霙の街


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霙の街


停戦協定

        1995年10月25日
        日本国(京都政府) 京都市山科区

  あいも変わらず、山科の道は混んでいた。俺達の小型トラックは、さっきか
ら20メートルほどしか進んでいなかった。真正面に見えているやや傾き始め
ている太陽が眩しい。
「ねぇ、まだ着かないの?」
  うんざりしきった声で、彼女が尋ねた。いいかげんタルくもなろう。
「まだだね」
  補修工事中につき片側交互通行の道。その脇には青いビニールシートに覆わ
れた家並。工事車両も活発に活動している。
「もうしばらくかかるな。この渋滞じゃね」
「停戦って、秋の行楽シーズンと同義だったなんて知らなかったわ」
  彼女の皮肉。それは、混んで動かない道への皮肉か、運転手の俺への皮肉か。
「紅葉のシーズンだしね」
  無難にそう答えておく。車が流れ出した。ブレーキペダルを軽く離してやる
だけ。わざわざアクセルを踏み込むほどのスピードではない。交差点にようや
くたどり着いたと思った瞬間に、信号が変わる。前の車が、やや強引な信号の
解釈をして前方へと抜けていく。停止線ぴったりで停めて、先頭車両になる。
「いい天気よね」
「全く本当に」
  彼女が、また唐突に口を開く。確かにいい天気だ。底を抜いたような、青。
「こんないい天気の日ってさ」
「ん?」
「その辺で、林檎でも一つ買ってさ、ガブリってかじりつきたくならない?」
「いいかもしんない」
  問題なんて何処にもない。世はなべて事は無し。煙の上らない天空を見上げ
る限り、何も変わっていないと信じられる。あの空の向こうに……いや、こん
な考え方は不健康か。逃避だよな。
「買ってくるか?  ちょっと停めて待ってりゃいいんだから。どうせ進めやし
ないし。その辺に売ってるだろ」
「高いわよ林檎なんて。特にこの辺じゃ」
「あ、そっか。そうだよな」
  普段、野菜や果物を生で買うことなんて、まずほとんどないから考えたこと
もなかったていなかったが、言われてみれば確かにそりゃそうだ。長野にしろ、
青森にしろ、もう京都政府の管轄下にはないんだから。
「なら、いっか」
  信号が変わる。交差点付近はコンクリートの簡易舗装のまま。名古屋……と
いうか米軍の空爆の爪痕だ。そのまま直進。さすがに、今度は少しは動ける。
  こんな調子じゃ山科盆地をぬけて左京区に入るまでどれだけかかるものやら
知れたもんじゃない。
  三カ月以上も続いた名古屋との戦争も一昨日からやっとこさ停戦にこぎつけ
たし、このままうまく行けば世の中少しはましになるんじゃないかという希望
が多少は湧いてくる。そして予備警察隊の運送隊の給料は歩合制で、しかも安
い。だから俺達は、とりあえず本部の方には一方的に休暇を宣言しておいて俺
と北山のぼろアパートで簡単な鍋でもしようかという事になっているのだ。
「ねぇさ、あんたと北山ってさ、ふだん何やってんの?」
  彼女の唐突な質問。
「荷運び。何運んでるかって言やぁ主に食いもんだけどな」
「そういう事じゃなくってさ、休みの時とかよ」
「え?  俺は古本屋回りとか、パソ使って遊んでたりすっけど。北山はなにし
てんのかなぁ、俺はしらん。ふらっとどっか出かけてっけど」
「一緒じゃないんだ?」
「そうそういつも一緒じゃないさ。仕事の時は毎日、顔突き合わせてっから」
「ま、それもそうね」
  半分落ちて、青いシートに包まれたJRの高架の下に入ったところでまた停
まる。東海道線も単線になったと言うわけだ。ま、御池から山科までの地下鉄
が開通したばっかだったと言うのは不幸中の幸いで、そっちで代替輸送してい
るはずだ。
「で、そういうそちらは今何してんの?」
「車の助手席に座ってるじゃない」
「いや、そういうボケが聞きたいんじゃないんだけどね」
「ほら、うちの近くのレンタルビデオ屋さんがね、空襲で潰れたのよ。でね、
御一家ぜんめつ」
「そりゃまた」
  ま、最近じゃ珍しい事でも何でもない。特に、彼女の今住んでる長浜の辺り
なら本当の最前線から三〇キロも離れていないんだから。それっくらいでいち
いち悲痛な顔はしてらんないんだろう。
「でさ、そこからビデオたっくさん貰ってきちゃったのよ。だから映画見放題。
最近もう映画ばっかりみてるわ」
「へぇ……」
  って、そういう事を聞いたつもりはなかったんだが。
  ブレーキを緩める。クリープで京津線の廃線路をゴトゴトと乗り越える。
「でさ、仕事の方は?」
「何とかうまく行ってるわよ。最近は子供達もなついてきてね」
「子供達?  そんな事してるんだ」
「あれ?  言ってなかったっけ?」
「聞いてない」
「あ、そっか、そっか。そういえばなんか全部話してるような気になってたわ。
今ね、あたしね、子供あずかり業やってんのよ」
「要するに保育園なわけね?」
「そうとも言うかもしれないわね。ちょっと違うけど。どっちかっていうと食
事付きの私営託児所っていったほうが正解ね。保護者いない子は預かんないで
大阪の方に送っちゃうし、あんまり保育ってしてないし」
「ふーん。言ってくれりゃいいのに。それじゃ、食いもん足りねぇんじゃねぇ
か?  俺達あの辺ちょくちょく行くし、っていうかそれが仕事だし。積み荷は
食品だし。多少減っても全然わかんねぇし。場所教えといてくれりゃ今度持っ
てってもいいぜ。安くしとくし」
「あ、それ助かるかも。あの辺ってさ、食べ物高いのよね。後で教えるわ」
「ほいほい」
  片側交互通行の場所を抜けると車が少しずつ流れ出す。
  アクセルの踏み込みを少しずつ強めていける。
「でもさ、この戦争がこれでちゃんと終わってくれたら食べ物ももう少し手に
入りやすくなるとは思うのよね」
「そういや、このまま戦争終わったら、俺達また失業だぜ。なんせ、臨時雇い
みたいなもんだし」
「あ、そっか。そしたらどうする?」
「また、二人で運び屋さんでもやってりゃ食ってけるけどね。ま、今ほどはう
まみがないってことだわな」
「ふーん」
「ま、少なくとも」
  そう言いかけた俺の言葉は唐突な爆発音に遮られた。そんなに遠くない。前
の車との車間に気をつけながらゆっくりとブレーキを踏んでいく。
「ラジオつけるわね」
「それより、そっちのスイッチ、ラジオの上の奴押して」
  彼女の指が少し迷った末に、俺の言ったスイッチを押す。
『なんだ、北山』
  スピーカーから雑音混じりの声が流れ出る。
「北山じゃない。悪いが俺だ。送信者が違うからって割り増し料金ってのはな
しだぜ。今、山科。今から九条山越えるとこだ。今付近で爆発があった。なに
か知らないか?」
  車の列はついに停止する。しばらくは動かないだろう。ギアをパーキングに
入れて、ハンドブレーキを引く。
『あぁ、そりゃ、名古屋の連中だろ。残念だが停戦は終わっちまった。どっち
が先かはしんねぇけど大垣じゃ、またドンパチ始まってるらしい。てんやわん
やさ』
「国連の連中が来るとか言うのは?」
『全然だめ。先遣隊とやらが高知に着くのが一週間後って話しだから、見込み
無しってやつだな、こりゃ』
「てぇことは」
『商売繁盛ってわけだろ。ま、こうなるんじゃねぇかと思ったんだ』
「ダンケ。この調子じゃ来月も契約更改せにゃならんようだな」
『まいどあり。ほんじゃ切るぞ。じゃな』
「おう」
  スイッチを切る。
「今のは?」
「情報屋。無線機もそこのレンタルだし。結構長い付き合いだぜ」
「へぇ〜、そういう商売なんだ。で、さ、やっぱり戦争は続いちゃうみたいね」
「んだな」
「でさ、今日はどうするの?  中止?」
「いいさ、別に予定通りで。とりあえず、鍋にしようや」
  俺は投げやりな気分を隠そうともせずに答えた。転職の用意は無駄になった
ってわけだった。

                                                              (続く)


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