小説01『時連流』


目次



小説01『時連流』

  そろもん・ぐらんでぃ
  ワタシハ・ヒカレル・アナタニ

 例えば夢の中に繰り返す過去。

「コップ、おちるの」
「え?」

 かしゃん、と、記憶の中にちりばめられた破片は、様々な色に染まっている。

「……ねえ、風音ちゃん、何のこと?」
「あのね、せんむさんがさせんされるの。パパのうしろのおじちゃん」
「……風音、ちゃん?」
「でもあのおじちゃん、だれ?」

 信じてはもらえない未来。
 信じたいと願われない未来。

 あって欲しくは無い未来。

「……今日からここがふうちゃんの家だからね」

 祖母の、笑み。

「今度の火曜が、入学式かね」

 母も、父も来ない。そのことは静かに分かっていた。
 だから、なにも言わなかった。
 祖母の手の、ぬくみの記憶。

「どれ、これをふうちゃんにあげようね」

 風音、と祖母は呼ばなかった。風の音だからふうちゃん、と。
 しゃんしゃんと、祖母の手の中で鳴る小さな鈴の塊。

「悪い夢を、追っ払ってくれるんだよ」

 しゃんしゃんと、幾つもの位相に分かれている筈の音が、ふとひとつに重なっ
て。
 りいん、と。
 まあるい……天河水のような、薄い蒼の光。
 未来の破片が、壁の向こうで弾けて止まる。

 そして悪夢はもう一段深くなる。


  アナタヲコロサナケレバナラナイノデス
  デモ、ボクハコロシタクナイノデス

 悲鳴……

 自分の声に、驚いて目が醒めた。
 跳ね起きて、周りを見て……息を、吐く。と同時に首筋から冷たい風が入り
こむ。
 寝汗がひどい。
 起きあがって、寝巻きを替える。暗い中で、枕元の目覚し時計が冷たい蛍光
色を放っている。

 『悪い夢を、追っ払ってくれるんだよ』

 ふと思い出して、苦笑する。
 未来の破片を阻む壁でも、悪夢までは防げないらしい。
 胸元の五つの鈴が冷たい。

 眠りはけれども、容赦なくやってくる。
 悪夢ごと。


「おねえちゃん?」

 バスで半時間のところに住む家族。けれども小学校の間、一体幾度顔を合わ
せたことか。
 その、滅多に見ない姉の顔を見分け得たのも、多分昔、既に見ていたからだ
ろう。

「ねえ、風音」

 白い、ぴんと張り詰めるような声。

「この高校、私受かる?」

 本のページ。そして示す指。半袖の腕を伝って流れ来る未来。未来の破片。
 ……そして。
 どう、言えば良いかわからなくって。

「……」

 不意に。
 ぱあん、と頬が鳴った。

「……あんたなんかっ!」

 引き裂く、声。
 こぼれる、未来。

「あんたの未来なんかっ!」

 けれども見える。
 泣く、姉。夏休みの一番大事なときに、受験に落ちる、と確信したから落ち
たんだ、と。
 こちらを指差しながら地団太を踏む姉。
 祖母の腕の、ぬくもり。


  ナイテイルノデスカ(アナタヲコロサナケレバ)
  ナイテイタラ、カナシイデス(アナタヲコロサナケレバ)

  デモボクハコロシタクナイ……!


 遠い、モースル信号のように重なり合う声。
 その、どちらも本当の。
 手袋を嵌めた上から触れているような、どこか曖昧な感情は、けれどもひど
くやさしかった。

「ふうちゃん……私の死ぬところを見たかね」
 祖母の、苦笑。

「答えなくていいよ。答えられても、おばあちゃんも困るからねえ……」

 さし伸ばした腕は小さい筈なのに、何故自分はすっぽりとその中に収まって
しまうのだろう。
 何故、この小さな人の中に。

「ねえ、ふうちゃん。お父さんもお母さんも天音も、悪い人じゃないんだよ。
それだけは、わかっておくれね」

 繰り返し、繰り返し。
 そう、そのことは分かっていた。


  カナシインデスネ……ネスデンイシナカ
  ボロボロデス……スデロボロボ

 キコエマスカ……? 

「ちょっとあなた誰よっ!」

 声に重なってがらがらっと、勢い良く開く玄関。

「風音……風音?」
「……お……ねえ……ちゃん?」

 久方ぶりに出した声が、ひどく錆付いて聞こえた。

「あんた、大丈夫? 何か変な若い人が、外からこっち覗いてたけど」

 竜巻のような勢いで、白いビニールバックが振りまわされる。

「……え?」
「……ほら、呆けてる」

 まぶしいような、笑み。苦笑。

「おばあちゃんのお葬式からこっち、あんた倒れてるって母さん言うから。丁
度帰省したついでだから……ほら、御飯作ったげるからさ」

 たんたん、と、弾む、声。それに続けて、零れる未来。零れる、思い。
 そうそうたびたびは、これからも来てはくれない、と。
 その双方が告げる。

「あーのさ、風音」
「え?」
「はっきり言って、あんたの未来、私まだ怖いから聞きたくないけどさ」

 すう、と澄んだ視線。

「でも家族全員、あんたが死んだら……でも泣くよ。勝手かもしれないけど、
でも泣くよ」
「……」
「それだけは、憶えといて」

 連絡は、月に一度くらいしなさいね。そう言い置いて……ついでに電話のと
ころに、ぺたんと向こうの電話番号を書いて貼り付けて。
 悪い人達ならば、諦めもついたろう。

 ちりちりと前頭部に響くような音で目が醒めた。
 今度は、本当に朝だった。

 
 ちりちりと、響く音が、未来を乗せてやってくる。

  そろもん・ぐらんでぃ
  ワタシハ・ヒカレル・アナタニ

 やってくる未来は、何故か鮮血の色を思わせた。


 二度目の、1999年を迎えた後から、絶えずこぼれでる、その同じ未来。ひど
く……くっきりとした。

 単調に繰り返す未来の持ち主。そして、声。

  ワタシハ・ヒカレル・アナタニ

  ……誰が誰に? 

 そして、声。


  チカクナッテシマイマシタ(……ロサナケレバ)
  チカヅイテシマイマシタ(……タヲコロサナケレバ)

  ボクハコレイジョウチカヅキマセン
  ボクハアナタヲコロシタクアリマセン

「……うん、わかってます」

  きこえますか? 

     ……キコエマス
  ときのながれがおかしくなっているから

   ……ボクモソレハワカリマス
  であう、ね
    ……デアイタクアリマセン
  であう、よ
    ……ソレハワカリマス

  でもそのみらいがとおくなるようウヨルナクオトガイラミノソモデ


 しゃん、と、五連の鈴が揺れた。


解説

 いー・あーるさんによります、



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