……じゃあ、甘いのが一つあっても良いですね。んじゃ、メロンパン……と」
- 竜胆
- 「美都ちゃんはコーヒー党? 紅茶党?」
- 美都
- 「うーん……ユラさんとは、お茶一緒にするのが多いです」
ハーブティを呑む事が多いのは確かである。
- 美都
- 「店長さん、苦くないコーヒーってありますか?」
- SE
- カラン、カラン
- 光
- 「こんにちは」
3度、ベーカリーのドアベルだなる。20代半ばくらいの青年は、店内を見回してすぐに常連達に目を留めた。
- 光
- 「おや? みなさんお揃いでどうしたんです?」
- 竜胆
- 「英国式に言うとアフタヌーンティー。和風に言うと三時のおやつ、だよ( ̄▽ ̄)」
- 光
- 「ほほう」
- かける
- 「無道邸風に言うと『まえのくんおやつ』だな」
- 光
- 「……よく分かりませんが、分かりました……」
- 美都
- 「あ、こんにちわっ。常連さんですか? えへへ……私は今ごろお昼なんです」(ぺろっと舌を出す)」
- 光
- 「あ、どーも、お初にお目にかかります」
- 美都
- 「お向かいのグリーングラスで働いてます。布施美都です。よろしくっ」(ぺこっ)
- 美都
- (お辞儀をしてトレイを落としそうになる)「ととっ……!」
- 竜胆
- 「危ないよ(支える)」
- 美都
- 「あ……ありがとうございます」
- 光
- 「んー、私より由摩の方が常連かもしれませんね」
由摩……というのは、光の妹の事である。パンをこよなく愛する少女だ。
- 美都
- 「あ、店長さん、これと、後コーヒーをください。お砂糖とミルクがたくさん入ったやつ」
奥で何やら作業中の店長の代わりに、店員が対応をする。
- 美都
- (パンを受け取ってお金を払う)「ありがとうございます。えーと……席は……」
- 竜胆
- 「でも今日は店長さん無口ですね〜。機嫌悪いのかな?」
- 観楠
- 「……呼んだ?」
奥でヒートプレスをしていた店長が、一瞬だけ顔を出す。
ヒートプレスとは、パン屋とは全く関係なく、プラモ製作の一過程だ。
- 美都
- 「あ……ごめんなさい……作業中だったんですね……お金……ここに置きます」
- 竜胆
- 「営業中にプラモ作ってるんですよ、このヒト( ̄▽ ̄;;」
- 光
- 「くすくすっ」
- かける
- 「やりおるなっ」
- 観楠
- 「だ、だって家じゃなかなかできないし……」
- 美都
- 「えーと……私も店番の時に紫苑ちゃんと遊んでたりするし……その……」
- かける
- 「みんなさぼりまだ」
- 竜胆
- 「まじめに労働してるあたしがアホに見えてくるよ ( ̄▽ ̄::」
- 光
- 「あ、店長、私もコーヒー一つ」
- 美都
- 「うう……ごめんなさい……」(恐縮)
- 観楠
- 「違うぞ。時間を有効に活用してるんだぞ」
- 竜胆
- 「ああ、自営業ってそういうのがうらやましいよぉ……雇われ店長代理って悲しい(><)」
- かける
- 「りん姉もがんばって独立するんだ」
- 竜胆
- 「独立資金一千万円くらいは最低必要なんだよ( ̄▽ ̄;;」
無茶な提案をするかけるに、現実的な資金問題で以って対応する竜胆。
美都の耳には、“店長代理”という言葉が一際際立って聞こえた。
- 美都
- 「竜胆さん、店長代理なんですか?」
- かける
- 「たいへんだね」
- 美都
- 「すごいですねぇ……」
- 竜胆
- 「別にすごくないよ(^^;; ただの中間管理職だよ、店長代理なんて」
- 美都
- 「店長って、何の店長さんなんですか?」
- 竜胆
- 「レストラン」
- 美都
- 「レストランですかぁ……」
- かける
- 「みんなでタカりに行こう」
- 美都
- 「そこって、バイト募集してます?」
- 竜胆
- 「? そりゃまあ、慢性的に人手不足だから募集は随時してるよ? お冷くらいはおごってあげるよ、かけるん」
- 美都
- 「えーと……履歴書が無くて雇ってくれたりします?」
- かける
- 「うぐぅ」
- 光
- 「うぐぅ?」
お決まりのうめきである。元ネタは……(以下略)
- 竜胆
- 「……うぐぅ……せめて、ウソでもいいからほしいな……履歴書」
- 美都
- 「あんまり詳しく調べたりしないんですか?」
- 竜胆
- 「うん。だいたい額面どおり受け取るから」
- 美都
- 「そっかぁ……」(考え込んでる)
- 竜胆
- 「……美都ちゃん、バイトしてくれるの?」
- 美都
- 「うーん……まず紫苑ちゃんに……それから……はいっ?!」
色々と頭の中で考え始めた美都は、まだ会話が続いていたのを思い出す。
- 美都
- 「はい……やっぱり、グリーングラスにいつまでもお世話になれませんし……時間、いっぱい余ってるから(苦笑)」
- 竜胆
- 「(にこにこ)時給は850円スタートで、時間は最低一日四時間ね」
- 美都
- 「4時間どころか……8時間でも大丈夫です(にこっ)」
- 竜胆
- 「じゃ、明日お店にきてね(にこにこ)」
- 美都
- 「え……雇ってくれるんですか?」
- 竜胆
- 「うん。人手足りないもん」
- かける
- 「ヒトデがたりない……」
- 美都
- 「はい! よろしくお願いしますっ!」
なにかぼけようとしたかけるをものともせず。元気に約束を取り付ける。
- 美都
- 「(今日の夜。紫苑ちゃん帰って来るかなぁ……履歴書作らなきゃ……)」
- 紫苑
- 「(とてとて) ん?」
噂をすれば……なのか、ベーカリーの外を紫苑が通りかかる。
相変わらず奇抜なファッションであるが、美形青年である事にはかわりない。
- 美都
- 「あ……」(外の紫苑に向かって手を振る)
- 竜胆
- 「ん?」
- 美都
- 「あ……知りあいなんです(あせあせ)」
- かける
- 「あ、紫苑だ」
- 竜胆
- 「しおん?」
- かける
- 「男性か。つまらん」
- 美都
- 「あ、かけるさん紫苑ちゃんの事知ってるんですか?」
- 紫苑
- 「つまらんとは失礼な」
入ってきて早々、つまらん呼ばわりをされれば、機嫌も悪くなろうもの。
しかし、絶世の美女の姿も持つ紫苑に、女性の姿で会いたいと思うのは、男の性というものであろう。
- かける
- 「ぶーぶーぶ」
- 美都
- 「あ、紫苑ちゃんです」
今までの様子から、何人かは紫苑の事を見知っている様子だが、竜胆は話しが見えてないらしい。
簡単に紹介する。
- 竜胆
- 「あ、よろしく( ̄▽ ̄)」
- 紫苑
- 「よろしく」
- 美都
- 「紫苑ちゃん」
- 紫苑
- 「なんです?」
- 美都
- 「今夜、私の部屋に来てね(にこ)」
- 紫苑
- 「わかりました」
- 竜胆
- 「ほぇ〜( ̄▽ ̄)」
- 美都
- 「絶対だよ……って、今まで頼んできてくれなかった事無かったけどっ(にこっ)」
- 紫苑
- 「いつもいるじゃないですか(苦笑)」
- 竜胆
- ( ̄▽ ̄)
- かける
- 「そーだったのか(めもめも)」
- 竜胆
- 「ラヴだねぇ、かけるん」
- かける
- 「らヴだね」
勝手に、盛り上がる二人。確かに、紫苑と美都の会話を聞いていると、別のの意味を想像してしまう。
- 美都
- 「たまにいなくなるんだもん」
- 紫苑
- 「少し……所用がある物ですから」
- 美都
- 「いいけどさっ……じゃあ、お願いねっ」
そういうと、残ったカフェオレを一気に飲み干す。
- 美都
- 「じゃあ、店番に戻ります。竜胆さん、明日、いきますね。『マリカ』ですよね?」
- 竜胆
- 「うん。それじゃ待ってるからね〜」
- 美都
- 「はいっ……それじゃ。店長さん、おいしかったですっ。でも……ししゃもパンは私は駄目みたい……(苦笑)」
- 観楠
- 「……え?」
今度は、マスクをしてエアブラシをかけている。
とてもパン屋の主人とは思えない。
- かける
- 「きいちゃいねぇ」
美都は、そのまま店を出た。
今夜、履歴書を作成すれば、新たなバイトが出来るのだ。
店番中にも、おもむろに笑みが浮かぶ美都であった。
いつもたのしげな雰囲気のベーカリーに、バイトを探している美都が顔を出す。
竜胆のつてでようやくバイトの糸口が見えてきた。
1999年8月。
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