エピソード07『風、きたる』


目次


エピソード07『風、きたる』

上野公園 〜鞍馬、序章〜

少年
『昨日まで、「尾瀬」に行ってたんだ。まだすごく寒かっ たけど、良かったよ』
青年
『「オゼ」? 聞いたことはないが……観光地なのかい?』

会社帰りの人々も散見される上野公園。
 夕刻と言っても、既に五月のこと。まだ空は明るく、昼の陽気の名残も強く残っていて、過ごしやすい。夕日が射す公園の不忍池のそばに、熱心に語らう青年と少年がいた。

少年
『そうだよ。……観光地というより、自然公園、かな。 自然のままの湿地が残っていて、珍しい……「きちょうな」、かな? 貴重な花や動物が保存されているんだよ』
青年
『「湿地」か……それも私は見たことがないんだ。 そこの池のようなものなのかい?』

少年、と言ったが、見た目にはちょっとボーイッシュな少女と言っても通じるかも知れない。外見、表情、それに立ち居振る舞いも、同年代の今時の小学生とは違う、大人びた感じ……と言うよりエキセントリックな風情……を帯びている。
 その彼が話している話し相手も、取り合わせとしては変わっていた。どう見てもアラビア系の青年のようである。

少年
『違うよ。そう言うありきたりの池とは違うんだ。 うーん……きれいな水と、草や花が生えているままの土とが混ざり合って……混ざり合ってるって言っても「泥」とは違って……きれいなまま、一緒にあるって感じかな……』
青年
『ハハハ……いや、失礼。 私には結局わからないけれど、クラマ、君がその「オゼ」に行って、とても素晴らしいものを見てきたと言うことは何となくわかったよ。』
鞍馬
『もっとうまく伝えられればいいんだけどね』
青年
『そんなことはないさ。君が私たちの言葉を使って話して くれるおかげで、私は普通なら想像すらできない「日本」について、教えてもらえているよ』

クラマと呼ばれた少年……日本語では鞍馬と書く……とアラビア人の青年が話をしているところに、やはりアラビア人の男が近付いてきた。

『おい、もう少しでMAGHRIBだぞ。 (※) もうみんな集まる時間だ』
青年
『……(時計を見て)……そろそろ時間か。 すまない、クラマ。礼拝が終わるまで待っててくれるかい?』
鞍馬
『うぅん、今日は帰るよ。また遊びに来る』
青年
『そうか。また、面白い話を聞かせてくれ』
鞍馬
『うん。じゃあね』
青年
『悪いな』

青年を見送り、鞍馬はその場に一人残された。
 よく見ると、何人かのアラビア人が同じように公園を歩いているのが見える。皆、先ほどの青年のように集まり、あるいは思い思いの場所で、自分たちの神に祈りを捧げるのだ。
 それが毎日決まって繰り返される彼らの慣習である事を、鞍馬は知っている。異国の地でそれを守り続けるには、どれほどの確固たる想いが必要だろう。
 しかし、それを思う彼の視点には、感傷はない。
 人は皆それぞれに違うのだから、違う想いを抱くのは当たり前だ。
 ……彼はこの歳で既に、そう思っている。
 人と人との違いを見つけるために、そこから自分を見つけるために、彼は走り出したのだから。
 教えられるだけ、待っているだけでは、自分が本当に知りたいことは、いつまでもわからない。
 そのことが、解ってしまったから。
 そんなところにじっとしているのはまっぴらだったから。
 そう思ったとき彼は、待つことをやめた。
 鞍馬は公園を後にした。
 知らず、足取りが速くなっていく。彼の中に内在するエネルギーは、性格的には大人しい彼を、一つ処にはなかなか留めておかない。やがて彼は走り出していた。その足はだんだんと速まり、疾走へと変わる。
 一人の少年がどこか近所の自分の家へ向かうために走っている、すれ違う人が彼が走るのを見たら、そうとしか思わないだろう。しかしその足で彼は、ゆうべまでいた北関東の山中から上野まで、文字通り自力で帰ってきたのだ。***
 昼間の程良い疲れを残した身体で、都区内をゆっくりと横断して自分の住む町まで戻り、家族の顔を見て安心させてから寝床につく。彼の毎日は、いつもそんな風に暮れる。
 年老いた家族が彼の行動をどう思っているか、鞍馬も普通の子供と違う対応を家族に要求している自分を重々承知していたが、互いに何も言わないことが暗黙の了解事項になっていた。ちゃんと自分を律するほどの節度とプライドを彼はだんだんと身に着けていたし、羽目を外すほどの度胸もなかったから、実際には家族はあまり心配してはいなかったのだが。***
 その日も信州から中央線沿いを抜けてきた彼が、東京郊外の町並みにさしかかったのは、既に夜中になってからのことだった。
 自然に早まる足を抑える何かが、ふと彼の感覚に触れた。

東京郊外 〜展開〜

鞍馬
「…………?」

足取りを緩める。すれ違う世界がだんだんと減速する。
 通り過ぎてはいけない……そんな感じがした。惹かれる……何か。
 それは、近付くにつれて人の姿とわかった。髪の長い、女性の姿。

女性
「……?」

膝まで伸びる髪を夜風になびかせ、女性は彼に気付いて足を止めた。
 肩から掛けたストールに包みこまれそうな小柄な身体に、しかし何かを秘めている女性。吸い込まれそうな、強い瞳。
 街灯一つ分の距離。それはスポットライトのように鞍馬と女性とを照らす。

女性
「……あの」
鞍馬
「……はい?」
女性
「……どうしたの、こんな時間に?」
鞍馬
「…………っと」

……どんなことを言ったかは覚えていない。
 流れるような、風にそよぐような姿だけが、彼の脳裏に焼き付いた。ゆるやかな身のこなし、頼りなげでいてしっかりと立っている姿勢。その姿はまるでアポロンの神殿の予言者のようで、鞍馬に何かを告げるためにこの場で待っていたかのように思えた。
 しかし彼女が口にしたのは、お告げではなく普通の優しい心遣いだった。二言三言言葉を交わし、女性がつと足を踏み出したところで、鞍馬はようやく我に返った。
 すれ違う女性が、立ちつくす鞍馬をいぶかしげに振り向く。その姿は、あくまでも生身の、暖かい女性の姿。深夜に一人歩きするには、あまりにも危うい。

鞍馬
「……あのっ!」
女性
「……?」
鞍馬
「あの……お姉さんも、気をつけてください」
女性
「はい……ありがとう」

優しい、さざ波のような笑みが女性の顔に浮かぶ。
 もう一度頭を下げると、鞍馬は真っ赤になって走り出していた。彼女が見ていたとしたら、その速さに目を見張るであろうほどに、無我夢中で。

鞍馬
「……おやすみなさい」

心を込めて呟いたその言葉は、彼女に聞こえるはずもなかったが。***
 何かの予感。
 正反対だからこそ、惹かれる人。あるいは、似ているからなのか。
 何かの予感。
 澱んだ時間を押し流すために、集まる人たち。
 風が、吹いた。(終)

付記

MAGHRIB(マグリブ)

イスラムにおける、夕刻の礼拝。
 1999年5月の東京では、日本時間で午後6時30分前後になる。

あとがき

……なんか文体が一貫してないなぁ(^_^;。くどいところが多いと思いますが、ご容赦下さい。
 しかしここまでじっくり書いたのは何年ぶりだろうか(^_^;;;;
 読んでお分かりの通り、いー・あーるさんの「ニアミス」とセットです。その節はありがとうございました。m(_ _)m >E.Rさん
 長い髪の表現と「予言者……」のくだりでしか暗示していませんが、文中の女性は風音さんです。
 タイトルの「風」は、走る鞍馬のイメージと、風音さんの名前、それに従来の1999年=世紀末のイメージである核戦争を題材にした外国の漫画「風が吹くとき」から採っています。事件が動き始めるイメージを当てています。
 前半は鞍馬の紹介エピソードになっています。彼がWP01に参加する上での導入です。後半では、これから絡んでいく風音さんの存在を彼なりに感じ取っている様子を書いています。辛うじて全編に共通しているキーワード(^^;は「互いに違う者同士が交流するとき」です。
 まぁ鞍馬からすれば衝撃的な出会い、だったかも知れません。初期遭遇にインパクトがあると、子供心には刺激が強いのかも知れない(笑)。
 それでは、これにて。m(_ _;)m
 堀田 拓司 (ごんべ)  gombe@osk3.3web.ne.jp

解説等

鞍馬の初登場・キャラ紹介エピソードと、鞍馬が風音に初めて出会うシーンを『ニアミス』の逆の視点から描いたものとを合わせたものです。

登場人物

岡崎鞍馬
 無敵の身体を持つ少年。放浪癖があり、不登校。
女性(=白鷺洲風音)
 未来予知者。



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