風、樹々の枝が揺れ、葉が擦れ合い、音、それらに混じり微かにそれは
微かに、微かに、少女の耳に
少女は駆け出す。
日差しで焼けたアスファルトの路面を蹴って。
夏の臭いを嗅ぎながら。
その声を辿り。
それは偶然、そして気まぐれ。
男はたまたまそこに居合わせただけで、今日はたまたまそういう気分だった訳で……
だから、おそらく車にでも牽かれたのであろう、傷を負い死にかけた仔犬を抱いて、公園のベンチに座っていた。背後の大きな樹が夏の強い日差しを遮る場所に。
返り血で服が汚れるのは気にしなかった。
そんなことは今日はどうでもいい気がした。
ただ無言で抱いて、骸になりかけた小さなそれを看取る。
ここなら、路上よりはいくらかましだろうと。
弱者が無力故に翻弄されるのも、強者の側杖を食い害を受けるのも、あるいは命を落とすのも……
弱いから抗えない。
弱いから勝つことができない。
弱いから負ける。
弱いから命を落とす。
弱いから己を貫けない。
弱いから大切なものさえ守りぬけない。
弱いことが悪いことだと知っているから。
世の中はそういうもので、それでいいのだと解っている。
だから、慰めでここでこうして抱いているのかもしれない。
死にかけの野良犬と己の行く末を重ね併せて。
男が、ふと顔を上げると、いつの間にか少女が、少し離れた場所に立っていた。
少女は眼に涙を溜めながら、男を……仔犬を凝視していた。
……痛い
……苦しい
……お母さん
少女の耳には、仔犬の声が聞こえていて
しだいに小さくなってゆくその声は辛そうで
そして何もしてあげられない自分が歯がゆくて、悲しくて
だからそこにつっ立ったままで
そうすることしかできなくて
そうしていると声はどんどん小さくなって
時間だけが過ぎて
最後に消えて行く魂は
少女にだけ聞こえる声で
男と少女の二人に「ありがとう」と
男も抱いていたものが骸となったのを悟った。
男が骸を抱いたままベンチから立ち上がると、少女が駆け寄って告げた。
男は無言で首をゆっくりと縦に振り
一言そう言った。
少女は泣きじゃくりながら頷いた。
2000.7.夏の或る日
吉武……子供泣かしたらだめぢゃん(違)