エピソード1405『真髄』


目次


エピソード1405『真髄』

登場人物-------

老師
 中国人。八極門の武術家。
金元吉武(かなもと・よしたけ)
 日本人。老師の関門(最後の)弟子
師と弟子と--------

吉武
「それでは、米国へ?」
老師
「息子が、向こうで事業に成功してね。 孫も産まれたから、私に来いというのだ」
吉武
「おめでとうございます」

祝辞を述べた。「もしや……」という考えが頭をよぎる。

吉武
「何時、お帰りに?」
老師
「もう、帰っては来ないよ」
吉武
「…………」
老師
「向こうで息子や孫と暮らそうと思っている」
吉武
「……そうですか」

いずれ師との別れは来ると覚悟はしていたが、それが今とは思ってもみなかった。

老師
「昔の弟子……お前の兄弟子にあたるか……が今、役人をやっていてね、いろいろ便宜を図ってくれるので渡米は早くになりそうだ」
吉武
「……自分はまだまだ未熟者です。老師にはまだ……」

そこまで言って言葉を止めた。師の顔を見た。肌の染み、刻まれたシワ、白髪……

老師
「私もね、……寂しくなったのだよ」
吉武
「…………」
老師
「だから……」

老人を引き留めるような言葉を口から出すのは、ただの我侭に思えた。

老師
「最後の一手を授ける」
吉武
「!」
老師
「不服か?」

老師の顔に笑みが走る。「相変わらずこの方は……」と思う。

吉武
「よろしくお願いします」

返せる言葉は、ただ是のみ。
 テーブルや椅子をすみに退ける。打ち合う為の空間を造ると、部屋の中央で老師に包拳礼をとる。

老師
「行くぞ」
吉武
「哈ッ!」

秘打

室内で対打(約束組手の型)を打つ師と弟子。攻防の技が決められている為、功夫の差が歴然と現れる。

吉武
「(……老いの衰えなど微塵も無い……)」

老師の技は、攻に回れば隙間を水が刷り抜けるように吉武のガードの隙を潜り、防に回れば攻撃の手に触れるだけで吉武のバランスを奪う。吉武は必死に老師の技について行く。

吉武
「!」

套路(型)の最後に老師のガードが開いた。右脇腹に隙ができる。

吉武
「哈ッッ!」

渾身の打撃を打ち込む。老師はまともにそれを受け、涼しく答える。

老師
「良い良い……なかなかだ………… ……これからも、精進を忘れるな」

吉武の鳩尾に老師の手が触れる。手がそこへ行くのが当たり前のように、何の違和感も無く置かれる。

吉武
「……!」

自然すぎてその手を避けることができなかった。ただ「触られただけ」に感じた、腹筋を締めて警戒をとることさえ忘れる。

SE
(震脚の音)

鳩尾に何かがねじ込まれるような感覚と同時に、吉武の体は後方へ吹っ跳び、背中を壁に強かにぶつける。窓ガラスが揺れる音がし、吉武の体はそのまま壁をずり落ち、くの字に折れ曲がる。

吉武
「……」

苦痛に顔を歪め目を剥く。視界に入るのは灰色の床。立てない。声すら出ない。

吉武
「(…………今……の……が暗…………)」

老師が近づいて来るのが判る。

吉武
「(……速い…………いや、早いのか……?)」

老師の布靴が目に入った。

老師
「身に刻み、眼に焼き付けたか?」

倒れたまま頷く。目を閉じれば先ほどの老師のモーションが見える。

老師
「二度とは見せん。忘れるな」

吉武の背中を軽く叩いた。

老師
「死なん程度には打ったが、薬は飲んでおけ、しばらくは足腰が立たんぞ」
 SE      :(扉を閉じる音)

老師が部屋から出た。

吉武
「(……本気なら『人を殺して釣りが来る』か…………)」

この後、一週間血の小便が出続けた。

時系列

吉武が中国吉林省で八極拳を学んでいた頃。

解説

この後、師の元を離れ、己の学んだものを完成させる為、吉武は修行の旅を始めます。
 ちなみに暗勁をくらって吹っ跳んで、暫く血の小便というのは、知り合いの武術家から聞いた話です。



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