エピソード1179『紫陽花唄』


目次


エピソード1179『紫陽花唄』

登場人物

小松訪雪(こまつ・ほうせつ)
松蔭堂の若主人。人外保育園の園長。
譲羽(ゆずりは)
木霊。少女人形に宿る。

本編

某日、松蔭堂の庭。
 片隅に、人の背丈ほどに伸びた紫陽花の塊が一つ。
 濃い緑の葉の群れる中に、五つの花が浮いている。
 二つは真夏の空を先取りしたような鮮やかな青、三つはもうすこし優しい色合いの紫。
 良く晴れた朝がたの空気の中で、その色が映える。
 
 花の前に、人形が一つ。
 おかっぱの髪が、白いワンピースの肩口のところで綺麗に切り揃えられている。
 とんとん、と、人形が跳ねる。
 跳ねると一緒に、切り揃えた髪もぽふぽふと跳ねる。
 そのたびに、ぢいぢい、と、小さな声が聞こえる。
 
 縁側に少し背中を丸めて座りながら、ぼんやりと訪雪がそれを見ている。
 梅雨も近い筈なのに、ひどく明るい光景。
 ぢいぢい、と、節をつけたような声が、尚更にそれを現実から剥離させる。
 
 と。

訪雪
「……ん?」

ふと、気がつく。
 節を『つけたような』、ではない。
 本当に、譲羽の声には節回しがある。聞きなれない、しかし耳に快い。

訪雪
「……ゆずさん」
譲羽
「ぢ?」

くる、と振り返ると、木霊の少女はととと、と、駆けてくる。

譲羽
「ぢ?(小首を傾げっ)」
訪雪
「いや……ゆずさん、歌ってたのかね?」
譲羽
「ぢいっ(こっくり)」

真面目くさった顔で、大きく頷く。

訪雪
「……なんの歌かね?」
譲羽
「ぢい……(ぴょい、と縁側に上って、玩具の受話器を取り上げて)ぢい!」
訪雪
「ああ、はいはい」

近くの受話器を取り上げて。

譲羽
『あのね、ゆずね、あじさいの唄歌ってたの』
訪雪
「紫陽花の?」
譲羽
「ぢいっ(こっくし)」
訪雪
「どんな歌かね?」
譲羽
『あのね、お花ごとにね、唄があるの。だからゆず、歌ってたの』
訪雪
「お花ごと……?」

改めて、訪雪は庭を見やる。
 五つの花が、目に入る。

訪雪
「お花ごと、って、5つの歌があるのかね?」
譲羽
「ぢ?(きょとん)」

金色の目をしぱしぱさせてから、譲羽は受話器を抑えていない左腕をぶんぶん振り回した。

譲羽
『ちがうよ、唄はうんといっぱいあるよ』
訪雪
「いっぱい?」
譲羽
『いっぱい、お花あるもん』

もう一度、花を見る。そして気付く。

訪雪
「って……あの、小さい花一つ一つに、違う唄があるのかね(汗)」
譲羽
「ぢいっ(おおいばりでこっくり)」

言うだけ言うと、譲羽は受話器を放り投げて、花の元へと跳ねてゆく。
 小さな指が、一番下に咲いていた、花の塊にそっと触れる。

譲羽
「ぢいっ(これも、お唄があるの)」
訪雪
「……」

そっと、小さな指が花に触れる。
 ぢいぢい、と、小さな声が、確かに一つずつ異なる節をつけて流れてくる。

訪雪
「一つ一つが、違う唄かね?」
譲羽
「ぢいっ(こっくり) ぢいぢいぢいっ(だってお花、みいんなちがうもん)」

どれ、と訪雪は受話器を取り上げて庭に降りる。
 自分の分と、譲羽の分と。
 

訪雪
「ゆずさんは、で、どの花の唄が好きかね」
譲羽
「ぢ……(悩) ……ぢいっ」

ぽんぽん、と跳ねて、受話器を要求する。
 心得て訪雪が、腕に滑り込ませた受話器に向かって。

譲羽
『あのね、ゆずね、全部すきなのっ』
訪雪
「……ふうむ」
譲羽
『あのね、みいんないっしょけんめい歌ってるの。そんでね、みいんなきれいなの』
訪雪
「…………(笑)」

覚えず、笑みが浮かぶ。
 見上げて、譲羽が手を伸ばす。ひょいと抱き上げると、木霊の少女はやはり嬉しそうに、訪雪の腕の中でぽふぽふ跳ねた。

訪雪
「みいんな綺麗、かね、ゆずさん」
譲羽
「ぢいっ(うん!)」

そのまま黙って、紫陽花を眺める。
 良く晴れた空に溶けこむように、花の色は鮮やかである。

時系列

1999年初夏

解説

人外保育園の、日常のエピソードです。



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