それは、夕方、吹利の駅前商店街。仕事を定時に終えた加藤は、買い物に歩いていた。いつものように喧騒が聞こえる。呼びかける売り子、雑踏の音。加藤はこの活気のある様子が好きだった。
呼びかけられたのは予想外であった。しかし、加藤は呼びかけられた方向を見下ろした。名前は違っていたが、やはりそれは加藤を呼んでいたからだ。
そこには、紫を基調とした和服を凛と着こなした老婦人が立っていた。見た所80歳か。加藤の中の現世の記憶は、その婦人の事を覚えていなかった。
身長が190cm近くある加藤にとって、140cm程度しかない老婦人は見下ろさざるを得ない。かなり威圧感がある構図である。しかし老婦人はしっかと加藤の目を捉えて放さない。
加藤、いや、その膨大な前世からの記憶が加藤を刺激した。私は彼女を知っていると記憶は告げていた。
老婦人は、しばし呆然と加藤の顔を見上げるようであったが、ようよう言葉を搾り出した。
最後は雑踏の中に溶け込みそうな小さな声で有ったが、加藤の耳は全てを捕らえていた。あぁ、この人は全然変わっていない。そんな思いが加藤に染み透っていく。
白く染まった頭を何度も繰り返し下げながら去ろうとする老婦人。
瞬間、加藤は戸惑うように目を眇めた。
だが、心のどこかが加藤に声を出させた。
店員が珈琲を二人に持ってきても、まだ二人は無言のままであった。商店街の喧騒が喫茶店のBGMを透して聞こえてくる。
同時に声を出す二人。そして、また沈黙。
年の功か?先に声を出したのは老婦人であった。
和服の袂から出したのは、茶色い皮の大き目の写真入れ。
老婦人は中から一枚の写真を取り出した。何度も眺めているのであろう。淵は既にぼろぼろになっている。紙は密やかなセピア色をしていた。
加藤は驚いた。
写真に写っていたのは、確かに加藤とそっくりの顔立ちをした、軍服姿の男であった。
妙に確信に満ちて老婦人は加藤を見つめる。しかし、次に口から出た台詞はそうではなかった。
年経た疲れきった口調。しかし、目だけはまるで少女の輝きを秘めている。
加藤はなんと言って声をかけるべきか迷っているようであった。口につけた珈琲がやけに苦い。
そう口にすると、つかえてた物が取れたようであった。
二人の間に沈黙が訪れる。しかし、今度の沈黙には緊張感は無かった。
それから、老婦人は、昔語りをはじめた。ぽつぽつと。
生まれた家で厳しいしつけをされていた少女時代。
旧制中学を卒業すると同時に、見合いの話が出たこと。
そういうと、老婦人は、ころころと笑った。加藤には少女の頃の面影がそこに残っているように感じた。自然、目が細くなる。何故かきまずく感じ、視線を外す。窓の外には、セピア色の夕方の風景が広がっていた。
なんでも無いように老婦人は笑った。
それから、ひとしきり老婦人の家に訪れる訪問者の話がでた。加藤は相槌を打つばかりであったが、老婦人はそれで満足なようであった。
瞬間の沈黙。
加藤は背広から銀の名刺入れを取り出すと、中から一枚の紙片を老婦人に渡した。
会計は加藤が済ませた。老婦人は不満そうであったが。
老婦人とは、店の玄関前でそのまま別れた。
その日、加藤は息子に昼間有った不思議な逢瀬を語ったのであった。
不思議な逢瀬から約一月後。吹利の総合庁舎内にある加藤のオフィスを訪問客が尋ねてきた。訪問者は、弁護士を名乗った。
一通りの挨拶が終わり、来客用のソファに案内すると、弁護士は開口一番そう言った。
弁護士は一枚の写真を取り出した。そこに写っているのは、あの老婦人であった。そう言えば、あの老婦人の名前を聞いてなかったな、と、現世の記憶は告げた。
弁護士は、加藤の名刺と一枚の写真を、丁寧に書類入れから取り出した。
加藤は無言で微笑した。
2000年10月〜11月の出来事
以前UPされたキャラシートのように、加藤は転生の技能を持った一種の不死人でして。その不死人としての何かを書けない物かと思い、表現してみたのがこのエピソードです。
しかし、己の分身である長生哲也より、この加藤の方に惹かれるのは何故でしょうね?