エピソード『傀儡の挨拶』


目次



エピソード『傀儡の挨拶』

登場人物
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 宮部晃一(みやべ・こういち)	:超能力を使える強化少年。
 鬼李(きり)			:野枝実の相棒の影猫
 鬼崎野枝実(きざき・のえみ)	:影使い、現在の晃一の保護者代り
 叶野紗耶(かのう・さや)	:野枝実らを狙う裏影社の長。傀儡使い。
 森江新(もりえ・あらた)	:操水術を使える子。晃一の友達。
 中原護(なかはら・まもる)	:中原医院の院長。


あいさつ

 中原医院。中庭。

 晃一		:『……新君、今日はまだ来ないね』
 鬼李		:「学校、かな?」

 木陰に座り込んだまま、晃一はぼんやりと辺りを見ている。

 鬼李		:「……何を見ている?」
 晃一		:『影が動いてる』

 微かな風に、頭上の枝が動いている。それに合わせて影も動く。

 晃一		:『鬼李は、何をしてるの?』
 鬼李		:「ぼーっとしてるよ」
 晃一		:『退屈、しない?』
 鬼李		:「暇を持て余すほどに貧乏性じゃないのでね」

 野枝実ならば『莫迦者』の一言でかたを付けたかもしれないが、晃一はどう
もよく意味が分からなかったらしく、小首を傾げただけで終わった。
 さらさら、と、木の葉が鳴る。木漏れ日が目に弾ける。
 細い光が宙を舞った。光の軌跡を、晃一の目が追う。

 晃一		:『……?』

 追った先に、忽然と女が立っていた。真っ直ぐな長い髪が風にたなびいてい
る。白い顔は、極上の人形のように整っている。
 ふわり、と風に沿うように持ち上げられた指の先から、きらきらと光る細い
ものがこぼれ出しているように、晃一には見えた。
 鬼李がむくり、と頭をもたげた。

 晃一		:『……誰?』
 女		:「初めてお会い致します」

 人形のように整った顔は、やはり人形のように無表情である。

 女		:「我が主人より、御挨拶を、と。宮部晃一様、鬼李様」

 鬼李が目を細めた。

 鬼李		:「……お前……」
 女		:「代理にございますので失礼かとは存じ上げましたが、
		:未だ、関わるべき時にあらず、とのことで」

 ぷつり、と女の声が途絶えた。
 鬼李の体が溶けた。そのまま影と化し、女の体へと乗り移り、喉の辺りで黒
くわだかまる。

 鬼李		:「人の匂いがしないな」
 女		:「さもありましょう」
 鬼李		:「……叶野の傀儡か」
 女		:「然り、と」

 言った途端、女の頬の辺りで光るものが弾けた。三次元化した鬼李の爪が、
女の頬をえぐるように動き……そしてそのまま地上へと落下した。
 女の表情は変わらない。

 女		:「爪を、傷めてはおられませぬか」
 鬼李		:「御気遣いありがたく」

 女はふわりと身を翻す。そこに頭上の木陰が実体化して降り注いだ。

 女		:「ご心配、なさいますな。未だ主人もここに来てはおりま
		:せぬ。御挨拶のみ、と」
 鬼李		:「それはどうだか」
 女		:「……心外に、ございますな」

 傀儡の筈の女の表情が、この時ばかりは大きく揺らいだ。

 女		:「三年前のこと、主人は未だ気にしております。次に御会
		:いする時は、必ず本人が告げてから、と、決めおいており
		:ます。そのことだけはどうぞ、信じていただきたく」

 深深と頭を下げる女に、鬼李は鋭い目を向けた。

 鬼李		:「では、これもあんたの主人の悪趣味か」
 女		:「楽しみでございましょう」

 さら、というと、女は頭を上げた。視線が晃一の面をなでる。そしてそのま
ま女は、宙へと浮き上がり……消えた。鬼李は一つ息を付いた。

 晃一		:『……今の、何?』

 返事は、すぐには無かった。

 鬼李		:「……悪かったね。脅かしたか?」
 晃一		:『驚いたけど、でも、今の女の人、誰?』
 鬼李		:「それは私も知らない」

 それきり、鬼李は口をつぐんだ。

 中原		:「知らないんですか、残念ですね」
 鬼李		:(聞かれた?!)
 中原		:「うちに忍び込むなんて、度胸のある人のようですけれど。
		:ああ、喋れることはもうわかりましたから、黙ることはな
		:いでしょう?」
 鬼李		:「……世話になっているのに申し訳ないが、貴方には関係
		:無い」
 中原		:「私はね」

 ふわり、と護は晃一の髪をなでた。

 中原		:「不幸は、見るのも聞くのも嫌いなんです」
 鬼李		:「……」
 中原		:「あとで、詳しいお話を聞きます」

 その顔から、笑顔は一瞬たりとも消えなかった。


心の置き場

 鬼李		:「野枝実」
 野枝実	:「え?」
 鬼李		:「叶野が、出てくるぞ」

 もともと学生一人暮らし用のアパートで、玄関はかなり狭い。晃一が靴を脱
いで上がるまで待っていた野枝実はびくり、と、肩を引きつらせた。

 野枝実	:「叶野、が?」
 鬼李		:「傀儡が挨拶に来た……晃一と、私に」
 野枝実	:「……っ!」

 やにわに野枝実は身を翻し、扉の外に出た。

 野枝実	:「晃一のことも」
 鬼李		:「知っていたよ。多分……そのことを示す為に来たのだろう」

 野枝実は思いきり唇を噛み締めた。そのまま足から影の中に滑り込む。一足
遅れて、鬼李がその後を追った。

 鬼李		:「……野枝実」

 出たところは、どうやらデパートか何かの非常階段のところらしかった。

 野枝実	:「……畜生っ!」

 だん、と拳を壁に撃ちつける。ざらざらとした壁が、手に掻き傷を作った。

 鬼李		:「野枝実」
 野枝実	:「何で一体……!」

 声が途切れる。そのまま幾度も、拳を壁に撃ちつける。

 鬼李		:「野枝実!」
 野枝実	:「だけどっ!」
 鬼李		:「あんたが手を怪我して、何の役に立つんだ」
 野枝実	:「無能だということなら、一瞬忘れられる!」
 鬼李		:「忘れたって事実だろう」

 遠慮のない言葉に、野枝実は手を止めた。崩れるように座り込む。

 野枝実	:「……まだ、何も出来ないのに」

 長い髪が顔を隠している。

 野枝実	:「晃一を、巻き込みたくはないのに……!」
 鬼李		:「野枝実!」

 叩きつける音と、叱責の声が混じった。

 鬼李		:「野枝実、そんなに晃一を巻き込みたくないならば、今す
		:ぐにでもかたは付くんだぞ」
 野枝実	:「どうやって」
 鬼李		:「ここで首でも括ればいい。向こうはあんたの力が目当て
		:なだけだ。肝心のあんたが居なくなれば、それまでのこと
		:だ」

 虚を衝かれたように、野枝実が沈黙した。

 鬼李		:「面倒は、あんたが生きることを選ぶから起こるだけのこ
		:とだ」
 野枝実	:「晃一は、どうする?」
 鬼李		:「今なら友久がいる」

 勢いよく、野枝実が頭をもたげた。

 野枝実	:「はじめからその積りで……っ!」
 鬼李		:「無能を認めたのはそちらだろう!」

 ぐっと野枝実が言葉を詰まらせる。

 鬼李		:「晃一を守りたいと言い、守れないと言う。ならば助けで
		:も何でも借りるしかない……どうする」

 もう一度、野枝実は拳を振り上げた。叩きつける動きを、今度は鬼李も止め
ようとはしなかった。

 野枝実	:「……戻る」

 静かにそう言うと、影の中に消える。鬼李は一つ頭を振るとそれに続いた。



解説

 



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