エピソード1065『チョコレートのクマ』


目次


エピソード1065『チョコレートのクマ』

登場人物

小松訪雪(こまつ・ほうせつ)
松蔭堂の店主。菓子に関して目利き。
平塚花澄(ひらつか・かすみ)
書店瑞鶴店員。女の子好き。
闇ぬい(やみぬい)
大型のクマの自走式ぬいぐるみ。松蔭堂に住む。
平塚栄一(ひらつか・えいいち)
書店瑞鶴店長。口はそこそこ悪い。

菓子売り場

某日曜日。
 某菓子売り場。
 年に一度の稼ぎどきの、バレンタインである。
 きゃわきゃわと笑う女の子の群れの中に、ぽちぽちとそれ以外の人々も混ざる。バレンタインの時期にしか手に入らないチョコレートというのも結構あるから、菓子好きな人にしては案外逃せない時機である。
 
 ……が。

訪雪
(……流石に儂だと浮くか(苦笑))

実際は30代前とはいえ、見てくれは30代後半から40代、と、評されたことがある。
 それでも、きゃわきゃわ言う女の子達を避けながら、ショーケースを覗いていたのだが。
 視線を上に戻して……訪雪は心持ち安堵した顔になった。

訪雪
「……おや」
花澄
「あ……大家さん、こんにちは(にこにこ)」

女の子達の群れに圧倒されていたらしい相手は、やはり少々ほっとした顔で会釈した。

訪雪
「チョコレートを?」
花澄
「はい、いい機会ですから(にこにこ)」

いい機会、というのも変なものである。

訪雪
「……といいますと?」
花澄
「プレゼントの口実のある日って、そうはありませんし」
訪雪
「贈り先は」
花澄
「ユラさんと麻樹さんと尊さんと直紀さんとちかちゃん!」

…………一気呵成に言うなよ。

訪雪
「………………成程(苦笑)」
花澄
「あ(赤面) ……ええと、あと、キノトくんと一さん、美樹さん……食料補給にいいかな、って(笑)」

身も蓋もない。

花澄
「で、大家さんは……?」
訪雪
「儂、ですか? ……いや、この時期しか無いチョコってのが案外あるものでしてね(苦笑)」
花澄
「あ、成程……(ぽむ) ……あの、もし、よろしければ、大家さんのお勧めのチョコレートを教えて頂けません?」
訪雪
「構わんですよ」

そうやって、しばらくの後。

花澄
「……あら(笑)」
訪雪
「? ……ああ(笑)」

ショーケースの中の、チョコレートのクマ。
 座っていても掌の長さほどの身長のある、案外大きなクマを見て、花澄がくすくす笑い出した。

花澄
「闇ぬい君、見たら何て言うでしょうね」
訪雪
「……泣きゃあしませんかな(汗)」

その周りに、クマの形のチョコレートが、大小様々並んでいる。

花澄
「……これ、闇ぬい君にあげようかしら」
訪雪
「永久保存版、ですか?(笑)」
花澄
「やっぱりそうなるかなあ……(苦笑)」

想像する。
 
 ☆☆☆

訪雪
「ほら、闇ぬい君。これはチョコで出来たクマだ」
闇ぬい
「う、うん(じーーーーっ)」
訪雪
「だから、食べられる」
闇ぬい
「た、食べるのか?(がーーんっ)」
訪雪
「食べんでどうするね(ひょいぱくっ)」
闇ぬい
「う”…………うわあああああああんっ(大泣)」

☆☆☆
 憶えず、苦笑が口元に浮かぶ。
 視線をずらすと、相手も同じようなことを考えていたらしく、やはり苦笑が口元に浮かんでいた。

花澄
「やっぱり、食べられないですよね」
訪雪
「そうでしょうなあ」
花澄
「でも、見るだけなら喜びそうですよね……よし」

財布を取り出したのを見て、訪雪は少し離れる。
 数歩先に行ったところで、花澄がはたはたと小走りに近づいてきた。

花澄
「あの……大家さん、これ、闇ぬい君に」
訪雪
「はあ」

花澄さんが渡した方が、と、言いかけた機先を制して、花澄はもう一つ包みを差し出した。

花澄
「それでこれ、大家さんに」
訪雪
「……儂に、ですか?」
花澄
「いつもお世話になってますから(笑) ゆず共々」
訪雪
「……」
花澄
「あ、あの、これは、クマの形じゃありませんから(汗)」

沈黙をどう受け取ったか、花澄が慌てて口を挟む。

訪雪
「いや……ありがたく、頂きます」

松陰堂にて

と、まあそういうわけで。
 座卓の前に、神妙な顔をして、闇ぬいが座っている。
 その前に、訪雪は、包みを一つ差し出す。

訪雪
「花澄さんからだよ」
闇ぬい
「う、うん(訳も無く緊張)」

ふくふくの手をぎこちなく動かして、それでもそおっと包み紙をはずして。

闇ぬい
「…………くまさんだ(小声)」

一列に並んだクマが、こちらを見て笑っている。

闇ぬい
「ちょ、ちょこれーとにも、くまさんいるのか(感動)」
訪雪
「……ふむ」

あまり大きなものではない。売り場にあったクマと比べれば、作りもさほどのものではない。
 しかしそれでも、それはちゃんとクマの形をとっている。

闇ぬい
「う、動くのかな(どきどき)」
訪雪
「さあ、どうだろうねえ……」
闇ぬい
「きっと動くんだぞっ(何故か威張りっ)」
訪雪
「そうかもしれんなあ(笑)」

あくまで冗談の、筈、だったのだが。
 
 こととん、と、軽い音。

闇ぬい
「わああっ(あせあせ)」
訪雪
「……(汗)」

ぶるん、と一つ。
 はずみをつけてから、箱の中のチョコレート製の小さなクマ達が、ぴょい、と立ち上がる。そのまま箱の縁をまたぎこして、座卓の上に並ぶ。
 二番目、三番目、と、クマがそれに続いてゆく。

闇ぬい
「…………(感動している)」

何時の間にか一列に並んだクマは、神妙な顔で闇ぬいのことをしばらく眺めていたものだが。

SE
てこてこ、とんっ☆

一斉に足踏みをすると、そのまままた、箱の中の元の位置に戻ってしまった。

闇ぬい
「ほら、動いたぞっ(大威張りっ)」
訪雪
「本当だねえ(笑)」

瑞鶴にて

で……また、数日後。
 瑞鶴で。

花澄
「……あらら(汗)」
店長
「で、どうしました?」
訪雪
「仕方が無いんで、冷蔵庫にそのままですが……(苦笑)」
花澄
「場所、取ってしまいますねえ(思案顔)」
訪雪
「クマがいなくならんかどうか毎日のように覗くもんで」
店長
「それじゃ食べられない」
訪雪
「まあ、儂のものではないですから(笑)」
花澄
「いえ、もともと闇ぬい君が見飽きたら、大家さんに、と思ってたんで……。 でもそうですか、動くんだ」

何だか妙に感心したような顔で言うのを、じろりと店長が見やる。

店長
「……買ってくるなよ、そんなもん」
花澄
「……何でわかるの(汗)」

猫が一つ欠伸をする。

花澄
「でも、チョコレートのクマが動いたのって……案外闇ぬい君の一念じゃないですか?別に、意思があるとか、じゃなくって」
訪雪
「そうかもしれませんが……」
店長
「てえことは、闇ぬい君が見飽きるまではまだまだ動く、と」
花澄
「あ”」

冷蔵庫の中のチョコレートのクマは、まだ当分居座るようである。

時系列

1999年2月14日前後

解説

吹利ならではの一風景。
 クマのぬいが動くのですから、クマのチョコが動いたっておかしくは……
 ……あるかもしれませんが、はい。



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