エピソード『曼珠沙華』


目次



エピソード『曼珠沙華』


登場人物

 鬼崎野枝実(きざき・のえみ)	:影使い、現在の晃一の保護者代り
 本宮友久(もとみや・ともひさ)	:空間操作能力者、野枝実の家に居候
 鬼李(きり)			:野枝実の相棒の影猫
 宮部晃一(みやべ・こういち)	:強化超能力少年。


夕刻の道端で

 某日、中原医院からの帰り道。

 晃一		:『だんだん涼しくなるね』
 野枝実	:「もう、秋口だから」
 晃一		:『ふうん』

 晃一は空を見上げる。だんだん深さをます青の色。視線を下ろして、晃一は
首を傾げた。

 晃一		:『お姉ちゃん、あの赤いの、何?』
 野枝実	:「え?」

 指差した先に、赤い色が揺れている。

 野枝実	:「……もうそんな季節だっけ」
 鬼李		:「彼岸花か」
 野枝実	:「うん」
 晃一		:『ひがんばな?』

 自転車を押して、畦道に入り込む。緑の中に落としたような朱赤の花。

 野枝実	:「よく見つけたね」
 晃一		:『ひがんばな、っていうの?』
 野枝実	:「曼珠沙華、ともいうね」

 どちらにしろ、耳慣れない言葉である。細い茎の上に、先の太い絵筆で叩き
つけたような花。自転車を止めて、野枝実はその花に見入った。

 晃一		:『お姉ちゃん、この花好きなの?』
 野枝実	:「これと桜だけは、わざわざ探しに行きたいくらい好きだ
		:な」
 晃一		:『……ふうん?』

 自転車の後ろから、よいしょ、と降りる。鬼李が足元にまつわりついた。

 野枝実	:「毒花、なんだって」
 晃一		:『毒?』
 野枝実	:「根っこにね」

 毒花。その呼び名を肯うように傲然として咲く花。そのくせどこかにふと、
脆く崩れるような弱さをもつ花。

 野枝実	:「……帰ろ」
 晃一		:『花、とらないの?』
 野枝実	:「あたしのじゃないもの」

 答えながら野枝実は、晃一をもう一度後ろに座らせた。


花を探す子ら

 翌日。

 新		:「彼岸花? あの赤い花?」
 晃一		:『新君、知ってるんだ』
 新		:「うん」
 晃一		:『この近くにある?』

 身を乗り出して訊く晃一に、新は少し首を傾げてから答えた。

 新		:「確か……この近くの田んぼの側で見たと思ったんだけど」
 晃一		:『連れていってくれる?』
 新		:「うん。こっちだよ」

 膝の上で丸くなっていた鬼李をそっとおろして、立ち上がる。猫がにゃあ、
と鳴く。

 晃一		:『すぐ帰るから、中原先生が来たらそう言って』

 中庭を抜け、医院の裏側の戸口を抜けて、細い道を幾つか抜けて。新がずん
ずん歩いてゆく後から、晃一がついてゆく。

 新		:「あ、あれだよ。言ってたの」
 晃一		:『あの花、だ』

 緑の雑草の中で、たん、と響くような赤の色が鮮やかだ。

 晃一		:『これ、貰っていいのかなあ』
 新		:「……どうだろ?」

 女		:「その花、欲しいの?」

 声を掛けられて、二人はびく、と振り返った。

 女		:「あ、ごめんね。じっと見てるから欲しいのかな、と思っ
		:て」

 銀縁の眼鏡、長い髪。眼鏡越しに女はにこにこ笑って二人を見ている。

 新		:「え、と、欲しいです」
 女		:「じゃ、取ってあげる。少し待ってね」

 言うと、手元の鞄の中からはさみを取り出し、長い茎の根元のほうからぷつ
り、と切った。

 女		:「はい、どうぞ」
 晃一		:『ありがとうございます』

 心の声と一緒に、口を動かす。

 女		:「どういたしまして」

 ぺこ、とお辞儀をしてから駆けて帰ってゆく二人を、しばらく女は見ていた。

 清姫		:「……どうなさいます?」
 紗耶		:「どうもこうも……何もしないよ」
 清姫		:「宜しいので?」
 紗耶		:「元々今日は、顔を見たくて来ただけだし。それに」

 くす、と女……紗耶は笑った。

 紗耶		:「ばーさまが一番好きだった花、欲しい、なんて言われた
		:ら気がそがれてしまった」

 くすくす、と笑い声に紛れて紗耶は呟いた。

 紗耶		:「で……あれやっぱり、野枝実ちゃんにあげるのかな」



野枝実宅にて

 そんなこんなで。目の前に、彼岸花が二本。

 野枝実	:「……何だか、な(苦笑)」

 花を貰ってこんなに嬉しいことがあるとは思わなかった。そう言うと、晃一
がにこにこ笑った。

 晃一		:『そんなら、ぼくも嬉しい』

 何となく、苦笑するしかない。

 野枝実	:「……いつもどんな顔してるんだろうな、あたしは」
 鬼李		:「仏頂面(断言)」
 野枝実	:「……言うな」

 とにかく、機嫌が良いまま晃一は寝入った。その枕元に鬼李が丸くなってい
る。テーブルに置いた二輪の花を、野枝実は飽かず眺めている。
 と、玄関のほうで何かが揺らぐ感覚があった。鬼李が頭を上げる。

 鬼李		:「おかえり」
 友久		:「ああ……?」

 妙に真剣な顔で花をじっと見ている野枝実を見て、友久は首を傾げた。

 友久		:「……何見てる?」
 野枝実	:「花」

 真面目な割に、漫才に近い返事である。

 友久		:「花ってのは判るが」
 野枝実	:「曼珠沙華」
 友久		:「そこまで真剣に見る花か、それが?」
 野枝実	:「束の間惜しき」
 友久		:「なに?」
 野枝実	:「すぐ枯れる」

 傍で聞いていた鬼李が笑い出した。

 鬼李		:「駄目だよ。今野枝実に何訊いてもろくな返事は戻らない」
 友久		:「……そんな感じだな」

 瓶に挿した二輪の花は、頭が大きい所為か、どこかしら不安定に見える。

 友久		:「どうしたんだ、あの花?」
 鬼李		:「今日、晃一が野枝実に取ってきてくれてね」
 友久		:「だからか」
 野枝実	:「それだけじゃない」

 どこかぼんやりとした声が割り込む。

 野枝実	:「……七つの時に、影の中で迷った。まだ鬼李もいなかっ
		:たし、失った道を見つける術もよく知らなかった頃」

 半ば独り言のような、それでも聞いていることを期待するような。

 野枝実	:「目を見開いても何も見えなかった。もう半泣きでうろう
		:ろしてたら……何かが足のところでさわさわ揺れた」

 そこでやっと野枝実は視線を上げた。

 野枝実	:「多分それが、この花」
 友久		:「多分?」
 野枝実	:「あの時目をつぶれば見えたと思う。……ただ、見る度胸
		:が無かった」

 す、と鬼李がテーブルに近づいた。

 野枝実	:「多分見ていたら、あのまま花野で今も迷っているだろう
		:ね」

 毒花。彼岸に咲く花。彼岸から手招きする花。充分に鮮やかでありながら、
なお、さみしい花。見ても見飽きぬ花。
 あのまま、花野で迷っていればよかったのではないかと、この花を見る度に
思う。そんな度胸はないと、よく分かってはおりながらも。それでも、ふいと
そんな思いに迷う。

 野枝実	:「……おやすみ」

 そう呟くなり野枝実は、ことん、とテーブルに頭を乗せた。


解説

 彼岸花にからめて、野枝実の心象を描いた話……なんだと思います。小道具
としても魅力的ですよね、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)って。



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