鼻からゆっくりと息を吸い込む。朝の冷えた空気が、肺の中を一杯にする。心地が良い。体温で温まった空気を、今度は鼻から吐く、同時に下腹に意識を集中し、気を落とす。へその下で合わせた左右の縦拳を下ろし、曲げた膝をのばす。
吉武の周囲には地面をえぐる無数の足跡が残っていた。
小架式の鍛錬を終わらせ、そのまま成人男性の胴回り程の太さの樹の傍まで歩く。
右手を肩の高さまで上げ、腕を伸ばし指先で軽く幹に触れる。前に構えた右脚のかかとを軽く浮かして、後ろに構えた左脚に重心を預ける。
右掌底と樹の幹までの距離は数センチ。
地面を踏み締める音と、掌が幹を撃つ音が冷えた空気の中に響く。
掌を撃ち込んだ樹を見上げる。
老師の言葉が頭に浮かぶ。
木の葉が一枚、枝を離れる。
通勤や通学の人間が現れる時刻になった。今朝の鍛錬はここまで。
きびすを返し、樹から離れる。
SE : ザザザザザザ……
掌を撃ち込んだ樹の枝々が、思い出した様に揺れ始め、次々と葉が落ちる。
枝の揺れと葉の落下はまだおさまらない。吉武は、足の十指で地面を握り掴む独特の歩き方でこの場を去った。
彼が姿を消した頃、枝の揺れもおさまり、樹の周りには無数の葉が落ちていた。時系列と舞台-------------
1999年 秋 ある朝、何処かの神社で
吉武の朝の練習風景