二本の刀をお持ち。
それが、祖母の口癖だった。
自分ではそういう意識も無いけれども、人に言わせると、祖母の躾は相当の
レベルで厳しいものだったらしい。それだけ厳しかったんならあんたぐれても
良かったのに、とは、叔母の台詞だったけれども。
ただ、厳しく躾けざるを得なかった祖母の気持ちはよく分かる。三歳で他人
様に殺意を抱くような……そしてそれを実行に移せるような力を持った孫に、
他にどうしようもなかったのだろう、と。
三歳の時のことは、実は良く覚えていない。
引き付けを起こしたのかと思った、と、母はよく言う。響き渡るような声で
泣き叫んでいたのだ、とも。
部屋を開けた途端、祖母も母もすくみ上がったという。大蛇のようにのたく
りまわる殺意と、波のように部屋に満ちていた、怯え切って泣く息子の恐怖と。
どちらが余計に怖かったのかは、聞いたことがないけれども。
お侍はね、いつも二本の刀を持っていたものだよ。
一本は……譲も見たことがあるだろう?お父さんの好きな映画で、お侍が
持っている、あの大きな刀だね。
でもね、お侍はもう一本、刀を持っているんだよ。小さい……そうだねえ、
長さだって大した事はない刀だよ。
人の感情と、自分の感情と。
それはお互いに作用し合いながら、どんどんと変化してゆくもの、と、祖母
は教えてくれた。但し、お前には、それは許されていない、とも。
人の感情を読み、同期し、受け取り、己の中で貯え、増幅し、時にそれを人
の心に打ち込む。
人の感情に、お前は同期しやすい。そしてお前の感情に、人はより同期し易
い。そのまま行けば、人はお前に関わることで己の心を見失う。いやそれ以上に。
お前は、殺意の相手を殺してしまうだろう………と。
あれはね、使い途が違うのだよ。
大きな刀は、人を斬るもの。お侍だもの、戦うこともあったろうよ。
けれどもね、小さい刀は、あれは戦うためのものじゃあないんだよ。
あれは、自分の腹を切る為のものだ。
人の激しい怒りに、喜びに、確かに自分は巻き込まれ易かった。
人の心から、波のように打ち寄せる、感情。自分の感情が、ふと気が付くと、
その波に同期し、同じ幅、同じ高さで打ち出されていることが時折あった。
そしてまた、その逆はもっと度々あった。自分の怒り、自分の憎悪が、他人
をたじろがせていることに、ふと気がつくことも。
祖母は、大声で叱る人ではなかった。けれども、譲、と一声発する、その声
だけで充分、腕白盛りの子供を制するに足りた。
「譲、お前はそのかざねさんを、嫌いかね?」
「……ううん」
嫌いではなかった。嫌いも何も、知りもしなかったのだから。
「憎いかね?」
「ううん」
「悪い人かね?」
「ううん」
「でも、殺そう、と思う?」
「…………うん」
「ならば」
しゃん、と、曲がった背中を伸ばして、祖母が言う。
「それは、お前の感情ではないよ」
小気味いいほど、すぱりとした断定。
「お前の感情でないものに、お前が従うことはないよ」
自分の中の、感情を丁寧に小分けにして。
植え込まれた殺意を、他とは切り離して。
それを、無くしてしまうことは、出来なかった。けれども、それが自分のも
のでないとすることは、決して不可能ではなかった。
お前の力は、大きな刀のようなものだ。人を斬り、死に至らしめるだけの
力だよ。
それを持つからには、お前は小さな刀を持たねばならない。いざという時
には自分の腹を切る為の刀をね。
一度、そんなものは持ちたくなかった、と、祖母に食って掛かったことがあ
る。自分よりも頭一つ背が高くなった孫を、きちんと正座して眺めやりながら
祖母はあっさりと言った。
当たり前さね。誰がそんな力を持ちたいものかね。
でも、今現に持っているものに嫌も応もなかろうよ。
泣いて、怒って、それが何になるかね。
そこまで言うと祖母は、すい、ともう一度背を伸ばした。
まだ、泣き言を言うのかね………と。
今思えば、それは、祖母の悲鳴だったのかもしれない。
祖母もまた、同じ力を持っていたのだから。
二本の刀を、だからお前はお持ち。
嫌でも何でも、お前の手には大刀がある。人を傷つけ、殺めるだけの力が
ある。
だから、脇差しを、必ずお持ち。お前の不始末にけりをつけるのは、お前
でなければならないのだから。
祖母は、高校二年の秋に亡くなった。
多分……誰よりも僕を可愛がってくれた人だった。
二本の刀をお持ち。
その言葉が守れているかどうか……
少し心もとない、というのが本当のところかもしれない。
いー・あーるさんによります、エンパスの狩人、青天目譲の一人称過去話で
す。
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