白犬の朝は遅い。
と言っても他の犬に比べて、ではある。人間で起きているのは、朝一番に起きる元気なおじいさん達くらいである。
昨夜忍び込んだ朽ちかけの廃屋の庭で、白犬は目を覚ました。
さて、今日は一日何をしようか。……と考えるのは人間であって。
犬は、日々をそれなりに生きているだけである。
今日は白犬はどこへ行くのであろうか。
まずは町内をぐるりと一周する。人通りが増えてからでは面倒になる。
それは、戸口に飼われている街中の犬達との交流の時間である。
……何やらコミュニケーションが交わされたらしい(笑)。
この白犬は雄のはずだが、あまり小便をひっかけている姿は見ない。
それでも電柱の根方の匂いは細かくチェックしている。
散歩中に自分の犬を他の犬に飛びかからせないようにするには、飼い主の責務とは言え苦労する。その手間を軽減してやるのだからそれなりの親切であろう(笑)
それなりの(犬に対してのみの)権威をともなって見回りをすませた白犬は、再びどこかに姿を消した。
白犬がどこかへ行方をくらませるのは、通勤通学の時間帯が終わって街が静かさを取り戻すまでだから、2・3時間はそうして人目に付かない場所にいることになる。
今日の彼の避難場所は、とある神社の境内である。
とは言えここには、先客が一名。
朝早くから、男が一人、大きな音をたてながら足元を踏みしめている。
それを震脚と呼ぶ知識は、白犬にはない。男は、ここに来れば見る顔である。
気が向いたのか、今日は白犬は庭先へ出て、男の目につくところにいた。
若干離れているとは言え、震脚を繰り返し鋭い動きを見せる彼の前で、平然としている白犬に吉武は内心で感心していた。
帰り際に、何となく声をかけに近寄る。
そう言って帰っていく吉武の背中を、白犬も何となく見送っていた。
竹ぼうきを持った和装の人物が白犬に声をかける。
夜はいないが、昼間はよそから宮司の人が境内の手入れに来るのだ。
声をかけられても特に動じることもなく、首だけもたげて辺りを見回している。宮司の声には、ちょっとだけ尻尾を振って応える。
宮司が本来の仕事に戻ると、白犬はちょっと河岸を変えることにした。
やってきたのは古い町並みの中のとある家の庭。白犬が顔を出すと、縁側にいた老婦人が声をかけてきた。それを聞きつけて、小さな子供が顔を出す。
と言っているうちに白犬に乗って背中にまたがろうとする(苦笑) まあ白犬自身は、この子供が期待するよりもさらに数倍頑丈なので、びくともしない。
どうやら、食事の何割かはここでもらっているらしい(笑)
老婦人を見て、食事の盛られた器を見下ろす、その一連の仕草がお辞儀のように見えなくもない。おそらくちゃんと老婦人に感謝はしながら、しかしものの1分で器は空になった。
腹がくちると少々眠くなるのは犬も同じだが、傍らの子供が放っておかない。まあ、ただで食事を得られるための労働だと思うべきである(笑)
しばらくして、子供が飽きた頃合いを見計らって、彼は眠るところを探しに抜け出した。
と。
一台の白い車がちょっと離れたところに止まった。窓が開く。
何やら彼についての話題があったらしい。
……果たして、わかっているだろうか(笑)
河原まで足をのばした白犬は、抜けるような冬の青空の下でひなたぼっこをしながらうつらうつらしていた。
学校が早めに引けた高校生らしき女子たちが、彼に気付いて近寄ってきた。
ちなみに言えば、彼はラブラドルレトリバーではない(笑)
……わざとやってないか?(笑)
再び彼は昼寝に戻った。
と……
ふう、と、暖かい風が吹いた。
長い髪の女性一名が、いつの間にやら彼の前にいる。
じーーーーーっとこちらを眺めている。
手に持った紙袋から、良い匂いがする。
足音を忍ばせるようにして、近寄ってくる。
……まあ、忍ばせたって人間の足音くらい聞き取れるのだが。
そうっと伸べられた手が、彼の頭を撫でる。頭から背中へと。
何度も何度も。
暖かい。
と、その手が途中で止まって。
それは……何やるか言わない限り、彼だって答えられない(^^;;
なにやらある程度の大きさのものが、彼の横腹の上に乗っかる。
……つまりは彼は、枕にされているのである(爆)
…………あったかいな、ではないと思うのだが(汗)
五分かそこらの……沈黙。
そしてすっと、重みが去る。
紙袋から、コロッケを一つ。彼の前にそっと置いて。
視線を中空にさまよわせるようにして尋ねる。彼に聞いたのではないようだ。
ぺこり、と頭を下げると、女性は河原沿いの道へと歩いて行った。
再び……彼は昼寝に戻った。
夕闇が迫る頃、白犬はのそりと起き出すと、小高い丘の上にやって来た。
しばらくそこからの眺望を見渡していた白犬は、やがて中空に鼻先を突き出した。
その声に反応して、やがてあちこちから返事の声が上がる。
辺りがすっかり暗くなる頃、犬たちの交歓会もお開きになる。
もはや静寂が支配する夜空の下で、白犬は満足げにゆっくりと腰を上げた。
丘を下りる道すがら、そこらを徘徊する野良犬と挨拶を交わす。
今の今まで野良犬のいた電柱の根方に向かって片足を上げても喧嘩にならないのを見ると、自ずと力関係が知れようと言うもの。
そうして白犬は、相変わらずのそのそと街の中へ消えていく。
ともかく、彼の一日は、これで終わる……わけではない。これからいよいよ始まるのだ。今宵彼は、何を食べ、何処で眠りにつくのだろうか。
日頃は見せない彼の姿については、しかし機会を改めて書くことにする。
終)
白犬の、とある平凡な一日の様子。
2000年1月末のある晴れた日の出来事。