目が覚める。
朝である。平日の朝。いつもの朝。
時計を見たその瞬間から騒がしい朝へと一転するのもいつも通りといえばいつも通り。
そう言われればそんな気もしなくはない。
しかし、例えそんな気がしたところで、遅刻するかしないかの瀬戸際にいるのには何の変わりはない。
手早く支度を済ませて、家を飛び出す。
学校へ行く途中の交差点。信号は赤。ところで「ススメ」の色は青なんだろうか、それとも緑なのだろうか? 人によって意見が違うがはっきりしてほしいと思う。因みに火撫は青だと思っている。信号によっては妙に緑っぽいのがあるが、あれもよくない。青なら青、緑なら緑できっちり統一するべきではないか。……話が逸れた。
腕時計と信号を交互に見比べる。
信号の待ち時間はいつもと変わらないのに、心に焦りがあるからいつもよりずっと長い、長〜い時間に感じられる。
などと考えた、その瞬間。
さぁーっと、目の前が開けた。
どこからか、小鳥の鳴声が聞こえてくる。
先ほどまでの夏の蒸し暑さはなく、日射しが柔らかい。
頭の上に疑問符が飛び回る。
何が起こったんだ?
とりあえず、自分が立っているところを自分自身に聞いてみた。
答えは明らかなのだが。
そう、間違いなく、土手。どういうわけか分からないが、今彼は土手に立っている。前の方に見えるのは幅の広い大きな川。魚が一匹「ぱしゃん」と跳ねるのが見えた。
前から声が聞こえてきた。
川辺りに木船をとめている初老の男性。愛想のよい笑いをうかべている。
よくわからないまま、乗り込んでしまう。
7、8人は乗せられそうではあるが、下手に暴れたらそのまま沈んでしまいそうな木船。今、客は火撫1人だけ。
急いで学校に行かねばならないはずなのに、どういう訳か焦りは湧いてこない。立ったままいるのは危なそうだから船頭さんの近くに腰をおろす。
長い棒で岸をつき、船頭さんは木船を川の中へゆっくりとすすませる。
川は、木船を懐に抱いても何の変わりようもなく、のんびり、ゆったり。
のほほ〜んと、船上の会話は続いて。
のほほ〜んと、心地よい日射しあり。
あれこれ話しているうちに船は対岸に着いた。船頭さんに礼を言い、木船からおりる。「お金は?」と聞いたら、「んなもんいらねぇ」と返ってきた。
木船をおりてちょっと歩いたら、船頭さんが言葉をかけてくれた。
そしてまた、視界が急変した。
雑踏が戻ってくる。
火撫は信号を見た。赤。
次に腕時計を見る。遅刻するかしないか、瀬戸際の時間。
そして、自分の立っている場所。
さっき立っていた場所と車道を挟んで反対側に立っていた。
でも、急ぐ気にはならなかった。
火撫は「んーっ」と大きく伸びをすると、のんびり、ゆったり、歩き始めた。
2000年夏の始め解説-----
いつもの朝に火撫が遭遇したちょっとした出来事です