某日、松蔭堂の庭。
片隅に、人の背丈ほどに伸びた紫陽花の塊が一つ。
濃い緑の葉の群れる中に、五つの花が浮いている。
二つは真夏の空を先取りしたような鮮やかな青、三つはもうすこし優しい色合いの紫。
良く晴れた朝がたの空気の中で、その色が映える。
花の前に、人形が一つ。
おかっぱの髪が、白いワンピースの肩口のところで綺麗に切り揃えられている。
とんとん、と、人形が跳ねる。
跳ねると一緒に、切り揃えた髪もぽふぽふと跳ねる。
そのたびに、ぢいぢい、と、小さな声が聞こえる。
縁側に少し背中を丸めて座りながら、ぼんやりと訪雪がそれを見ている。
梅雨も近い筈なのに、ひどく明るい光景。
ぢいぢい、と、節をつけたような声が、尚更にそれを現実から剥離させる。
と。
ふと、気がつく。
節を『つけたような』、ではない。
本当に、譲羽の声には節回しがある。聞きなれない、しかし耳に快い。
くる、と振り返ると、木霊の少女はととと、と、駆けてくる。
真面目くさった顔で、大きく頷く。
近くの受話器を取り上げて。
改めて、訪雪は庭を見やる。
五つの花が、目に入る。
金色の目をしぱしぱさせてから、譲羽は受話器を抑えていない左腕をぶんぶん振り回した。
もう一度、花を見る。そして気付く。
言うだけ言うと、譲羽は受話器を放り投げて、花の元へと跳ねてゆく。
小さな指が、一番下に咲いていた、花の塊にそっと触れる。
そっと、小さな指が花に触れる。
ぢいぢい、と、小さな声が、確かに一つずつ異なる節をつけて流れてくる。
どれ、と訪雪は受話器を取り上げて庭に降りる。
自分の分と、譲羽の分と。
ぽんぽん、と跳ねて、受話器を要求する。
心得て訪雪が、腕に滑り込ませた受話器に向かって。
覚えず、笑みが浮かぶ。
見上げて、譲羽が手を伸ばす。ひょいと抱き上げると、木霊の少女はやはり嬉しそうに、訪雪の腕の中でぽふぽふ跳ねた。
そのまま黙って、紫陽花を眺める。
良く晴れた空に溶けこむように、花の色は鮮やかである。
1999年初夏
人外保育園の、日常のエピソードです。