松崎渾(まつざき・こん) :冒険野郎な考古学者
田能村駿一(たのむら・しゅんいち) :文化庁特殊遺物室非常勤職員。
鬼崎野枝実(きざき・のえみ) :影使い。裏影社に狙われている。
野枝実 :「暑ぅ……」
蒸し暑い空気の溜まったトレンチの底で、野枝実は恨めしげに頭上の太陽を
見上げた。
霞山に程近い、山の中の遺跡の発掘現場。参加してまだ二日目の野枝実の仕
事は、トレンチからの土の搬出だった。プラスチック製の箕に掬いあつめた土
を、力任せに穴の上に放り上げる。ここのような小さな現場では、掘った土を
運んでくれるベルトコンベアなどという、有難いものは存在しない。
何杯目かの土を上げて、首にかけたタオルで汗をぬぐった野枝実の上に、穴
の上から影が差した。
野枝実 :「……?」
田能村 :「休憩時間ですよ。他の皆さんはとっくに上がってます」
逆光の中で、細い目が笑っている。知人の紹介で来ているという、他大の院
生だった。
野枝実 :「ああ、ありがとう……タノムラさん、でしたっけ?」
田能村 :「覚えて頂けたようで光栄です。鬼崎さん」
野枝実が穴から上がったのを確かめると、田能村は立ち上がって、膝につい
た土を払う。この炎天下、野外で土いじりの仕事中だというのに、三つ揃いの
上着だけ脱いだいでたちで、汗ひとつかいていない。
アームバンドでたくし上げた袖口に、乾いた土がついている。
田能村 :「今日はチョコチップクッキーを焼いてきたんです。
:分け前がなくならないうちに、上がってきてください」
事務所にて。
野枝実が入ってきたときには、既にクッキーは残り少なくなっていた。
田能村 :「なんだ、もうこんなに減っちゃってるのか……
:鬼崎さん、呼んできましたよ」
学生A :「あ、どーも。お先に頂いてます。
:しかし……上手ですねえ、タノさん。今日のも旨いや」
田能村 :「甘いものに意地汚いだけなんですよ、私は(微笑)……
:(クッキーを取り分けて)はい、鬼崎さんの分」
野枝実 :「ありがとう、頂きます」
気を使っているというよりは、単に自信作を披露したかっただけらしい。
麦茶を飲みながら見ていると、田能村は自分でもクッキーをかき集めて、心底
嬉しそうな顔でぽりぽりやっていた。
学生B :「いつもながら、見事な食べっぷりだよなぁ……
:そういや、松崎の旦那どんな様子だって?」
田能村 :「来週には退院して、こっちに来るそうです。
:まぁしばらくは、中の仕事しか出来ないでしょうけどね。
:今朝顔を出したときも『早く出せ』って吠えてましたよ」
野枝実 :「先輩……?」
田能村 :「私の紹介状を書いてくれた人です。
:先に来ている筈だったのに、来る途中で事故っちゃって」
学生B :「なんでも、飛び降り……」
言いかけた学生に向かって、田能村は困ったようにちょっと笑ってみせる。
クッキーを口に運ぶその学生の手が止まって、彼はそのまま、口を噤んだ。
田能村 :「すみません、お茶のときの話題じゃないですね」
菓子屑のついた手をぱん、と払って、プラカップの茶を飲み干す。
短い休憩時間は、そろそろ終わりだった。
田能村 :「……皆さん」
発掘現場の、午前10時の休憩時間。
いつものように、冷蔵庫からパステル調花柄のケーキボックスを出しながら、
田能村駿一は厳しい表情で一同を見回した。
田能村 :「今日から、あれが来ます」
一同 :「……(黙って頷く)」
野枝実 :「(一体……何なんだ?)」
田能村 :「我々のすべきことは一つ。自分の取り分は自分で守る、
:それだけです」
野枝実を除く全員が深く頷いたのを見届けて、田能村は話を続ける。
田能村 :「出現予定時刻は午前10時、しかし幸いなことに、あれは
:まだここには現れていません。ということで」
ケーキボックスに手がかかる。
田能村 :「位置について、用意」
現場を囲む塀の、入り口の扉が鳴る音を、野枝実は聞いたような気がした。
田能村 :「どん」
じりじりと間合いを詰めていた学生や教官が、田能村のその声で、一斉にケー
キに手を伸ばす。
事情が呑み込めずに戸惑った野枝実も、ただならぬ雰囲気に押されて、慌てて
一つ残ったタルトを取る。
それに一瞬遅れて、野枝実の背後から伸びたごつい手が、ケーキボックスの底
で虚しく空をつかんだ。
田能村 :「残念でした。遅いですよ、松崎さん」
プレハブのアルミのドアが、外からの風に煽られてばたばた鳴っている。
たったいま、そこから入ってきたばかりの男は、引っ込めようのなくなった手
で空箱を持ち上げて、田能村の顔を恨めしげな顔で見上げた。
松崎 :「田能村ぁ……お前わざと、一つ少なく作ってきたな?」
田能村 :「朝になってから、今日から来るって連絡をくれたって、
:ケーキを焼くのが間に合うわけないじゃありませんか。
:そんなことより、現場出勤の初日なんだから、挨拶くらい
:なさったらどうなんです?」
松崎 :「へいへい」
箱を畳む手を止めて、男、松崎は、改めて事務所の中を見回す。
既に秋、さして暑い日でもないのに、型くずれしたシャツを通った汗が、その
上のフィッシングベストにまで染み込んでいる。
癖のある髪から、ケーキボックスに汗の滴が落ちると、傍で見ていた田能村が
ちょっと嫌そうな顔をした。
松崎 :「じゃ、改めて。毎度お世話になっている、文化庁文化財
:課の松崎です。今年は訳あって、途中からの参加になりま
:したが、どうかよろしく」
ぺこりと会釈しながら、頭に手をやって、不思議そうな顔で田能村に聞く。
松崎 :「なぁ、田能村」
田能村 :「はい?」
松崎 :「俺の帽子、どこ行ったか知らん?」
田能村 :「どこって、何日か前に失くしたきりでしょう」
一同 :「(笑)」
昼休み。松崎は手すきの新入生を集めて、なにやら妙なことを始めている。
松崎 :「うおりゃああああっ!」
太い腕が、風を切る。赤と白に塗り分けられた測量用のポールが、廃土の山
めがけて飛んで行って、山の中腹に突き立った。
助手 :「お、やってるね」
野枝実 :「槍投げ、ですか」
助手 :「毎年恒例のピンポール投げだよ。松崎さんが来るといつ
:もやってる。
:しかしあの人、あれで本当に病み上がりかね」
野枝実 :「ふうん……」
野枝実は松崎の方に歩み寄って、足元に積んであるポールを一本、手にとる。
ポールを回収する学生達を眺めていた松崎が、ひょいと野枝実のほうを見る。
松崎 :「あんたも、やるかい?」
野枝実 :「一度だけ。いいですか?」
松崎 :「ん。人がいるほうに投げるなよ。(山に向かって)
:おうい、回収班、どいたどいた。投げるぞお」
回収班がわらわらと散っていく。
人のいなくなった廃土山に、ポールの尖った尖端を向けて、力任せに投げる。
ポールがカーブのきつい放物線を描いて飛んで行き、廃土山の裾野の辺りに刺
さる。
野枝実 :「……意外と、飛ばないな」
松崎 :「力だけ入れたって飛びやしないよ。何度もやってりゃ、
:そのうちコツが掴めてくる」
野枝実 :「松崎さんは、何年くらいやってるんですか」
松崎 :「10年」
にっと歯を見せて笑うと、松崎はポールを取りに駆けていった。
作業終了後。
発掘坑ににシートをかぶせ、遺物の洗浄や整理の仕事を終えたときには、既に
夜になっていた。
松崎 :「じゃ、俺はいつもと同じに」
助手 :「はいはい(苦笑)」
助手に鍵を渡された松崎は、事務所の隅にどっかりと荷物を置く。
その様子を、はたで見ていた野枝実は。
野枝実 :「田能村さん。いつもと同じって、何なんですか」
田能村 :「あ、あれね。松崎さん、現場じゃいつも、夜番をかねて
:事務所に泊まり込むんですよ。宿代が惜しいらしくてね」
野枝実 :「宿代?」
田能村 :「お金がない、というよりは、寝るところのためにお金を
:払う気がない、といったほうが正確ですが。
:今回みたいに泊まれないときは、知り合いの家とか、あと
:駅とか公園で寝ているそうですよ」
野枝実 :「はぁ……(汗)」
話している間にも、学生たちは次々に次々に荷物をまとめて帰ってゆく。
田能村 :「鬼崎さんも、そろそろご家族が心配なさる頃でしょう」
野枝実 :「家族……ね(苦笑)」
田能村 :「じゃ私は、明日のおやつの仕込みもありますから、この
:へんで失礼します」
床に座り込んで荷物を解きかけた松崎が、田能村の方を見上げる。
松崎 :「何だお前、帰るのか。泊まってけよ」
田能村 :「生憎と私には、最低限の文化的な生活と、あとお菓子を
:作る台所が必要でしてね。お疲れさまぁ(だっしゅ)」
野枝実 :「あ、お疲れさま(ちょっとびっくり)」
松崎 :「おい、ちょっと待て田能……畜生、逃げやがった。
:鬼崎さん……だっけ? あんたも早く帰らないと、弟さんが
:心配するぜ」
野枝実 :「弟?」
松崎 :「今朝すれ違ったとき、男の子を連れてるのを見たが」
野枝実 :「(ああ、中原医院に行くときか)ええ、まあ……じゃ、
:お先に失礼します」
松崎 :「ん。お疲れさん」
その晩、野枝実の部屋で。
野枝実 :「……友久」
友久 :「何だ?」
野枝実 :「あたしと晃一は、そんなに似てる?」
友久 :「だしぬけに、何を言うかと思えば。何かあったのか?」
野枝実 :「姉弟と間違われた」
友久 :「……(笑)」
野枝実 :「何がおかしい?」
友久 :「知らない人間が見たら、確かにそう思うかもな」
晃一は、すぐ側で布団にくるまって眠っている。
怒るに怒れなくなって、野枝実は苦笑した。
同じ頃、現場事務所のプレハブで。
机に頬杖をついた松崎は、手酌で酒をあおっている。
松崎 :「(どうも、妙な感じだと思ったら……
:入院してる間は、こんな風に人気がなくなることなんざ、
:一度もなかったんだよなぁ……)」
久し振りの、天下御免で飲める酒のはずなのに、少しも旨くない。
松崎 :「この間行った店……渋い声のピアノ弾きがいたっけな。
:もういちど、顔出してみるか」
声に出してそう言うと、松崎はパイプ椅子から立ち上がった。
深夜の発掘現場。いつものベストの肩に一張羅のジャケットをひっかけた松
崎が、現場を囲む塀の鍵を開ける。頭に載った黒い帽子が、いかつい顔に影を
落とす。星明かりの下に、現場事務所のプレハブが仄白く浮かび上がる。
壁面に長い影を落として佇んでいた男が、松崎に向かって片手を挙げた。
田能村 :「待ちましたよ、松崎先輩。こんなに待たされると判って
:たなら、合い鍵を作っておくんでした」
松崎 :「済まんな、田能村。ちょっと飲みにいくつもりで、つい
:長居しちまった」
田能村 :「その帽子。この間、病院を脱走したときの店ですね?」
松崎 :「ああ。こないだのピアノ弾きの代わりに、役者くずれの
:兄ちゃんがいたよ……いま、事務所を開ける」
田能村 :「あまり近くに寄らないでください。匂いだけで酔っ払い
:そうだ」
事務所の中は、しんと冷え切っている。合板の長机を間に、二人は向かい合っ
て腰をかける。先に口を開いたのは、松崎のほうだった。
松崎 :「……で。例のブツは、もう出てるのか?」
田能村 :「わからない、というのが正直なところですね。
:それらしい破片なら何点も出ていますが、一体そのうちの
:どれが目的の品なのか、それともまだ出ていないのか。
:私たちに『力』を感知することが出来ない以上、それこそ
:全部接合してみて、余りを探すしかありませんね」
松崎 :「でなきゃ、(壁際に積まれた出土品の箱を指して)あれ
:全部、こっちでがっちり押さえとくか、だな。
:全くへーちゃんも、もうちょっと人選どうにかしろよな」
田能村 :「今更言っても仕方ないでしょう。食べますか」
松崎 :「ん」
田能村の広げたランチボックスから、サンドイッチをつまみながら。
松崎 :「敵さん……裏影社、って言ったっけ? のほうは、それが
:わかる人間をちゃんと送ってきてるんだろうなぁ。
:いっそのこと、連中に見つけさせてから横取りするか?」
田能村 :「それもいいですね(笑) ……ところで」
ジャムサンドをひとくちかじって、田能村は顔を引き締める。
田能村 :「あちら様が潜入させているのは、一体この発掘隊の中の
:どなたなんでしょう。
: その後、何か調べはつきましたか?」
松崎 :「ん。お前が送ってくれた参加者名簿を使って、東京の方
:と連絡取りながら調べてみたんだが……ちょっと待った」
ポットの茶をぐい、と飲み干して、床の荷物の方へ歩いてゆく。荷物の中を
探し、ベストのポケットも全部探って、最後にズボンのポケットから出てきた
紙片を、松崎は田能村の方へ突き出した。
松崎 :「今年から来た奴を中心に調べて、いまんとこ怪しそうな
:のはそれだけだ」
渡されたリストの中に、鬼崎野枝実、という名前を見つけて、田能村は微か
に眉を顰める。
松崎 :「ん? どうかしたか」
田能村 :「いえ。これだけですか」
松崎 :「いまんとこはな。全員ビンゴってこたぁないだろうが、
:一応その連中から目を離さないでいてくれ」
田能村 :「あなたもですよ」
松崎 :「判ってる。なぁ、田能村」
田能村 :「はい?」
松崎 :「ひとを疑うってなぁ、たとえ仕事でも嫌なもんだなぁ」
田能村 :「そうですか? 私は別に(にこ)」
松崎 :「……そういう奴だよ、お前は(苦笑)」
ことん、と、グラスが置かれる。
紗耶 :「それで、定時連絡は入った?」
清姫 :「いつもの通りにございました」
紗耶 :「そっか」
グラスに満たした透明な液体を、一口含んで紗耶は座り込んだ。
紗耶 :「まだ少しかかるかね」
清姫 :「それは何とも」
微かに笑うと、紗耶はグラスをゆっくりと空けた。その間を見計らって、清
姫が声を掛ける。
清姫 :「申し訳ございませぬが……」
紗耶 :「野枝実のこと? ……仕方ないんじゃない?」
清姫 :「排除は、なさいませぬか」
紗耶 :「しないよ。まだ関わるって宣言してないし」
清姫 :「厄介では?」
紗耶 :「多少の厄介は、あるもんでしょ」
手酌でグラスを満たしながら、くすくす、と紗耶が笑う。
紗耶 :「野枝実ちゃんの気性なら、詭弁だとか言って怒りそうだけど」
清姫 :「先に捕らえてしまえば」
紗耶 :「止めてよ、そういう無茶言うの」
銀縁眼鏡越しに、じろり、と、腹心の傀儡を睨んで。
紗耶 :「あんな猫娘、入れとく檻と、餌、ついでに水張ったバケ
:ツくらい用意しないと安心して捕まえられないわよ」
清姫 :「水を張ったバケツ、でございますか?」
紗耶 :「用事が済んだら、ぼちゃんと漬ける奴ね」
さらり、と言い放って、また少し紗耶は笑った。
清姫 :「石剣、と、伝えましたが」
紗耶 :「一応その筈。……ただねえ、破片見てそうと解ってくれると
:有り難いんだけど」
清姫 :「順殿の柄は」
紗耶 :「いざとなれば直実に持たして確かめるしかないね」
視線の先で、清姫は静かに手を動かしている。
紗耶 :「これはまだ、序の口。野枝実の餌を捕まえる為の、その為の
:道具……全部は今のところ要らないわ。破片一つで充分」
清姫 :「一つで足りましょうか」
紗耶 :「余分な力は持たないこと。ばーさまの口癖だったからね」
にっと笑うと、今度は勢いよくグラスを空けて。
紗耶 :「では、待ちましょうか」
気の所為にするには、余りに度々だった。
助手 :「鬼崎さん、どこにする?」
野枝実 :「はい?」
助手 :「あみだくじ」
野枝実 :「ああ、あの本の……私はいいです」
感情。
確かに負の……しかし、悪意にまではなりきれない感情。
休み時間、紙コップのお茶を飲みながら、野枝実は目を閉じた。
学生1 :「あ、こいつまた当たった」
助手 :「ほんとだ……雑賀くん、この本君行きだね」
自分に向けられる好意よりも悪意のほうに敏感であるのは、ごく自然な自衛本能
であるように思う。好意は放置していても当座問題はないが、悪意のほうは放置
すればするだけ危険である。
……とすれば、今現在自分が気付いている、というだけで、この感情は悪意を
かなりにして含んでいてもおかしくはない。
……が。
叶野の視線ではない。
本人に会ったのは只一度。しかし、その視線は不思議なほど悪意を含まなかった。
では、誰なのか。
鬼李 :「ありうるとすれば、裏影社の叶野以外の人物、じゃないか?」
野枝実 :「……発掘現場に?」
鬼李 :「それとも野枝実、そうやってじろじろ見られるほど恨みを買った
:相手が他にいるわけか?」
野枝実 :「知ったことか」
鬼李 :「影を使うのがばれた、とか?」
野枝実 :「まさか」
言下に否定して、野枝実は溜息をついた。
野枝実 :「……気をつけないといけない、ってことか」
鬼李 :「そういうことだろうね……まあ、悪意ではないってのが唯一救いかも
:しれないが」
野枝実 :「まあそうだけど……」
鬼李 :「疑われているだけかもしれない」
野枝実 :「なら問題無い」
鬼李 :「……問題だと思うぞ」
野枝実 :「問題無いさ。それが根拠があるならこちらはばれないようにすればいい。
:もし根拠が無いなら……それこそ知ったことか」
言ってのけた野枝実の顔を見やって、鬼李は一つ溜息を付いた。
未明。
霞山近くの、住宅街を少し外れた雑木林の中に、白い急拵えの塀が立て巡らさ
れている。
月夜のはずの空は低い雲にどんよりと覆われて、街灯の切れかけた電球が、塀
のところどころをぼんやりと照らしている。
車一台通らない林道の、ひび割れたアスファルトに靴音を立てて、ひとりの男
が塀に沿って歩いている。
黒っぽいスーツに身を包んだ、細身の若者。
塀の一端に掲げられた、アクリルの一枚板の看板に、彼はふと目を留める。
『県道52号線拡張工事に伴う遺跡調査現場』
働いている酒場で、ここの話を聞いた。
もしこの遺跡が思っている通りの場所であるなら、彼の捜しているものもここにある。
いや、ここに現れるはず。
鷹央 :「順……」
看板のすぐ横には、安っぽいアルミのドアがついている。
口の中で呟いた名前を、頭の中で復唱して、彼、我那覇鷹央は、ドアノブに手
をかける。
鍵がかかっていると思ったノブは、意外にあっさりと回った。
鷹央 :「不用心、だな」
塀の裏側に人の気配はない。
頭上に用心しながら、蝶番を軋ませてドアを押す。
やけに重い。そう感じて、ノブから手を離したときには、ドアの向こうに立て
かけてあった何かが、けたたましい音を立てて倒れたあとだった。
鷹央 :「(不用心過ぎたか)」
剥き出しの土の上に、車輪の取れた一輪車が転がっている。
ひとつしかない入り口に、そんなものを器用に立てかけて帰る人間はいない。
中にいる何者かの、警報のつもりか。それにしては、余りにも単純すぎる。
心の中で舌打ちしながら、塀の足元の暗がりに身を沈めて様子を見る。
広い現場の向こうに見える、プレハブの現場事務所から、人の出てくる様子は
ない。
腹を決めて、事務所に向けて一歩踏み出す。
その途端、脛に絡みついた何かの感触に、反射的に飛び退いたさきの地面が、
頼りなくふかりと沈む。
片足が辛うじて本物の地表にかかったおかげで、巧妙に隠された落とし穴には
はまらずに済んだが、足に引っかけたピアノ線の先で、何かがさらに大きな音
を立てた。
松崎 :「こんばんは。ドロボーさんかい」
事務所の方から、低い声がする。
膝の土を払って立ち上がり、声のするほうに目を向ける。
プレハブの上がり口の、コンクリートの低いステップの上に、うっそりとした
人影が蹲っていた。
鷹央 :「(最初から外にいて、様子を窺ってたのか。道理で中か
:ら出てこないはずだよ)」
街灯の明かりは、相手のいるところまでは届かない。
鷹央は動かない影に向かって、思い切って声をかけてみた。
鷹央 :「偶然ここに迷い込んだ、善良な市民を殺す気かい?」
松崎 :「善良な市民なら、最初の音で逃げ帰ってる筈なんだが。
:一体何を捜してる?」
鷹央 :「欲しいのはモノじゃない。人を捜しに来た」
松崎 :「その人ってなぁ俺のことかい」
頬骨の高い、三十がらみの男の顔が、ライターの小さな火に浮かび上がる。
文化庁の松崎渾。最近店に来はじめた客だった。
鷹央 :「やっぱりあんたか。(笑)あんたなら、別に捜さずとも
:会える」
松崎 :「お前さんの声には聞き覚えがねぇが?(咳き込む)
:いけねえや。去年の禁煙がうまくいきすぎたみたいだ」
松崎はひとくち喫っただけの煙草を揉み消す。
赤い光点が消えて、周囲が闇に戻る。
松崎 :「夜ここにいるのは俺だけだよ。人を捜すなら昼間に来れ
:ばいい」
鷹央 :「覚えてたらそうするさ。そっちへ行っていいか?」
松崎 :「施錠を忘れて一般人を迷い込ませたのは、俺の責任だ。
:五体満足で帰りたきゃ、そこから先へは来ねぇ方がいい」
ステップの影がゆらりと動いて、松崎が建物の中に消える。
蛍光灯の寒々しい灯りが、無人の事務所と、それに面して立つ鷹央を照らす。
鷹央と事務所の間で、時折きらりと光るのは、無数に張り巡らされた細い筋。
鷹央 :「一般人、ね(笑)……敵じゃないのは確かそうだが」
開け放たれたドアに寄りかかって、無言で鷹央を見る松崎。
鷹央は喉の奥で笑って、さっき倒した一輪車に手をかける。
松崎 :「ブービートラップは見えるぶんだけじゃない。
:線を全部切ったところで、危険が増えるだけだぜ」
鷹央 :「だろうな。(苦笑)ま、無理に行く理由もないか」
松崎 :「それが利口だよ。酒は好きか?」
鷹央 :「嫌いじゃないな」
松崎 :「そうか」
松崎の腕が動いて、何か小さなものを鷹央に向かって投げる。
ピアノ線をかいくぐって飛んできたそれを、鷹央は片手で受け止める。
鷹央 :「火炎瓶でも手榴弾でもなさそうだな」
松崎 :「火をつけようと思えば、つけられんこともないがな。
:好きなだけ飲ったらこっちへ投げ返してくれや」
手にやわらかく馴染むほどに磨り滅った、金属製のポケットボトル。
生ぬるいその中身をひとくち飲んで、息をつく。
鷹央 :「毒は入ってないよな」
松崎 :「飲んでから聞くなよ。(笑)入ってるとしても俺の唾液
:くらいだ」
鷹央 :「あんたの? そりゃ大変だ(笑)」
口の中に、微かに金属臭い後味が残る。
逆光になった松崎の顔は見えなかったが、どんな顔をしているかは大体想像が
ついた。
鷹央 :「随分な歓迎ぶりだな。どんなお宝を抱えてるんだ?」
松崎 :「少なくとも、俺個人にとっては価値はねぇな」
鷹央 :「じゃあ何のために?」
松崎 :「こいつで給料貰ってんだよ。ところで」
鷹央 :「何だ?」
松崎 :「お前さん、俺を知ってると言ったな。俺のほうには覚え
:がねえんだが、どういうことだ」
鷹央は答えずに笑って、すっと後ろを向く。
次に振り返ったときには、長い黒髪の、少し疲れた顔の女が、そこにいた。
鷹央 :「お久し振り。脱走患者の公務員さん」
少し掠れた、低い女声。
松崎 :「ほう……こいつぁまた、化けたもんだね」
鷹央 :「あまり驚かないのね」
松崎 :「びっくりしすぎて驚くこともできん(笑)」
鷹央はくすり、と笑って、声だけ元の若い男に戻す。
鷹央 :「ほとんど毎晩顔を合わせてるんだ。いい加減覚えろよ」
松崎 :「てめぇの好きで化けておいて、無茶な注文してくれるぜ
:……悪いが、そろそろこっちにも回してくれねぇか」
鷹央 :「火をつけていいか?」
松崎 :「勿体ない」
鷹央が瓶の口を閉めて、少し軽くなったそれを松崎の方に投げる。
ボトルは二人の中間辺りで、見えないピアノ線の一本に引っかかって落ちる。
影になった地面の何処かで、何かがどさりと崩れる音がした。
鷹央 :「あ、済まない。取りに行くか?」
松崎 :「俺がお前さんだったら、諦めるね。さてと……
:朝までにこの辺一帯、学生どもがどかどか踏んでも生きて
:られる状態に戻しとかなきゃなぁ。
:お前さんもそこに突っ立ってないで、そろそろ店に戻った
:ほうがいいんじゃねぇか?」
鷹央 :「そうだな。安眠妨害して済まなかった」
松崎 :「飲みたくなったらこっちから出向くよ」
ステップの上に佇む影に向かって手を振ってみせて、鷹央は現場を後にする。
アスファルトを踏む彼の背後で、潜り戸の鍵を内側からかける音がした。
いせきってなぁに?
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おやつの時間もとうにすぎて、そろそろ夕暮れ時。
中原医院、中庭。鬼李、新と共に遊んでいる晃一。そろそろ
野枝実が迎えが来てもいい時間帯である。
しかし、そこへきたのは……
新 :「友久おにーちゃんだ(手を振る)」
晃一 :『あ、お兄ちゃん』
友久 :「よお」
歩いてきた友久にまとわりつく子供達。
中原 :「おや、今日はお父さんがお迎えですか」
友久 :「……おい」
晃一 :『お兄ちゃん、野枝実お姉ちゃんは?』
友久 :「ああ、バイトで遅くなるらしいな」
新 :「ばいと?」
中原 :「鬼崎さん、何のアルバイトなさってるんですか?」
友久 :「遺跡発掘とかいってたな」
鬼李 :「肉体労働だな、実際は」
中原 :「これまた変わったアルバイトですね」
晃一 :『お兄ちゃん……いせきはっくつって何?』
友久 :「ああ、遺跡ってのは、ずっと昔の人が建てた建物の跡や
:道具のことで、発掘は、何かを掘り出すこと。つまり、
:遺跡を発掘するのは、土の中に埋まってる建物や道具を掘りだす
:事を言うんだ」
晃一 :『へぇ……』
新 :「そうなんだぁ」
晃一 :『ねぇ、いせきはっくつって土を掘るお仕事なの?』
新 :「面白そうっ」
中原 :「色んなものが出てくるんですよ」
鬼李 :「昔のお金とか、食器とかな」
新 :「色んなものかぁ……」
晃一 :『見てみたいっ』
友久 :「見てみたいって、言われてもな」
中原 :「見学にでも連れて行けないんですか? 面白そうじゃないですか」
友久 :「こればっかりは、聞いてみないことにはわからんしな」
晃一 :『お兄ちゃん、僕もいせきはっくつしたい』
新 :「僕もっ!」
友久 :「……わかった、野枝実に聞いてみる」
晃一 :『わーい』
新 :「やったぁ」
はしゃぐ子供達。半ば諦め顔の友久。
中原 :「いやあ、子供って可愛いですねぇ」
友久 :「……けっ」
そして、野枝実宅にて……
晃一を寝かしつけた後の会話。
野枝実 :「発掘の見学?」
友久 :「いや……実は今日」
かくかくしかじか……夕方の話をする。
野枝実 :「なるほどね、見学か」
友久 :「こればっかりは、現場の人に聞かないとわからんだろ」
野枝実 :「確かに」
友久 :「別に無理せんでも、確認だけでいいんだが」
野枝実 :「ん、わかった。とりあえず聞くだけ聞いとく」
友久 :「ああ」
夜中の一時半が、連絡の時間と決まっている。
雑賀 :「もしもし、雑賀ですが」
女 :「『今日のお料理』六月号」
雑賀 :「……ええと、38p」
暗号代わりのやり取り。相手の開いたページを電話のこちらで当てること。
女 :「確認致しました……それで」
雑賀 :「今日のところも、まだ、出てきてないようです」
女 :「発掘の進み具合は」
雑賀 :「まあまあ、です。……ただ、どうも、相手も疑い出して
:はいるようで」
女 :「判りました」
硬質の、耳障りの良い、しかしそれだけの声。叶野、と名乗る女性の側近の
声。
雑賀 :「どうします?」
女 :「そのままに。雑賀さんは何もなさってはおられぬでしょう。
:疑っても何も出てはきませぬ」
あっさりとした返事がある。
女 :「もし何か分かりましたら、即、ご連絡頂きたい、とのことですので」
雑賀 :「わかりました。じゃ、また連絡します」
女 :「では」
電話を切って、一つ溜息を付く。確かに自分は、積極的には何一つやっては
いない。何一つやる必要もない、と初めから言われている。
『経歴に傷つけたら申し訳ないですしね』
そう言ってにこにこ笑った依頼主の顔も、良く憶えている。
『永遠が、欲しいんですか?』
『いえ、ただ、興味があるだけです』
幾つもの選択肢の中から、正しいものを選ぶ。便利な、そして時に酷く重荷
となる能力。もう一度溜息を付いて、彼は、目の前のカレンダーを見やった。
雑賀 :「……!」
その表情が変わる。カレンダーを手にとり、じっと見てその中の一枚を選ぶ。
そしてそのページをじっと睨み、最後にとん、と、ある日付を突ついた。同じ
動作を二度繰り返し、もう一度受話器を手に取る。
雑賀 :「もしもし、雑賀です。追加連絡、ですが」
女 :「先程のページ数は」
雑賀 :「38p」
女 :「確認致しました。それで?」
雑賀 :「発掘予定の日が、判りました」
意表を突かれたらしく、女が少し沈黙する。
雑賀 :「三日後。その日に遺物は発掘されます」
女 :「如何様にして、その日を見つけられました?」
雑賀 :「日付を、選びました」
女 :「成程。叶野に伝えおきます……有難うございます」
ぷつり、と電話が切れる。彼は一つ息を吐いた。
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