小説『天気晴朗』


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小説『天気晴朗』

 悪夢を中断させたのは、やけに早い時間の電話だった。

「…………もしもし?」
 休日。大学生といえば暇だけは持て余しているようによく言われるが、
真面目に授業を取れば殆ど高校と同じくらい拘束されることになる。
 故に、休みの日、朝七時の電話というのは………たとえそれが悪夢を
ぶち切ってくれたものだとしても……なかなか厳しい。
 思わず不機嫌な声で応じた、その電話の向こうで、ころころと
笑い声が聞こえた。
『お兄ちゃん、ねぼすけー』
「……って、え、まゆ?!」
『そーだよ、まゆはもうご飯食べたのに』
「ってあれ?」
 カレンダーを確認する。そして……思い出す。
『あのね、先生がね、あさってまでおうちに帰っていいですって』
 思い出す。
 そう、言われたのだ。去年……も。
 そして二日後。
「まゆ!」
『お兄ちゃん?』
 慌てて叫んだ声に、妹は吃驚したようだった。
「いや……お母さんは?」
『いるよ……おかあさあん』

 十歳違いの妹は、今年のはじめから入退院を繰り返している。
 対応を誤らなければ、決して死に至る病ではありません、と、医師は
明言した。つまり、対応を誤れば、それはそれで……ということだ。
 一ヶ月前、妹は入院した。
 そしてまた、二日後には……

『あ、もしもし?』
「あ、母さん?まゆ、大丈夫?」
『大丈夫よ、今はね』
「今は、って……」
『あんたに電話したら、お薬飲んで、もう一度布団に戻るって約束……
  ……したわよね?』
 電話の向こうで、えー、と、小さな抗議の声が上がる。
「母さん、どうせまゆの奴、うちでは大人しくしてないんだから、
  気を付けないと」
『わかってますよ』
 それが本当なら、どんなにいいだろうか。

 一年前の、今日。 
 やはり妹は一時退院し、家に戻り、朝っぱらから電話をかけて来た。
 そして二日後、急激に体調を崩し、病院に逆戻りした。
 当分、退院は出来ないかも、と、母から電話があった。
 疲れた声だった。

『譲お兄ちゃん、それでね』
 気が付くと、妹がまた受話器を握っているらしい。
「……こーら、寝なさい」
『だけどお兄ちゃん』
「寝なさい」
『………はああい』
 あまりに声が暗かったので、思わず……言ってしまう。
「……明日また、かけて来たらいいだろ」
『! ……はあいっ』
 思いっきり元気な返事と一緒に、電話ががちゃんと切れる。
 思わず……苦笑した。

 去年、と、記憶にはある。
 去年、大晦日の一日前、妹は帰って来た。
 今度こそ大丈夫、来年からは学校にも行ける。
 家中で喜んだ…………その、年の明けた、日。
 起きてくると、妹は青白い顔のまま、布団の中で目を見開いていた。
 何で……と、言いかけて……ふと、奇妙なことに気が付いた。
 テレビも新聞も、1999年の元旦、と繰り返している。何の冗談かとしばらく
は思った。でも、両親も妹も、そして周囲の人々も、やはり1999年、と思って
いる。
 1999年は、昨年だった筈なのに。
 そのことを、皆が忘れた。
 ……………ただ、一人を除いて。

 悪夢を見たのは多分その人のせいだろう。
 考える度に、反射的に湧き上がる……感情。
 殺意。
 強固なそれを、ゆっくりと宥め、そして振り払う。
 憎しみは、ない。負の感情にあたるものは、一切、無い。
 そもそも、会った事もない。
 それでも殺意だけは、常に意識の端をかすめる。

 ワタシニモ、ニドメノ1999ネン……
 
 それでもその人だけが、自分と意識を共有している。
 
 ジュケン、ガンバッテネ

 くすり、と、笑う気配。
 ……あの時ばかりは、思わずうめいてしまった。

 二度目の受験も、まあ何とかかんとか合格して、今、東京にいる。
 あの人に、より近い場所を、ことさら選んだ積りはない。いや、
選ばないでいいなら選びたくなかった。
 殺意は、決して堪えられないほどのものでは、ない。でも、目前に
あの人の顔を見て、さて我慢できるか……と言えば、それもまた疑問で。
 ふと、思う。
 どんな悪夢を、見たのだろうか。
 ……思うだけにしておいた。

 電話を置いて、余程二度寝をしてやろうかと思ったけれども、
外を見ると、やたらと天気がよくて。
「……なんだかなー」

 本でも買いにいこうか、と、思いながら、僕はやかんを火にかけた。


あとがき


 風音の対、譲の話。狩人の中で唯一「災厄」を認識する人でもあります。


関連資料

 青天目譲
 白鷺洲風音


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