エピソード08『日曜日』


目次


エピソード08『日曜日』

登場人物

白鷺洲風音(さぎしま・かざね)
  信じられる事の無い未来を見る女性。 破滅への願いを心に棲まわせている。
縣志郎(あがた・しろう)
  啖うモノ。みずからが殺した妹を求めてさまよう。

深夜の公園
 一本だけたった街灯にブランコや滑り台が浮かぶ
 周囲の家々は寝静まり夜の闇に沈んでいる
 公園の光と街の闇
 その境目
 汚れたベンチの影に、一つの影が蹲っている
 動かない
 静かに、ただ静かに
 時折聞こえる犬の遠吠え
 風になびく葉音
 それらさえも届かないように
 夜よりも暗い影
 闇を呼吸するかのように、息を潜め…
 影は男だった
 やつれた頬
 婆沙羅に伸びた髪
 服はぼろぼろになり、所々にシミも見える
 ゆるゆると夜の空気を吸い、そして吐きながら、男は思っていた
 女の顔
 声
 動き
 肌の色
 髪の香り
 表情
 肉の味
 はらわたの手触り
 血の色
 悲鳴
 声
 囁き
 唇
 顔
 女の顔
 口の動き
 言葉
    『おにいちゃん』
 声にこもっていた感情
    『おにいちゃん』
 手の感触
 恐怖
 後悔
 罪悪感
 喪失感
    『おにいちゃん』
 そして、快感
 考えていなかった
 ただ思っていた
 心の中を巡る流れのままに、自分の感覚を浸していた
 心地よかった
 ぐるぐると渦を巻く記憶と感情の中に身を浸しながら
 なお、男は何も考えていなかった
 虚ろな瞳を地に落としたまま、男は静かに座っていた
 男は、名を、縣志郎と言った

乱打

身体の芯から、乱打するような苦痛。
 風邪……では、ない。
 感情同期の一症状、と、頭では納得する。
 しかし、この事態は異常である、とも。
 
 今日であることは、わかっている。名前も、居るであろう場所もわかっている。
 そこに向かって、感情の堤防を押し下げた。
 途端、胃の腑を乱打されるような…………
 一つ一つの感情には覚えがある。
 しかしその強度に類が無い。
 
 吐き気。
 一日何も喉を通らなかったことに、ふと感謝する。
 

風音
「…………っ」

膝を強く握り締める。自分の感情を引き剥がし、相手の感情を締め出す。
 そしてやっと風音は息を吐いた。
 こんなことはある筈が無い。人の感情を感じ取ることはあっても、それはまるで手袋をはめた手で手触りを確かめるような、頼りないものであった筈なのに。
 寒気がした。
 自分に近い未来。食い込むように関わる未来。
 恐怖感と…………それを呑みこむような絶望。
 未来は、望んでも変わるものではない。
 ころころと転がる、鮮血の匂いの未来。
   そろもん・ぐらんでぃ
   ワタシハ・ヒカレル・アナタニ
 確かに引きずられるように、自分は未来へと進んで行く。
 風音は顔をゆがめて立ちあがった。
 

闇夜道行

公園までの道は、間違えようにも間違えようの無い道で、どんなにのろのろと歩いても、五分とかからない。
 ブランコ。さびた鉄棒。滑り台。
 ベンチのところに居る筈の……
 一瞬、願う。未来が異なった軌道を描いてはくれないものか。
 異なった図式を選んではくれないものか。
 
 一度、目を閉じて、開く。
 人影。
 
 満ちてくるあきらめ。
 歩を、一歩進める。
 すう、と人影が動いた。こちらに気がついたように。

風音
「……あがた、しろう?」

異臭

よどんでいた夜気が動く
 生き物の気配
 敵意無し
 腹は満たされている
 動く必要はない
 静かな靴音
 肉の音
 骨の軋み
 近づく
 軽い
 痩せている
 息遣いが微かに乱れる
 動悸
 体は弱いようだ
 真っ直ぐと向かって来る
 目的地はここか
 躊躇い
 惑い
 確実に近づく気配と共に臭って来る
 諦め
 感情が起伏している
 だが幅は小さい
 そして、どれもに混じる微かな異臭
 異臭
 ゆっくりと顔を上げる
 女
 痩せた女
 真っ直ぐと見詰める瞳
 やはり、微かに臭う
 どこか懐かしい
 どこか愛しい
 どこか辛い
 いや、どれも違う
 あえて言えば………腐臭
 殺し続けて来た
 溜まった滓が腐った
 染み付いてしまった
 拭い取れない、腐臭
 心の臭い
 女が口を開く
    「……あがた、しろう?」
 懐かしい言葉
 なんだ?
 そうだ
 俺はこう呼ばれていた
 そして長らく呼ばれていない
 ゆらりと虚ろな瞳を女に向ける
 静かに立ちあがる
 そうか
 同じ臭いか
 同じ臭いを持つ女
 ゆっくりと思い出すように、口を開く
 言葉を捜すように視線を巡らせる
    同胞なる女よ

志郎
「…………あんたは?」

   汝が名を告げよ

漸近線

問われれば、問われかえすもの。
 単純ではある。
 
 「…………あんたは?」
 一瞬の、目眩。
 未来は既に現在となり、その途端一切の知識を風音から封じる。
 あとは……どうすればいいのか。
 自分に見えない未来があるということに気付いたのは、案外早かったかもしれない。自分の見た未来に否応無く反応した、その直後の未来は時折ふと、こま落としのように途切れる。
 立ち上がった男は、風音よりも頭一つ背が高い。

風音
「白鷺州、風音」

答えてから、はたと風音は困惑した。
 自分がどうする積りであったのかは分かる。しかしそれをどう目の前の相手に伝えればよいのか。
 先刻、自分を乱打した感情を、恐らく一般には狂気と言うのなら……
 

風音
「………あの」

しかし自分が申し出ることも、恐らくは半分程狂気の方向にある、と言えなくもない。
 相手は沈黙したままである。
 ひどくうつろな……手応えの無い。

風音
「………このままだと風邪を引きます……から」

恐らくはそれは枕詞。相手に対してではなく、自分に納得させる為の。
 次の言葉を紡ぐ為の。
 

風音
「来ますか……うちに」

はかはら
 ---------
 惑いが色濃く臭って来る
 何を惑っているのか
 見えないのか?
 一体何が
 未来
 先
    「………このままだと風邪を引きます……から」
 違う
 何をだ
 求める事
 何を求める
 これではない
 おのれの意図を
 おのれの言葉で
 思い、告げよ
 我は聞こう
 何を求む
 同胞よ
 女よ
    「来ますか……うちに」
 言葉
 応じよう
 それを求むなら

志郎
「………行こう」

これではない
 これではない
 お前が求めるのはこれではない
 漂う狂気
 臭う狂気
 言葉の裏に隠された臭気
 お前が躊躇うもの
 お前が伝えようとするもの
 受け取ろう
 告げよ

志郎
「…行こう……」

招魔

「…行こう………」
 声が闇に溶ける。
 気配も闇に溶ける。
 

風音
「……こちらです」

返事は、ない。
 足音も、ない。
 自分一人が影を伴って歩いているような頼りなさ。
 
   
   逢魔ヶ刻ニハ、振リカエッチャアイケナイヨ
   後ロニイル人ガ、魔ニ変ワルカモシレナイカラネエ
 きき、と、きしるような……これは多分、記憶。
 高い、声。
 風がどう、と街路樹を一つゆすぶる。
 長い髪を結んでいたスカーフが、ばさ、と風をはらんで鳴る。
 

風音
「ここ……です」

門を開けて、玄関の扉に手をかけて……
 初めて、ふりかえる。
 街灯の光の中で、そこだけ切り取られたような、影。
 凶兆……凶鳥?
 一瞬の、幻想。
 鍵を開ける、その一動作で振り払ってしまえる程度の。

風音
「どうぞ」

魔を…………呼びこむ。

悪夢

自室の襖を閉めてから、風音はほっと息を吐いた。
 家に連れ帰り、部屋に案内する。一切相手は口を開かず、こちらも必要最小の言葉しか口にしなかった。
 布団を延べて、どうぞ、という前に、相手は畳の上に横になっていた。
 重ねて勧める気も起きず、ただ掛け布団だけ上から被せてきたのだが。

風音
「…………前途多難」

手負いの、いつ飛び掛かってくるかわからない猛獣を相手にしている、そんな緊張感に似ているのかもしれない。
 鮮紅色の未来。
 あがたしろう、と名乗る青年の未来を、実は風音はよくは見ていない。
 ただ、恐らくは既に数回繰り返されたであろう殺人には気が付いてる。
 鮮紅色の、ぬるりとした手応えの未来。
 それ以上見ることを拒否する自分と。
 それ故に、あえて関わろうとする自分と。

風音
「…………」

ふと、胸元から五連の鈴を引き出し、軽く振る。しゃらん、と、五つの鈴がてんでんばらばらに鳴る。
 眠気と、鋭い嫌悪。眠りが運ぶ悪夢。
 目を上げる。古い箪笥の引き出しの取っ手が、ガーゴイルの笑みを浮かべていた。
 そして、違わずに悪夢。
 そろもん・ぐらんでぃ
 月曜に生まれて(ショウガクセイノショウネン)
 火曜日に洗礼(チュウガクセイノショウネン)
 水曜に結婚(コウコウセイニマデセイチョウシ)
 木曜に病気(イモウトトクラシ)
 金曜に危篤(イモウトノフザイニオビエ)
 土曜に死んで(イモウトノスガタヲオイモトメ)
 日曜に墓の中(啖ラウ…………)
 はいそれまでよ、そろもん・ぐらんでぃ
 
 髪の短い娘だった。
 苦悶と恐怖が刻み込まれるような表情。
 細い首に、指の跡。
 肩口に取りついた何かが、動く。その度に胸の悪くなるような臭いがそこから立ち上る。
 目を、閉じたかった。けれども閉じることが許されていないことをよく、知っていた。
 がつ、と、骨を断つ音。そして咀嚼音。
 娘の胸につうと流れる、赤。
 その流れを、啜る……音。
 影が、啖らう。
 左の肩から、白い胸。そして。
 ごとん、と、重い音。
 食いちぎられて、落ちた頭。うつろな目が、瞬時どす黒い恨みを湛えて大きく見開かれる。
 血走った視線が、風音を貫き通した。
 『アナタガ、選ンダ未来』
 『アナタガ、許容シタ未来』
 『アナタガ、止メナカッタ未来』
 悲鳴は、喉につかえて止まる。
 それが真実であることを、誰よりも自分が知っている。
 娘の口が、奇怪な三日月形を作った。
 『アナタモ、イツカコウナル』
 『アナタモ、イツカコウナル』
 哄笑。吹き出す笑いと、吹き出す金気を帯びた赤い色と。
 その全てが、風音を乱打する。
 
 その怒りは正当。
 その言葉は真実。
 風音の表情に、何を読取ったのか、娘は跳ね上がるように笑った。
 笑いは鋭い刃となって、風音の鼓膜を切り裂いた。
 『アナタモ、イツカコウナル』
 ふと悟る。悟らされる。
  アナタモ………………私も
  イツカ………………いつか
  コウナル………啖らうものになる
 
  キサマガワタシトオナジタチバニタツトオモウカタテルトオモウカ
  ソノツミガコノテイドデタチキエルトデモオモウタカソレホドマデ
  
 「……ちが………」
 影が振り返る。
 『同胞』
 『お前は同胞』
 虚ろ。
 振り返ったそこには、なにも、ない。
 冷え切るような、虚ろ。
 悲鳴が、夢と現を引き裂いた。
 そして……
 目を開くと、やはり古い箪笥の取っ手が光っていた。
 ひどく、寒い光に見えた。
 夢。
 夢は全て、まことではないもの。
 しかして……全て現ともなりうるもの。
 『アナタガ、選ンダ未来』
 

風音
「……(苦笑)」

覚悟なぞ、何処を探しても無い。
 
 何時の間にか撥ね退けていた布団を被りなおして、風音は目をつぶった。
 目蓋の裏の残像は、やはり寒い光を帯びていた。

解説

風音と志郎の出会い。そして、風音が志郎を拾う話。



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