エピソード030『悪夢』


目次


エピソード030『悪夢』

登場人物

芦屋団十郎(あしや・だんじゅうろう)
 
戦争帰りの医師。直人とは古くからの知り合い。
岡崎鞍馬(おかざき・くらま)
 
生まれながらに超人的な身体を持つ少年。終末の住人。
東風吹子(こち・ふうこ)
 
命ある者達の魂を響きあわせる事で不思議な現象を起こせる住人。
今回はコクシチョウにとり憑かれ、命の危険にさらされる。
桜居珠希(さくらい・たまき)
 
首使いの女子高生。月影に頻繁に出入りしている。
更雲優(さらくも・ゆう)
 
喫茶店・月影のウェイトレス。光の剣を操る人造人間。
川島竜也(かわしま・りゅうや)
 
喫茶店・月影に居候している6歳の少年。光の女神を召還し、使役す
る住人。
月島直人(つきしま・なおと)
 
喫茶店・月影の店長。物体繰者。住人の組織『月影』のマスター。
南風原流歌(はいばら・るか)
 
吹子の従妹。声を使った人間嘘発見器のような能力を持つ。

発端

夕方。山の手線の電車にて。

吹子
「あ?」

座席に座って寝ている中年男性の髪が、不意に燃え上がったのを見て思わず叫ぶ。

友人A
「どうしたの?」
吹子
「みえ、ないの?」
友人B
「なにが?」

だが、まわりの友人達は、いやその本人も含めて自分以外の乗客全てが、
 今も燃えている、その黒い炎に気付いていない。

吹子
「だって……あ!?(黒い、炎!?)」

見直して、ようやく気付く。
 黒い炎など自然に存在する筈が無い。

友人A
「……?(訝しげ)」
吹子
「なんでも、ない……」

彼女は何とかそういった。

吹子
「(錯覚、よね……)」

だが、その炎は自身の存在を誇示するかのように、
 さらに烈しく燃えあがり……

吹子
「(咲い、た……?)」

そう。まるで、蕾から花が咲くように、ゆっくりと
 左右に広がって……

吹子
「…………」

魅せられたように、片手をその炎へと伸ばす。
 と、炎がふわりと舞い上がり、差し伸べられた
 その手にとまる。

吹子
「あつっ」

一瞬、蝶のように『羽ばたいた』その炎は、花に止まる蝶のように
 吹子の手に止まると、そのまま消えてしまった。
 一瞬の、焼けつくような痛みだけを残して……。

友人A
「ふうちゃん?(心配そう)」
吹子
「な、なんでも、ない……(今の、一体……?)」
友人B
「ほんとに大丈夫?(こっちも心配そう)」

と、駅に着き、乗客の一部が、外に出て行く。

友人A
「あ、席空いたよ。座ろ」

と、促し、3人とも椅子に座る。
 座ってしばらくして、右手に違和感が起きる。
 不思議に思って、手を見ると……。

吹子
「!!」

右手に黒い炎が纏わりついている。
 ちらちらと透明感のある黒い舌が、その右手を舐めていく。

吹子
「ひっ!!」

熱さは感じない。……いや、感覚そのものが、ない。
 自然にはありえない黒い炎は、熱を感じさせる事もなく、その右手を焼き、
 食い尽くしていく……。

吹子
「いやぁっ!!!」
友人A
「ふうちゃん!?」
友人B
「ふうちゃん大丈夫?」

と、唐突に炎が消える。
 焼かれた筈の右手も、元に戻っていた。

吹子
「え……?」
友人A
「どうしたの? 随分うなされたけど……」
吹子
「!?」
友人B
「もしかして、寝不足?」
吹子
「そんな、だって……」
友人A・B
「???」
吹子
「……なんでもない」

それからは何事もなく駅に着いた。

友人A
「今日ははやく帰って寝た方が良いよ?」
吹子
「うん……(疲れてるのかな)」
友人B
「じゃ、また明日」
吹子
「バイバイ」
友人A
「じゃあね」

半ばフラフラと、道を歩いていく吹子。
 交差点に差し掛かり、赤信号に気付いて立ち止まる。
 と、

吹子
「!?」

赤信号なのに、脇を摺り抜けて歩いていく気配。
 目を凝らすと……

吹子
「ひっ」

「全ての信号が赤の時は、死者が通る時間」
 そんな噂を聞いたのはいつの事だったろうか……。
 後頭部がぱっくりと裂けた少女が横断歩道を渡っていく。

吹子
「いや……」

顔の半分が欠け落ちた男性が道を渡ってくる。

吹子
「いやあぁっ!!!」

叫ぶ吹子に気付いた死者達が、ゆっくりと振り返る。
 失われた右目の空洞から涙のように黄色い液体を流している青年。
 ちぎれた左腕を、右手で持っている女性。そして、つぶれた腹から
 内臓がはみ出ている老婆……。
 そんな死者達が、吹子を見つめ……にやりと笑みを浮かべる。
 気がつくと、信号は青になっていて、怪訝そうな視線を送りながら
 人々が道を渡っていく。

吹子
「…………(怯え)」

吹子は逃げるように走っていった。倒れる少女---------
 ふらふらと、憔悴しきった表情で歩いていた少女が、
 不意にバランスを崩したように歩道で倒れた……。
 新宿の雑踏が遠巻きになる。助け出す人はいない、それぞれが群集の顔をうかがっている。
 冷たい街……と呼ばれた事もある新宿である。その群集から吹子の元へ駆け寄る人影が二つ。

竜也
「おねぇちゃん、大丈夫?」
吹子
「ん……」

竜也の呼びかけに、彼女は答えない。 珠希はその自分と同じ年頃の少女の額に手を当て、様々な可能性を考えてみる。

珠希
「うーん、そう大したことじゃないとは思うんだけど素人判断じゃわからないわよねえ。救急車呼んだ方がいいかな」
竜也
「ここからならウチまで連れてってお医者さん呼んだ方が早いよ」

竜也は少し前にインフルエンザで寝込んだときに、父親代わりの直人が医者を呼んでくれたときのことを思い出した。

珠希
「そう言うことなら話は早いわね。じゃあ私が荷物とかは持つから、竜也君お願いね」
竜也
「………」

竜也は、そのままうなずいて彼女を背負う。30センチメートルの背丈の差は、背におぶっても頭の上に頭が乗っかる。
 しかし、足取りはしっかりしていて、ふらつくような事はない。

珠希
「へえ……結構がんばるじゃない」
竜也
「早く……いこう」

と、ゆっくりと歩き出す。さすがに普段の歩みと同じスピードを出す事は出来ない。

珠希
「よしよし、がんばれ」

珠希は、声をかけるだけである。

通りすがりのカップル

SE
てってってっ

一人の少年が、白い犬を散歩させている。
 少し普通でないのは、少年がまだ小学生らしく、白い犬が少年の身体を優にしのぐ大きな犬であるという事だった。

SE
てってけてっ

やけにペースの速い散歩である。
 かといって犬に振り回されている様子もない。少年と犬の息はぴったり合っている。少年は犬の好きに走らせているし、犬は少年のリードに大人しく従っている。
 しかし、この散歩について行く人がいたら、おそらくあまりのペースの速さに音を上げているだろう。

SE
てってけてってってっ☆

少年・鞍馬と白犬・ルーシーは、こうして週に一二回は新宿界隈を散歩している。碓氷奏雅の口利きで、ルーシーのお散歩役を鞍馬が引き受けることになったのだった。
 所要時間にすれば大したことはないが、ルートは新宿一帯に及ぶ。その日も、あちこちを走り回った後に彼ら一人と一匹は駅前にさしかかった。

鞍馬
「……? ルーシー、待って!」
ルーシー
「……ハッ、ハッ、ハッ……」

流れていく雑踏の間に、一つの異様な人影がのろのろと動くのが見える。
 どうも、一人の女性がどこかへ担がれていく途中のようだ。その女性を担いでいるのは……。

鞍馬
「竜也くん?」

鞍馬はそう呼びかけながらルーシーをつれて駆け寄った。

竜也
「あ……(はあはあ)」

既に吹子が倒れてから1区画程度は歩いている。さすがに、竜也の体力では限界に近かったが、弱音を吐く事はしない。
 竜也に続いて、珠希が傍らに付き添っているのにも気付く。

鞍馬
「あ……お姉ちゃんだったんだ」
珠希
「……あら、鞍馬君じゃないの。どうしてここに?」
鞍馬
「犬の散歩だよ」
ルーシー
「ワンッ」
鞍馬
「……どうしたの?」(吹子を見て)
珠希
「行き倒れよ。とにかく、この子の知り合いの医者がいるって言うから、そこに連れて行くことにしたんだけど」
鞍馬
「竜也君じゃつらいよね……僕が運ぶよ。珠希ちゃん、これをお願い」(と言って、散歩紐を渡す)
珠希
「OK。……って、ちょっと!」
SE
ずるずるずる☆
鞍馬
「ルーシーは力が強いから、気を付けてね」
珠希
「先に言いなさいよ!」
鞍馬
「よっ☆」

鞍馬は軽々と吹子の身体を抱え上げた。……軽くて柔らかくて、いい香りがして、純情な鞍馬は思わず顔中が熱くなってくる。

珠希
「……何を耳まで真っ赤にしてるのよ(ニヤニヤ)」
鞍馬
「いいじゃないかっ」(赤面)
竜也
「こっちだよ」

そのままスタスタと竜也の後を歩いて行く。
 彼の身体能力は、竜也の比ではない。

珠希
「さすが……たいした物ねぇ……」

いまだ目覚めぬ…

喫茶店「月影」にはすぐに着いた。いつも通りの店内には丁度お客も一人もおらず、鞍馬は迅速に意識不明の少女を奥の居間に寝かしつけ、竜也はすぐに直人に事情を説明しにカウンターの方へ行く。残る珠希はというと荷物持ちとルーシーの散歩で既にへろへろだった。

珠希
「はぁ結局私が一番疲れた気がするわね…っと、それどころじゃないんだった。鞍馬君、様子はどう?」
鞍馬
「駄目、みたい。なんだかうなされてるみたいだし」

そこに竜也と直人が入ってくる。

竜也
「今お医者さん呼んだよ、すぐ来てくれるって」
珠希
「まあ大したことじゃあないと思うんだけどね」
直人
「ご苦労様、まあ紅茶でも飲んで少し休んで下さい」

医者が来るまでには五分とかからなかった、本当に店の近所に住んでいるのだろう。竜也の判断は正しかったようだ。
 店の方から豪快な大声が響いてくる、およそ知的なイメージからはほど遠い。

医者の声
「よう、坊主。大きくなったなぁ」
直人
「こないだ会ったばかりじゃありませんか(苦笑)」
医者の声
「で、患者はどこなんだ」
直人
「奥で寝かしてあります」

そうして入ってきたのは中肉中背の大入道という感じの男だった。顔中に傷跡があり、ご丁寧に眼帯まで付けている。その男はのしのしと眠ったままの少女の方に近づき、ゆっくりと腰を下ろす。
 一方、その医者の異様な風体に、初めて見た鞍馬と珠希は不安になってきていた。珠希が直人に耳打ちする。

珠希
「…ちょっと、何よこの人?」
直人
「大丈夫ですよ、昔からの知り合いで腕は確かです。しかも彼も住人なんですよ、芦屋団十郎さんと言います」
鞍馬
「え?」
団十郎
「おいおい、坊主達は出てってくれ。嬢ちゃんは手伝いだ」

直人と鞍馬と竜也は追い出され、店の方に戻る。
 それからしばらくして、診療を終えた団十郎と珠希も店の方に来てカウンターに座る。

直人
「で、どうでしたか?」
団十郎
「おう、別に身体の問題じゃなさそうだな。おつむの問題なのかもしれねーが、まあうなされてたしそう大した問題じゃあねえんじゃねえか? ただ眠り病とかだったらちょいと問題だな」
珠希
「まあね、起きたときにでも聞きましょ」
竜也
「はあ、大したことじゃなさそうなんだね」
鞍馬
「よかったね」

しばらくしてその医者、団十郎は帰っていった。一応鎮静薬を数錠だけ置いていったが、必要はないだろうと言っていた。
 午後六時、今日はこんな事になってしまったので早めに店を閉めた。店内には直人と竜也、先程まで買い出しに行っていた優。珠希と鞍馬も一度ルーシーを帰しに行きはしたが、今はまた戻ってきている。

直人
「それにしても、人助けなんて珍しいですね」
珠希
「別に、竜也君が騒ぐから付き合ってあげただけよ」
鞍馬
「ねぇ……荷物とか、調べなくていいのかな」
珠希
「何を考えてるのかしら? この少年はっ」(ぐりぐり)
鞍馬
「痛いなぁ、そんなんじゃないってばっ」
直人
「確かに……調べる必要はあるでしょうね。お家の人も心配するかも知れませんし」

結局、珠希の一応の立ち会いのもと、直人が手荷物を開けてみる。

竜也
「…………何だかいっぱい入ってるなぁ……」
鞍馬
「……ほんとだね」
珠希
「女の子にはね、大切なものがいっぱいあるものなのよ。(偉そう) ほら、あまり見ないの!」

中から出てきたのは……
 まずノートや教科書。ペンケースに下敷き。
 そして生徒手帳。

珠希
「あ、あったあった。これで住所が解るわ(^^)」

手にとって住所を見てみる。

珠希
「ここ、か。電話借りるわね」
直人
「どうぞ」
SE
「プルルル……、プルルル……。プルルルル……ガチャ。はい東風です。ただいま留守にしております。ピーと言う発信音がしたら御用件を……」
珠希
「あれ?」
鞍馬
「どうしたの?」
珠希
「留守電になってる」

手帳をぱらぱらとめくってみる。

珠希
「あ、こっちかな?」
SE
「プルルル……、プルルル……。ガチャ。
女の子
「はい、南風原(はいばら)です。どちら様でしょうか」
珠希
「東風吹子さん、ご存じですよね」
南風原
「ええ、吹子は従姉妹ですが…なにか?」

1時間後、東風吹子の従姉妹という人物が月影まで彼女を引き取りに来る。

異変

珠希が吹子の従姉と連絡を取ってから二・三十分ほども経っただろうか。
 突然吹子が暴れ出した。

一同
「!!」

とっさに珠希が押え込む。吹子はなおもしばらくもがいていたが、やがて大人しくなった。

竜也
「急に、どうしたんだろう。今まではうなされてても、暴れたりはしなかったのに……」
SE
「キンッ」
直人
「ん? なんだこれは?」

突然、吹子の胸のあたりに出現する、細身のU字磁石に取っ手をつけたような金属体。

珠希
「音叉……かな?」
直人
「いきなり出現した……という事は、鍵?」
SE
「キィィ…………ンン」
一同
「!?」

出現した音叉がひとりでに震え出す。

「何か聞こえる……」
珠希
「そりゃあ音叉が鳴ってるんだから……」
「違います。何か音楽みたいな……」
珠希
「え?(耳を澄ます) ほんとだ、これは……歌?」
「これは……『tohhikoh』?」
直人
「『トーヒコー』って?」
「1998年にtohkoって歌手が歌ってた歌です。 でも、どこから聞こえるんだろう?」

頭を巡らしてみても、四方八方から聞こえてくるようにしか聞こえない。

鞍馬
「!!! 僕たちから聞こえてるんだ!」
一同
「え!?」
SE
シュボッ!!

突然ストロボをたいたような閃光と音が響き、まわりの様子が一変する。

直人
「ここは……一体……(呆然)」

薄暗い小部屋。絵が何枚か壁にかかっているが、一際目に付くのは正面にある、幼い少女を抱えた男性の絵だろう。
 淡いセピア調で、幸せそうな笑顔が何故か切なさを感じさせる。
 しかし、全体的に存在感は希薄で、現実的には感じられない。

直人
「精神世界……か……」
珠希
「どういうこと?」
直人
「誰かの精神に引きずり込まれたんです。この中で居ないのは……あの少女ですね。おそらく、引き込んだきっかけはあの歌でしょう」

油断なく周囲を見渡しながら、簡単な解説をする。確信はない。しかし、十分予想されうる理由だった。
 ……そして、狭い部屋の中で唯一違和感のある存在がある。
 
 一匹の、黒い炎のような、蝶。

少女の声
「助けて……」

黒い炎が一枚の絵にとまる。と、火が燃え移り、ちりちりと広がっていく。
 部屋が揺れ、声にならない悲鳴が響き渡る。

少女の声
「お願い……、誰か助けて……」

鞍馬が一歩足を踏み出す。

直人
「鞍馬君、気をつけてください」
鞍馬
「大丈夫……みたいだよ」

鞍馬は無意識に足場を確かめていた。この一歩も、油断無く用心深く、自分の存在にすら疑問を抱きながら踏み出した一歩だった。
 感覚はしっかりとしていて、握る拳に力がこもるのを自覚できる。そして、力がこもるのは、自分を確認するためだけではなかった。

直人
「それから、慎重に。おそらく、部屋の破壊は、彼女の精神の破壊につながります」
鞍馬
「はい。……ふっ!」

少女と男性……おそらくは父と娘だろう……の絵にちらりと目をやった鞍馬は、鋭い気合いとともに、燃え始めた絵に向かって突進した。
 かかっていた壁から絵をはぎ取り、ふわりと離れた炎の蝶を壁にたたきつける。生き物を殺すことに対するためらいが、間一髪でするりと蝶を逃がしてしまう。しかし、その懸念は杞憂だったと、鞍馬は直感的に悟った。

鞍馬
「何だこいつ……生き物じゃない!」
珠希
「……そうと判れば、手加減はナシね」

珠希はポケットに忍ばせた剃刀に手を添えた。その瞬間、ぱっと蝶の炎が二つに分かれる。

一同
「?!」

蝶は首と胴を分かたれ、弾けるように消滅した。

SE
ぱん、ぱんぱんぱん

その間にも鞍馬は絵の炎を消そうと必死に絵を叩き、やがて、大して燃え広がることもなく火は消えた。
 蝶だったモノの黒い粒子が燃え尽きた場所に降りかかり、色と形を取り戻す。

鞍馬
「……よかった」(ほっと一息)

その絵には、おそらく正面の絵と同じ人物であろう男性の、堂々とした後ろ姿が描かれていた。

直人
「どうやら、あの蝶を倒せば、この部屋を修復できるようですね」
SE
さぁっ
「!?」

安堵したのもつかの間。
 陰になっていたところから、闇が分かれ出るかのように黒い蝶が舞い上がる。

鞍馬
「こんなにいるなんて……!」
珠希
「皆で潰していくしかないようね」

しまいかけた剃刀を再び構えて言う。

竜也
「お母さん……」

つぶやいた竜也の隣に光の女神が顕現する。

竜也
「!?」

「鍵」である光の女神は結界ではないこの領域においては存在するだけで竜也に負担をかける。
 他の皆は鍵を消し、あるいはその力を弱め、消耗を減らす。

直人
「皆、結界を張ります」

そう言ったと同時に、直人は結界を張る。彼の胸の前に銀色の球体が現れ、ものすごいスピードで拡張する。
 直人以下、ここにいる全員を取り込み、結界は形成された。
 結界の中は、月影店内。

竜也
「あれっ?」
珠希
「どういうことっ?」
直人
「外は……やはりあの部屋……彼女の召還ができないだと?」

結界に関しては、この中の誰よりも深く習熟している筈である直人が、本気での召還にも吹子の身体は応じない。
 吹子が結界内に来ていないならば、吹子の能力でもって月影を変換させていたあの部屋も、結界内で具現は出来ない。

SE
さあっ

黒い炎の翅をもつ蝶は、結界を超えて侵入して来る。

竜也
「このおっ」
直人
「駄目です!」

光の女神で以って攻撃を加えようとしていた竜也を、厳しい声で止める直人。

直人
「あの蝶を倒すのは、あの部屋でなければならない。でないと、彼女の精神は復元しません」
竜也
「じゃあ……どうしたら……」
直人
「結界を解いて倒します。竜也、君は見ていてください」
竜也
「うん、わかった……」
直人
「早めに決着をつけないと行けませんね……」

そう言って、結界を解く。周囲の景色はまたあの奇妙な部屋に戻った。

直人
「鍵は使えず……周りへの配慮も……か、なかなか気を遣う仕事ですよ……」

住人達は、それぞれの技を振るい始めた。
 その蝶は意志を持たないのか直人の物体破壊能力も有効だったが、かといって長引かせるわけには行かない。
 敵の数が多い上に鍵を使用しにくいこの状況では長期戦は不利だ。

珠希
「えいっ!」

掛け声とともに、何匹もの蝶が首を分断されて飛び散っていく。

女性の声
「な、なにこれ!」

突然聞きなれない声があがる。
 振り返ると、そこに居たのは見たことのない少女だった。
 位置的には、月影の出入り口の位置。店内に入って、この世界にそのまま連れてこられたのだろう。

直人
「誰だ?(……まさか……彼女が南風原さん?)」
南風原
「な、なんなのこの部屋、喫茶店じゃなかったの?」

と、一匹の蝶がその肩に止まる。

竜也
「あぶないっ!」
南風原
「えっ?」

とっさに一番近くにいた鞍馬が蝶を叩きつぶす。

南風原
「な、なにするのよ、危ないじゃない!(怒)」

助けられたにもかかわらず、鞍馬に怒る南風原嬢。

鞍馬
「みえ、ないの?」
南風原
「何がよ!(むくれている)」
直人
「一般人には見えないのか……やはり堕とし子……」

と、とうとう最後の一群れが直人のひと睨みで消滅する。
 部屋の調度品が完全に元に戻った瞬間、

少女の声
「ありがとう……」
南風原
「ふうちゃん!?」

声がして部屋は消え、元の「月影」に戻っていた。

目覚め

吹子
「う……」

眠っていた少女がかすかにうめいて目を覚ます。

吹子
「ここは……?」
南風原
「一体何がどうなってるの?」
吹子
「流歌姉さん?」
南風原
「ふうちゃん! よかった、目がさめたのね? 一体何がどうなってるの? いきなり倒れたって言うし、病院じゃなくて喫茶店に連れ込まれてるし、来たら来たでいきなり妙なことになってるし!?」

半ば錯乱したような状態でまくし立てる。

吹子
「あのね……、私、良くわからないけど、『コクシチョウ』っていうのにとり憑かれていたみたいなの」
南風原
「『コクシチョウ』?」
吹子
「うん。黒い翅(はね)の蝶で、黒翅蝶。死を告げる蝶だから、告死蝶。なぜかそれだけは解るの。 それが私にとり憑いて、命が危なかったから、この人達が助けてくれたの」
南風原
「そう……。もしかして、この人たちも?」
吹子
「うん。私達と同じ、異能者」
南風原
「ふうちゃん……、従妹を助けてくれて、有難うございました。私は南風原流歌(はいばら・るか)っていいます。 流歌って呼んで下さい」

そういって、頭を下げる。

流歌
「ところで、どういった知り合いなの?」
直人
「いえ、ただの通りすがりです」
流歌
「へぇ、運が良かったのね、通りすがりの異能者が助けてくれるなんて」
「そうですね(にこにこ)」
流歌
(裏があるわけじゃないみたいね)
直人
「コクシチョウ、か……」
流歌
「何か知ってるの?」
直人
「い、いえ。どうしてあんなものが突然発生したのかな。とね」
珠希
「そうね、『去年まで』あんなのいなかったし、『今年』になって突然……」

一旦言葉を切る珠希。
 吹子と南風原の二人が妙な表情を浮かべている。

珠希
「なに? どうかした?」
吹子
「やっぱり何か知ってるんですね?」
流歌
「コクシチョウ自体は知らなくても、それの同類は見た事くらいあるんでしょう」
鞍馬
「違うよ、あんなの最近まで見た事無かったって意味で……」
流歌
「嘘ね(きっぱり)」
鞍馬
「え?」
流歌
「声の調子を聞けば解るわ。あなた達は嘘をついてる。従妹の命の恩人にこんな事いうの失礼だろうけど、真相を教えて」
直人
「……あれは、私たちが『堕とし子』と呼んでいるものです。あれの発生する原因は分かっていません」
流歌
「それも嘘ね。発生する原因を知らないわけじゃないでしょう?」
直人
「本当に知りませんよ(にこ) ……正確には……ね」
吹子
「流歌姉さんは聴覚が鋭くて、相手の口調や声音から嘘をついているかとか、どんな事を考えているのかとか、解るんです。うちの家系は音楽関係の人が多くて、それで音に関する異能者がたくさんいるんです」
竜也
「へぇ。じゃあ他にもいるの?」
吹子
「うん。……お父さんもそうだった(ぽつり)」
竜也
「そうなのかぁ……」
流歌
「本当の事を教えて。ふうちゃんは偶然助かったけど、そのうち死んじゃう人だって、出てくるかもしれないんでしょう?」
鞍馬
「でもこれは他の人に言っても……」
流歌
「なに、私は役に立たないって言いたいの?」
鞍馬
「え、え〜と(汗)」

しどろもどろになってしまう鞍馬。

吹子
「今年が、繰り返してる事に何か関係があるんですか?」
流歌
「ふうちゃんまたそんな事を……」
直人
「やっぱり住人なんですね……」
流歌
「え?」
直人
「……多分、貴方には話しても納得できない」

静かな、それでいて悲痛な響きを含んだ言葉を、流歌に浴びせる。
 突き刺さるのは相手だけではなく、自分も同様である。

流歌
「どういう事よ!」
直人
「……」
吹子
「流歌姉さんじゃ、納得できない?」
直人
「……流歌さん。貴方は、吹子さんから、『今年が繰り返している』様な事を聞いた事はありませんか?」
流歌
「あるわよ」
直人
「その時、どう思いました?」
流歌
「勘違いに決まってるじゃない。世間は99年で、去年は98年。そんな事、小学生でも知っているわ」
直人
「そうですね。でも、我々も今年が繰り返してると思っている連中なんです」
吹子
「えっ……(この人たちも……)」
流歌
「なっ……(嘘じゃない……信じきってるって言うの?)」
直人
「我々の事を、どう思いますか?」
流歌
「おかしい……なぜ信じられるの?」
吹子
「流歌姉さん! 失礼よ!」
直人
「そうです、おかしいのです。多分、貴方には理解は出来ても納得は出来ない。おかしい人間の話す事ですからね」
流歌
「あなた……自分がおかしいとは思っていない……」
直人
「あたりまえですよ、頭のおかしい人間が、自分がおかしいなんて思うわけないでしょ?」
流歌
「……道理ね」
直人
「ええ」(にっこり)

そこまで言うと、直人はカウンターの向こうに行き、コーヒーを入れ始める。

直人
「皆さん、紅茶もありますけれどどうします?」

その言葉に、それぞれ思い思いに注文する。

直人
「優さん。手伝ってもらえますか?」
「あ、はい」

優と二人で、順番に注文の飲み物を入れて行く。
 それほどかからず、全員の前に並べられた。

直人
「流歌さん、どうしますか? 私が話す事は、多分貴方には納得できない。真剣に考えれば、精神に異常を来す場合もあります。ですから……」
流歌
「聞くわ」

直人が言い終わるより早く、流歌が答える。

吹子
「流歌姉さん……」
流歌
「ふうちゃんを一人で置いていけないもの。貴方は嘘を言ってないし……」
直人
「分かりました。説明しましょう……」

そうして、説明を始める。住人の事、時間のループという災厄の話。時間のループが原因で起こっている問題。

直人
「って、こんな所ですかね?」
流歌
「……」
吹子
「で、コクシチョウは?」
直人
「ああ、堕とし子の話はまだでしたね。私は、敵……と見ています。どういう訳か、一般人には認識できず、結界にも入りこむ力を持っている。形状、能力はさまざまなので、同じ存在とは限りません。私たちから見て、敵だという事だけです」
吹子
「どうして、堕とし子って?」
直人
「なぜ、我々の敵なのか? と考えたところ、災厄が差し向けた刺客……と考えるのが無難だからです。正式には、災厄の堕とし子と呼びます」
流歌
「貴方がつけたわけじゃないわね?」
直人
「そう言う事まで分かるのですか……便利ですが、寂しい能力ですね。そのとおりです。私の後援者に聞いたのです」
吹子
「後援者?」
直人
「この店の資金と、組織『月影』の活動資金は、その後援者から出ています」
流歌
「なによ、一般人でも協力できるんじゃない」
直人
「その人は、自分の心を守る為に、私の報告を聞こうとはしません。向こうから一方的に話や資金が送られて来るのです」
流歌
「……」
直人
「まあ、簡単にはこんな所です。今日は、私も一戦交えて疲れてますし、お開きにしませんか? 吹子さんがもっと話を聞きたいのなら、いつでも来てくださって構いません」
吹子
「あ……じゃあ、帰ります」
流歌
「……」
吹子
「流歌姉さん、行こう……」
流歌
「ええ……」
直人
「また、お待ちしています」
「ありがとうございました」(ぺこっ)

吹子と流歌は、そのまま帰路に就く。
 喫茶月影が再開され、残された月影のメンバーも、いつもの常連に戻る。

終幕

ようやく家に着く二人。

二人
「ただいま〜」
「お帰りなさい」

ふと見ると居間のTVが点きっぱなしになっている。

アナウンサー
「…………この患者は……の会社員で、発病が環状線の車内であったため……」

青ざめた表情で立ち尽くす吹子。

流歌
「ふうちゃん?」
吹子
「この人、あの時の人だ……(青ざめている)」
流歌
「え?」
吹子
「この人から、コクシチョウが……、この人から、私、感染したんだ……」
流歌
「じゃあ(TVを見直す)」
アナウンサー
「……治療の甲斐なく、死亡しました」
吹子
「そんな!(泣きそう)」
流歌
「…………」

重苦しい沈黙が覆う…………。
 まだ、終わっていない。『月影』と吹子は、コクシチョウを完全に排除できたわけではないのだ。

時系列

1999年(2回目)6月。

解説

コクシチョウがはじめて終末の住人達に確認された話。



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