エピソード004『失われしは我が想い』


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エピソード004『失われしは我が想い』

新宿、昼間

五月晴れというのがよく似合う五月のある日。
 新入生や新入社員が常連となるのに大切なこの期間に、喫茶店
 「月影」は店を閉じていた。

直人
「じゃあ、行って来る」
竜也
「うん。いってらっしゃい」
直人
「ああ、電話は留守電になってるから、知っている人だったらとってもいいからね」
竜也
「大丈夫!俺、ちゃんと留守番出来るよ!」
直人
「うん。まかせた」

年の割にはしっかりとした少年に見送られながら、店の二階から新宿の町へと出かけてゆく。

直人
「……(今日こそは、見つけられるといいなぁ)」

夕暮を描く情景

朱理
「もしもこの腕が………私の本当の……腕だったなら」

口に出して、呟く。儀式めいた、呟き。
 左手をそっと添えていた右の二の腕が、ゆっくりと力を持つ。
 力無く垂れ下がっていた手首がほんのわずかだけ重力に逆らって反り返る。指の関節がわずかに角度を取る。それだけで、手は命を吹き返す。

朱理
「…………」

そして、世界が凍り付く。朱理の右腕が生き返るその代償の様に。

朱理
「…………………」

腕は、ほんの僅かだけ、微光を帯びて。
 凍り付いたまま、落ちない夕日。
 凍り付いたまま、動かない風景。

朱理
「…………………………」

さっきまで力を持っていなかった掌に握られた筆が、キャンバスに張られた画布に色素を乗せていく。
 窓の外の風景と微妙に交錯しながら、ほぼ完成に近いと見える絵はその色合いを鮮やかに一筆ごとに変化させていく。

朱理
「…………………………………」

完全な沈黙の中、朱理の腕と、絵の中の風景だけが動き続ける。

朱理
「?」

どれほどの時間がたったのだろう?
 どれほどの。いや、時を止める結界の中では時間はさして意味を持たない。
 誰かが、来ていた。

雑居ビル

直人
「見つけた!」

今日は、見つけるつもりで来ている。いつもよりも集中しているため、見つけるのも反応も早い。

直人
「(この中で人に見つかるとまずいな……)」

結界を先ほど作られた物と隣り合わせになるように張る。重ねて作成できないことは、既に竜也と実験済みである。
 結界のそばまで行って、人目に付かないように結界内に進入するつもりだった。

直人
「ここか、周りに人は……いない。よし!」

すばやく結界を解き、一歩前へ。同時に結界の侵入を試みる。集中的に訓練したのだ。戦闘用や、あらかじめ結界術者用に強めに張っていない限り、簡単に入り込める。

直人
「侵入成功。術者はこの扉の先か……」

そのまま入ろうとして考え直し、ノックをする。

SE
こんこん

しばらくの間。内側で、僅かな反応。

直人
「失礼します」

なるべく友好的に聞こえる様な声音、態度。
 そして、ゆっくりとドアを開ける。

朱理
「……………」

油絵の具に随所が汚れたやや大きめのスモッグ。
 キャンバス。油絵の具の匂い。右腕に握られたままの絵筆。
 無言のまま、まっすぐ見つめ返す、強い視線。
 そして、頬に隠しきれない緊張感。

直人
「こんにちは、初めまして」

緊張感を読みとる。
 扉を開けた位置から一歩も踏み出さないようにしたまま、一礼。

朱理
「……………初めまして。どちら様ですか?」

じれるような、しばらくの無言の後。朱理の方から尋ね返す。

直人
「多分、あなたの仲間です」
朱理
「…………え?」

その応えは、予想の他にあったのだろう。その意味を問う疑問符。

直人
「えーと、話すと長くなるんですが、今大丈夫ですか?」

その問いに、朱理は画布と直人とを見比べる。

朱理
「あ………あと、もう少し………」

まだ、納得の行く出来にはなっていない。まだ、今日の作業をお仕舞いと言ってしまえるまでにはなっていない。

朱理
「そちらに座って、待っていて頂けますか?」

背もたれのない、丸椅子を指し示す。
 直人はそれに腰掛けて、朱理が再びキャンバスに向かう様子をじっと観察する。

直人
「(あの右腕が鍵なのか?義手だけど自由に動いている……)」

しばしの静寂。結界内には、朱理の筆を走らす音だけが聞こえる。
 油の匂いだけが、ゆっくりと満ちていく。
 永い時間かけて、何かが彼女を満足させたのだろう。
 朱理は筆を油を入れた容器の中に、静かに沈めた。

朱理
「で、何のご用でしょう?」

背もたれのない椅子。それを回転させる。直人の方に向きなおる。

直人
「あ、終わりました?お疲れさまです。えーと、とりあえず自己紹介しますね。月島直人といいます。喫茶店月影のマスターでして、あなたと同様に、結界を張ることが可能です」
朱理
「はい……」
直人
「これ、名刺です」

名刺を渡す。朱理は、左手でそれを受け取る。僅かに緊張が走り、消える。

朱理
「…………」

朱理が、名刺の内容を読みとり終えるのを待ち、直人は話を再開する。

直人
「僕は、2年ほど前に、終末の住人に目覚めました。あなたは、どれくらいになるのですか?」
朱理
「終末の………住人?」
直人
「あ、僕が勝手につけたんですがね……結界を張り、災厄と立ち向かえる能力者を総称して、終末の住人と呼んでいるんです」
朱理
「災厄…………ですか?」
直人
「あなたは、気づいておられませんか?今年は1999年ですよね」
朱理
「……えぇ」
直人
「じゃあ、去年は西暦何年でしたか?」

朱理は口を閉ざしたまま、その問いに答える。

直人
「僕は、今年は2度目の1999年だと思っています。他の人は違和感を覚えていないようですがね。でも、僕だけがそう思っているわけじゃない」

朱理が同意の意味の沈黙を返す。

直人
「あなたは、そんな疑問を持ったことはありませんか?」
朱理
「何が………起こっているの?」

朱理のその問いに、直人は答える事が出来ない。

直人
「分かりません。でも、確実に何かが起こっています。この結界と共に得た不思議な力……こんな力、使わなくても生活できる筈なのに、この力でなければ解決できない事件が、あちこちに起きているんです。少なくても、それは、1998年……今から2年前よりも、今年に入ってからの方が多い様に思います」

そこで、一旦、直人は言葉を切る。朱理は少し大きく瞬き、微妙に小首を傾げる。

朱理
「私に……何を望んでいるの?」

彼女の表情を読み取るかのように、真っ直ぐに見つめる直人。
 彼の言葉の意味を読もうと、目をそらさずに見つめ返す朱理。

直人
「出来れば協力してもらいたいですけど、若干の危険は伴います。だから、無理にとは言えません。でも、連絡だけはつけられるようにしておいて欲しいんです。僕の他にも終末の住人を何人か知っていますから、何かあったら手助けできるように……」

微妙に濁された語尾。

朱理
「何か?」

僅かに強い語気。僅かに細められる視線。

直人
「結界を張れる事で……結界が見える事で、何かトラブルに巻き込まれる可能性もありますから」
朱理
「……」
直人
「……まあ、本当は、うちの店にコーヒーでも飲みに来てくれたら良いと思ってるんですけどね……ただの宣伝ですよ。あとは……私が寂しがりやなんですよ」

そういうと、にこりと人懐っこい笑みを浮かべる。不安を抱かせないための冗談。その意図までも、通じる。

朱理
「喫茶店、ですか………。まぁ、美味しいコーヒーを出してくださるのだったら……」

笑みを作っている。会話での後ろにあるもので、応える。

直人
「そうですか。良かった。コーヒーの煎れ方には自信があるんです。さっきお渡しした名刺に地図がありますから、すぐに分かると思います」

名刺の裏側を見る、ややデフォルメされた地図だが充分に判る。

朱理
「………今日の営業時間は………もう終わり?」

僅かに体の向きを変えると、まだ沈まない夕陽を背に受けて、朱理の表情が見えなくなる。

直人
「今日は休みにしていたんですが……。今日の開店時間は今からということにしましょうか」

新宿、月影への道

ビルを出た所で結界を解き、合流する。結界内で沈む寸前だった夕日は、既に沈みきってしまっている。
 月影までは歩いて十数分の距離だ。

朱理
「…………」

特に、何もしゃべらずに、直人の背中を見ながらついて歩く。微妙な距離が、注意深く置かれている。朱理の左肩にかかる、画材の重み。
 突然、雑踏の中で直人は足を止めた。

直人
「……」
朱理
「……?」

直人は、朱理の視線に答えずに、じっと前を睨み付けている。
 一瞬吹き出した殺気、そして、それが抑えられて。
 それから、ようやく口を開く。

直人
「朱理さん、申し訳ないが、用事を思い出しました。ここまで来ておいてなんですが、ここで別れましょう」
朱理
「………そうですか」

異常。何かの異常事態だということは、朱理にも伝わっている。

直人
「すみません。この埋め合わせはいずれ……」

直人の口元には微笑が浮かんでいたが、目の奥には緊張感が張りつめている。
 会話の最中も、進行方向の一点から目を離す事はない。
 視線の先には、信号待ちをしている一般人達。

直人
「じゃあ、僕はこれで」

そういって、答えもまたずに歩を進めてしまう。見ていた方向とは違う、路地に向かって。
 ざわっ。
 黒い透明な壁が、急速に自分に迫ってくる感覚。そのまま自分にぶつかる事を予想し、思わず身を竦めるが衝撃は何も無くすり抜ける。

朱理
「…………これ……」

朱理が先ほどまで張っていたような、薄く弱いものではない。完全に外界との接触を断つかのような強力な結界が張られたのだ。何気なく歩いているだけでも感じるような強烈な存在感まで備わっている。
 交差点の人々が信号の変化にしたがっていっせいに動き出す。動いていく群れの中から、動かない事で離れる青年が一人。黒いジーンズ生地のズボンとジャケット、下には黒いシャツを着込んでいる。
 あたりを見回し、はめていた眼鏡を懐に仕舞いながら
 にやり……
 と笑い……。消えた。
 結界内に侵入すると、外界からその姿は見えなくなってしまう。瞬間移動というよりは、今張られた結界に入り込んだと考えた方が普通である。

朱理
「…………そういう事?」

呟く。今まで知らなかった、事。
 終末の住人、災厄、そして………

朱理
「………………」

唇を、僅かに噛む。
 歩道で立ち止まったままの朱理の脇を、新宿の雑踏が通り過ぎていく。

都区内某所 〜新宿〜

鞍馬
「……『壁』が……?!」

岡崎鞍馬は、遠くの……常人にはそそり立つ堅いビルの群れに阻まれて見えないはずの……新宿の町並みを凝視していた。
 そこには、「壁」が出現していた。
 他の者には感じられないらしい……月島直人が「結界」と呼ぶ……その現象を、鞍馬は「壁」と呼んだ。
 それは彼の中で、彼と同じバンダナを身につけたあの人の記憶と結び付く。
 彼にとっては、嫌な思い出。
 あの人に近付くために、……
 思ったときには、既に足はアスファルトの路面を蹴り、彼は夢中で走り出していた。
 歩道を走り、路地を過ぎる。普通の交通が利用しない東京中の「道」を、彼は熟知していた。彼に並行して走る者がいたなら、彼が短距離走もかくやと言う速度でしかも何分も走り続けるのを見ただろう。しかし道なき道を走り抜ける彼に追従できる者はその場にはいなかった。
 人の目の影から影へと渡りながら、塀を踏み越え、多少の段差も飛び越え、ついに彼の視野に新宿の町並みが飛び込んできた。

鞍馬
「…………!」

「壁」は、通りの向こうに、鞍馬の視野一杯を覆うように存在していた。
 のしかかるような圧迫感が、汗腺から逆流してきそうな感じすら覚える。
 嫌な思い出が、いちいちダブる。
 「壁」に阻まれた思い出。目の前のものと、大きさは違うけれど。
 そろそろと近付く。
 そこに「壁」がある、手応えを感じる。見えないが、確かに感じる。

鞍馬
「…………(深呼吸)…………ふっ!」

「壁」の位置を頭に叩き込み、呼吸を整え、一転彼は「壁」に向かって突進した。「壁」の存在が眼前に迫る。
 しかし彼が「壁」にぶつかることはなかった。
 抵抗すら感じることなく、彼は「壁」のあった場所を通り過ぎた。
 彼の耳を打つ周囲の雑踏に途切れは無い。すれ違う会社員やOLが怪訝そうな顔で見ながら通り過ぎてゆく。世界は何も変わった様子はなかった。
 「壁」に踏み込むことはできなかったのだ。

鞍馬
「…………くそっ…………」

もどかしさと失望が、彼を包んだ。

新宿、結界内

日向
「だれだぁ?俺の世界と同じもの作る奴はぁ……」
直人
「日向錬也……探しましたよ」
日向
「きさま……」

二人が相対したのは、これで2度目となる。1度目は日向が月影を爆破した事件のとき。直人は、この時に父を失い、終末の住人となったのだ。
 双方が、同時に理解した。左目の異質な色……直人は銀、日向は金。二人とも自分の瞳ではなく、カラーコンタクトである。彼ら「対」が持つ鍵は全く同じ物なのだ。

日向
「お前かぁ、お前、お前だなぁ……俺の獲物はぁ……」
直人
「そうみたいですね。まさか、私の対だとは思いませんでしたよ」
日向
「くっくっくっ……いいねぇ……おもしろいねぇ……今までのどんな仕事よりもわくわくするねぇ……」

日向の目は、狂気に彩られている。人を殺す事を喜ぶ彼の嗜好を、終末の狩人の使命が促進、変質させているようだ。
 終末の狩人とは、直人たち終末の住人が生まれた事の反動で生まれた存在で、終末の住人と同様に「結界」を張り、「鍵」を持つ。しかし、終末の住人とは違い、その存在目的はただ一つ。「対となる終末の住人を消滅させる事」のみなのである。

直人
「あなたのこと、調べましたよ。無関係な人を巻き込んで目標を破壊する爆弾テロリスト……」
日向
「良く調べたなぁ……うん、良く調べた。警察でさえ、俺を捕まえる事は出来ないのによぉ……そうだ、俺は誰にも捕まえられねぇ……俺の世界では、俺が最高なんだよぉ……」
直人
「結界の能力を犯罪に使うなんて……たしかに、今の警察であなたを止める事は不可能だ。法が止められないのなら……僕があなたを止める」
日向
「とめる?止めるってのか?この俺を?……いいぜぇ……止められるなら止めてみなよ、刃向かう獲物を狩るのは、久しぶりだぜぇ……」

そして、懐からペンライトのようなものを取り出した日向は、その上部についているボタンを押した。

闖入者

珠希
「結界…まさかまたアイツが出てきたってワケ?」

桜居珠希はこの日、学校帰りに友人達と新宿で遊び回っていた。マルイで服を見て、タワレコでCDを買ってというお決まりのコース、そしていざ帰ろうというときの出来事だった。
 友人達と別れ、裏通りから結界内に侵入する珠希。一瞬他人の結界に入るとき特有の違和感に吐き気を覚えるが、次の瞬間それすらも吹き飛ばす空気の振動に襲われた。

SE
ドーン、ゴゴゴゴォ
珠希
「爆発? アイツじゃないの? いずれにしてもただ事じゃないわね。…由紀夫、起きなさい」
由紀夫
「起きてるよ。人使い荒いんだから、労働基準法違反だね」
珠希
「悪かったわよ。まったく、子供のくせに」

バッグから子供の生首を取り出す珠希。どういう仕組みなのか血は出ておらず、それどころかその生首と会話している。そして珠希がその首を粗大ゴミの山におくと、あたかも一つの生き物であるかのように巨大なゴミ人間が立ち上がった。

由紀夫
「とほほ。珠希さん、贅沢は言いませんがせめてもう少し格好よさげなモノにはして頂けないのでしょうか?」
珠希
「わかったわよ、今後善処するからとりあえずその辺に隠れてなさい」

結界内、交差点

SE
ドンッ!

直人の後方にそびえるビルの最上階付近が爆発する。ビルは1フロア完全に吹き飛び、破片は道路に居た直人に降り注ぐ。その人間が作り出した破片一つ一つが、重力という自然の法則に助けられ必殺の破壊力となる。

直人
「なっ!」

かろうじて避ける直人。というより、彼の身体を狙って落ちてくるわけではなく、破片は道路の中央、直人と日向の中間位置に集中して落ちている。

日向
「この世界から逃げるなよぉ……ゆっくり駆り出してやるからなぁ……くくくくっ。もし逃げたら、このあたりは虫けらが多くて楽しそうだなぁ……」

日向の声から、彼が走り去って行くのが分かる。姿を隠されたのだ。

直人
「逃げるつもりは毛頭ありませんが……この爆発、実際のビルにも仕掛けられてなければ、結界内で爆発はしませんね……」

単純だが、おそらく真理であろう。彼が結界の外でスイッチを押せば、今度は実際のビルが崩れ、人の居る道路に破片が降り注ぐ。
 電波的な起爆装置の場合、押した信号を出しつづけている可能性もある。その場合には、結界内から出た瞬間に爆発してしまう。

直人
「しかし……このやり方、やはり奴を止めなければ……」

立ち込める土煙の中から、片足を引きずりながら姿をあらわす直人。傍らの街路樹に腰を下ろす。無数の破片が直人を狙うことを意図していなくても、すべて避けきれるものではない。片足に乗っていた瓦礫は崩壊させて抜け出したが、右足は折れていて使い物にはならない。
 その時、直人の頭上、壊れた街頭の下に一人の少女が現れる。

珠希
「…答えなさい、頭の沢山ある化け物に追われているの?」
直人
「!(しまった……土煙で接近を感知できなかった……)」

油断である。奇襲を受けたにもかかわらず、その側でへたり込んで動けないでいる。今の声の主が、直人を殺そうと思えば簡単に殺せただろう。
 見上げると、町中で会えば男の半分は振り返って注目するであろう容貌を持った女性である。制服を着ていることから察するに女子高生であろう。

直人
「君は?……!(「送還」出来ない……日向が召喚した一般人じゃないということか……だとしたら、住人か狩人だな?)」
珠希
「私の質問に答えるのが先よ」
 
 有無を言わせない強い口調。その声に神経質な響きが混じる。
直人
「頭のたくさんある化け物というのは知りません。今の爆発は、結界内にいる爆弾テロリストのものです」
珠希
「アイツ以外に結界を作れるやつがいるというの?」

その女子高生、珠希はそう呟くと、空に向かって合図をした。するとどこからか身の丈3mはありそうな異形の怪物が降ってくる。よく見るとテレビやギターなどの粗大ゴミの山の上に、子供の頭が取って付けたようにくっついている。

直人
「!?」
珠希
「詳しい事情を聞いてる暇はなさそうね。状況だけ言いなさい、コイツに潰されたくなければね」
直人
「実は…」

彼女が狩人であるという可能性は否定できないが、この状況で逆らうのはまずいと判断した直人は、新宿に仕掛けられた爆弾の話をし始めた。

珠希
「なるほどね。由紀夫、一度結界から抜けて爆弾探しよ」
由紀夫
「OK」
直人
「……手伝ってくれるのですか?」
珠希
「学校帰りの遊び場を壊されちゃたまんないわ、あとで詳しい話も聞きたいしね」

珠希はそう言って笑うと、粗大ゴミの化け物と共に爆発で崩壊したビルへと入っていった。

新宿、雑踏

新宿という街が苦手である、とは、風音はあまり思わない。
 人こそ多いが、それはまとめて風のようなもので、こちらに関わるものではない。
 ……大概は。
 もうすっかり暗くなった道を、しかし人の流れは絶えることなく動いている。
 ざらざらと、人の数だけ未来が砕ける。
 砕けた未来を受け流しながら歩いていた風音は、ふと足を止めた。

風音
「……?」

どこか見慣れた、けれども異質な青銀色の光沢を持つ壁が、自分の目の前にある。
 目を細めると、青銀色の光沢がすう、と流れるように消え、壁が透き通る。
 二重写しの、奇妙な風景。
 

風音
「…………」

壁越しに流れ来る、近未来。
 がらがらと砕ける壁。
 それが静かに天から降ってくる。
 無音。
 それが降り注ぐ……先に。

風音
「……?」

女性。すらりと背の高い、厳しい視線の。
 微かに唇を噛み締めて、視線を据えている。
 からからと、彼女より来る未来。
 砕ける壁が、確かに彼女の上に…………

風音
「……っ」
朱理
「?」

思わず手を伸ばしたその気配に、彼女が振り向く。
 切り揃えられた髪が、鋭い弧を描く。右腕だけが、妙に力を持たない。

風音
「……貴方、危ないわ」
朱理
「え?」
風音
「頭上に……いえ」

怪訝そうな、そしてどこか突き放すような目と、語調。
 風音は口をつぐんだ。
 ズジョウニ、ビルノカベノハヘンガオチテキマス
 ハナビラミタイニ……

風音
「花びら」

ぽつり、と呟くと、彼女からやって来た破片の一つがすう、と形を取る。
 手のひらを並べたくらいの大きさの、ごつごつとしたそれは、しかしひらひらと舞うように風音の手元に落ちてきた。

朱理
「!」
 
 朱理の目には、それはごく唐突に現れたように見えた。
 
朱理
「あなた……一体……」
風音
「もっと、降るわ」
朱理
「なに?」
風音
「貴方の上に」
朱理
「……何をっ」

莫迦な、と言いかけて朱理は口をつぐむ。目の前の小柄な女の言葉を信じたわけではない。
 しかし流石に、初対面の人間に向かって「莫迦な」とは言えない。

風音
「……あ」

ふいと、風音が視線を泳がせた。
 
 からからと、青銀色の壁より流れる未来の破片。
 倒れる男。それに向き合う男。視線。月の色。太陽の色。
 奇妙な方向を向く、足。そして……女子高生?
 そして、食い込むように深く刻まれる文字。
  カレラハフカクカカワルモノ。
 寸前の未来。

風音
(間に合わない)
朱理
「……!」

五感のうち二つを支配する、爆発の衝撃。しかし触覚には一切伝わらぬ……
 破片の幻は、彼女達の立つ路地、一面に降り注いだ。
 反射的に避けてから、二人は顔を見合わせた。
 

風音
「……見えるんだ」
朱理
「……あなたは……あなたも?」
風音
「今ので、誰かが怪我したわ……月の目の人」
朱理
「え」
風音
「知ってる人?多分あれじゃ足が折れてる」
朱理
「足が?!」
風音
「行って……あ、でも駄目、貴方は駄目」
朱理
「なぜ?」
風音
「行っては駄目。壁がまだ……」
朱理
「だって、もう砕けて!」
風音
「まだ、続くわ」

埒があかない。
 く、と一度唇を噛むと、朱理は、砕けかつ砕けていないビルに向き直った。

朱理
「…………行かなくちゃ、ならない」

つう、と、左手が右の肩へ伸びる。左手に持ち上げられて、右の手が動く。
 右の手首が重力に従って、だらりと垂れ下がる。右手のどの関節一つとっても、力がわずかにでも入っているようには見えない。
 ふう、と、その右手が未来からの残像を描く。
 残像は風音の視界の中で、静かに情景へと化してゆく。
 どこかの店のカウンター。朱理が、その右腕を外して見せている情景。
 とてもよくできているけれども、義手。それを先に知っている。

朱理
「…………………なら……」

朱理が、口の中で何かを呟く。
 その義手の手首が不意に力を取り戻す。
 まるで何かをなぞるように、現実で無いものに向かって指先が伸びる。
 伸びた腕が、すう、と、めり込んで行く。
 ほんの数瞬後、朱理の姿はこちら側から消えうせている。

風音
「…………」

ひどく、躊躇いがあった。
 それでも、彼女一人を行かせるわけにはいかない、と、ふと思った。
 たとえ変えようのない未来であっても。
 すい、と、躊躇いがちに手を伸ばす。ぴしん、と弾けるような感触に一旦手を引っ込めかけたがそのまま突き入れる。後は抵抗らしいものも感じないまま、するり、と、入りこむ。

風音
「……」

未来が流れ来る。そのうちの一つに風音は手を伸ばした。ひしゃげて見る影もない街灯が何者かに追い立てられるように走って来る。

風音
「馬」

その一言で、それは「馬」へと変じる。よじくれた下半分は四足と胴体へ、そして長すぎる首へと続いて。
 月の目の人は、なんとなくやたらと大きな印象があった。

風音
「いこうか」

朱理と風音、結界内へ

とん、と、降り立つ。世界の位相が、ふいと切り替わる。
 右腕は、力を持つ。いつもの自分の結界の中と同じように。
 自分のものではない結界でも、右腕は使えるらしい。
 無人の新宿。人の気配は、いつもより、ずっと遠い。
 多数の人工照明が点いてはいても。人が居ないと、この街はとても暗い。
 そして。振り返る。
 そこに佇んでいるのは、さっきの女性。そして。

朱理
「………街灯?」

ひねまがった街灯。
 新宿の街並みの中では見かけたことのあるようなないような。その元の形を無理に想像すれば、だけれども。
 でも、裂けてねじ曲がって………まるで四つ足の。

街灯
(フンッ)

馬のような、鼻息。馬のような形。街灯でありながら、馬である、オブジェ。そして、風音はその街灯生命体の頸を軽くたたく。

風音
「馬を、呼んだの」

見つめる朱理に、彼女は当たり前のように告げる。
 それが、この女性の力なのならば。問題はない、筈だ。
 こういう事にも、たぶん慣れなくちゃ、いけない。
 何が起こってしまっているのかを知るためには。

朱理
「月島さん………月の目の人は、この近くなの?」

そう尋ねてから、その女性の名前をまだ尋ねていないことに気づく

風音
「このビルの反対側………………だと思うわ。朱理さん」

そう応えられてから、自分の名前をまだ名乗っていなかったことに気づく。

朱理
「……………そういえば。どうお呼びすればいいだろうか?」

振り返って、月島のいるはずの場所へと向きなおりながら、尋ねている。

風音
「白鷺洲、風音……風音と呼んで頂ければ」

後ろについて歩きながら、風音が応える。
 二人の足音はさして響きはしない。ただ、「馬」の足音だけ。

結界内、ビル爆破跡

直人
「さて……どうしたものかな?」

途方に暮れる。体術を訓練しなかった直人は、身のこなしが通常の人間とあまり変わらない。足の骨折をおして動けるほど場数を踏んでいるわけではないのだ。

直人
「やった事はないが……理論的には可能な筈だ」

自分の骨を「物体」とし、体内で「再生」させる。周囲の組織を無視して再生される可能性があるため、どのような障害が出るか予想もつかない。
 とっとっとっと……。軽い、足音。

直人
「!……」

誰だ?
 動けないまま、耳を澄ます。日向の靴音とは違う。……女性?
 そして、一人でもない。

朱理
「………月島さん」
直人
「え?……」
 
 足跡の主の意外さに驚愕する。いや、この場で現れる人物としては最も可能性が高いはずなのだが、彼はその可能性はないと思い込んでいた。
朱理
「大丈夫ですか?」

朱理が走り寄ってくる。
 すぐ後方から女性と……ひどく捻じ曲がったオブジェクトのようなもの。

直人
「帰らなかったんですか?」
朱理
「コーヒー。まだだから……」

言い訳にもならない言い訳。それを察知し、直人の顔に微笑が浮かぶ。自分一人で全てを背負おうと張っていた気が解けるのを感じた。同時に、新たな強さが彼の中に生まれる。
 もう一人の女性。住人の可能性の高い人物のリストの、筆頭近くに記載されていた人物。次に接触するつもりで、下調べぐらいは行っていたので、記憶に残っている。
 彼女たちは、守らなければならない。

直人
「ありがとうございます。……あなたも」
朱理
「……お知りあい?」
風音
「いえ……」
直人
「一度……見かけたことが有ります」
風音
「…………」

無言で首を傾げる。
 過去の方向に、憶えはない。

直人
「今度、お話にいこうと思ったのですが……ね」
風音
「…………」
直人
「こんな格好で失礼します。喫茶店、月影のマスター。月島直人です」
風音
「つきしまなおとさん……」
直人
「はい。以後よろしく」
風音
「それよりも、早くここから離れないと……」
直人
「そうですね。でも、他の建物よりは、ここの方が安全でしょう」
朱理
「ここが?」

朱理はわずかに瞳を細める。

直人
「相手は、トラップを得意とする爆弾テロリストです。奴の姿を見失ってしまった以上、このあたり以外はトラップが仕掛けられていると思って間違い有りません」
朱理
「なら、ここで。その傷…………癒やしてしまいます」

つい、と。しゃがみ込む。
 朱理の動く筈のない義手の掌が、柔らかく直人の折れた右足に触れる。痛みよりも、むしろ、こそばゆさ。
 何かに集中するかのように。朱理のまぶたが閉じる。
 右腕に宿っていた微光が、掌に向けて集まっていく。血の通わない義手に、本来は宿るべくもない生命の光。
 その光がゆっくりと右足から、身体全体へと暖かく広がっていく。
 脂汗の浮き出していた直人の顔に、血の気と、余裕が戻る。

直人
「痛みが……きえた?」
朱理
「……でも、折れた骨が……まだ」

朱理が、痛みの消えた右の足を持つ。骨のきしむ音。骨以外に損傷を与えないように。ゆっくりと奇妙に歪んだ足を掴んで、正常の位置関係へとに戻して行く。

直人
「痛みがなければ、何とでもなります」

もう一つの力。物理力。
 断端がかみ合い、正常な位置に戻った骨が物理的に操作されて結合する。

朱理
「……」
直人
「……はい、くっつけました。後はお願いします」
朱理
「……はい」

疑問を含めた、了解の答え。光が、さっきまで折れていた骨の周りを重点的に癒やしていく。

直人
「無生物……物体を破壊したり、再生したりするのが僕の能力です。自分の骨だったら、形だけなら元に戻すぐらいは出来るんですよ」
朱理
「……そんな事したら……」
直人
「ええ、神経や組織は無視されるんで、激痛や後遺症がネックなんですよね。激痛で、集中も出来なくなってしまうし……。でも、痛みさえ引けば、時間を掛けて治す事が出来ますから」
朱理
「……」
直人
「だから、ちゃんと治っている筈です。……ありがとうございます。痛みも完全に消えました」

そういうと、立ち上がって足の具合を確かめる。異常は特には見られない。
 むしろ、逆に調子がいいぐらいだ。

直人
「(よし、まともに動けるみたいだな。運良く神経は傷付けないですんだらしい)」

そこで、あたりを見回す。人気のない結界内で、うごく者は見当たらない。

直人
「さて、奴を探さないといけませんね」
朱理
「どうやって……」
風音
「……あ」

小さく呟くと、くい、と二人の腕を掴んで引っ張る。
 カツンッ……コロコロ……
 振り向いた直人と朱理の目に、どこからか投げられて転がってくる手榴弾が目に入った。

直人
「甘いですね」

一睨みしただけで、手榴弾は鉄等の砂と化し、手榴弾ではなくなる。

直人
「誘ってますね……どこにいるか、分かれば良いんですが……」
風音
「喫茶店……」
直人
「え?」
風音
「喫茶店に……罠を」
直人
「そうですか。まあ、行ってみましょう。どんな喫茶店でした?」
風音
「…………」

無言で辺りを見、やがて指で方角を示す。

風音
「一区画先、ファミレスの隣」
直人
「……成程」

この辺に住んでいるだけあって、それで十分通じたらしい。

直人
「それで……」

爆音。
 

朱理
「!」
 
 指で示した、その方角から。
 
風音
「……っ」

爆音と一緒に、未来。
  崩れ落ちた壁の間から、ゆっくりと起き上がる……少年?
 その顔に見覚えがある。
 
  近未来。ともすれば崩れかける未来を、そろそろと辿ってゆく。
  視野の中で時間は逆戻りした。より遠い未来から、より近い未来へと。
  太陽の目の男。月の目の男。

朱理
「風音さん、風音さん?!」
風音
「!」

かくん、と突き飛ばされたように、未来から今へ。
 

朱理
「月島さんは先に」
風音
「行かれましたか」
 
  ここに残っていて下さい、という声を、そう言えば聞いたような気がする。
風音
「何と無く分かったから、行きましょうか」
朱理
「………え?」
風音
「…………」

黙ったまま、風音は走り出す。後ろから奇怪な馬が従順についてくる。
  仕方なし、朱理も走り出す。
  太陽の目の男が、捕らえている少年を爆破する……変わらぬ未来。
  でも、少年は生きている。死なない……これもまた変わらぬ未来。
  故に…………脅しは全て無効である。
  …………と…………
  多分、信じてもらえはしないだろう。
  故に、時を読む。
  恐らく機会は一瞬。少年を爆破するその際に、この馬は生じている。
  その一瞬、未来が現在にすりかわった瞬間に、馬は消える。

風音
「お行き」

一度だけ頭を深く曲げて、そのまま馬は走り出した。

新宿、崩壊したビル

由紀夫
「あーあ、派手にやってくれたもんだ」

粗大ゴミの化け物と化した由紀夫は、珠希の指示で瓦礫の山をどかしながらぼやいた。珠希は爆発の中心部を結界の中にいる内に突き止めた方が効率が、よいと判断したのだ。そして爆発の中心部と思われる一室に二人は辿り着いた。

珠希
「じゃあ結界から抜けるわよ、目立つから粗大ゴミは放棄」
由紀夫
「はいはい」

そして由紀夫の首をバッグに詰めると珠希は結界を抜けていった。

新宿、崩壊前のビル

珠希
「ムカツクわねぇ!」

桜居珠希は怒っていた、結界から抜ける際にひどい頭痛に襲われたのだ。結界の外に出てみるとそこは今は誰も使っていない貸事務所のようであったが、なかなか目的の爆弾も見つからない。

由紀夫
「珠希さん、あんま怒るとしわ増えますよ」

ぐしゃ。由紀夫の首の入ったバッグが壁に叩き付けられる。

由紀夫
「よ、幼児虐待だ」
珠希
「あれ? 壁が、崩れてる」

バッグを軽く叩き付けただけで壁の表面がボロボロと崩れたようであった。よく見ると周囲の壁に比べて若干色も違う。さっと見て回るとビルの柱の要所要所にこのような処理が施されているようであった。珠希はバッグから折り畳み式の剃刀を出し、畳んだままで壁に施された張りぼてを落とす。

珠希
「ビンゴ。由紀夫、出番よ」

壁には案の定爆弾とおぼしきモノが埋め込まれていた。珠希は由紀夫の首を取り出し、爆弾の上にそっと置く。

由紀夫
「!爆弾人間などにしてしまって僕に死ねというのですか」
珠希
「自分の体なんだから信管を抜き取るくらい出来るでしょ」
由紀夫
「あ、なるほどね」

…………
 能力の使いすぎで強い頭痛を覚えた珠希は、朦朧としながらも爆弾を処理し終えたビルから出る。いつもと変わらない大通り、仕事帰りのサラリーマンが足早に前を通り過ぎ、酔った学生のグループが次の店を探してうろうろしている。誰もがまさか目の前のビルに爆弾が仕掛けられていたなどとは思いもしないだろう。

珠希
「フゥ、呑気なモノね、まあそれでいいのだけれど」

そして、先程の青年の倒れていたあたりを見ると、酔った若い男が同僚と思われる男に支えられ、胃の中のモノを吐いている。大丈夫、まだ平和だ。珠希はそれを一瞥し結界内の事を思案する。

珠希
「さっきの彼、大丈夫かしら。あとで詳しい話を聞かないと」

珠希はそう呟き、星の少ない夜空を仰ぎ見た。

新宿、路地裏

日向
「くっくっくっく……さあて、どうやって壊してやるかなぁ……あん?」

無人のファミリーレストランに爆薬を仕掛け、ワイヤーを張って行く日向の目に、裏口近くに一人の少年がうっすらと見えた。
 少年は、何も無い路地で何やら走り回っていたが、しばらくして脱力したように肩を落とした。健康そうで、動きに切れがある。
 何事か考え込みながら動き回っていた姿は、日向の目にはこの年頃の少年に特有の一人遊びにしか見えなかった。

日向
「いいねぇ……健康そうで、うらやましいねぇ……うまそうだ。決めた、あいつにしよう。あいつが良い」

日向は、少年の立っている場所のあたりを細工してから、もう位置ど少年をなめるように見る。

日向
「厚い壁はりやがって……めんどくせぇな……来な!」

突然、奇妙な浮遊感。同時に、今まで聞こえていた新宿の雑踏の音が聞こえなくなる。

鞍馬
「えっ?」
日向
「よお、ぼうず」

鞍馬の感覚では、目の前に突然現れた様に見える。一人の男。全身を黒い服で統一しているせいか、身のこなしのせいなのか、どう見ても善人には見えない。

鞍馬
「……?! だれだっ!」
日向
「動くな!……うごくなよぉ……うごいちゃいけねぇ……いま、動くとお前、爆発しちゃうよぉ……」

明らかにどこかおかしい言動、だからこそ、うかつに動くわけには行かない、実際、肌に触れるぎりぎりの所にピアノ線のようなものが張られていて、動くにはどうしてもこの線をかき分けるか切るかしなくてはならない。

鞍馬
「何をするんだよっ!」
日向
「静かにしてれば、帰してやるよぉ……最も、動いたらその喫茶店の客もろとも爆発するけどねぇ……」
鞍馬
「そんなことっ!」
日向
「出来ないと思ってるのか?……たとえば、これだ」

身近なワイヤーをおもむろに踏みつける。

SE
ボンッ!ガシャアアン

裏口の奥、つまり店の方で小さい爆発音の後、何かが倒れた音がした。

鞍馬
「なにを……」
日向
「どれを触っても、何かが傷付くんだ……いいなぁ……動かないで静かに待ってろよぉ……」
鞍馬
「くっ!」

鞍馬は、動けなかった。自分の力なら、この場を突破できるかもしれなかったが、彼の正義感は、無関係な人を犠牲にする可能性を無視できなかったのだ。

鞍馬
(……でも……?)

※観察力11を強制力5で行使、12,10,10,3=集中力3消費で成功、現在値4)
 さっきまでは、周囲に雑踏があった。人がいた。
 もし周囲に見えなくても、まだ夕刻の一番人通りの多い時間帯である。建物の中にも外にも人はいて、何かあればすぐに他の人も集まってくるだろう。
 しかし、爆発が起きたにもかかわらず、喫茶店の中に人の姿も悲鳴もうかがえないし、野次馬達も集まってこない。

鞍馬
(もしかして……嘘?)

実際にはそこには誰もいないのではないか?
 この男は、辺りにいた人たちを一瞬にしてどこかへやってしまうような、そんな不可解で途方もないことをやってのけることができるのかも知れない。だとしたら、とんでもなく厄介な、得体の知れない相手だ。
 いや、この男は、単にそこにいるべき人たちをどうにかしてしまったのではないか? もしかしたら声も出せず助けも呼べない状態にされていて、鞍馬が動けば彼らは爆発に巻き込まれてしまうのだ。しかしさっきの一瞬でそんなことができるものだろうか?
 疑念と焦燥が鞍馬の表情に出てしまったのか、男……日向は鞍馬の様子を見て、この上なく残忍で満足げな表情を浮かべた。

日向
「いいねぇ、その顔。今からももっと楽しませてくれよ。面白いぜぇ。」

店内

直人
「ここもっ!こんな簡単なトラップなら……」

また一つ設置されていた手榴弾そのものを破壊する。扉も開ける事もせず、崩壊させて進む。考えてみると、随分と無理矢理な進撃方法だ。結界内だから良いが、現実世界で行ったらテロリストと大差無い。
 巧妙に設置している時間が無かったからなのか、手榴弾を見つける事は割と簡単だった。問題の爆弾処理作業は、物質の崩壊によって行っている為、難しい技術は要らない。

直人
(よろける)「っと……力の使い過ぎか?この力にこんなに頼るとは思わなかったからなぁ……」

次第に、集中力が尽きて行く。しかし、警戒を怠るわけには行かない。

直人
「……声?裏口かっ!」

直人は、そのまま裏口を崩壊させ、ゆっくりと警戒しながら外に出た。

喫茶店裏口付近

日向
「よう……来たか」

立ち上がり、ゆっくりと振り向く。薄笑いを浮かべ、表情には余裕すら伺える。

直人
「あなたの爆弾は、すべて解除しましたよ」
日向
「……そうか、そいつは残念だ。うん、残念だなぁ……残念すぎて、こいつを爆破させちまいそうだぜ?」

後ろには、ワイヤーの檻に捕らえられた少年。視線を動かした瞬間に、一瞬焦点がぼやける。思ったより疲れているらしい。

直人
「その子は……」(額を押さえる)
日向
「人質って奴さ。ああ、お前は、これで手を出せねぇ……だろ?」
直人
「な……」
日向
「どうした?俺を止めるんじゃねぇのか?止めてみろよ……止められるもんなら止めてみせろよ!」
直人
「結果の外に……出すつもりはありませんよ。ここなら、被害は最小限に食い止められる」
鞍馬
「え?……『結界』?」
日向
「この世界にだけに爆弾を仕掛けたわけじゃねえんだぜぇ……世界には行った俺が何もせずにビル爆破したのを忘れたか?」
直人
「私が結界の外に出る事は出来ませんからね……でも、それも処理している筈です」
日向
「なんだとぉ?」
鞍馬
「ねえ!」
日向
「てめぇはだまってろ!」
鞍馬
「この世界って、本当に他に人は居ないの?」
直人
「居ません。ここにいるのは、結界を見る事が出来て入り込める術者と、その術者に召還された一般人だけです」

確信と、怒り、そして……なぜか失望の混じった表情。

鞍馬
「そうなのか……お前っ!」
SE
がしゃがしゃん 
日向
「お前はもういらねぇ。消えろ!」

鞍馬のワイヤーを無視しての行動と、日向の足を封じるように飛び込んだ捻じ曲がった街灯の「馬」。馬は日向に噛み付こうとするが、爆風を逃れるために後ろに飛んでいた日向を捕まえる事は出来なかった。

SE
ドオオン

表で爆風。喫茶店の方だ。その爆風が、計算されたように裏口から吹き出し、鞍馬を直撃し、包み込む。ビルの一階全てを砲塔とした巨大な砲台のように裏口から爆風と瓦礫を吹き出した。
 フラッシュバック。
 過去が鮮明に蘇える。自分を逃がした父。目の前で爆炎に包まれた。今回もまた、手を出す事すら出来なかった。

直人
「日向あぁぁぁ!」
日向
「ひゃっははは!来な!」
直人
「お前はっ!壊すっ!」

瞬時に二人の間が詰まる。といっても、二人とも武術に心得があるわけではない。
 双方とも右腕を突き出す。
 直人は、触れた物体を触れた部分だけ破壊する事が出来た。彼の体に触れれば、彼の体を崩壊させつつ、貫く事が出来る筈であった。
 しかし、直人が失念していたのは、相手か自分の「対」であり、相手もまた自分と同じ力を持った異能者であるという事だった。彼の爆弾能力は異能ではない。普通の人間でも十分に可能な技術である。
 それならば……彼の異能力は……。
 物体を破壊、再生できる住人の「対」は、生命を破壊、再生できる異能を持ったものだったのだ。
 防御もせず。右の拳を相手に叩き込む。相手の右拳が胸に入るが、拳の威力は必要ない。相打ちで壊す事が出来るのだ。

日向
「あめぇ!」
直人
「……!」

脱力。そんな言葉では言い表わせない強烈な疲労。命そのものを削られているような感覚。意識を失わない様にするのが精一杯であった。
 数瞬遅く直人の拳が日向に届くが、その拳が肉体を崩壊させる事はない。そのような力はもう残っていないのだ。

直人
「な……!」
日向
「まだ、殺しはしねぇ。そこの女どもがどうなるか、ゆっくりと見せてやるからなぁ」

面白くてたまらないという笑みを浮かべた日向は、路地の入り口で見守っていた二人の少女。風音と朱理を睨み付けた。先ほどの街灯の馬は、風音が放ったものだという事も分かっている。

日向
「くっくっくっ……たのしいねぇ……」

地面に倒れ伏した直人の横をすりぬけ、日向はゆっくりと歩いて行く。
 背後は、爆発の余波による土煙がまだ収まってもいない。

朱理
「……来る?」

わずかに前に出る。光を帯びた右腕で、風音をかばうように。

朱理
「少し、下がってください」
風音
「……」

風音は、しばらく朱理をじっと見詰めてから後ろに下がる。
 彼女が何を見たのか、その表情に不安は感じない。

日向
「その右腕、いいねぇ……うまそうだっ」
SE
カツン

何かを落とした音を背に、日向が走り寄ってくる。手には何も持っていない。
 しばらくまっすぐに走ってくるが、急にその進路を変え、路地の橋により道を開ける。
 時限閃光弾と、朱理との間に障害は無くなった。

朱理
「っ!」

音無き閃光。それは、路地に満ち、朱理の目を焼いて一瞬で消える。

日向
(目を開けて腕を突き出す)
風音
(朱理の腕を引いて日向から逃れる)
日向
「……なに?おめぇ……」
風音
「解かってたから」
日向
「ならお前から殺ってやるっ!」(拳を振りかぶる)
朱理
「だめっ!」

声と共に突き出された右腕が、日向の腹を捉える。

朱理
「(そのままっ!)」

しかし、朱理の意図したようには、光は彼の腹を灼かなかった。
 逆に。今まで、軽々と動いていた右腕に脱力感が走る。

日向
「ふうっ……あぶねえなぁ……」

日向は余裕を持った口調で、一旦、二人と間合いを取る。
 離れたことにより、朱理の灼かれた眼が日向の姿を失う。

朱理
「…………効かない?」
日向
「生命力なら、破壊は簡単だぜぇ」
朱理
「………」

下唇を、噛む。
 状況は、完全に不利だった。朱理は目が見えず、今のようなまぐれ当たりは期待できない。
 一方、風音は予知できても身体がそれほどのスピードで動かないのだ。

日向
「良い声で鳴いてくれよぉ……あいつに聞こえるようになぁ」
風音
「大丈夫。助けがきます」

信じる筈はない……と思って口に出す。信じてくれない方が都合の良い予知。

日向
「たすけ?この状態で誰が助けてくれるってんだ?月島は動けねぇ、そっちの小娘は目が見えねぇ、この世界には、俺達しかいないんだぜぇ?」
風音
「絶対に、きます」
SE
ガラッ……バラバラバラ……
 
 風音の声と同時に、日向の背後。路地の中ほどで音が聞こえた。

日向は怪訝そうな顔で背後を見やる。もとより、重大な事とは思っていない。
 しかし、風音は見た。未来が、現在に来た瞬間。
 瓦礫の中に動く影があった。
 一瞬うずくまって動きを止めたその影は、直後、はじけるように土煙の中から現れた。ほんの3・4歩で、日向の懐に飛び込む。
 それは爆風の直撃を受けたはずの鞍馬だった。

日向
「なっ!?……」
鞍馬
「やああああああっ!!」

スピードを乗せた鞍馬の右ラリアットが日向の腹に食い込んだ。

日向
「ぐう゛っ!」

日向の巨体が、軽く1m程もはじき飛ばされ、地面にたたきつけられた。
 鞍馬はすかさず、いつでも追い討ちをかけられる位置に立つ。

鞍馬
「…………口、切っちゃった」(ぐいと唇を拭う)

日向を見下ろしつつ鞍馬は呟いた。

日向
「……やるねぇ(にやり)」

幽鬼のように立ち上がる。まるで重さを感じないかのような身のこなし。
 先ほどのラリアットも、地面への衝撃にもダメージを受けた様子はない。裏の世界で暮らしてきた彼の身につけた体術は、そこそこのプロとなら互角で戦えるほどの洗練を見せている。

鞍馬
(振り返って風音に気付く)「お姉さん達、路地の方へ……」

路地の中にかくまう様に二人の女性を導く。彼の背丈では、近くにいた場合に二人の女性を守りきる事は難しい。
 風音に手を引かれ、朱理は路地裏に入る。おぼろげに見えてきたが、接近戦を行うほど回復したわけではない。

日向
「直接戦るのは、好きじゃあないんだがなぁ……」

そういうと、瞳を大きく見開く。

SE
ピシッ……パリッ

日向の左目から粉々になった金のガラスが剥がれ落ちる。その奥から、さらに鮮やかな金色の目。

風音
「鍵……」

より強い意志を持って具現させれば、より強い異能を発現できる。今まで具現していた鍵を踏み台に、新たなより強い鍵を発現させたのだ。

鞍馬
「…………?!」

何かは解らなくとも、その意味を鞍馬は理解した。
 油断無く構えながら、ズボンの後ろポケットからバンダナを取り出す。あの人と同じ……しかし、いつも自分のそばにおいていたもの。

鞍馬
「お前なんかに、負けられない!」

手慣れた手つきで額に巻く。巻いたと同時に、硬化するバンダナ。意志の力をのせられた「鍵」は、意志を挫かない限り、砕く事は出来ない。

日向
「鍵か……やる気なんだな?小僧……」
鞍馬
「……(にらみつけたまま頷く)」
日向
「良いのかぁ?無益な人がたくさん犠牲になるんだぜぇ……」
鞍馬
「この世界には、誰もいないよ。いれば、誰も来ないわけがないもの」
日向
「俺には人質がいる。それでもやるってぇのか?」
鞍馬
「嘘でしょ? 爆風で吹っ飛ばしちゃうようなニセモノの仕掛けを、僕への脅しに使うくらいだから」
日向
「ああ、だが、結界の外には人はたくさんいるぜぇ」
鞍馬
「さっきの人が言ってた!処理してるって……」
日向
「根拠は?」
鞍馬
「…………」(黙り込む)
日向
「子供の浅はかさだねぇ……あいつの行った事が、ただのはったりだとしたら?俺を倒しちまったら、爆弾は止まらないんだぜぇ!」

一瞬の迷い、一気に間合いを詰め、拳を突き出す。威力よりも命中させるとこを目的とした拳。あたれば生命力の破壊を行える。

鞍馬
「(攻撃でっ……なんだっ?!避けなきゃ!)」

攻撃でもって応戦する事が出来ない。消極的な防御。強烈な悪寒は、鞍馬に振れる事を拒否させていた。
 大きく後ろに下がり、避ける。

日向
「そうだ……新宿の交差点には人が多いからなぁ……あの規模なら、時間帯にもよるが、百人以上犠牲に出来そうだぜぇ……」
鞍馬
「くっ……」
日向
「この世界を抜けて、今なら間に合うんじゃねぇかぁ?」
鞍馬
「世界を……抜ける?」
珠希
「その必要はないわっ!」

突然響いた、この場の誰にも聞き覚えの無い声。声は、意外に近くから聞こえた。

日向
「おんなぁ……誰だてめえ?」

日向は瞬時に悟り、視覚を切りかえる。そこには制服を着た女子高生の姿。顔色こそ悪いが、表情は勝ち誇った笑みを浮かべている。

珠希
「悪いけどあなたの爆弾は全て私の能力で処理させて貰ったわ。爆弾魔さん…手足をもがれた気分はどう?」
日向
「くっ……クックック……ひゃっひゃっひゃ!」
珠希
「……?」
日向
「面白いねぇ、面白いじゃねぇか。ガキや女を集めて何する気でいやがッ……」

倒れ伏している直人に言いかけていた台詞は、最後まで言いきることが出来なかった。概ねの状況を理解した鞍馬がゆっくりと向かってくる。

鞍馬
「もう……許さないぞっ!」
日向
「けっ……しかたねぇなぁ……1対1だ……来な」
朱理
「……2対1ね」

視力の回復した朱理が、ゆっくりと路地の奥から近づいてくる。その顔に、恐怖の色はない。

日向
「1対2か……いいぜぇ……いくぞぉっ」

突然鞍馬との間合いを詰める日向。前蹴りは腰のあたりだが、身長差から鞍馬の喉を狙う。

鞍馬
「くっ」

両手を十字に組み、蹴りをブロックする。数cm後方に滑り、止まった。

朱理
「(……とどけっ!)」

朱理の右腕が直線的に突き出される。光の軌跡が、大振りな蹴りを放った直後の日向の胸元へと伸びる。
 届いたのならば、そのまま殺してしまいかねない、パワーの載った拳。

日向
「生命力で増幅かっ!甘いんだよ!」

日向の一睨み。またも朱理の腕から光が消え、慣性のみで進むただの物体となる。
 その軽い拳を、日向は易々と受け止めた。

日向
「このままねじ切ってやる!」
朱理
「……まだっ!」

再び朱理の腕に、光と力が戻る。折ろうとしていた日向の身体に衝撃が走る。

日向
「ちぃっ!……なにっ?」

後半の驚愕の声を上げさせたのは、鞍馬だった。1メートル半にも満たない身長の鞍馬が、自分よりも背の高い朱理の頭を跳び越して蹴りを見舞うとは、誰が想像できるだろうか?

鞍馬
「くらえっ!」

ついこの間体育の授業で覚えたボレーシュートを、跳びながら日向の頭に決める。日向は、身体を走った衝撃で避ける事が出来ない。
 そのまま蹴り飛ばされ、数メートルは吹っ飛ばされる。あの威力で頭が吹き飛ばなかったのは、かろうじて同じ方向に跳んだからだ。

朱理
「…………すごい……」
鞍馬
「でも、決め手が無いよ……僕、人あまり殴った事はないから……」
朱理
「私の力は、接近すると散らされてしまうから…………君、時間稼ぎはできる?」
鞍馬
「あの男の人の動きは見えてるし、避けるのは難しくないよ」
朱理
「じゃあ、お願い。注意を引きつけて。合図したら、横に飛びのくの。いい?」
鞍馬
「うん、わかった」

すばやい相談。互いに名前も知らなくとも、なすべき事さえ見誤らなければ、それは自動的に組み合い、相乗効果をもたらす。
 二人は同時に動き出した。
 鞍馬は、立ち上がろうとしていた日向に向かってダッシュを掛ける。その速度はとても小学生とは思えない。瞬発力から行けば、陸上の世界記録に並ぶ。
 朱理は立射の姿勢になり、徒手の左腕を眼前に掲げる。虚空の弓を、掴む。
 瞳を閉じる。義手の掌の中に、光が凝る。

日向
「お前一人か?!」
鞍馬
「僕一人で十分だっ!」

言葉と同時に、拳を突き出す。当てるつもりはない。その手を取ろうとするのをすばやく察知し、手を引いて体をかわす。
 続く日向の攻撃も、すばやい身のこなしで指一本振れさせない。

鞍馬
「どうだっ!」
日向
「やるじゃねぇかっ」

日向は、にやりと笑みを浮かべた。

風音
「(タイミングは……一瞬)」

これから、二人が行う事は理解した。結果として生まれる一瞬のタイムラグが、日向に余裕を与えてしまう。その余裕を埋める要素は、自分が握っていた。
 未来を呼んだ事はある。しかし、直後の未来を呼んだとき……どうなるのかは分からなかった。

朱理
「(………………掴んだっ)」

瞳を見開く。朱理の右の掌の中に、虚空の弓につがえられた矢が出現する。
 放つは一射のみ。絶対に、外さない。

朱理
「今っ」

未来を追う、矢

今まさに放たれんとする朱理の手中の矢を。
  その未来を。

風音
「光の矢」

朱理が名付けている事を、後で知ることになる。その名前で。
  言葉。未来の欠片が呼び寄せられる。放たれた後の矢の軌跡。
  呼び寄せられた、未来。
  現在に刻一刻と浸食され、既定事実として過去に刻まれる未来。
  鞍馬が、日向の前から、その健脚によってかき消える。
  完全に、照準が確定された、未来。
  未来の光の矢。
  気合いが充実しきった朱理の手元から。放たれる。
  放たれた。
  未来の光の矢が。光の矢の未来が。
  凝り固まって、確定する。
  夜闇を縫って。一筋、また一筋の光が、朱理の手元から、伸びる。
  未来の具象化を追いながら。爆弾魔の身体へと。

日向
「生命力ならっ」

狂気をはらんだ形相が、叫ぶ。
  澄んだ音を立てて、硝子の様に、未来が、砕ける。
 そして。現在が。

鞍馬
「いったっ」

日向の右の胸元から背中へと。突き抜ける。

日向
「ご、ぐぉ」

口元から泡混じりの血が溢れる。

日向
「ぐぅっ!」

日向の身体を貫いたままで。光の矢、その過剰な生命エネルギーが、破裂する。
 光が、路地裏の暗闇を貫く。天へと、抜ける。
 そして、朱理の残心がゆっくりと解ける。

朱理
「…………まだ、動けるの……」

体内を暴れ回るエネルギーの奔流を。いかにして、制したのか。
 右腕で胸の傷をかばい、口元から流れ落ちる血泡を左の拳で拭いながら。
 日向はまだ、立っていた。
 生命力の破裂の中から、かろうじてその身を守ったのだ。[ここよりチェック開始]

日向
「(あれだけの力を……2本も放てるとはな……)」

朱理の方を睨み付けながら、よろめくようにあとずさる。その後ろに控えている少女がもう一射を放ったという事実は彼の想像を超えていた。

朱理
「……(もう一射…………)」

もう一度集中しようとする朱理の背後でふらっと動く気配。振り返る。

朱理
「風音さん!」

倒れかけた風音の身体を、左腕で抱き止める。軽い。

風音
「……大丈夫」

風音の額に浮き出る玉の汗。カモフラージュの為の未来の具現化が、思った以上に彼女の精神をすり減らしていた。

日向
「……!」

そして、日向の前に立ちふさがるもう一つの影、それは小さかったが、日向の朱理たちへの視線を防ぐ。

鞍馬
「もう……おわりだな」
日向
「……」

油断無く構えているが、打ってこようとはしない。

日向
「ああ……殺れよ」

日向の目はまだ死んでいない。しかし、表情は苦痛に歪み、額から珠のような汗を吹き出している。

鞍馬
「……」

鞍馬は、足を踏み出せない。相手は、既に一歩も動けない状態だ。破れた服から伺える傷。出血量からいっても、立っているのが不思議なくらいである。
 勝負は明らかについていた。

日向
「どうした……殺らないのか?」
直人
「やるさ」

鞍馬の後方から声をかけたのは、ビルの壁にもたれ、かろうじて立ち上がった直人だった。
 よろよろと日向へ、路地の出口へと歩いてくる。瞳の色は、両目とも黒に戻っていた。「鍵」を具現できないほど消耗しているのだ。

直人
「君は……手を下しちゃいけない。これは、僕が決着をつけなくちゃならないんだ……」
鞍馬
「でも……」
直人
「大丈夫。奴を殺す事は出来るさ……」

そういうと、日向の足元へ小さな金属片を投げる。乾いた音を立て、金属片は日向の足元に転がっていった。

直人
「それは、僕に向かって投げた手榴弾の一つです。復元させれば数秒で爆発する」
日向
「なるほど……な」
直人
「あんたがやってきた事を思えば、同情は沸かない」
日向
「……」
直人
「親父の仇だ。法があんたを裁けないなら、俺があんたを裁く」
日向
「ここまで手伝ってくれた仲間を見殺しにしてか?」
直人
「なにっ?」

日向は、右胸を抑えていた手を放し、息をつきながら顔をぐいと上げる。その傷は、赤黒い血の塊に覆われて。だが、出血だけはかろうじて止まっている。生命力の再生を連続で行い、自己治癒力をぎりぎりまで促進させたのだ。

SE
ゴゴゴゴ……
 日向     ;「聞こえるか?今、ビルの爆破スイッチを押した。本当は
おまえ達の死体をごまかすための仕掛けだが、まあ、良いだろう」
直人
「な……どういう……事だ?」
日向
「これから、この路地は瓦礫に埋まる。お前が手を借りた奴等ごとな」
直人
「その前にあんたを殺すっ」
日向
「やれよ、お前もこの距離なら吹き飛ぶなぁ……それでも世界を維持できんのか? 維持できなきゃ爆発は外の世界で起こるなぁ……被害者倍増。お前も殺せる。言うこと無しだねぇ……一緒にいこうぜぇ……」
SE
ゴゴ……ドンッ……ゴゴゴ
直人
「いまっ……お前を殺さないとっ」
日向
「死んだ奴は戻らない。生きていればまた会える……って歌もあったねぇ」
直人
「親父の仇を討つんだっ!」
日向
「死んだ親父と!生きてる仲間を秤にかけるのかっ!」
直人
「!」
SE
ドガァンッ
 
 直人が出てきた喫茶店の雑居ビルの半分が吹き飛ぶ。鉄筋コンクリートは等身大の弾丸と化し、路地に向かって降り注ぐ。
 
風音
「きた」
朱理
「えっ?」
鞍馬
「うわっ」

ビルの破片は降り注ぐ。
 雪のように……花びらのように……。
 絶大な破壊力と「死」を伴って。

鞍馬
「あぶないっ」

鞍馬が、朱理の左腕に抱えられたままの風音をかばう。
 細かい破片が降りそそぐ。鞍馬の強靭な体にほとんどが防がれるが、小さい体では全てを防ぐ事は出来ない。

風音
「っ!」

降り注ぐ中では、比較的小さな。しかし、拳大の大きな破片。
 闇と砂煙の中に、血しぶきが舞う。
 血しぶきの向こうに、日向の姿がかき消える。

直人
「秤になんて!かけてはいない!」

ふっ
 と、瓦礫が。永遠の過去の中に飲み込まれて。消えた。

月影に、ようこそ

新宿の夜の喧燥が蘇る。

朱理
「え?」

朱理の右腕が、光を失ってだらりと垂れ下がる。

珠希
「結界をといたのね?」

路地は、小綺麗とはお世辞にもいえないが、瓦礫の一つも無く、喫茶店の裏口も破壊されてはいない。どこから見ても都心のありふれた路地裏である。
 そこでたたずむのは5人。日向の姿は既に新宿の雑踏に飲み込まれ。結界の外にいた珠希は突然現れた4人へ迅速に対応する。

珠希
「ほら!少年はいつまでも抱き着いていない!」
鞍馬
「あ……」

跳び離れた鞍馬を横目に、朱理が左腕一本で風音を路面に横たえる。

風音
「……ごめんなさい……」
珠希
「出血はひどいけど……かすっただけみたいね」

朱理と珠樹が、簡単ではあるが応急処置をする。結界が解けてしまった以上、朱理の光の腕は治癒の力を発しない。

風音
「すみません」
珠希
「で、君歩けるの? それにさっきのお兄さんはどうなったのかも気になるわね」
朱理
「あ……」

いわれて初めて気がついたかのように、朱理は立ち上がり、直人の元へ走り寄った。
 直人は、日向と話していたときと同じように路地の壁に体を預けている。

朱理
「あの……」
直人
「……」

初めて会った数時間前とは打って変わって薄汚れ、埃と汗まみれになった顔。
 閉じられた目が、ゆっくりと開く。黒い瞳は、先ほどとは変わっていない。いや、日向と対峙していたときの、何かに憑かれた様なぎらついた輝きは拭い去られていた。

朱理
「……………」
直人
「大丈夫です。……風音さんは?」

そういうと、ゆっくりとであるが、しっかりと歩き始める。朱理のそばをすり抜け、路地の奥、仲間達の方へ向かう。

直人
「大丈夫ですか?」
風音
「……大丈夫です」

肩を抑え、出血してはいるが、大丈夫らしい。

直人
「外傷なら塞げます。ちょっと失礼」

そういって、風音の手を取る。動かしたときの痛みに、風音の表情が少し歪む。

風音
「太陽の目の人は?」
直人
「……逃がしちゃいました」
風音
「良いんですか?……追わなくて」
直人
「今は、皆さんの方が優先です」
風音
「……」
直人
「駄目ですね……月影を始めたときに、捨てた筈だったんですが……復讐なんて個人的な感情が、まだ残ってたなんて……その上、たくさん人を巻き込んでしまった……」
風音
「勝手に足を突っ込んだだけだから……」
直人
「皆さんが助けてくれなかったら、奴にここまで近づけなかったでしょう……まだまだですね……私は」
風音
「……」
直人
「あいつは止めなきゃいけません。その想いは、今でも変わってない。でも、感情に流されるのは、これで終わりです」
風音
「……(苦笑)……感情に流されてなければ、止められないのではないですか?」

日向の信念。それに勝てなければ、直人に勝ち目はない。しかし、今の直人では、感情に流されでもしない限り日向をしのぐ信念は持てない。そう言っているのだ。

直人
「そうなのですかね?……だとしたら、もう僕には奴は止められないのかも知れませんね」

そう……素直に言葉を受け止めているような言葉。しかし、その表情には感情を感じる事が出来ない。しかし、瞳の奥の強い意志は感じる事が出来た。

風音
「…………(声を立てずに笑っている)」
直人
「何かおかしいですか?」
風音
「………そんなこと、思ってもいらっしゃらないのに。理不尽に向かって、怒りつづけるのも……感情と思います(にこ)」
直人
「……そうですね」

ようやく、口元に笑みが浮かぶ。一つの答えが、出た。

直人
「はい、傷口はふさがりました。とりあえず、月影に戻ってからちゃんと治療をしましょう。立てますか?」(風音に手を差し出す)
風音
「………立てます。ありがとうございます」(すうっと立ち上がる)

そこに鞍馬をひきずって珠希が近づいてくる。どうも彼女には疲労困憊の少年に肩を貸してやるほどの甲斐甲斐しさはないらしい。

鞍馬
「お姉さん……かえって痛いよ」
珠希
「我慢なさい、男の子でしょ」
朱理
「……………あ…」

風音と朱理が目を丸くする。
 今になってよく見ると、鞍馬は全身頭のてっぺんから足の先までボロボロだった。服はあちこちが無惨に破れ、肌は擦り傷だらけであちこちの皮膚から出血までしている。もっとも、二度もの爆発に耐えきってそれで済んだのは、彼なればこそだ。

風音
「大丈夫?……おかげで助かりました。ありがとう」
鞍馬
「お姉さんも」
朱理
「……後でその傷も手当するから」
鞍馬
「ありがとう」

そう言いながら彼は、「鍵」となったために唯一無事だった頭のバンダナをはずし、大事なポケットの中に一緒に突っ込んだ。彼の目的は済んだのだ……今日のところは。
 鞍馬が立てるのを確認して、珠希は直人に歩み寄った。

直人
「爆弾、解除してくれたんですね。ありがとうございます」
珠希
「ったく、なんだか知らないけどまた随分とぞろぞろ出てきたものね。君、約束通り事情は話して貰うわよ」
直人
「ええ、わかってますよ」

まさか、女子高生に「君」呼ばわりされるとも思わず、直人も苦笑する。

珠希
「ほんと、やんなっちゃうわ、結局アイツも出てこないし。こっちは流血までしたのよ」
直人
「…流血! どこかに怪我でも?」
珠希
「ほら、見てみなさいよ。痛いったらありゃしない」

何処で引っかけたのだろうか、膝の頭にうっすらと切り傷が出来ている。珠希はそれを自慢げに見せびらかし、微笑む。直人も思わずそれにつられそうになるが、そこで顔が引き締まる。そう、忘れていたが彼女が住人なのか狩人なのかはいまだ不明確なままなのだ。

珠希
「さてと、それじゃ話を聞かせなさい」
直人
「え、ええ。それは構いませんが、ここではなんですし、場所を移しませんか? 幸いこの近くに僕のやっている喫茶店があるんです」

そのやりとりに、朱理がかすかに笑みを浮かべる。
 路地裏から月影までは、それほどの距離はない。
 月影では、まだやる事がたくさんあるのだ。自分の想いを探している暇など、今の直人にはなかった。
 月影に、住人達が集まってくる。自分が統治者の器ではない事は、重々承知している。だから、場所を用意する。体を動かす。
 迎える場所を作る事、集まる場所を作る事。その事が、災厄に対するささやかな抵抗である……と信じて。

直人
「みなさん、月影へようこそ」

喫茶、月影の扉が、キィ、と音を立てて開いた。
                   了

解説

終末の住人達が出会い、対との結界内での戦闘を行っています。
 結界、鍵、異能での戦闘シーンなど、判定を交えての描写を行ってみました。

登場人物

月島直人(つきしま・なおと) 喫茶・月影のマスター。物体操者。
川島竜也(かわしま・りゅうや) 月島直人の居候。終末の住人である。
日向錬也(ひゅうが・れんや) 月島直人の対。終末の狩人で、金色と黒のカラーコンタクトが鍵。爆弾テロリスト。
桜居珠希(さくらい・たまき) 首を操ることの出来る女子高生。姉の首を探している。終末の住人。
遠野由紀夫(とおの・ゆきお) 桜居珠希の保持している首の一つ。
新木朱理(さらき・あかり) 右腕が義手の少女。美術系志望の高校3年生(一留)。終末の住人。
岡崎鞍馬(おかざき・くらま) 生まれながらにして超人的な身体を持つ少年。終末の住人。昔の思い出に絡み、バンダナを額に巻いて「鍵」とする。
白鷺洲風音(さぎしま・かざね) カッサンドラ系予知能力者。未来の破片を操る。

時系列

1999(2nd)/05/28(Fri)、夕方から夜にかけての出来事。



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