白鷺洲風音(さぎしま・かざね):未来を告げることの出来ない未来視。終末の住人。
三ッ木珠樹(みつぎ・たまき) :闇の腕使い。狩人。
久しぶりに日のあるうちに外に出た。
祖母と二人分の洗濯物を干すには丁度良かった、小さな庭。
染め終わった糸を干していたら、見た顔が通りかかった。
「三ツ木のお兄さん」
声をかけると、相手は少し驚いたようにこちらをみて、ああ、と
やあ、の半ばくらいの声を出して、糸とこちらを等分に眺めた。
「それ、染めたの?」
「はい」
三ツ木のお兄さん、と、小学生の頃から呼んでいる。
小学一年の時、向うは六年、集団登校の班長さんだったけれど、
放っておくと絶対に時間どおりにこない。それで一番うちが近かった
自分が、呼びに行く係になったものだ。
『三ツ木のお兄さん、がっこいこっ』
呼びに行くと、五分かそこらで、お兄さんがもさもさした頭のまま
ばたばたと出てくる。
『………おはよ』
本当に今まで寝ていたな、という顔をして。
「丁度よかった、お渡ししたいものがあったんです」
「?」
「ちょっと、待ってて頂けますか?」
かけた糸が落ちないか、もう一度確認してから、家の中に入り、
織りためた布をひっくり返す。
あった。
「これ……お兄さんの彫刻に、と思って」
「……これはよいものを」
三ツ木のお兄さんは、彫刻家だ。それも若手の中ではかなり高い
評価を受けている。だから近所でも有名である。
………まあ、住んでいるところもかなり有名なのだけれども。
「これは……何の糸でしょう?」
「絹です」
「絹?」
幾度もひっくり返しながら、お兄さんは首を傾げる。
「こんな糸もあるんですね……」
「はい」
光沢のある、しかし不揃いな太さの糸。生成りに近い黄土色と、もっと
くっきりとした黄金色。
見た途端に、お兄さんの彫刻を連想した。そのまま買い込んで、丁度
二の腕くらいの長さの布を幾枚も織った。
彫刻の下に、敷く為の布。
「これは……手織り?」
「はい」
「でも、もらっても、いいのかな?」
「はい……お兄さんの彫刻に」
「彫刻の? ……あぁ、下にしくのか…」
何かそれじゃ勿体無いな、と、お兄さんは小さく呟いた。
小学生の頃から、幾度も見る未来がある。
やはり、その人にとって重大な未来というのは、よく見えるらしい。
集団登校。一番前に班長が、そして次には一年生が並ぶ。だからいつも
お兄さんの後に、自分は並んで歩いていて。
時折、お兄さんの右の手が、黒い残像を描くのを見た。
闇の腕。
その時は、闇、という言葉の意味もわからなかった。
「そういえば、お兄さん、個展って……練馬でしたっけ?」
尋ねると、お兄さんは何だか一瞬ひどく照れたような顔になった。
「はい……そうです」
「どこだか教えて頂けませんか?」
「……来るんですか?」
「駄目ですか?」
「まさか」
即答してから、お兄さんはそれでもやはりどこか照れたような顔で
個展の場所を教えてくれた。
闇の腕。
それが何をするものであるのか、知ったのは、お兄さんが中学の頃。
学校の、帰りだったと思う。偶然会って、ああ久しぶりだね、と、
にこにこ笑ったお兄さんの右の腕が。
はっきりと、黒く染まって。
伸びる。
伸ばした先に、倒れる人。闇を引く筋が、腕と人とを繋げて。
闇の腕は吸い取る腕。
何を……………
…………人の命を。
一瞬の、未来。
気が付くと、お兄さんが怪訝そうな顔でこちらを眺めていた。
「僕の顔に、何かついてる?」
泣きそうな顔をしていたかもしれない。思わず首を横に振ると、
お兄さんはそれでもひどく困った顔をして……しばらくして、ポケットから
小さな木の人形を出した。
「……あ、これ、あげる」
差し出した、お兄さんの手にはあちこち傷があったけれども、それは元の
何にも変わりの無い手で。
「……ありがとう」
そう言って受け取ると、お兄さんは何となくほっとした顔で笑った。
お兄さんの彫刻は、自分には未来の破片に見える。
定められたように動かない未来。それは見る間に崩れて、奇怪な
オブジェと化す。
時の……未だ至らぬ時の結晶。
お兄さんの彫刻は、逆に、過ぎた時の結晶なのかもしれない。
だから……似ているように思うのかも知れない。
ある時から、闇の腕を怖いと思う気持ちが消えた。
未来の破片の中のお兄さんは、がくりと膝をついていた。
声は、聞こえなかった。
でも、いたみは伝わった。
望んでのことではないと、それだけはよく分かった。
「じゃ……ありがとう、これ。使わせてもらいます」
「……はい」
最後に、手に持った布を二三度振って、お兄さんはそのまま歩いていった。
ふと、空を見た。
今日も天気がいい。
1999年(二回目)5月下旬の話。
小学校時代からの知り合いである白鷺洲風音と三ッ木珠樹の日常です。
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