小説:西生駒高校・事件


目次



小説:西生駒高校・事件


はじめに

 んにゃあ。語り部狭間スタートセットのサンプルキャラの小説ですう。
 ダウンして下さってありがとうございますですう。

 誤解のないように書いておくと、一応続きますので。(^^;)
 すっげえしりきれな終わり方なんて、思わないで下さいまし。


登場人物

 一応、登場人物を書いておきます。
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 鷹司家
    彩華(あやか)
    蛍(けい)
    おかあさん
    お婆さま
 近衛家
    羽槻(うつき)
 
 犯人の人
    数名(をい)
    
 クラスメート
    甲田水絵(こうだみなえ)
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 詳しくは、語り部通信6月号を参照して下さい。



事件


発端 教室で

「あれ、忘れ物かしら」
 少女は放課後の、人気のない教室で、身をかがめた。床に、定期入れが落ち
ている。
「甲田さんのだ。どうしよう?今日は職員会議で、職員室には届けられないし、
もしかして、取りに戻って来るかもしれないな。……4時まわっちゃったな……
5時まで待っててあげよう」
 少女は自分の席について、鞄から教科書を取り出した。宿題を少しは片付け
られるかもしれない。
 しばらくして、一人の少女が息を弾ませて教室に入ってきた。
「蛍ちゃん」
 蛍と呼ばれた少女は振り返る。
「彩華。どうしたの?」
「どうしたのって、蛍ちゃんこそどうしたの? 早く帰ろ」
 蛍はゆっくりと首を振った。
「あたしは、もうちょっとここにいるから、先に帰りなさい。少し遅くなるっ
て、おかあさんに伝えてね」
「どうして? 羽槻兄さまも待ってるんだよ。今日は三人で一緒に帰ろうって
蛍ちゃんが言ったんじゃない」
「ん。ごめんね。落とし物を拾ったから、その子が取りに来るかもしれないで
しょ。だから、5時までは待ってる事にしたの」
 彩華はふうん、と納得した。
 姉が、おっとりしているくせに言い出したら聞かないところがある事、そし
て親切な人間である事を、彼女は物心つく前から知っている。
「わかった。羽槻兄さまにも言っておくね。遅くなっちゃ駄目だよ」
「はいはい」
「じゃ、あたし、行くから」
 彩華はまたぱたぱたと足音をたてて教室を出ていった。
 蛍はそれを見送って、また教科書を開いた。

 45分を回った頃、また、教室を訪れる人物がいた。
「たぶん、教室に……あ、あれ? 鷹司……さん」
「甲田さん。落とし物を取りに来たんでしょ」
 蛍はにこっと笑って、机の端においてあった定期入れを手渡した。
 甲田水絵は、それを驚いたように受け取る。
 正直、水絵は蛍のことをあまり気に入っていなかった。おとなしくて、目立
つところのない蛍は、クラスの中で少し孤立していたし、彼女のようなタイプ
は、水絵にとってあまり気に入るものではない。
「わざわざ……待っててくれたの?」
「ん。偶然」
「そんなわけ、ないじゃない。鷹司さん、いつもすぐに帰っちゃうくせに」
 水絵は正直、驚いた。
 水絵が、蛍の事をあまり気に入っていない事を、蛍が知らないはずはない。
 なのに、自分の落とし物を拾って、こうして、自分を待っていたのだ。
「……鷹司さん、あたし、鷹司さんのこと……」
「どうかした?甲田さん」
「ん。ううん、ありがとう。鷹司さん。……あたし、鷹司さんのこと、誤解し
てたかも。鷹司さんって、いつもおとなしいし、あんまり人としゃべったりし
ないし、冷たい子だって、思ってた」
「そう思われても、仕方ないけどね。本当のことだもん」
 そう言った蛍の寂しげな表情を見て、水絵は後悔した。
 だから、せめて蛍にそんな表情をさせてしまった償いがしたいと思った。
「鷹司さん、途中まで、一緒に帰らない?あたし、今まで鷹司さんのこと、誤
解してたから、鷹司さんと、お話したいの」
「え……ほんとう? あたしと?」
「うん。ね、一緒に帰ろ?」
 水絵が優しく蛍の手をとって言う。
 今度は蛍が驚かされた。水絵が彼女の事を誤解していたのと同じで、蛍も少
し水絵の事を誤解していたみたいだ。
「……うん」
 蛍は笑ってうなずいた。


事件のはじまり
-------------- 
「じゃあ、また明日ね。鷹司さん」
「またあしたね。甲田さん」
 あと一つ門を曲がれば、鷹司家の門構えが見えるところまで来て、二人は別
れた。もう、日は大分おちて、稜線の下に姿を消してしまっている。
「遅くなっちゃった。お婆さまにまた叱られちゃうな……」
 しかし、急ぐことなく蛍は歩いた。ここで急いだりしても、かえって帰宅が
遅れるだけの話だ。蛍は、自分のからだが壊れ易いものである事を知っている。
 ほんの少しの無理も、彼女のからだには大きな負担となる。
 それも、あの失敗が原因なのだ。
 そう考えていると、水絵が小走りに戻って来た。
「どうしたの?甲田さん」
「あのね、今晩、電話してもいい?」
「え……うん、よろこんで」
「それだけなんだけどね、なんか、鷹司さんとおしゃべりしたい気分なんだ、
今。じゃね」
「さよなら」
 水絵は坂を下りていった。
 それを見送って、蛍は少し嬉しい気持ちになった。

 門を曲がると、そこに白い1BOX車が止まっていた。
 蛍は別段気にも止めずに、そのまま通り過ぎようとする。
 しかし、急に扉があいて、そこから伸びて来た手に、蛍の腕は掴まれた。
「?」
 声をあげる前に、その手は彼女を引っ張りこんだ。
「鷹司家のご令嬢ですね。おとなしくして下さい」
 その手の主は、丸眼鏡をかけた、理知的な印象を受ける男だった。
 しかし、眼鏡の奥の冷たい視線は、蛍を脅えさせるに十分だった。
 そのまま1BOXは発車し、鷹司家の前を通り過ぎた。
「おとなしくしていて下されば、貴方には危害を加えるつもりはありません。
 蛍は、現実を把握しきれずに、うなずいた。
 暫くして、車は高速に乗った。
 フロントガラスごしに、左手の空が、段々暗くなっていっている。
 しかし、蛍にそれを観察する余裕はない。
「あの、お願いですから、窓を開けて頂けませんか……」
「このスピードで、逃げられはしませんよ?」
「いえ、そうじゃなくて……」
 真っ青になりながら、蛍は言った。
「もうすぐ着きます。我慢なさって下さい」
 蛍は恥ずかしさと、苦しさでかなり体に負担をかけていた。
 彼女は、生来自動車と言うものに弱かった。
「……乗物酔、ですか、ご令嬢」
 蛍は弱々しくうなずく。
 そんな細かいしぐさでさえ、今の蛍にとっては、苦痛以外の何者でもない。
「おい、窓を開けてくれ。ご令嬢が苦しがってる」
 男の命にしたがって、運転していた男が車のドアに手を伸ばした。
 吹き込んで来る夕方の風が、蛍の髪をもてあそぶ。蛍は、荒い息をしながら、
あらためて隣に座る男の顔を見た。
 そして、ようやく状況を認識する余裕を得た。
「……誘拐ですね。あたしを誘拐して、何かいいことでもあるんですか?」
「教えてさし上げましょうか。たしかに、いいことがあります」
 そう言って、男は煙草に火をつけた。吹き込んで来る風のせいで、煙で咳き
込まずには済んだ。
「あなたは貴方の家が、何を伝え、何を守って来ているか、ご存じですね。
『神鳴の太刀』。日本古来の、叢雲の秘法の一つです」
「……それを知ろうと言うのですか?」
「お察しの通り。自らの意志の力を剣として、あらゆるものを絶つ秘法です。
それを、私にもご教授願いたいと言う訳ですよ」
「あたしは、教えてさし上げる事は出来ません。それに、お婆さまもきっと、
三雲家以外の方に伝える事はありません」
「ご令嬢。あなたは『神鳴の太刀』を扱えない。それくらいは調べてあります
よ。それに、わざわざ先代当主に出向いて頂かなくとも、私は、一度みれば十
分です。少なくとも、あなたの妹どのよりはうまく扱える」
「どこまで……鷹司家の事を知っているんですか」
「色々と調べさせて頂きました。現在は当主不在で妹どのが当主を代行してい
る事。妹どのは当主となるには実力が不足している事。術の制御にはあなたの
フォローが必要である事」
 蛍は愕然として、うなだれた。
 ここまで知られているなら、要求は飲まれるしかない。この男は、計算に入
れているのだ。
「……」
「貴方を拉致したのは、妹どのに『神鳴の太刀』を使われることを避けたいか
らです。貴方を抑えておけば、彩華どのは力を使えませんからね。なるべく、
おたがい傷つく事はしたくありません」
 男は冷たい口調でそう言うと、携帯電話を取り出した。
 恐らくは、鷹司家にかけるのだろう。
 蛍は、半ば絶望的な気持ちで、ただ自分の小さな肩を抱いていた。



満ちて来る不安

 鷹司家では、住人全てが、不安に苛まれていた。
 蛍の帰宅があまりにも遅すぎる上、全く連絡がない。中でも、彩華は言い様
のない不安に囚われていた。
 そして、電話がなった時、彩華は駆け寄って受話器を取ろうとしたが、祖母
がそれを留め、受話器を取った。
 やり取りは短かった。
 祖母は、事態を予想していたのか、冷静に事態を説明した。
「蛍さんは、誘拐されました。今、犯人から電話が有りました」
「そんな、蛍ちゃんは、無事なんですか、お婆さま」
「今のところは。彩華さん、出かける用意をなさい。今から出かけます」
「どこへ? 警察に……」
「警察に連絡すれば、間違いなく蛍さんは殺されます。それに、犯人の要求が
お金でないのに、それをどうやって説明するのです? ここは、おとなしく従
いましょう」
 祖母は使用人に自動車の準備をさせ、彩華を急かした。
「何をぐずぐずしているのです、早くなさい」
「は、はい」
 気が気ではなかったが、祖母の言葉は鷹司家では絶対だ。彩華は部屋に戻る
と制服を脱いで、術者の正装に着替えた。
 蛍のことを思うと、いても立ってもいられなくなる。蛍がいなくなることを
考えると、自分の力のなさを実感させられる。
 部屋を出ると、蛍が可愛がっている猫、まるみがいた。
 この時間は、蛍のベッドの上で寝そべっているのが、この猫の習性だ。異常
を感じ取っているのか、心配そうに鳴いた。
「大丈夫よ、まるみ。蛍ちゃんはもうすぐ帰って来るからね」
 まるみの喉を撫でると、まるみはくすぐったそうにして、歩いていってしまっ
た。
 彩華は意を決して、居間へ下りていった。母が、寂しそうにしている。
「おかあさん……」
「彩華、蛍をお願いね……」
「うん。大丈夫よ、おかあさん。じゃ、いって来ます」
 母は、そっと彩華を抱きしめた。
「無理はしないで、二人揃って、帰って来てね……」
「……はい」



近衛羽槻

 祖母は、既に車に乗り込んでいた。
 彩華も乗ろうとする。そこに、バイクに乗った一人の少年がやって来た。
「よう彩華。……どうかしたのか?正装したりして」
「羽槻兄さま……」
 言っていいものなのか。
 祖母は、黙っている。祖母の考えを汲みかねて、彩華はこう応えた。
「ううん。たいしたことじゃないの。兄さまは、どうして?」
「いや、蛍、また倒れたのかな、とか思っただけさ。今は、寝てるのかい」
「……うん、熱があるみたいで……」
「そっか。じゃあ、また明日って、伝えておいてくれ。じゃ、これで。お婆さ
ま、失礼いたします」
 近衛羽槻は、車中の彩華の祖母に挨拶すると、バイクを発進させた。
 あっという間に、視界から外れてしまう。
「彩華さん、出発しますよ」
 彩華は慌てて車に乗り込む。
「お婆さま、近衛家の方に、ご助力をお願いすれば……」
「蛍さんのために、そこまでできません。近衛家にしても、人が余っている訳
ではないのですよ?」
「でも、お婆さま、叢雲の秘法を、三雲家以外の人間に教える事は……」
「彩華さん、叢雲の秘法は、普通の人間では扱う事が出来ません。それはわかっ
ていますね」
「はい」
 彩華は、祖母の言葉を待った。
 祖母が何を考えているのか、この頃ではまったくわからなくなっている。
 幼い頃は、疑問もなく従ってきたが、最近では、特に今は、祖母の言葉次第
では、反対しようとも思う。
「犯人の要求は、『神鳴の太刀』の伝授です。蛍さんを救うには、それには従
うしかないでしょう」
「……あえて教えて、逆凪で滅ぼすつもりですか……?」
「そうです。彩華さんもよくご存じのはずです、この術の逆凪のすさまじさを
……そうせねば、鷹司家も、蛍さんも救う事は出来ないでしょう」
「でも、お婆さま。もし、犯人が、『太刀』をつかって、蛍ちゃんを傷つける
ような事があったら……それに、蛍ちゃんが逆凪の影響を受けてしまうかも」
 彩華はどうにかして、この事態をなんの危険もなく回避したいと思って
いた。
 祖母はそれに答えなかった。
 彩華はそれがもどかしくて仕方ない。
 
「……やっぱりおかしい」
 近衛羽槻は、コンビニで買ったコーヒーを飲みながら思った。
「蛍は眠っているのに、彩華の術の制御ができる訳がない。なのに、仕事に彩
華が出る訳がない……何かあったな」
 羽槻は公衆電話に向かった。
「……僕だ。鷹司家に何か起きている。すぐに調べろ。僕も調べる。連絡は
『鏡』を使って行う。ああ、すぐにだ」
 羽槻はポケットから、手鏡を取り出した。彼は、伝承した術によって、鏡を
使うことで、いろいろな事が出来た。
 「彩華は……何処にいる。まだ市内にいるのか?」
 彼女の気を探って、鏡にその姿を写しだそうとする。普通の術者が使い魔を
使わなければ出来ないようなことすら、彼は自身の能力だけでできる。
 これこそが「幻観の鏡」と呼ばれる「叢雲の秘法」の一つであるが、まだそ
の力の片鱗でしかない。
「……車の中か。……高速に乗っているな……よし」
 羽槻はバイクのセルを回して、ヘルメットを被った。
「困った時は言えって言ってたのに。他人行儀はよせってんだ」
 羽槻のバイクは、国道を流れる車の群れをすり抜けて、いっきに加速していっ
た。



蛍の苦悩

 蛍をのせた車は、高速を下りて峠道を走っていた。
 連続する急なカーブと、上下の激しい坂のせいで、蛍は苦しさのあまりシー
トに深くもたれこんでいた。
「……さすがに、『叢雲の秘法』の逆凪は凄まじいようですね。気を付けさ
せて頂くとしましょう」
 男は他人ごとと割り切っているように言った。
 まるで、自分には何の影響もない、とでも言いたげである。
 やがて、車は止まった。古ぼけた宿の前であった。
 宿の女将は苦しそうな蛍を見ても、事務的に彼らを部屋へ通した。
 恐らくは、男達と通じているのだろう。
「そちらでお休み下さい。逃げようなどとは……思わないでしょうね」
 窓から外をのぞくと、深い闇が広がっている。恐らくは下は、崖になってい
るのだろう。
「私達はこちらにいます。何か御所望でしたら遠慮なくおっしゃって下さい」
 蛍は答える気力もない。既にしいてあった布団の上に横たわって、荒い息を
ついた。
 ここは、何処なんだろう。
 随分と、遠くみたい……。
 恐らくは、吹利と奈良の県境だろうが。
「羽槻兄さま……」
 苦しい時に、いつも差し伸べられた手の持ち主。蛍は幼馴染みという以上に、
彼を慕っていた。
 今度も、助けてくれるだろうか。
 事情を知れば、彼は必ず来てくれる。蛍はそう信じて疑わない。
 小さい時から、ずっとそうだったから。特に、彼と同じ西生駒高校に進学し
てからは、多忙の身となった彩華にかわって、彼女を支えてくれた。
 「約束を破った事……怒ってるかな……」
 久しぶりに三人で一緒に帰ろう。
 そう言ったのは、蛍だった。
 でも、それを破ったのも蛍だった。自らの意志と、他人の意志によって。
 このことで、友達になれそうな人が見つかった。
 しかし、無条件に信頼を寄せられる人を、裏切ってしまった。
「ごめんなさい、羽槻兄さま……」
 蛍は泣いて謝った。
「ごめんなさい、甲田さん……」
 今日、電話すると言ってくれた少女にも謝った。
 せっかく電話してくれるのに、出る事が適わない自分を責めた。
「彩華……」
 そして、かけがえのない妹に。
 蛍は呼び掛けた。



合流

 高速に乗ってから、近衛羽槻は、一度サービスエリアで休憩を取った。
 けっして状況を楽観している訳ではない。
 ある意味で、前科持ちになるかもしれない危険を侵そうとしているのだ。
 ついでに、本家と連絡を取る事にする。
 公衆電話で、電話をかける振りをして、「鏡」で連絡を取るのだ。
「僕だ。なにかつかめたか?」
「はい。車は、ある旅館で止まりました。鷹司蛍さまはそこにおられるかと」
「そうか。他にあるか?」
「はい。鷹司蛍さまが体を壊されたことと、関係があります」
「どういうことだ?」
 しばらくして、羽槻は手にしていたコーヒーの缶を握り潰した。
「許さん……まってろ、蛍……」
 羽槻はサービスエリアを出ると、一気にアクセルを全開にした。
 一瞬フロントが持ち上がるが、羽槻はそれを巧みに収めて、そのまま追い越
し車線を飛ばした。
 エンジン設計をわざと古めかしくしているので、最高速はそれほどでもない
が、フレームの剛性が高いので、高速で巡航しても振動が少ない。それが、羽
槻のバイクだ。
 それに、よほどの車でなければ、そもそも高速で走るバイクを追い越す事な
ど、車には出来ない。
 羽槻は一瞬で見つけたラインを正確になぞって、次々に車を追い越して行っ
た。しばらく走ると、見覚えのある車が走っている。
 鷹司家の車に間違いないだろう。
 暗くて判らないが、彩華とその祖母が乗っているに違いない。
 わざとパッシングして、その隣に並ぶ。
 彩華が気付いた。
 羽槻はそれを確認すると、しばらくは並走して、先にサービスエリアに入っ
た。彩華の乗る車も、それに従うように入ってくる。
「どうして?羽槻兄さま」
「事情は大体判ってる。彩華が考えてる事もな。お婆さま、僕にもお手伝いさ
せて頂けませんか」
「こちらとしてはありがたい限りです。それにしても、なぜわかったんです?」
「彩華が一人で仕事に出る訳がないですからね。蛍が寝込んでいるなら、彩華
は仕事はしません。いつもそうしてきたんですからね」
 羽槻は出かける時のことを言った。
 だが、よほど事情に詳しいものでなければ、そのことには気付くはずもなかっ
た。双子の事をよく知っているからこそ、解り得たのだ。
「お婆さま、少しいいですか」
「なんです?」
 羽槻は彼女のそばに行って、耳打ちした。
 その表情は、お互いに険しい。
 聞かせてもらえない彩華だけが、きょとんとしている。
「僕はバイクで先に行きます。宿泊客の振りをしておきますから」
 その言葉だけが、彩華の耳に入った。
「一緒には来てくれないの?」
「一緒に行ったら、犯人が警戒するだろう。たぶん、僕の予想では、犯人は僕
が来るとは思ってないはずだ。だから、僕は単独で行動する」
 彩華は、羽槻の能力をよく知っていた。自分とは比べ物にならないほど、大
きな力を、完全に制御出来るのだ。
 不完全な自分の力などより、よほど頼りになる。
 だから、一緒に来て欲しかった。
「彩華、言っておくが、迂闊に『太刀』を使うな。解ってるだろうが」
「うん……」
 彩華は帯にさした小太刀を手にした。彼女は、三雲家に伝わる古流剣術の使
い手でもある。『太刀』を使わなくとも、人間相手であれば、十分に戦う事が
できる。
 彼女が『太刀』を使う時。それは、刀で倒せない敵を前にした時だけである。
 しかし、羽槻が言っているのは、その事ではない。
 『太刀』は、人間の精神力を、剣の神「対向刈」の力を借りて、なにものを
も斬る刃と化したものである。
 神の力を借りるがゆえに、その破壊力は絶大だ。同時に、その制御は極めて
困難である。
 初めから当主となるべく修行を積んでいれば、その制御も、彩華の才を以っ
てすれば成し得ただろう。
 しかし、彩華は当主として育てられたわけではない。当主となるはずだった
兄が出奔したため、彼女は急に当主を代行する事になったのだ。
 それまでは、剣の扱いや、術の発動の仕方などは学んではいたが、術の制御
までは学んでいない。
 双子の姉、蛍が術の制御をする事で、彼女はどうにか『太刀』を扱う事がで
きるのだ。
 そして、その姉は今、そばにいない。  
 蛍は病弱だ。急な出来事で、具合を悪くしている事は十分に考えられる。
 下手に術を使う事は、蛍に更なる負担をかける事にもなる。
 羽槻の言っているのは、そのことだった。
 そして、もし蛍が術の制御に失敗すれば。
 蛍も、彩華も、術の逆凪をうけて、無事では済まないだろう。
 羽槻は、その事を言っている。
 彼は、幼い頃から、この双子を見守って来た。
 その頃の気持ちは、今も続いているし、なお強くなっている。
 そして、彩華も、蛍も、その事をよく知っていた。
「羽槻兄さまに任せる。あたしは、蛍ちゃんを助ける事だけ考えるわ」
「それでいい」
 彩華の頭に手を置いて、かるく撫でる。
「じゃあ、僕は先に行くから」
 羽槻はそう言って、ヘルメットを被った。そして、暖気もそこそこに、バイ
クを発進させた。
「わたしたちも行きますよ、彩華さん」
「はい、お婆さま」



蛍の苦闘

 しばらく横になっていると、大分気分も落ち着いて来た。
 蛍はゆっくりと起き上がって、壁にもたれ、座った。
 襖一枚隔てた向こうでは、男達がなにやら話し込んでいる。
 蛍は、あえて男達に声をかけた。
「あの、申し訳ありませんが」
 その声に答えて、丸眼鏡の男が襖を開けた。
「もう、気分はよろしいのですか、御令嬢」
「おかげさまで」
 蛍は精一杯、意地悪な気分でいやみを言った。
 この男が、これくらいで激高するような人間ではない事を、すでに悟ってい
る。
「どうされました?」
「なにか、軽いものを頂けませんか」
「これは失礼した。女将に何か持ってこさせましょう」
 蛍はどうにかして、この男について情報を得たかった。彼女は、著名な術者
や、力ある術者の家系について、かなり詳しい。
 彩華を支えるために、それらについては熱心に調べ、覚えている。
「まだ、お名前を伺っておりません。教えて下さらないと、犯人さんとお呼び
するしかないですね」
「まあ、私はそれでも構いませんがね。……九頭竜一と申します」
「九頭……和歌山にそういう名の術者の家系があると聞き及んでおります。そ
ちらの方ですか?」
 男は含み笑いを抑えて、応えた。
「なかなか鋭いですね。さすがは鷹司家の御令嬢だ」
「九頭家は熊野の霊山を守護する家系だと聞きました。それほどの力がありな
がら、なぜ三雲家の叢雲の秘法を手に入れたいと、考えるのですか」
「令嬢は、まだ三雲家の実態をよく御存じないようですね。まあ、無理もあり
ませんが。当主のみが知り得る、それほどの話ですから。まあ、そういう裏の
事情はいいでしょう。磨幸どのがおられぬ今しか、私が『神鳴の太刀』を得る
機はありませんしね」
 蛍は改めて、この男の狡猾さを認識した。
 今、この男が親切に教えてくれているのも、彼女が知ったからと言って、何
も出来ない事を見越しているのだ。
 仮に出来たとしても、術者としての力量は、この男、九頭竜一の方が上だ。
 真っ向から叩き伏せるだけの自信があるのだろう。
 しかし。
 蛍はある事に気付いた。
 もし、彼女が九頭の立場であれば、『太刀』を得ようとは考えない。
 先に、近衛家に伝わる『鏡』を得ようと思う。
 なぜ、三雲家でももっとも格の高い近衛家が、『鏡』を伝えているのか。
 この九頭という男は、その理由を知らない。
「そんなに、『神鳴の太刀』がほしいのですか?」
「ええ。少なくとも、私の本来の術よりは使えるでしょうし。……あなたにも、
教えてさし上げましょうか。『叢雲の秘法』以外の術体系が、どのようなもの
かを」
 九頭はそう言って、印を結んだ。
「な、なにをするつもりです?」
 九頭が詠唱を終えた時、その手の内に、暗い色の珠が現れていた。
「これがなにか、わかりますか?」
「い、いえ」
「言ってみれば、エネルギーの塊です。これをぶつければ、御令嬢、あなたの
体くらいは破壊出来るでしょうね」
 九頭はその珠を、あっさりと握り潰した。
 正確には、一度術を使って放出した『氣』を、吸収しなおしたのだ。
「自らの精神力を使った簡単な術ですら、これほど時間がかかりますし、出来
てもせいぜい、この程度のものです。割に合わない、と言えば、お解り頂けま
すか」
 蛍は理解した。
 『叢雲の秘法』は、言霊を利用した高度な術体系だ。使い手自らも言霊に習
熟している必要があるが、一度覚えてしまえば、印を結ぶ事も、詠唱の必要も
ない。
 それゆえ、すぐに術を発動させる事ができるのだ。
 このことがもたらす利点は大きい。
 相手より先んじて術を発動させる事が出来れば、術者同士の戦いに於いては、
確実に勝利を収められる。
「……あなたは、血に酔っているのです。なぜ、三雲家がこの秘法を伝えてい
るか、考えた事はないのですか」
「ふふ、そんなことはどうでもいいのですよ」
「そんなことはありません」
 蛍は凛として応えた。
「貴方は、この術の逆凪を御存じの上で、そう言っているのですね。なら、な
おさら、あなたの望みを適える訳には参りません」
「……気丈なところもおありなのですね。聞きましょうか」
「あなたは、私達の事をよく御存じのはずです。そして、私のからだがとても
弱い事も、何故そうなったかも、御存じなのでしょう」
 九頭はうなずいて、続けるよう促した。
「私は、この術で人が傷つくのはみたくないのです。私が、どれほど長い時間、
苦しみ、また今も苦しんでいるか。そこまで貴方は知っているのですか?」
「……貴方の苦しみは理解出来ません。ですが、もう決めた事です」
「意志は変わらないようですね……。ですが、私もこれだけはひく訳には参り
ません」
「どうするとおっしゃるのです? 貴方に何が出来ますか? 無力な貴方に」
 蛍は言葉に詰まった。
 確かに、彼女に今できる事は、ない。
 この男を説得して、止めさせる事しか。
 しかし、この男に取り付くしまはない。
「何か持ってこさせましょう。少々落ち着かれた方が、体のためです……」
 九頭は部屋を出て行った。
 蛍は、なかば絶望に打ちひしがれて、座り込んでいた。



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