小説014『違和』


目次



小説014『違和』


登場人物

 青天目譲(なばため・ゆずる) :感情同期能力者。白鷺洲風音の対。狩人。
 白鷺洲風音(さぎしま・かざね):変更不能な未来を見る能力者。対である
               :青天目譲と、結界を張ることで繋がる。


承前

 違和。
 ほんの少しずれた音が、うなりを引き起こすように。

    キコエマスカ



順流


 確か、あれは大晦日の一日前だったと思う。久しぶりに帰ってきた妹にせが
まれて、折り紙を買いに行った、その途中。

    キコエマスカ

 網膜に、切り込まれるような言葉。
 キーホルダーにつけた五連の鈴が、微かに音を立てる。

    キコエマスカ

 反射的に湧き上がる殺意。その鋭い波に向かって逆位相の殺意をぶつける。
 その後に残った灰色の意識野の中に、やはり切り込まれるような鋭い青の文
字が浮かび上がる。

    キコエマスカ

    きこえます

 
 出来るだけ穏やかな緑の色の文字を描き、それをそっと押し出す。
 
    どうしたんですか?

 対、と、僕らは自分達のことを呼ぶ。会った事も、見たこともない相手、そ
して願わくばこれから先も会いたくはない相手のことを。
 どういうわけなのか、僕は彼女を殺さなければならない、と思う。憎しみで
もなく嫌悪でもなく、それ一つが突出した殺意。
 それもまた、違和。

 彼女は一瞬、躊躇ったようだった。白い、頼り無い丸い光がぽろんと生まれ、
転がり落ちる。
 一瞬後に、光は青い文字に切り裂かれた。

    ミライガ、ミエマセン

 ひどく、戸惑った。

 対の相手は、白鷺州風音さんという。
 彼女は、未来を見る。未来は望みもしないのに彼女の視野を侵食し、その中
で砕け、そのまま流れてゆくのだという。
 奇妙なことに、どちらかが結界を張る度に、僕らの意識野は繋がり、時に混
濁した。最初のうちはどちらも迷惑でしかなかったけれども、15年の試行錯
誤の間に、お互い対処法を編み出した。繋がった意識野を断ち切る方法、そし
て故意に繋ぐ方法。
 今回は、向うが故意に繋いできたようだった。
 
    未来が、見えない?
    ミエマセン
    見えないって、どういうふうにですか?
    ミエマセン
    でも、どういうふうに
    サキガ、ミエナクナリマシタ

「……っ」

 意識野に刻まれる文字が、ぎり、と軋んだ。



過飽和


 折り紙を妹に渡してからは、しばらく新年を迎える支度に巻き込まれてばた
ばたした。結果として、告げられた言葉をもう一度考える暇が出来たのは、そ
の日の晩、部屋に引っ込んでからだった。
 キーホルダーの五連の鈴を、一度、振る。
 りいん、と、五つの鈴が同じ波動で鳴る。
 音は途中で青銀の色に切り替わり、綺麗な球形の壁になる。

 結界。
 結局それが何なのか、僕にはまだよく分かっていない。ただ、その中に入っ
ている限り、僕は世界から「消えてしまう」のだ、ということだけは分かって
いる。そして、世界の雑音からも逃れられるのだ、と。
 祖母は、それは僕を弱くするものだ、と言った。その事を知り、その上で、
どうしても逃れたい時は使うがいい、と。
 
    聞こえますか
    キコエマス
    未来が見えないって、どういうことですか?
    ミライガ……ミエナイノデス

 戸惑い。もどかしさ。ひどい焦り。
 濃い灰色とやはり濃い茶色のぎざぎざ模様が、文字の背景に浮き上っている。

    見えないって……
    ナガレテクルミライガ、トギレテイル
    途切れている?
    プッツリト

 未来の破片を見続ける、という感覚は、正直僕の手には余る。
 けれども、相手の不安だけは、ひりひりとするほど伝わってくる。

    プッツリト、トギレテイマス。マルデ……
    まるで?
    キョウノサキニ、アスガナイミタイニ

 ぷつん、と、接触がそこで途切れた。
 突然スイッチを切られたテレビの前の子供がやるように、僕は何度か瞬きを
した。

    今日の先に、明日がないみたいに……?


大晦日


 妹は、ソファの上に陣取っている。起きていたい、みんなと一緒にいたい、
と駄々をこねる妹と、休まないと病院に逆戻りになる、と叱る母との妥協線。
「ゆーずーる。あんた久しぶりに帰ってきてるんだから、少しは」
「手伝ってるよ」
 母はばたばたと、おせちの最後の仕上げをしている。
「大根のかつらむきも出来ないでねえ、独りで何を作って食べてるんだか」
 ……その路線で行くと、友人の半分は餓死しているに違いない。
「譲、お前、お屠蘇用の杯どこにあるか母さんに聞いてこい」
「それならさっき出して……ああ、譲、ここに洗ってあるから、拭いてお父さ
んのとこ持ってって」
「はいはい」
 新しい年は、こちらの用意が出来てようが出来てまいがやってくる。でもや
っぱりきちんと出迎えたいねえ……と。
 以前、そう、祖母が笑っていた。やはりおせちの用意を母と一緒にしながら。

 こちらの用意が出来てようがいまいが、やってくるのが新年なのに。

    コナイ

「………っと」
「何やってんの」

 手から落としかけた杯をとっ捕まえて、僕は一度目をこすった。

    コナイ
    ライネンハ、コナイ
 
 託宣のような、鋭い文字。

    ライネンハ、コナイ
    アシタハ、コナイ
    
    ミライガトギレテイル

 緋文字。

「ああそれだそれだ」
「譲、ついでにそこのお盆持ってって……それじゃなくって、その下の」
 大晦日の喧騒と自分の間に、すう、と、皮膚一枚分の隔たりが出来てしまっ
たような浮遊感。

    ミライガトギレテイル

「…………お兄ちゃん?」
「……え?」
 気が付くと、妹が目を見張ってこちらを見ている。
「お兄ちゃん、変な顔してる」
 莫迦言うな、と、冗談に紛らそうとして……それが出来なかった。
「お兄ちゃん、大丈夫?」

    ミライガトギレテイル

 空白

「………ゃん、大丈夫?」

「……………え?」
 ふい、と、喧騒が戻る。
 妹が、手を伸ばす。
「お兄ちゃん……大丈夫?」

 妹は、対の相手のことを、少しだけ知っている。
 僕と同様の……けれども多少弱い能力を持つ妹は、唯一つ、周囲に好感情を
もたらすことに関しては並みではない力を持つ。
 自分の環境を安定化させる能力。
 祖母の判断によると、そういうことになるらしい。妹に向かう感情は、いつ
のまにか少しずつ好意的な方向へと向きを変える。そして、妹は、ごく自然に
相手に良い反応を示す。
 正の、フィードバック。
 一度、相手から、微かに笑うような波が返ってきたことがある。可愛い妹さ
んね、と、ごく静かに。
 どうして妹が、相手を探し出せたのか、やはりこれは僕にもわからない。

「大丈夫?」

 その、言葉の裏を読む。混じりけの無い心配と、何かに閃いている時のごく
淡い稲光。
「うん、大丈夫」
 それを、そっと打ち消す。光を淡い灰色の波でくるみ、思考の道をぼやけさ
せる。
「まゆ、お前は大丈夫か?」
「だいじょぶだよっ」
 反射的に口を尖らせて答える。
「今年はね、まゆはね、来年まで起きてるんだよっ」
「…………へえ」
「お兄ちゃん、信じてないでしょ」
 ぶすーっとこちらを睨む。その感情の何処にも、先程の光が残っていないこ
とを、改めて僕は確認した。


端境


 やはり妹は、10時前に眠ってしまった。父が起こさないように部屋に運び、
そのまま寝せる。
「譲、お前、年賀状は?」
 父という人はどこか非常にひねくれた人で、親しい人達に宛てた年賀状を、
新年が明けてから送る。「明けましておめでとう」という言葉を新年前に書く
のが本来変なんだ、というが、流石にそうとばかりは言っていられないらしく、
一応それでも年賀状は旧年中に書く。ただし送るのは新年になってから。
 というわけで、年が明けて挨拶をした後、一番最初に父が行くのが郵便局、
というのが我が家の年中行事の一つになっている。
「えーと、あ、今取ってくるから」
 後数分で、新年。いつもの、何かしらわくわくするような感覚に、けれども
今年はノイズが混じっているような気がした。
 部屋に入り、五連の鈴を鳴らす。丸く膨らみかけた結界を、その場で消す。
 全く同じ動作を、対の相手が行っているのを、どこかで知っている。
 呼び出し。
 悠長に、この世界から離れているわけにはいかないのだから。

    ミライガ
    見えませんか
    タチキラレテル
    切られて?
    斬ラレテ

 マグネシウムのフラッシュに似た、頭の芯に響く言葉。
 
    僕には判らない
    私ニハワカル
    
 ひりひりと、相手の焦りと、それ以上の恐怖が、意識野を黒く焦がしてゆく。
 
    どんなふうに…………………ニウフナンド
  みえているのですか……………カスデノルイテエミ


           シリタイ?

            はい

           オシエタイ

 どくん、どくん、と、鼓膜に響く鼓動の音。
 感情同期。ただしこんなことはやったことがない。
 相手の感情に、そのまま同期する。
 恐怖さえも、相手のそれに、原因を打ち変えられ、変質してゆく。


            共鳴


 疾走する無蓋の列車。ちらちらと時折走る光の為により深まってゆく漆黒の
闇の中をただ、疾走してゆく列車。断続的に続く振動と、自分を過去へと引き
止めようとする慣性力だけが、その疾走の激しさを示す。
 ごうごうと、うなる風。
 
 それは多分、未来視であるところの彼女が、時の流れを捉えている、ある一
つの見かたに過ぎないもの。
 しかし、言葉、以前の、未来視の感覚。
 吹きつける風に似ているのは……これは、未来。

 風が、ふと、弱まる。
 
 いや、弱まるのではない……風の流れる速さは変わっていないけれども、そ
の密度が小さくなっている。

 悲鳴。
 
 目をいっぱいに見開いても、その先に何も見えない。
 ただ、振動と、ごうごう鳴る音……ああこれは風の音ではない、流れる時の
音に相違ない。

 体の中に、穴が空くような恐怖。
 不安。喪失感。
 踏みしめていた床が……砕けてゆくのではない。これはもとからなかったも
の、と……知ってしまうこと。


 その先に。
  無。

トマラナイトマラナイトキガソコデトマラナイワタシタチハマトメテナゲダサ
レルドコヘドコヘコクウヘコクウヘナゲダサレルラッカスルエイエンニエイエ
ンニトキノナイナカヲトキノナイエイエンノナカヲソノゼツボウテキナナガサ
ノナカヲ…………………


 だん、と。
 跳ね飛ばされる衝撃。
 無の中に。
 永遠に落下する。
 時の無い永遠の中を、その絶望的な長さの中を。

 はっきりと、悟る。

 悲鳴。
 頭から突き抜けてゆくような悲鳴。
 存在全てをその悲鳴へと変えてしまったような……………

…………ァァァァアアアアアアアアアアアアアア!





 だん、と、叩き付けられる衝撃に、全てが切れた。



選択


「……る、譲、おい」
「はい」
「受験生も、ほら、挨拶くらいせんかい」
「あ、うん」
 机の上の灯りを慌てて消して、僕は二階の自分の部屋から出る。足音は忍ば
せて。
 妹は、眠ったろうか。
「……お、来たな……お母さん」
「はい」
 静かに、母が答える。
「じゃ……明けましておめでとうございます、今年も宜しく」
「宜しく」
「譲も、受験が上手く行くように。まゆも」
 そこで、ふと父が言葉を途切らせる。これから長引くだろう、妹の病を、僕
らは知っているのだから。
「早く、良くなるように」

    チガウ!

 鮮紅色の閃光。
 それは、目の前の父の顔を、一瞬現実から追放した。
 それほど、力に満ちていた。

    チガウ、チガウ!

「じゃ……勉強してこい」
「うん」

    チガウチガウチガウ!!

 ひりひりと、熱を発するような………違和。
 
 結界を張るまでもなく、彼女の声は届いた。

    チガウ!
    何が?
    シンネンジャナイ!
    え?
    オボエテナイノ?


 闇の中を、真一文字に響き渡ってゆく悲鳴。
 目眩。
 ばん、と、ぶつけられるように思い出す、ほんの数分前の出来事。
 感情同期。
 跳ね飛ばされて………落ちた、この未来。

    未来は、あったじゃないか
    ナイ
    ……でも
    コレハ、ミライジャナイ
    ……でも!
    イマハ、ナンネン?

 不意に、質問が変化する。僕は、卓上のカレンダーを見た。

    1999年
    ウソ!
    嘘って……
    キョネンガ、1999ネン!
    ………?!

 ひどく、目眩がした。
 勉強机の上の、見慣れた問題集。書き散らしたノート。

    どういう……
    マユチャンハ、ゲンキニナッテカエッテキタ
    

    『……ゃん、大丈夫?』


    ふっとよぎる、光景。
    妹の顔は……今よりも確かに大人びて、そして元気で。

    違和。

    アナタハ、ダイガクニウカッテ、トウキョウニキタ

    『どうしたんだよ、急に』

    見たことの無い…………いや見た筈の、顔。
    
    違和。

 変。
 違和。
 足元が頼りなく揺らぐような……剥離。


    ミライハ、ナカッタノ。
    ミライハ、ヤッパリナカッタノ。
    ハネトバサレテオチタノハ、カコノウエ。
    
「………どういう、こと、ですか?」

    時間ガ、るーぷヲエガイテイル
    イツマデモイツマデモ、コノママダトミライハコナイ

 違和。
 胃がぶれるような、ひどい違和。

 意識野の、はっきりとしない灰色の背景に一字一字打ち込まれてゆく言葉と、
目の前の現実との違和。

 違和。

「…………でも」

 感情の振幅が大きくなり、波長がだんだん短くなるのが自分で分かる。
 苛立ち……恐怖。
 それは非常に似ている。

    でも莫迦な、そんな莫迦な。
    今年は1999年。それは分かっている。
    今日の次に明日が来るように…………………

    ?!

 手に持った、折り紙。あれは妹に頼まれて。
 そんな莫迦なことはない。妹は昨日からずっと熱にうかされているか眠って
いるばかりで、折り紙なぞ頼まれた筈がない。
 でも、袋の中の折り紙の重みは覚えている。

    違和。

 波。
 泡立つような波が押し寄せ、意識野を引き裂いてゆく。


    キコエマスカ

 灰色の波。濃淡。

    キコエマスカ

 波はぐるぐると、渦を巻くように

    キイテ!


 テレビのスイッチを、ぷつん、と切ったように、全ての波が消え失せた。


    ナニガ
    オコッテイルノカ
    ワタシニモ、ワカリマセン
    デモ、トキハ
「うるさい」

 時が止まるといい、先が無いという。
 でも、それを真実としているのは、彼女のみ。
 彼女が…………


 ぷつん、と、細い糸が切れるような感触があった。
 ひどく、よわよわしい……儚い。

 声。


    アナタモシンジナイ………


 既に、諦めた、絶望した。
 故に、儚い…………


 自分の見る未来を人は信じることが出来ないのだ、と、彼女は何時だったか
告げたことがある。信じられない未来を、知ってしまうのが自分だと。

    アナタニモ
                シンジテハモラエナイ………
    ゲンザイモ

 彼女の中の何かが、折れてしまったような、そんなよわよわしい言葉。


 同情、という感情。
 信じたって、どうってことはない、と。
 人一人、崩れるよりはましかも、と。

 その程度の。

    信じたい、な
    …………
    信じたい、です
    …………

    でも、どうすればいい?

    
 しばしの沈黙のあと、意識野に文字が現れた。

    ワタシノ、違和ヲ、トリナサイ

    違和?

 自分の中の、さっきまでのたうちまわっていた違和を思い起こす。

    あれでは、足りない?
   
 返ってきたのは………憫笑。
 嘲りよりも確固とした、それは挑戦。

    やってみよう
    オトリナサイ


 彼女の違和が、だくだくと流れ込んでくる。
 恐怖、混乱、その他諸々、それらを従えて。
 波を、捉える。
 これは僕の感情ではない。まだ、僕の感情ではない。
 
 ゆっくりと、それを増幅する。きっぱりと自分の意識と切り離し、あくまで
彼女の違和として。
 波が、僕の手の中で大きくなる。捉えるのが困難になる、そのぎりぎりまで
波を増幅する。
 目が、眩む。
 呑み込まれる、ぎりぎりまで波を大きくして。
 そして、それを。

 僕は、僕の感情の中枢へと叩き込んだ。



 皮膚一枚を削ぎ取りたいほどの現実感の剥落その不安感現実に沿うことが出
来るのならば目の玉を抉り出したいと思うほどのじれったさあがくあがく早す
ぎた埋葬の主人公のように

 一枚の筈の過去を、二枚に剥ぎ取ってゆく際の………………


 暗転
 


結〜そしてとりあえずの現在へ


 結局、翌日、朝までの記憶が、僕にはない。

 カレンダーの数字はやはり1999年で、まゆはやはり青い顔をして眠っていた。
 それが、本当でないことを、僕は知った。

 違和感。
 これは新しい年ではない。
 これは、正しいことではない。


 まゆは、来年にならないと元気にならない。
 それは………ひどくつらいことに思える。


 そして、僕は去年の道筋を辿って、今、新宿にいる。
 新宿の駅から、さほど離れてはいない、喫茶店月影。
 そこへゆけ、と、僕の対……風音さんは言った。

    ワタシハ、ミライガナクテモ、カマワナイノカモシレナイ
    アノトキハヒドクコワカッタ。オチルサキガワカラナカッタカラ
    デモ、モウコワクハナイ。ミライガヘルノモワタシニハアリガタイ

    デモ
    でも?

    マユチャンガカワイソウ………

 彼女は、積極的に動く気はないという。
 でも、僕が動くことには、一切問題が無いという。
 矛盾している、と、彼女自身が笑っていた。

 月影へ、行く。
 未来へと、何が出来るか分からないけれども。


解説

 1999年(二回目)6月の日曜から、1999年のループ時を回想して。
 狩人でありながら時間のループに対する違和を持つ青天目譲の、その違和の
依って来たる由縁です。



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