松崎渾(まつざき・こん) :冒険野郎な考古学者
薔氷冴(みずたで・ひさえ) :バー FROZEN ROSES の経営者。呪符使い。
我那覇鷹央(がなは・ようおう) :老若男女どんな人間にも化けられる役者。
FROZEN ROSES、初秋の物憂げな夜。
白い肩にダークワインのレースのショールを羽織った氷冴は、カウンターに
頬杖をついて、今日はまだ来ない客を待っている。細身の体に黒い古風な仕立
てのスーツを纏った鷹央は、錆びのある低音で古いジャズを歌っている。
ドアが微かな軋みを立てて、男がひとり、入ってくる。くたびれたシャツに
ベスト、そして手には黒革の帽子。氷冴にも、鷹央にも、見覚えのない、馴染
みのない種類の男だった。
松崎 :「……ふうん。こんなところが、あったとはね」
男は店内をひととおり見回して、カウンターの端につく。真っ黒に日焼けし
た顔に、前髪が深く影を落とす。
氷冴 :「はじめまして。何にするの?」
松崎 :「ハーパー。ストレートで」
出されたグラスを、男は一息に飲み干して、深い溜息をつく。
氷冴 :「久し振りの一杯、といったところね」
松崎 :「まあね。いまいる宿じゃ、酒の一杯も出しちゃくれん」
氷冴 :「尼寺にでも、転がりこんだの?」
曲を長い間奏に移して、鷹央がくすり、と笑う。
松崎 :「まぁ似たようなもんだな。
: 聞き分けのない古女房ひとりと、あとは手の出せない美
:女が山ほどいる」
氷冴 :「それで……堪えきれなくなって、逃げ出したわけ?
: でもよく、ここを見つけ出したわね」
松崎 :「酒の、匂いがした」
二杯目は、慈しむように味わいながら。カウンターに置かれた帽子に目をやっ
て、鷹央が口を開く。柔らかくハスキーな、女の声。
鷹央 :「レイダース・マーチでも聞こえてきそうないでたちね、
:おじさん」
松崎 :「まだ20代だ。悪かったな」
鷹央 :「それは失礼……そういえば、子供の目をしてるね。こん
:な街中で、どんなお宝を捜してるの? 探検家さん」
松崎 :「駅のベンチで寝る探検家ってのは少ないだろうよ」
鷹央 :「じゃあ、何してるの?」
松崎 :「公務員」
氷冴と鷹央が、同時に吹き出す。
氷冴 :「似合わないわね。本当に税金で養われてるの?」
松崎 :「そう笑うなよ。(苦笑) 嘘はついてない。しかしあれが
:税金だとしたら、残りは何処に消え」
動詞の途中で、唐突に言葉が途切れる。男の額がカウンターに落ちる、鈍い
音がした。
氷冴 :「どうかしたの? 強そうに見えたけど」
鷹央 :「聞いても無駄だと思うよ、多分」
鷹央が演奏をやめて、カウンターに歩み寄る。
鷹央 :「(男の額に触れて) 酔いつぶれたわけじゃないね。額が
:汗びっしょりだよ。多分……」
突っ伏した男の、だらりと垂れた左手をとって、袖を捲る。手首の針の痕か
ら滲み出した血が、濃い色のシャツに大きなしみをつくっている。
鷹央 :「ほら、やっぱり。病人か、でなきゃ怪我人だよ。点滴を
:引っこ抜いて、病院から脱走してきたんだ」
氷冴 :「確かに、白衣の天使じゃお酒は出してくれないわよね
:(くす) ……で、どうする? このお役人さん」
鷹央 :「お代だけ頂いて、放り出しちゃえば?
: あとは外にいる相棒さんが回収してくれるだろうから……
:そうだよね? ドアの外のあなた」
ドアのすぐ外の人の気配が動く。
チャコールグレイのスーツを着た若い男が、軋むドアを開けると、店内に強
い風が吹き込んできた。
田能村 :「なんだ、判っておいででしたか。では改めて……」
氷冴の手が、僅かに動く。白い指先から弾き出されたものは、しかしその男
の掌の直前で、見えない何かに受け止められて、音もなく床に落ちた。
無造作に掲げた掌で、周りの大気とは屈折率の違う、無色の塊が弾けるのを、
鷹央は確かに目にしていた。
田能村 :「氷の薔薇ですか。面白い歓迎ですね」
靴の爪先で、凍った花弁をぱりぱりと踏み砕くと、革の表面にうっすらと霜
がつく。ほどなく、足元に起こった小さなつむじ風が、砕け散った花弁を巻き
込んで、店の片隅に追いやった。
鷹央 :「薔薇を見もしないで踏むの? 無粋な人」
田能村 :「折角のご歓迎ですが、凍傷にかかっては元も子もありま
:せんから」
氷冴 :「よけられなければ、手向けの花になっていたかもね。い
:らっしゃい、風遣いのお兄さん」
田能村 :「これはどうも。(名刺を出して) 文化庁の田能村です。
:この度は、松崎先輩がご迷惑をおかけしました」
鷹央 :「これはご丁寧に。でもどうして、一緒に飲まないの?
:『古女房』さん」
田能村 :「生憎と、全くの下戸でしてね」
細い目をますます細くして、屈託なく笑う。
氷冴 :「それは残念ね。新しい常連さんになるかと思ったのに」
田能村 :「(松崎を見下ろして) 少なくとも一人は、懲りずにまた
:来るでしょうね。療養中でなければ、こんなに早く潰れる
:ような人じゃない」
氷冴 :「でしょうね。目が覚めたら、よろしく言っておいて」
鷹央が、松崎の手首の針痕に絆創膏を貼ったのを見届けると、田能村は深々
と頭を下げて、ぐったりとなった体を肩に担ぎ上げた。
田能村 :「どうも済みません、お嬢さん」
鷹央 :「どういたしまして。一人で大丈夫?」
田能村 :「この人の無理無茶無謀は昔からです。慣れてますよ」
身の丈に余る巨体を背中に負ったまま、器用に財布を出して、カウンターに
札を置く。
田能村 :「これで、足りますか」
氷冴 :「まだ二杯しか飲んでなかったもの」
田能村 :「それじゃ、残りは迷惑料ということで……と、言いたい
:ところですが、そう余裕があるわけではありませんので。
:領収書、書いて頂けますか」
氷冴 :「(くす) 面白い冗談ね」
田能村 :「半分は本気だったんですが。(釣り札を受け取って) で
:は、失礼します」
二人が消えたドアの外を、一陣の突風が吹き抜ける。
ドアを鳴らす風がおさまったあと、鷹央が外を覗くと、田能村の姿はもう何
処にも見えなかった。
静まり返った店内を、鷹央がピアノの方へ戻りかけたとき。
鷹央 :「……あ。帽子」
カウンターの上に、半分中身の残ったグラスが置かれたままになっている。
その傍らに、黒い革の帽子。
鷹央 :「どうする? 追いかける?」
氷冴 :「いまから風を追いかけられると思って? どうせまた、
:取りに来るわ」
鷹央 :「……そうだな」
低い男声で含み笑いして、鷹央はその帽子を自分の頭に載せる。やがてピア
ノの調べに乗って、錆びた歌声が流れはじめた。
時間的にはエピソード『遺跡発掘』の前ということになるようです。どこか
に入院シーンもあったような記憶が……。
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