その日、佐久間拓巳はいつものように窓から部屋に入ろうとしているところであった。普段ならなんの問題もないし、そこで人に会うことなど滅多になかった。しかしその日はこれがおかしな事になるきっかけを生んでしまった。偶然外から見ている者がいたのだ。その男は拓巳が見えているようで、確かな足取りで近づいてくる。
偶然外から見ていた男、里見鏡介もまたいつものように予備校から帰宅している途中であった。二人は隣人という関係になってから10日が経っていたが、いまだ一度も話したことはおろか見かけたことさえない。それが事態をさらに悪化させた。鏡介は拓巳を「昔このアパートで死に、そのまま居着いてる地縛霊」だと判断してしまったのだ。まさか隣人が幽霊のような存在であるとは思うむべもない。
鏡介はその力で生前と思える頃の履歴を読むが、どうも他の霊達と見え方が違うことに違和感を覚える。
奇妙に相手に安心感を与える声、拓巳は事態の不自然さも忘れ、どういうわけだか素直な気持ちになってしまう。
しかし、拓巳はそこでつまってしまった。
自分の望み。自分が願うこと。いったいそれは何なのだろう?
僕は何をしたいのか?なんのために僕はここにいるのか?
拓巳は鏡介の声で我に返った。
繰り返される、鏡介の言葉。
結局、答えは出ない。
自分の中の疑問が解けたように、うつむき、答えを反芻する鏡介。そして次に顔を上げたときには、先程までのどこか不思議な雰囲気も消え、ごく普通の青年になっていた。
突然の変化に拓巳はとまどうが、とりあえず隣人の挨拶に応対する。これくらいの変事は、こと吹利市においては珍しくもない。
そうとだけ言うと鏡介はアパートの入り口にまわって部屋に戻っていった。拓巳もそのまま浮いているわけにもいかず自分の部屋に窓から入る。
ふと天井を見上げる、小さな天井は木目とシミで色々な模様に見える。
その日、拓巳はそんなことを考えながら眠りについた。
エピソード1136『隣は何をする人ぞ』の一週間後。
佐久間拓巳の幽霊のようで幽霊でない、というあたりが、違和感やずれとして機能する話ですね。