エピソード026『水の眷族』


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エピソード026『水の眷族』

登場人物

葛城水稚(かつらぎ・みずち) : 
新宿の情報屋。外見は二十歳前後なのだが、20年あまり
も前から年老いていないと言われる謎の女性。月島直人(つきしま・なおと) : 
新宿歌舞伎町にある喫茶店・月影のマスター。物体操者。

蛟、来訪

SE
 カラカラン
直人
「いらっしゃいませ」

ドアベルの音に、作業の手を止めて応対する。現在、ウェイトレスの更雲優は休憩で奥に引っ込んでいる。

水稚
「こんにちわ、直ちゃん(にっこり)」

なれなれしく話し掛けてきた客は、年の頃20代前半の美人。直人より年下に見える。
 直人の始めてみる顔で、当然、”直ちゃん”などと呼ばれる間柄ではない。

直人
「え……あ、こんにちは。どこかでお会いしていましたっけ?」
水稚
「あら、ごめんなさい……そういえば初めてでしたっけ」
直人
「すみません、こういう仕事柄、顔は覚えるようにしているんですが……」
水稚
「ごめんなさいね、友達から色々聞いていたものだから、 つい……(くすっ)」

可笑しそうに、くすりと笑みをこぼす。

水稚
「聞いていた通りだったから、どうも初めてって感じがし なくて……(くすくす)」
直人
「いえ、かまいませんよ(にこ)」

すぐに、いつもの調子を取り戻して営業スマイルを取り戻す。
 水稚にすれば、昔に立ち寄ったときの、小さかった直人の姿の方が印象が強く、それが、今目の前でかしこまっている喫茶店のマスターになったかと思うと、おかしくて仕方が無いらしい。

水稚
「コーヒー下さるかしら?」
直人
「はい。何になさいますか?」

普通、「コーヒー」と注文されて、「何にするか?」とは聞かない。そこが、月影の売りであり、直人の自慢する所であった。

直人
「アメリカン、ブレンド以外には、地名で大体そろえてありますけど……」
水稚
「そうねぇ……」
暫し考えていたが、なにか良い事を思い付いたのか、楽しげに微笑む。

水稚
「じゃあ、将人さんの得意だったものを(にこっ)」
直人
「オヤジを知ってるんですか……。解りました」

わずかに、直人のと記憶を刺激し、覚醒の瞬間が蘇る。
 しかし、今更動揺するような事件ではない。
 もう、完全に自分の中で消化した記憶……思いでである。

直人
「(たしか……モカにブルマンを……)」(豆を取り分けている)

思い出しながら分量の調節をする。直人特性のブレンドとは違う、苦みの強めの味。
 再現させようとした事もあったが、それ以後作っていない。

直人
「少し、時間がかかりますから、お待ちください」(手引きのミルでごりごり)

豆の選別。煎り方、砕き方。そして入れるときの温度まで、コーヒーの味に影響する。

直人
「(一定の回転……早すぎず、遅すぎない……)」
水稚
(にこにこにこ)

にこやかな笑みを浮かべて、静かに待つ水稚。彼女の中の、幼い時代の直人の姿が重なる。
 しかし、その場に彼女はいなかった。それより前に、”死んで”しまったから。
 この場所に、あしげく通えない理由があったから……。

直人
(サイフォンを用意)「もうすぐ出来ます。……オヤジには、全部教わる前に継いでしまったので……」(粉を入れ、サイフォンに火をいれる)

ガラス製のサイフォン。以前と同じ物を、新宿中探し回って買ってきた。一度、水が上に上がり、火を止めると色が着いて下に降りてくる。
 直人の好きな情景の一つ。

水稚
「そっか……」
直人
「はい、できました。オヤジの味になってるかどうかはわかりませんが……」
水稚
「じゃ、頂きます……」
 
 カップを取り上げると、柔らかな香りが鼻孔をくすぐる。
水稚
「……うん……良い香りね……(にこっ)」

そして、一口……

水稚
「……………」
直人
「(じー) どう……ですか?」

固唾を飲んで……というのが正解。
 父親の背中を追いかけている彼にとって、父の味を知っている人間の評価は、一つの試験のようなものである。
 自分を庇って死んだときから、追い越せない背中を追い続ける直人。
 目の前の背中は、追えば追うほど遠ざかっていくように見えた。

水稚
「直ちゃんも立派になったわね(にっこり)」
直人
「あ……ありがとうございます(照れ)」

合格……と、かってに判断する。彼女の笑みを、正面から見る事が出来ずに、目を伏せる。

水稚
(にこにこ)
直人
「あの……オヤジとどういう関係だったんですか?見たところ、僕と変わらないくらいだと思うんですが……」
水稚
「さぁ…どういう関係なのかしらね(にこにこ)」
直人
「……」
水稚
「大丈夫よ、ただの友達だから(にこにこ)」
直人
「いやまあ、何か関係があるような年じゃないのは分かりますけど……」

言えるはずが無いし、言うつもりもない。
 ただの友達。
 それで良い……
 ゆっくりと味わいながら、コーヒーを楽しむ……

水稚
「じゃあ、ご馳走様。直ちゃんも、大変だろうけど頑張ってね(にこっ)」
直人
「あ、ありがとうございました」

だが、すぐにコーヒーも飲み終る。
 冷めるまで居るつもりはない。
 この場所に、余り長居は出来ない。
 
 見守る人二人が集う、この場所に、いつか、自分が戻れる日は来るのだろうか……。
 
 ふ……と、脳裏をかすめた想いは、ドアベルの音にかき消された。

解説

新宿の情報屋として、第二の人生を歩み出した水稚が、過去の思い出の残る月影に再び現れる。
 しかし、その場を愛するがゆえに、彼女は全てを心の中に封じ込めた……。



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