- 小松訪雪(こまつ・ほうせつ)
- 松蔭堂の店主。菓子に関して目利き。
- 平塚花澄(ひらつか・かすみ)
- 書店瑞鶴店員。女の子好き。
- 闇ぬい(やみぬい)
- 大型のクマの自走式ぬいぐるみ。松蔭堂に住む。
- 平塚栄一(ひらつか・えいいち)
- 書店瑞鶴店長。口はそこそこ悪い。
某日曜日。
某菓子売り場。
年に一度の稼ぎどきの、バレンタインである。
きゃわきゃわと笑う女の子の群れの中に、ぽちぽちとそれ以外の人々も混ざる。バレンタインの時期にしか手に入らないチョコレートというのも結構あるから、菓子好きな人にしては案外逃せない時機である。
……が。
- 訪雪
- (……流石に儂だと浮くか(苦笑))
実際は30代前とはいえ、見てくれは30代後半から40代、と、評されたことがある。
それでも、きゃわきゃわ言う女の子達を避けながら、ショーケースを覗いていたのだが。
視線を上に戻して……訪雪は心持ち安堵した顔になった。
- 訪雪
- 「……おや」
- 花澄
- 「あ……大家さん、こんにちは(にこにこ)」
女の子達の群れに圧倒されていたらしい相手は、やはり少々ほっとした顔で会釈した。
- 訪雪
- 「チョコレートを?」
- 花澄
- 「はい、いい機会ですから(にこにこ)」
いい機会、というのも変なものである。
- 訪雪
- 「……といいますと?」
- 花澄
- 「プレゼントの口実のある日って、そうはありませんし」
- 訪雪
- 「贈り先は」
- 花澄
- 「ユラさんと麻樹さんと尊さんと直紀さんとちかちゃん!」
…………一気呵成に言うなよ。
- 訪雪
- 「………………成程(苦笑)」
- 花澄
- 「あ(赤面) ……ええと、あと、キノトくんと一さん、美樹さん……食料補給にいいかな、って(笑)」
身も蓋もない。
- 花澄
- 「で、大家さんは……?」
- 訪雪
- 「儂、ですか? ……いや、この時期しか無いチョコってのが案外あるものでしてね(苦笑)」
- 花澄
- 「あ、成程……(ぽむ) ……あの、もし、よろしければ、大家さんのお勧めのチョコレートを教えて頂けません?」
- 訪雪
- 「構わんですよ」
そうやって、しばらくの後。
- 花澄
- 「……あら(笑)」
- 訪雪
- 「? ……ああ(笑)」
ショーケースの中の、チョコレートのクマ。
座っていても掌の長さほどの身長のある、案外大きなクマを見て、花澄がくすくす笑い出した。
- 花澄
- 「闇ぬい君、見たら何て言うでしょうね」
- 訪雪
- 「……泣きゃあしませんかな(汗)」
その周りに、クマの形のチョコレートが、大小様々並んでいる。
- 花澄
- 「……これ、闇ぬい君にあげようかしら」
- 訪雪
- 「永久保存版、ですか?(笑)」
- 花澄
- 「やっぱりそうなるかなあ……(苦笑)」
想像する。
☆☆☆
- 訪雪
- 「ほら、闇ぬい君。これはチョコで出来たクマだ」
- 闇ぬい
- 「う、うん(じーーーーっ)」
- 訪雪
- 「だから、食べられる」
- 闇ぬい
- 「た、食べるのか?(がーーんっ)」
- 訪雪
- 「食べんでどうするね(ひょいぱくっ)」
- 闇ぬい
- 「う”…………うわあああああああんっ(大泣)」
☆☆☆
憶えず、苦笑が口元に浮かぶ。
視線をずらすと、相手も同じようなことを考えていたらしく、やはり苦笑が口元に浮かんでいた。
- 花澄
- 「やっぱり、食べられないですよね」
- 訪雪
- 「そうでしょうなあ」
- 花澄
- 「でも、見るだけなら喜びそうですよね……よし」
財布を取り出したのを見て、訪雪は少し離れる。
数歩先に行ったところで、花澄がはたはたと小走りに近づいてきた。
- 花澄
- 「あの……大家さん、これ、闇ぬい君に」
- 訪雪
- 「はあ」
花澄さんが渡した方が、と、言いかけた機先を制して、花澄はもう一つ包みを差し出した。
- 花澄
- 「それでこれ、大家さんに」
- 訪雪
- 「……儂に、ですか?」
- 花澄
- 「いつもお世話になってますから(笑) ゆず共々」
- 訪雪
- 「……」
- 花澄
- 「あ、あの、これは、クマの形じゃありませんから(汗)」
沈黙をどう受け取ったか、花澄が慌てて口を挟む。
- 訪雪
- 「いや……ありがたく、頂きます」
と、まあそういうわけで。
座卓の前に、神妙な顔をして、闇ぬいが座っている。
その前に、訪雪は、包みを一つ差し出す。
- 訪雪
- 「花澄さんからだよ」
- 闇ぬい
- 「う、うん(訳も無く緊張)」
ふくふくの手をぎこちなく動かして、それでもそおっと包み紙をはずして。
- 闇ぬい
- 「…………くまさんだ(小声)」
一列に並んだクマが、こちらを見て笑っている。
- 闇ぬい
- 「ちょ、ちょこれーとにも、くまさんいるのか(感動)」
- 訪雪
- 「……ふむ」
あまり大きなものではない。売り場にあったクマと比べれば、作りもさほどのものではない。
しかしそれでも、それはちゃんとクマの形をとっている。
- 闇ぬい
- 「う、動くのかな(どきどき)」
- 訪雪
- 「さあ、どうだろうねえ……」
- 闇ぬい
- 「きっと動くんだぞっ(何故か威張りっ)」
- 訪雪
- 「そうかもしれんなあ(笑)」
あくまで冗談の、筈、だったのだが。
こととん、と、軽い音。
- 闇ぬい
- 「わああっ(あせあせ)」
- 訪雪
- 「……(汗)」
ぶるん、と一つ。
はずみをつけてから、箱の中のチョコレート製の小さなクマ達が、ぴょい、と立ち上がる。そのまま箱の縁をまたぎこして、座卓の上に並ぶ。
二番目、三番目、と、クマがそれに続いてゆく。
- 闇ぬい
- 「…………(感動している)」
何時の間にか一列に並んだクマは、神妙な顔で闇ぬいのことをしばらく眺めていたものだが。
- SE
- てこてこ、とんっ☆
一斉に足踏みをすると、そのまままた、箱の中の元の位置に戻ってしまった。
- 闇ぬい
- 「ほら、動いたぞっ(大威張りっ)」
- 訪雪
- 「本当だねえ(笑)」
で……また、数日後。
瑞鶴で。
- 花澄
- 「……あらら(汗)」
- 店長
- 「で、どうしました?」
- 訪雪
- 「仕方が無いんで、冷蔵庫にそのままですが……(苦笑)」
- 花澄
- 「場所、取ってしまいますねえ(思案顔)」
- 訪雪
- 「クマがいなくならんかどうか毎日のように覗くもんで」
- 店長
- 「それじゃ食べられない」
- 訪雪
- 「まあ、儂のものではないですから(笑)」
- 花澄
- 「いえ、もともと闇ぬい君が見飽きたら、大家さんに、と思ってたんで……。 でもそうですか、動くんだ」
何だか妙に感心したような顔で言うのを、じろりと店長が見やる。
- 店長
- 「……買ってくるなよ、そんなもん」
- 花澄
- 「……何でわかるの(汗)」
猫が一つ欠伸をする。
- 花澄
- 「でも、チョコレートのクマが動いたのって……案外闇ぬい君の一念じゃないですか?別に、意思があるとか、じゃなくって」
- 訪雪
- 「そうかもしれませんが……」
- 店長
- 「てえことは、闇ぬい君が見飽きるまではまだまだ動く、と」
- 花澄
- 「あ”」
冷蔵庫の中のチョコレートのクマは、まだ当分居座るようである。
1999年2月14日前後
吹利ならではの一風景。
クマのぬいが動くのですから、クマのチョコが動いたっておかしくは……
……あるかもしれませんが、はい。
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