師走も押し迫ったある日の午後。かのSS服愛好家は郊外の廃ビルにいた。
手にしたチェックシートの『当てはまらない』に、片っ端からチェックを入れる。
このチェックシートは自分で作ったものらしく、公式文章然とした体裁を整えつつも、左端に『機密文章』とドイツ語で記されていたり、黒枠に鉤十字だったりするのである。
長居は無用とばかりに車に戻り、助手席に放り出してあった資料を手にとる。
長い沈黙。
平田は資料を放り出して車を発進させた。
雪が降ったため道はのろのろ運転で、吹利駅前に到着したのは、既に日が傾きかけたころだった。
普通の自動車には暖房がついている。平田の車にも当然ついている。しかし、車内でも愛用のコートを脱がない彼は、暖房をつけない。
バカである。
無情にもベーカリーの扉には、『本日休業』との札がかかっていた。
仕方なく、自販に向かう平田であったが……
商品サンプルの下に表記された『つめた〜い』の文字が無性に腹立たしい。
辺りを見回すが、自販機らしきものは見当たらない。
雪を踏みしめつつ、あたたかい飲み物を求める放浪は続いた。教会で厄払い(違う)--------------------
平田は三口目で限界がきた『ホット青汁』(笑)の缶を路上に投げ捨てた。
運命か、何者かの悪意が関与しているのか、平田が歩く道には自販がなかった。1キロ近く歩いてようやく見つけた自販には、待ち望んだホットはあったものの、例の青汁だったのである。
ふと見ると、前方に古びた教会がある。
いくら信心深くない平田でも、ここまで不幸が重なれば普段の行いに原因があるのではないかと考えが及んだようである。
やたらに渋い音を立てる扉をくぐると、そこは礼拝堂で、神父が説法をしていた。割合人も入っている。古い教会にふさわしく照明は時代がかった燭台の火だけである。平田は邪魔をしないよう、静かに後ろの席へ座る。
行いを反省するどころか、ありがたい話を聞きながら堂々と寝る平田。
これでは主もヘソを曲げるというものである。
寒さに目を覚ますと、人気のない礼拝堂だった。日もすっかり落ちて、もう夜である。
振り返ると黒服にサングラスという、平田ほどではないにしろうさんくさい男が立っている。
いい加減な挨拶をして、開けっ放しの扉に歩を進める。
扉の前に来た瞬間、強風が平田に吹きつけられる。
目の前で重い扉が大きな音を閉まる。
あわてて扉を押したり引いたりしてみるがびくともしない。唯一の照明だった燭台の火も風で消えてしまっているため、さっぱり様子がわからない。
確かに扉自体がどうにかなるような衝撃ではなかったから、そう考えるのが妥当かもしれない。
声を頼りに向き直ろうとした平田に的確な注意が飛ぶ。ただし……的確過ぎる。
平田の考えを見透かしたように、黒服は続ける。
次第に疑惑は深まっていく。
コートの下でUSPタクティカルのハンマーを起こす。
確かに車の騒音などは無い環境だが、風の音はそれなりにうるさい。聞き取ることは出来ても、何の音かまではわからないはずである。
相変わらず、黒服は悠然としたものだ。
ポケットからオイルライターを取り出して着火しようとしてみるが、案の定、オイル切れのようで火花が散るだけである。
手探りで、と言ったが耳に聞こえる足音は規則的だった。
最前列あたりでマッチを見つけたらしく、明かりはかなり前で灯った。
黒服は相変わらずで、サングラスのせいもあるだろうが表情が読めない。
明かりは灯ったものの礼拝堂全体に光が行き届いたわけではない。平田はポケットからバラ弾を一発取り出すと、手首のスナップだけでまだ光の届いていない、左の壁に投げた。
黒服は”軌道を追って”視線を走らせた。
投げるモーションを見抜かれれば、最初にどの方向に飛ぶかはわかる。だが一回バウンドした後までは投げた本人すらわからない。まして、光の届いていない場所での出来事である。
無言で銃を抜く。
自分に付きつけられた銃を見ても、黒服の様子に変化はない。
ごく自然に名前を呼ぶ。名乗ったことも無い相手の。
心底嫌そうに肩をすくめてみせる黒服。
どうやらバケモノではないらしい。しかし、味方という保証も無い。
銃を下ろした。そしてゆっくりあとずさる。
黒服は笑った。「その程度で用心深いつもりですか?」と言ったかも知れないし、言わなかったかもしれない。とにかく、黒服は手にしていた燭台を放した。
当然、燭台は床に落ち、明かりは消える。
礼拝堂は再び闇に包まれた。
反射的に、姿勢を低くして手近な壁へと走る。暗闇でも目の効く相手に、背にスペースを残して戦うなど愚の骨頂だ。
ぶつけるように壁に背を押し付け、銃を構える。
突然、重い扉が開かれた。同時に青白い月明かりが礼拝堂を照らす。黒服は……どこにも見当たらなかった。扉の閂がきれいに切断されて、鈍い光を放っている。
壁に背をつけたまま、床にへたりこむ。指が白くなるほど握りこんでいた銃のグリップから手を剥がそうとしたがうまくいかなかった。
まぶたにかかる汗を拭いつつ、必死で祈りの言葉を思い出そうとしていた自分に、苛立ちを感じていた。
Amen.
1999年12月下旬の市内某所の教会。
平田側が一方的に恐怖映画調にした、前野との出会い。ちょっとぐらい人を信じましょう。