霙の街:第9話


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霙の街:第9話


帰郷半旗

  1996年6月24日
  日本国(京都政府)富山県   
  北陸連邦共和国富山ブロック  富山市 富山駅ビル2階待合室
  富山共和国          

「兄貴、久しぶりだよな」
 弟は、そう言いながら俺に缶コーヒーを差し出した。
 弟の受けるはずだった大学は消滅していた。だから今もこんな土地に縛り付
けられている。それは、たかが3年の歳の差が引き起こした物。
「あぁ、一年半……ぶりか」
 まだ握り締めつづけるには熱すぎる缶を受け取って、缶の上部を指で摘み、
プルタブを開ける。
「………しかし、よく抜けてこれたよな」
「何がだ」
 それだけで判っているはずの弟は、訊ね返す。
「大変なんだろ、倶利伽羅の方」
 倶利伽羅峠では、北陸連邦軍……金沢駐留予備警察隊反乱部隊と富山共和国
軍……富山独立自衛隊がこのやたらと降り続いている雨の中、泥まみれで激戦
を展開しているはずなのだから。少なくとも、公式報道ではそういうことにな
っている。もっと信頼の置ける、北山の情報網の方でも。
 富山共和国国民からなる富山独立自衛隊。……そして、弟の年齢ならほぼ全
員徴兵されているはず。そして、こういった事に、例外はありそうにない。
「まぁな」
 弟は複雑な笑みを見せる。俺と弟の間には三年があるだけだった。
 ずいぶんとまぁ遠い三年。そして一年半。
 しばらくの沈黙。俺はコーヒーの缶の縁に唇をつける。熱い液体が口の中に
広がり、甘みが舌の裏に鈍くまとわりつく。安っぽい香り。不味い。
 弟が、ジャンパーの内ポケットから煙草を一本取り出す。火をつけるのを黙
ってみている。コーヒーの残りを一気に胃の中へと直接注ぎ込む。珈琲の名に
は値しない液体。
「缶」
 見なかった一年半のうちに煙草を覚えていた弟に、俺は空き缶を手渡す。弟
は一回ゆっくりと煙を吸い込んで、吐き出す。空き缶の縁に灰を落とす。動作
が完全に手慣れた物になっている。
「なんで、帰ってこなかった」
 弟の声には、責める響きはなかった。それは事実の確認。
「仕事があったからな」
 眼を見ずに答える。
 今回こうして故郷で弟と会っているのも、仕事で立ち寄ったから。それは事
実。そうでなければ、実家あてに立ち寄ると電報を送ることもなかっただろう。
この時刻、この場所に駅にいるという事を告げることも。
 広く、透明なガラス越しに、梅雨の雫はしたたり落ち続ける。
 そして、少しの嘘。仕事があるというだけではない。実家には、帰りたくな
かったのだから。そういう仕事を選択したのだから。
「大学を辞めてまでか?」
 ……それを言われると。ツライ。
 少なくとも、2年間は大学をサボり倒していたのだから。
「ブンガクじゃ、喰っていけない」
 いや、そんなことはない。しかし……俺にそっちの才能はない。つまるとこ
ろ、国家資源の無駄遣い。良心の呵責。
 わずかにそっぽを向いて、つけ加える。
「だが……親父さまには悪かったと思っている。伝えといてくれ」
 これは本当だ。東京崩壊前、あの在学当時、一月3万円ちょっとの仕送りは、
病弱な親父にとって充分以上の負担になっていたはずだ。弟に親不孝扱いされ
てもしかたない。いや、弟には俺を責める権利がある。
「まて……もしかして。まだ、連絡は行っていなかったのか?」
 弟が怪訝な視線を送る。
「連絡? なんのだ?」
 何も、取り立てて連絡といえるようなものは受けていない。
 弟は、そのまま暗い顔を作って言いづらそうに告げる。
「そうか……まだ知らなかったのか。親父の診療所な……。爆弾の直撃……。
喰らっちまったんだ」
 弟の言葉に、思考がついていかない。
「……なんだって?」
 まさか。
「加賀の連中の、誤爆らしいくてな。つい、一昨日のことだ」
 言葉がつながっていく。事実が頭の中へとゆっくりと染み込んでいく。
「じゃあ、親父たちは……」
 他人の声のような確認の言葉。
「葬式は、もう終わった。親父も、お袋も」
 ちょっと待て!
「そんな連絡は受けていない!」
 叫んでいる。
 そんな連絡は受けていなかった。まだ、思考が拒絶していた。
 一昨日……俺はまだ、その前日に独立を宣言した富山共和国とやらへの援助
物資をたっぷりと詰め込んで、伏木港に向かう輸送船の上にいた。なにも感じ
ず、何も見ていなかった。その間に……
「だから俺にも一時休暇が当たったんだ」
 そうなのかもしれない。虫の知らせなんてものはない。きっと、これも報い
なのだろう。何かの。
「…………なるほど」
 そう応えるのが、やっとだった。
「俺は、加賀の連中を、自分が許せるとは思ってない」
 あぁ、こんな眼なら。何度も見てきた。あの日から、何度も。
「明日には、倶利伽羅に戻る事になっている」
 激戦地。
 泥、泥、泥。時折飛ぶ銃弾。悪辣な仕掛け罠。そう、知っているはずだ。
「これ、渡しておく」
 長方形の紙切れを渡す。一応所属していることになっている、予備警察隊の
部隊番号と、その連絡先。
「お前の葬式出す時に、連絡がないのは困るからな」
 そしてやっぱり。
 雨は降り続いていた。

                                 つづく


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