エピソード『遺跡発掘(仮題)』


目次



エピソード『遺跡発掘(仮題)』

 松崎渾(まつざき・こん)		:冒険野郎な考古学者
 田能村駿一(たのむら・しゅんいち)	:文化庁特殊遺物室非常勤職員。
 鬼崎野枝実(きざき・のえみ)		:影使い。裏影社に狙われている。


県道52号線拡張工事に伴う遺跡調査


菓子食う人

 野枝実	:「暑ぅ……」

 蒸し暑い空気の溜まったトレンチの底で、野枝実は恨めしげに頭上の太陽を
見上げた。
 霞山に程近い、山の中の遺跡の発掘現場。参加してまだ二日目の野枝実の仕
事は、トレンチからの土の搬出だった。プラスチック製の箕に掬いあつめた土
を、力任せに穴の上に放り上げる。ここのような小さな現場では、掘った土を
運んでくれるベルトコンベアなどという、有難いものは存在しない。
 何杯目かの土を上げて、首にかけたタオルで汗をぬぐった野枝実の上に、穴
の上から影が差した。

 野枝実	:「……?」
 田能村	:「休憩時間ですよ。他の皆さんはとっくに上がってます」

 逆光の中で、細い目が笑っている。知人の紹介で来ているという、他大の院
生だった。

 野枝実	:「ああ、ありがとう……タノムラさん、でしたっけ?」
 田能村	:「覚えて頂けたようで光栄です。鬼崎さん」

 野枝実が穴から上がったのを確かめると、田能村は立ち上がって、膝につい
た土を払う。この炎天下、野外で土いじりの仕事中だというのに、三つ揃いの
上着だけ脱いだいでたちで、汗ひとつかいていない。
 アームバンドでたくし上げた袖口に、乾いた土がついている。

 田能村	:「今日はチョコチップクッキーを焼いてきたんです。
		:分け前がなくならないうちに、上がってきてください」

事務所にて。
野枝実が入ってきたときには、既にクッキーは残り少なくなっていた。

 田能村	:「なんだ、もうこんなに減っちゃってるのか……
		:鬼崎さん、呼んできましたよ」
 学生A	:「あ、どーも。お先に頂いてます。
		:しかし……上手ですねえ、タノさん。今日のも旨いや」
 田能村	:「甘いものに意地汚いだけなんですよ、私は(微笑)……
		:(クッキーを取り分けて)はい、鬼崎さんの分」
 野枝実	:「ありがとう、頂きます」

気を使っているというよりは、単に自信作を披露したかっただけらしい。
麦茶を飲みながら見ていると、田能村は自分でもクッキーをかき集めて、心底
嬉しそうな顔でぽりぽりやっていた。

 学生B	:「いつもながら、見事な食べっぷりだよなぁ……
		:そういや、松崎の旦那どんな様子だって?」
 田能村	:「来週には退院して、こっちに来るそうです。
		:まぁしばらくは、中の仕事しか出来ないでしょうけどね。
		:今朝顔を出したときも『早く出せ』って吠えてましたよ」
 野枝実	:「先輩……?」
 田能村	:「私の紹介状を書いてくれた人です。
		:先に来ている筈だったのに、来る途中で事故っちゃって」
 学生B	:「なんでも、飛び降り……」

言いかけた学生に向かって、田能村は困ったようにちょっと笑ってみせる。
クッキーを口に運ぶその学生の手が止まって、彼はそのまま、口を噤んだ。

 田能村	:「すみません、お茶のときの話題じゃないですね」

菓子屑のついた手をぱん、と払って、プラカップの茶を飲み干す。
短い休憩時間は、そろそろ終わりだった。



復帰

 田能村	:「……皆さん」

発掘現場の、午前10時の休憩時間。

いつものように、冷蔵庫からパステル調花柄のケーキボックスを出しながら、
田能村駿一は厳しい表情で一同を見回した。

 田能村	:「今日から、あれが来ます」
 一同		:「……(黙って頷く)」
 野枝実		:「(一体……何なんだ?)」
 田能村	:「我々のすべきことは一つ。自分の取り分は自分で守る、
		:それだけです」

野枝実を除く全員が深く頷いたのを見届けて、田能村は話を続ける。

 田能村	:「出現予定時刻は午前10時、しかし幸いなことに、あれは
		:まだここには現れていません。ということで」

ケーキボックスに手がかかる。

 田能村	:「位置について、用意」

現場を囲む塀の、入り口の扉が鳴る音を、野枝実は聞いたような気がした。

 田能村	:「どん」

じりじりと間合いを詰めていた学生や教官が、田能村のその声で、一斉にケー
キに手を伸ばす。
事情が呑み込めずに戸惑った野枝実も、ただならぬ雰囲気に押されて、慌てて
一つ残ったタルトを取る。
それに一瞬遅れて、野枝実の背後から伸びたごつい手が、ケーキボックスの底
で虚しく空をつかんだ。

 田能村	:「残念でした。遅いですよ、松崎さん」

プレハブのアルミのドアが、外からの風に煽られてばたばた鳴っている。
たったいま、そこから入ってきたばかりの男は、引っ込めようのなくなった手
で空箱を持ち上げて、田能村の顔を恨めしげな顔で見上げた。

 松崎		:「田能村ぁ……お前わざと、一つ少なく作ってきたな?」
 田能村	:「朝になってから、今日から来るって連絡をくれたって、
		:ケーキを焼くのが間に合うわけないじゃありませんか。
		:そんなことより、現場出勤の初日なんだから、挨拶くらい
		:なさったらどうなんです?」
 松崎		:「へいへい」

箱を畳む手を止めて、男、松崎は、改めて事務所の中を見回す。
既に秋、さして暑い日でもないのに、型くずれしたシャツを通った汗が、その
上のフィッシングベストにまで染み込んでいる。
癖のある髪から、ケーキボックスに汗の滴が落ちると、傍で見ていた田能村が
ちょっと嫌そうな顔をした。

 松崎		:「じゃ、改めて。毎度お世話になっている、文化庁文化財
		:課の松崎です。今年は訳あって、途中からの参加になりま
		:したが、どうかよろしく」

ぺこりと会釈しながら、頭に手をやって、不思議そうな顔で田能村に聞く。

 松崎		:「なぁ、田能村」
 田能村	:「はい?」
 松崎		:「俺の帽子、どこ行ったか知らん?」
 田能村	:「どこって、何日か前に失くしたきりでしょう」
 一同		:「(笑)」

 昼休み。松崎は手すきの新入生を集めて、なにやら妙なことを始めている。

 松崎		:「うおりゃああああっ!」

 太い腕が、風を切る。赤と白に塗り分けられた測量用のポールが、廃土の山
めがけて飛んで行って、山の中腹に突き立った。

 助手		:「お、やってるね」
 野枝実		:「槍投げ、ですか」
 助手		:「毎年恒例のピンポール投げだよ。松崎さんが来るといつ
		:もやってる。
		:しかしあの人、あれで本当に病み上がりかね」
 野枝実		:「ふうん……」

野枝実は松崎の方に歩み寄って、足元に積んであるポールを一本、手にとる。
ポールを回収する学生達を眺めていた松崎が、ひょいと野枝実のほうを見る。

 松崎		:「あんたも、やるかい?」
 野枝実		:「一度だけ。いいですか?」
 松崎		:「ん。人がいるほうに投げるなよ。(山に向かって)
		:おうい、回収班、どいたどいた。投げるぞお」

回収班がわらわらと散っていく。
人のいなくなった廃土山に、ポールの尖った尖端を向けて、力任せに投げる。
ポールがカーブのきつい放物線を描いて飛んで行き、廃土山の裾野の辺りに刺
さる。

 野枝実		:「……意外と、飛ばないな」
 松崎		:「力だけ入れたって飛びやしないよ。何度もやってりゃ、
		:そのうちコツが掴めてくる」
 野枝実		:「松崎さんは、何年くらいやってるんですか」
 松崎		:「10年」

にっと歯を見せて笑うと、松崎はポールを取りに駆けていった。

作業終了後。
発掘坑ににシートをかぶせ、遺物の洗浄や整理の仕事を終えたときには、既に
夜になっていた。

 松崎		:「じゃ、俺はいつもと同じに」
 助手		:「はいはい(苦笑)」

助手に鍵を渡された松崎は、事務所の隅にどっかりと荷物を置く。
その様子を、はたで見ていた野枝実は。

 野枝実		:「田能村さん。いつもと同じって、何なんですか」
 田能村	:「あ、あれね。松崎さん、現場じゃいつも、夜番をかねて
		:事務所に泊まり込むんですよ。宿代が惜しいらしくてね」
 野枝実		:「宿代?」
 田能村	:「お金がない、というよりは、寝るところのためにお金を
		:払う気がない、といったほうが正確ですが。
		:今回みたいに泊まれないときは、知り合いの家とか、あと 
		:駅とか公園で寝ているそうですよ」
 野枝実		:「はぁ……(汗)」

話している間にも、学生たちは次々に次々に荷物をまとめて帰ってゆく。

 田能村	:「鬼崎さんも、そろそろご家族が心配なさる頃でしょう」
 野枝実		:「家族……ね(苦笑)」
 田能村	:「じゃ私は、明日のおやつの仕込みもありますから、この
		:へんで失礼します」

床に座り込んで荷物を解きかけた松崎が、田能村の方を見上げる。

 松崎		:「何だお前、帰るのか。泊まってけよ」
 田能村	:「生憎と私には、最低限の文化的な生活と、あとお菓子を
		:作る台所が必要でしてね。お疲れさまぁ(だっしゅ)」
 野枝実		:「あ、お疲れさま(ちょっとびっくり)」
 松崎		:「おい、ちょっと待て田能……畜生、逃げやがった。
		:鬼崎さん……だっけ? あんたも早く帰らないと、弟さんが
		:心配するぜ」
 野枝実		:「弟?」
 松崎		:「今朝すれ違ったとき、男の子を連れてるのを見たが」
 野枝実		:「(ああ、中原医院に行くときか)ええ、まあ……じゃ、
		:お先に失礼します」
 松崎		:「ん。お疲れさん」

その晩、野枝実の部屋で。

 野枝実		:「……友久」
 友久		:「何だ?」
 野枝実		:「あたしと晃一は、そんなに似てる?」
 友久		:「だしぬけに、何を言うかと思えば。何かあったのか?」
 野枝実		:「姉弟と間違われた」
 友久		:「……(笑)」
 野枝実		:「何がおかしい?」
 友久		:「知らない人間が見たら、確かにそう思うかもな」

晃一は、すぐ側で布団にくるまって眠っている。
怒るに怒れなくなって、野枝実は苦笑した。

同じ頃、現場事務所のプレハブで。
机に頬杖をついた松崎は、手酌で酒をあおっている。

 松崎		:「(どうも、妙な感じだと思ったら……
		:入院してる間は、こんな風に人気がなくなることなんざ、
		:一度もなかったんだよなぁ……)」

久し振りの、天下御免で飲める酒のはずなのに、少しも旨くない。

 松崎		:「この間行った店……渋い声のピアノ弾きがいたっけな。
		:もういちど、顔出してみるか」

声に出してそう言うと、松崎はパイプ椅子から立ち上がった。


調査

 深夜の発掘現場。いつものベストの肩に一張羅のジャケットをひっかけた松
崎が、現場を囲む塀の鍵を開ける。頭に載った黒い帽子が、いかつい顔に影を
落とす。星明かりの下に、現場事務所のプレハブが仄白く浮かび上がる。
 壁面に長い影を落として佇んでいた男が、松崎に向かって片手を挙げた。

 田能村	:「待ちましたよ、松崎先輩。こんなに待たされると判って
		:たなら、合い鍵を作っておくんでした」
 松崎		:「済まんな、田能村。ちょっと飲みにいくつもりで、つい
		:長居しちまった」
 田能村	:「その帽子。この間、病院を脱走したときの店ですね?」
 松崎		:「ああ。こないだのピアノ弾きの代わりに、役者くずれの
		:兄ちゃんがいたよ……いま、事務所を開ける」
 田能村	:「あまり近くに寄らないでください。匂いだけで酔っ払い
		:そうだ」

 事務所の中は、しんと冷え切っている。合板の長机を間に、二人は向かい合っ
て腰をかける。先に口を開いたのは、松崎のほうだった。

 松崎		:「……で。例のブツは、もう出てるのか?」
 田能村	:「わからない、というのが正直なところですね。
		:それらしい破片なら何点も出ていますが、一体そのうちの
		:どれが目的の品なのか、それともまだ出ていないのか。
		:私たちに『力』を感知することが出来ない以上、それこそ
		:全部接合してみて、余りを探すしかありませんね」
 松崎		:「でなきゃ、(壁際に積まれた出土品の箱を指して)あれ
		:全部、こっちでがっちり押さえとくか、だな。
		:全くへーちゃんも、もうちょっと人選どうにかしろよな」
 田能村	:「今更言っても仕方ないでしょう。食べますか」
 松崎		:「ん」

田能村の広げたランチボックスから、サンドイッチをつまみながら。

 松崎		:「敵さん……裏影社、って言ったっけ? のほうは、それが
		:わかる人間をちゃんと送ってきてるんだろうなぁ。
		:いっそのこと、連中に見つけさせてから横取りするか?」
 田能村	:「それもいいですね(笑) ……ところで」

 ジャムサンドをひとくちかじって、田能村は顔を引き締める。

 田能村	:「あちら様が潜入させているのは、一体この発掘隊の中の
		:どなたなんでしょう。
		: その後、何か調べはつきましたか?」
 松崎		:「ん。お前が送ってくれた参加者名簿を使って、東京の方
		:と連絡取りながら調べてみたんだが……ちょっと待った」

 ポットの茶をぐい、と飲み干して、床の荷物の方へ歩いてゆく。荷物の中を
探し、ベストのポケットも全部探って、最後にズボンのポケットから出てきた
紙片を、松崎は田能村の方へ突き出した。

 松崎		:「今年から来た奴を中心に調べて、いまんとこ怪しそうな
		:のはそれだけだ」

 渡されたリストの中に、鬼崎野枝実、という名前を見つけて、田能村は微か
に眉を顰める。

 松崎		:「ん? どうかしたか」
 田能村	:「いえ。これだけですか」
 松崎		:「いまんとこはな。全員ビンゴってこたぁないだろうが、
		:一応その連中から目を離さないでいてくれ」
 田能村	:「あなたもですよ」
 松崎		:「判ってる。なぁ、田能村」
 田能村	:「はい?」
 松崎		:「ひとを疑うってなぁ、たとえ仕事でも嫌なもんだなぁ」
 田能村	:「そうですか? 私は別に(にこ)」
 松崎		:「……そういう奴だよ、お前は(苦笑)」



裏影社、動く


波紋の一点

 ことん、と、グラスが置かれる。

 紗耶		:「それで、定時連絡は入った?」
 清姫		:「いつもの通りにございました」
 紗耶		:「そっか」

 グラスに満たした透明な液体を、一口含んで紗耶は座り込んだ。

 紗耶		:「まだ少しかかるかね」
 清姫		:「それは何とも」

 微かに笑うと、紗耶はグラスをゆっくりと空けた。その間を見計らって、清
姫が声を掛ける。

 清姫		:「申し訳ございませぬが……」
 紗耶		:「野枝実のこと? ……仕方ないんじゃない?」
 清姫		:「排除は、なさいませぬか」
 紗耶		:「しないよ。まだ関わるって宣言してないし」
 清姫		:「厄介では?」
 紗耶		:「多少の厄介は、あるもんでしょ」

 手酌でグラスを満たしながら、くすくす、と紗耶が笑う。

 紗耶		:「野枝実ちゃんの気性なら、詭弁だとか言って怒りそうだけど」
 清姫		:「先に捕らえてしまえば」
 紗耶		:「止めてよ、そういう無茶言うの」

 銀縁眼鏡越しに、じろり、と、腹心の傀儡を睨んで。

 紗耶		:「あんな猫娘、入れとく檻と、餌、ついでに水張ったバケ
		:ツくらい用意しないと安心して捕まえられないわよ」
 清姫		:「水を張ったバケツ、でございますか?」
 紗耶		:「用事が済んだら、ぼちゃんと漬ける奴ね」

 さらり、と言い放って、また少し紗耶は笑った。

 清姫		:「石剣、と、伝えましたが」
 紗耶		:「一応その筈。……ただねえ、破片見てそうと解ってくれると
		:有り難いんだけど」
 清姫		:「順殿の柄は」
 紗耶		:「いざとなれば直実に持たして確かめるしかないね」

 視線の先で、清姫は静かに手を動かしている。

 紗耶		:「これはまだ、序の口。野枝実の餌を捕まえる為の、その為の
		:道具……全部は今のところ要らないわ。破片一つで充分」
 清姫		:「一つで足りましょうか」
 紗耶		:「余分な力は持たないこと。ばーさまの口癖だったからね」

 にっと笑うと、今度は勢いよくグラスを空けて。

 紗耶		:「では、待ちましょうか」



錯綜


気の所為にするには、余りに度々だった。

 助手		:「鬼崎さん、どこにする?」
 野枝実	:「はい?」
 助手		:「あみだくじ」
 野枝実	:「ああ、あの本の……私はいいです」

感情。
確かに負の……しかし、悪意にまではなりきれない感情。

休み時間、紙コップのお茶を飲みながら、野枝実は目を閉じた。

 学生1	:「あ、こいつまた当たった」
 助手		:「ほんとだ……雑賀くん、この本君行きだね」

自分に向けられる好意よりも悪意のほうに敏感であるのは、ごく自然な自衛本能
であるように思う。好意は放置していても当座問題はないが、悪意のほうは放置
すればするだけ危険である。
……とすれば、今現在自分が気付いている、というだけで、この感情は悪意を
かなりにして含んでいてもおかしくはない。
……が。

叶野の視線ではない。
本人に会ったのは只一度。しかし、その視線は不思議なほど悪意を含まなかった。

では、誰なのか。


 鬼李		:「ありうるとすれば、裏影社の叶野以外の人物、じゃないか?」
 野枝実	:「……発掘現場に?」
 鬼李		:「それとも野枝実、そうやってじろじろ見られるほど恨みを買った
		:相手が他にいるわけか?」
 野枝実	:「知ったことか」
 鬼李		:「影を使うのがばれた、とか?」
 野枝実	:「まさか」

言下に否定して、野枝実は溜息をついた。

 野枝実	:「……気をつけないといけない、ってことか」
 鬼李		:「そういうことだろうね……まあ、悪意ではないってのが唯一救いかも
		:しれないが」
 野枝実	:「まあそうだけど……」
 鬼李		:「疑われているだけかもしれない」
 野枝実	:「なら問題無い」
 鬼李		:「……問題だと思うぞ」
 野枝実	:「問題無いさ。それが根拠があるならこちらはばれないようにすればいい。
		:もし根拠が無いなら……それこそ知ったことか」

言ってのけた野枝実の顔を見やって、鬼李は一つ溜息を付いた。



たずねびと


未明。

霞山近くの、住宅街を少し外れた雑木林の中に、白い急拵えの塀が立て巡らさ
れている。
月夜のはずの空は低い雲にどんよりと覆われて、街灯の切れかけた電球が、塀
のところどころをぼんやりと照らしている。

車一台通らない林道の、ひび割れたアスファルトに靴音を立てて、ひとりの男
が塀に沿って歩いている。
黒っぽいスーツに身を包んだ、細身の若者。
塀の一端に掲げられた、アクリルの一枚板の看板に、彼はふと目を留める。

『県道52号線拡張工事に伴う遺跡調査現場』

働いている酒場で、ここの話を聞いた。
もしこの遺跡が思っている通りの場所であるなら、彼の捜しているものもここにある。
いや、ここに現れるはず。

 鷹央		:「順……」

看板のすぐ横には、安っぽいアルミのドアがついている。
口の中で呟いた名前を、頭の中で復唱して、彼、我那覇鷹央は、ドアノブに手
をかける。
鍵がかかっていると思ったノブは、意外にあっさりと回った。

 鷹央		:「不用心、だな」

塀の裏側に人の気配はない。
頭上に用心しながら、蝶番を軋ませてドアを押す。
やけに重い。そう感じて、ノブから手を離したときには、ドアの向こうに立て
かけてあった何かが、けたたましい音を立てて倒れたあとだった。

 鷹央		:「(不用心過ぎたか)」

剥き出しの土の上に、車輪の取れた一輪車が転がっている。
ひとつしかない入り口に、そんなものを器用に立てかけて帰る人間はいない。
中にいる何者かの、警報のつもりか。それにしては、余りにも単純すぎる。
心の中で舌打ちしながら、塀の足元の暗がりに身を沈めて様子を見る。
広い現場の向こうに見える、プレハブの現場事務所から、人の出てくる様子は
ない。
腹を決めて、事務所に向けて一歩踏み出す。
その途端、脛に絡みついた何かの感触に、反射的に飛び退いたさきの地面が、
頼りなくふかりと沈む。
片足が辛うじて本物の地表にかかったおかげで、巧妙に隠された落とし穴には
はまらずに済んだが、足に引っかけたピアノ線の先で、何かがさらに大きな音
を立てた。

 松崎		:「こんばんは。ドロボーさんかい」

事務所の方から、低い声がする。
膝の土を払って立ち上がり、声のするほうに目を向ける。
プレハブの上がり口の、コンクリートの低いステップの上に、うっそりとした
人影が蹲っていた。

 鷹央		:「(最初から外にいて、様子を窺ってたのか。道理で中か
		:ら出てこないはずだよ)」

街灯の明かりは、相手のいるところまでは届かない。
鷹央は動かない影に向かって、思い切って声をかけてみた。

 鷹央		:「偶然ここに迷い込んだ、善良な市民を殺す気かい?」
 松崎		:「善良な市民なら、最初の音で逃げ帰ってる筈なんだが。
		:一体何を捜してる?」
 鷹央		:「欲しいのはモノじゃない。人を捜しに来た」
 松崎		:「その人ってなぁ俺のことかい」

頬骨の高い、三十がらみの男の顔が、ライターの小さな火に浮かび上がる。
文化庁の松崎渾。最近店に来はじめた客だった。

 鷹央		:「やっぱりあんたか。(笑)あんたなら、別に捜さずとも
		:会える」
 松崎		:「お前さんの声には聞き覚えがねぇが?(咳き込む)
		:いけねえや。去年の禁煙がうまくいきすぎたみたいだ」

松崎はひとくち喫っただけの煙草を揉み消す。
赤い光点が消えて、周囲が闇に戻る。

 松崎		:「夜ここにいるのは俺だけだよ。人を捜すなら昼間に来れ
		:ばいい」
 鷹央		:「覚えてたらそうするさ。そっちへ行っていいか?」
 松崎		:「施錠を忘れて一般人を迷い込ませたのは、俺の責任だ。
		:五体満足で帰りたきゃ、そこから先へは来ねぇ方がいい」

ステップの影がゆらりと動いて、松崎が建物の中に消える。
蛍光灯の寒々しい灯りが、無人の事務所と、それに面して立つ鷹央を照らす。
鷹央と事務所の間で、時折きらりと光るのは、無数に張り巡らされた細い筋。

 鷹央		:「一般人、ね(笑)……敵じゃないのは確かそうだが」

開け放たれたドアに寄りかかって、無言で鷹央を見る松崎。
鷹央は喉の奥で笑って、さっき倒した一輪車に手をかける。

 松崎		:「ブービートラップは見えるぶんだけじゃない。
		:線を全部切ったところで、危険が増えるだけだぜ」
 鷹央		:「だろうな。(苦笑)ま、無理に行く理由もないか」
 松崎		:「それが利口だよ。酒は好きか?」
 鷹央		:「嫌いじゃないな」
 松崎		:「そうか」

松崎の腕が動いて、何か小さなものを鷹央に向かって投げる。
ピアノ線をかいくぐって飛んできたそれを、鷹央は片手で受け止める。

 鷹央		:「火炎瓶でも手榴弾でもなさそうだな」
 松崎		:「火をつけようと思えば、つけられんこともないがな。
		:好きなだけ飲ったらこっちへ投げ返してくれや」

手にやわらかく馴染むほどに磨り滅った、金属製のポケットボトル。
生ぬるいその中身をひとくち飲んで、息をつく。

 鷹央		:「毒は入ってないよな」
 松崎		:「飲んでから聞くなよ。(笑)入ってるとしても俺の唾液
		:くらいだ」
 鷹央		:「あんたの? そりゃ大変だ(笑)」

口の中に、微かに金属臭い後味が残る。
逆光になった松崎の顔は見えなかったが、どんな顔をしているかは大体想像が
ついた。

 鷹央		:「随分な歓迎ぶりだな。どんなお宝を抱えてるんだ?」
 松崎		:「少なくとも、俺個人にとっては価値はねぇな」
 鷹央		:「じゃあ何のために?」
 松崎		:「こいつで給料貰ってんだよ。ところで」
 鷹央		:「何だ?」
 松崎		:「お前さん、俺を知ってると言ったな。俺のほうには覚え
		:がねえんだが、どういうことだ」

鷹央は答えずに笑って、すっと後ろを向く。
次に振り返ったときには、長い黒髪の、少し疲れた顔の女が、そこにいた。

 鷹央		:「お久し振り。脱走患者の公務員さん」

少し掠れた、低い女声。

 松崎		:「ほう……こいつぁまた、化けたもんだね」
 鷹央		:「あまり驚かないのね」
 松崎		:「びっくりしすぎて驚くこともできん(笑)」

鷹央はくすり、と笑って、声だけ元の若い男に戻す。

 鷹央		:「ほとんど毎晩顔を合わせてるんだ。いい加減覚えろよ」
 松崎		:「てめぇの好きで化けておいて、無茶な注文してくれるぜ
		:……悪いが、そろそろこっちにも回してくれねぇか」
 鷹央		:「火をつけていいか?」
 松崎		:「勿体ない」

鷹央が瓶の口を閉めて、少し軽くなったそれを松崎の方に投げる。
ボトルは二人の中間辺りで、見えないピアノ線の一本に引っかかって落ちる。
影になった地面の何処かで、何かがどさりと崩れる音がした。

 鷹央		:「あ、済まない。取りに行くか?」
 松崎		:「俺がお前さんだったら、諦めるね。さてと……
		:朝までにこの辺一帯、学生どもがどかどか踏んでも生きて
		:られる状態に戻しとかなきゃなぁ。
		:お前さんもそこに突っ立ってないで、そろそろ店に戻った
		:ほうがいいんじゃねぇか?」
 鷹央		:「そうだな。安眠妨害して済まなかった」
 松崎		:「飲みたくなったらこっちから出向くよ」

ステップの上に佇む影に向かって手を振ってみせて、鷹央は現場を後にする。
アスファルトを踏む彼の背後で、潜り戸の鍵を内側からかける音がした。


いせきってなぁに? 
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おやつの時間もとうにすぎて、そろそろ夕暮れ時。
中原医院、中庭。鬼李、新と共に遊んでいる晃一。そろそろ
野枝実が迎えが来てもいい時間帯である。

しかし、そこへきたのは……

 新		:「友久おにーちゃんだ(手を振る)」
 晃一		:『あ、お兄ちゃん』
 友久		:「よお」

歩いてきた友久にまとわりつく子供達。

 中原		:「おや、今日はお父さんがお迎えですか」
 友久		:「……おい」
 晃一		:『お兄ちゃん、野枝実お姉ちゃんは?』
 友久		:「ああ、バイトで遅くなるらしいな」
 新		:「ばいと?」
 中原		:「鬼崎さん、何のアルバイトなさってるんですか?」
 友久		:「遺跡発掘とかいってたな」
 鬼李		:「肉体労働だな、実際は」
 中原		:「これまた変わったアルバイトですね」
 晃一		:『お兄ちゃん……いせきはっくつって何?』
 友久		:「ああ、遺跡ってのは、ずっと昔の人が建てた建物の跡や
		:道具のことで、発掘は、何かを掘り出すこと。つまり、
		:遺跡を発掘するのは、土の中に埋まってる建物や道具を掘りだす
		:事を言うんだ」
 晃一		:『へぇ……』
 新		:「そうなんだぁ」
 晃一		:『ねぇ、いせきはっくつって土を掘るお仕事なの?』
 新		:「面白そうっ」
 中原		:「色んなものが出てくるんですよ」
 鬼李		:「昔のお金とか、食器とかな」
 新		:「色んなものかぁ……」
 晃一		:『見てみたいっ』
 友久		:「見てみたいって、言われてもな」
 中原		:「見学にでも連れて行けないんですか? 面白そうじゃないですか」
 友久		:「こればっかりは、聞いてみないことにはわからんしな」
 晃一		:『お兄ちゃん、僕もいせきはっくつしたい』
 新		:「僕もっ!」
 友久		:「……わかった、野枝実に聞いてみる」
 晃一		:『わーい』
 新		:「やったぁ」

はしゃぐ子供達。半ば諦め顔の友久。

 中原		:「いやあ、子供って可愛いですねぇ」
 友久		:「……けっ」

そして、野枝実宅にて……
晃一を寝かしつけた後の会話。

 野枝実	:「発掘の見学?」
 友久		:「いや……実は今日」

かくかくしかじか……夕方の話をする。

 野枝実	:「なるほどね、見学か」
 友久		:「こればっかりは、現場の人に聞かないとわからんだろ」
 野枝実	:「確かに」
 友久		:「別に無理せんでも、確認だけでいいんだが」
 野枝実	:「ん、わかった。とりあえず聞くだけ聞いとく」
 友久		:「ああ」



定時連絡


夜中の一時半が、連絡の時間と決まっている。

 雑賀		:「もしもし、雑賀ですが」
 女		:「『今日のお料理』六月号」
 雑賀		:「……ええと、38p」

暗号代わりのやり取り。相手の開いたページを電話のこちらで当てること。

 女		:「確認致しました……それで」
 雑賀		:「今日のところも、まだ、出てきてないようです」
 女		:「発掘の進み具合は」
 雑賀		:「まあまあ、です。……ただ、どうも、相手も疑い出して
		:はいるようで」
 女		:「判りました」

 硬質の、耳障りの良い、しかしそれだけの声。叶野、と名乗る女性の側近の
声。

 雑賀		:「どうします?」
 女		:「そのままに。雑賀さんは何もなさってはおられぬでしょう。
		:疑っても何も出てはきませぬ」

あっさりとした返事がある。

 女		:「もし何か分かりましたら、即、ご連絡頂きたい、とのことですので」
 雑賀		:「わかりました。じゃ、また連絡します」
 女		:「では」

 電話を切って、一つ溜息を付く。確かに自分は、積極的には何一つやっては
いない。何一つやる必要もない、と初めから言われている。
『経歴に傷つけたら申し訳ないですしね』
 そう言ってにこにこ笑った依頼主の顔も、良く憶えている。
『永遠が、欲しいんですか?』
『いえ、ただ、興味があるだけです』
 幾つもの選択肢の中から、正しいものを選ぶ。便利な、そして時に酷く重荷
となる能力。もう一度溜息を付いて、彼は、目の前のカレンダーを見やった。

 雑賀		:「……!」

 その表情が変わる。カレンダーを手にとり、じっと見てその中の一枚を選ぶ。
そしてそのページをじっと睨み、最後にとん、と、ある日付を突ついた。同じ
動作を二度繰り返し、もう一度受話器を手に取る。

 雑賀		:「もしもし、雑賀です。追加連絡、ですが」
 女		:「先程のページ数は」
 雑賀		:「38p」
 女		:「確認致しました。それで?」
 雑賀		:「発掘予定の日が、判りました」

 意表を突かれたらしく、女が少し沈黙する。

 雑賀		:「三日後。その日に遺物は発掘されます」
 女		:「如何様にして、その日を見つけられました?」
 雑賀		:「日付を、選びました」
 女		:「成程。叶野に伝えおきます……有難うございます」

 ぷつり、と電話が切れる。彼は一つ息を吐いた。


続く



解説





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