霙の街:第8話


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霙の街:第8話


爆破炎上

        1996年1月6日
        日本国(京都政府) 岡山県玉野市−倉敷市

  海岸沿いの道は濡れてすらいなかった。よく乾いた舗装の良い道路。
  冬だというのに。
  風は冷たかったが、身を切ると言うほどのこともない。雪もなく、氷もない。
空には太陽。北陸の冬ではまず拝めることのないすっきりと光を放つ太陽。ア
スファルトのうねりに沿って車体のシャーシがきしむ音。荷台の中は満載の醤
油。隣には大きないびきをかいている北山の巨躯。左手に見えるのは瀬戸内海。
そしてクリスマス直前の攻撃で真ん中から破壊された瀬戸大橋。
  せっかくの正月ぐらいはとにかくお互い平和にやりましょうと言う感じで結
ばれた二回目の停戦協定も、大方の予想通り決定的なものにはならなかった。
十日間に及ぶ停戦。こんな絶好の機会を利用しようともしなかった国連は、ま
ともにこの内戦を止める気はないらしいという風にみられても無理はあるまい。
まぁ、今回の停戦は岡山のような後方にまで敵機を侵入させてしまったという
ことに、京都政府の政軍首脳がショックを受けたせいではないかと言う話なん
かも漏れ聞こえてきていて、今回ばかりは停戦破りはなかったみたいだった。
まぁ、こんな「お互い、正月ぐらい休みましょうや」なんていう不覚悟な停戦
がまっとうに和平に結びつくはずもなく、停戦協定の十日間が終わった一昨日
から、というより三が日が終わった途端に岐阜では激しい戦闘が行われている
らしい。
  そんな話はともかくとして、停戦関連の情報を買ったときに情報屋がおまけ
にしてくれた話によると、瀬戸大橋は本当は敵の攻撃目標なんかではなく、敵
の戦闘機に体当たりをかました味方の迎撃機が一緒になって墜落、何の悪意あ
る偶然か、見事ど真ん中におっこちたせいで大穴が開いてしまったということ
である。全く、現実性が無さすぎて絶対小説なんぞには書けないような類の莫
迦莫迦しい話だ。
  まぁ、橋の部分を吊りさげているワイヤが切れなかったのは不幸中の幸いで、
あと1ヶ月も補修すれば使えるようにはなると言う話であるのだが。とはいえ
これだけの大建造物ともなると、補修工事といえども大工事には違いなく、そ
うすると工事には人が要り、人が集まれば必ず飯が要り……よーするに俺達は
その工事の人たちの飯の材料の一部を運搬しているというわけである。
  道はいい。適度にすいているし、細くもない。おまけに、攻撃による破損と
か修復工事による片側交互通行もない。瀬戸大橋の被害と同じ攻撃でこれまた
結構な被害を受けた水島コンビナート方面の復旧活動のせいで倉敷市街の方は
混んでいるはずという観測から俺は岡山市から直で南下するルートを選んだの
だが、それが成功したらしい。
  緩やかな右へのカーブ。道なりにハンドルを切る。2時間近く運転しっぱな
しで、俺は無性にアップルティーが飲みたくなった。
「おぉい、北山ぁ、ポットのアップルティー、残ってるかぁ?」
  顔を動かさないまま、北山に声をかける。標識。倉敷市に入った。目的地ま
ではもう30分もかからないだろう。目的地に着いても俺達の仕事はまだ終わ
らない。運び出すところまでが俺達の仕事だ。どうせいい加減に、起きて目を
覚ましておいてもらわにゃならんのだ。
「ん?  交代か?  今どこだ?」
  寝ぼけた声。
「後30分ほどで到着。で、ポットのアップルティーは?」
「ん?  あぁ、あれか。残ってっかな……おう。ちょうどコップ一杯分、これ
でラストだ」
  少し薄汚れたポットから紅みの強い液体を紙コップに注ぎ入れながら。林檎
の香り……甘さの中にほんの少し酸味が混じった香りがフロントグラスを曇ら
せる。
「ってことは、帰り道は缶ジュースだけか」
  左手だけハンドルから離して宙を掴むと、掌中に熱源が出現する。
「ダンケ」
  礼の言葉。紙コップを口元に運ぶ。舌を火傷しないように気をつけながらす
する。甘い香りと口の中に広がるほのかな苦み。
「いいじゃねぇか。そういう所、おめー、結構贅沢だよな」
  こいつこそ、酒にはうるせえくせに。
「あ、すまんがこの辺からナビ頼む。俺、この辺来た事ねぇから」
「OK」
  一応国道の表示に沿って行きゃ自動的に目的地に到着する事にはなっている
ものの、初めての道ってのはやっぱり不安だ。こんな所の下道なんて使ったこ
とねぇからなぁ。いままで四国に渡ったときはフェリーか瀬戸大橋だし、下道
っていっても岡山県は通過点でしかなかったから、二号線を走り抜けるだけだ
ったし。
「地図どこだ?」
「ダッシュボードん中、ねぇか?」
  北山が書き込みの多いFAX地図をダッシュボードの中から引っ張り出し、
世界と照合し始める。
「もうしばらく行くと、集落。そん中、半ば過ぎた所で、信号。その先が通行
不能だから、信号の所で左折」
「了っ解」
  とはいえ。その集落まではまだもうほんの少しかかるのだろう。海岸線はさ
っきまでと変わりない。
「ほう」
  北山が、声を上げる。
「どーした?」
  自転車の老人を、ハンドルをやや多めに切って追い越す。アクセル。
「いや、でけぇ船、タンカーかな、工事の真下通過してっけど……」
  唐突に北山の台詞が途切れる。光が網膜を焼く。反射的にブレーキを踏んで
いる。後続車がいなくて幸いだった。続いて重低音。車体がきしむ程の。
「どした!?」
  少々よれった針路を立て直して、路肩に車体を寄せ直す。停車。
「タンカーが、爆発したみたいだ……橋が、燃えてる」
  北山の言葉は半分不要だった。俺の目にも、そうとしか見えなかった。黒煙
と、その中に見えるオレンジの炎。
「墜ち……る」
  北山が呆然としたように呟く。墜落したお兄さま、ってか?  
  ワイヤーが切れたらしい。中央部が、落下を開始する。橋脚がゆっくりとね
じ曲がる。高さが減じているのが、ここからでもはっきりと判る。
「復旧、すんのか?  あれ」
  何とはなしに口にしている。
  落ちたのは、ど真ん中。タンカーは橋の真下で停止したまま。まだ燃え続け
ている。二、三日は消えないだろう。
「無理なんちゃうか?」
  妙に冷静に、北山が答える。
  それもそうだよな。
「ま、何はともあれ、俺達の仕事がなくなった訳じゃなし」
  なくなるどころか、瀬戸大橋の後始末工事がどう考えてもあるはずだから、
ここに来る仕事はますます増える。
  それに。
「フェリー業界の株、買っといて良かったぜ」
  ……北山。お前って奴は……
  気を取り直して、ハンドブレーキを降ろす。
「とりあえず、事故だからな、運ぶものは幾らでもありそうだ。出すぞ」
  ギアをドライブにいれて、アクセルを踏み込む。
「名目上は俺達も予備警察隊隊員なんだしな。救援義務があるとか言われるの
は確実だかんな。あ、北山、本部と情報屋の方に連絡一本入れとこう。貸しが
作れる」
  海岸線沿い、前方に集落発見。道はゆっくりと右へのカーブを描きながら集
落の中に。
「なあ」
  北山が口を開く。
「一年前だよな、あれって」
  あれが、東京崩壊を指していることは明白だった。
「いい天気だよな、あの時と違って」
  確かに、いい天気だった。

                                                              (続く)

					Invisible Tree(=不観樹 露生)



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