エピソード1080『朧の糸』


目次


エピソード1080『朧の糸』

登場人物

平塚英一(店長)
書店瑞鶴二代目店長。瑞鶴の謎に詳しい
平塚花澄
書店瑞鶴店員。店長の妹。春の結界に護られている
 

本文

某日、瑞鶴。
 レジ前から咳が聞こえる。

店長
「……風邪か」
花澄
「……みたい」
店長
「珍しいな」

本棚の前で立ち読みをしている客が、上着を脱いで腕に掛けた。
 瑞鶴内の温度が心なしか上昇している。

店長
「まあいいや。帰れ、今日は」
花澄
「あ、でも別に」
店長
「お客に風邪うつしたらまずいだろ」
花澄
「……はあ」
店長
「熱燗でも飲んで、治せ」
花澄
「(苦笑) ……はい」

はたはたと片付けて、ごめんなさい、と、小さく呟いて花澄が出て行く。
 どうやら一冊読み終わったらしい客が、残りの一冊を引き抜いてレジに向かう。

店長
「こちらカバーおかけしますか?」
「はい、お願いします」

すう、と視線が硝子戸のほうに向かって。

「今の人……風邪ですか?」
店長
「はあ、みたいです(苦笑)」
「お大事に……って、お伝え下さい」
店長
「ありがとうございます」

双方礼をして。
 そのまま片方は硝子戸を開いて出て行く。
 戸が閉まる前に、するりと猫が一匹、隙間から中に入りこんできた。

店長
「……またか(苦笑)」
瑞鶴の猫
「……(大欠伸)」

そのまま、猫は入り口に座り込み、店長はレジの前の椅子に座り込む。
 
 沈み込むような沈黙。
 壁に掛けた時計の音が、耳朶を振るわせるようにも響く。
 その合間に、耳鳴り。
 
 ごう、と、表の通りを風が吹いていった。
 ちりちりと、砂の小さな渦が、追いかけるように過ぎて行く。
 
 『瑞鶴は、読みたがってる人と、読まれたがってる本を結ぶ糸だから』
 『それを利用しては駄目よ』
 『思いの糸を、利用するもんじゃない』
 
 それは、恐らく他愛の無い結びつきで。
 それが途切れたからとてその人生が変わることなどは、まあ、千に一つもないのだけれども。
 
 印刷され、そのまま廃棄される本がある。
 その一方で、その本を血眼になって探す人が居る。
 ときに距離が、ときに知識が、ときに時間が、この二つを隔てている。
 それを繋ぎあわすのは、瑞鶴。
 しかし、もともとある糸は、瑞鶴には何ら関係無い。
 
 『瑞鶴の店長の役割って何だろう、そしたら』
 『その糸があるかもって、期待させる……ってとこかな?』
 
 糸はあるのだ、と、気付かせるために。

瑞鶴の猫
「………にい」
店長
「………ああ(苦笑)」

ずぶずぶと沈黙にのめり込んでいたらしい。
 椅子から立ちあがる。と同時に、硝子の向こうに足音が聞こえる。

店長
「いらっしゃい」
「こんにちは……あの、頼んでた本入ったって、連絡頂いたんですけど」
店長
「ああはい……ええと、本の名前は」
「はい、『光の六つの印』って……」
店長
「……はい、こちらです」

レジの奥に置いてあった本から、すう、と、残像めいた糸がたなびく。
 それを嬉しそうに受け取る客から、やはり、残像めいた糸がたなびく。
 
 『どうせ、墓までは持っていけないのになあ』
 『感動は持ってゆけるかもよ』
 『……常套句』
 『残るだけの重みのある言葉って言いなさいな』

「ありがとうございました(嬉々)」
店長
「いえ(笑)」

今だけかもしれないけれども、やはり糸をしっかりと結んで。
 ほんの数時間にせよ、やはり繋がりをしっかりと結んで。
 
 からからり、と、硝子戸が閉まる。
 見送って、店長はふとしゃがんで猫の頭を撫でる。
 猫は、一つ欠伸をする。
 
 ゆっくりと春が染み込んでくる、ある一日である。

時系列

1999年初春

解説

人と本とを結ぶ縁の糸を取り持ち、繋ぐ書店が瑞鶴です。
 そこに残る先代店長の記憶もそのままに。



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