新宿の街に、結界が張られる。
すぐに、その結界の中を透かしてみる。見渡すところに術者は見えない。
中心部も、すぐに発見できる。結界の全体的な形状と範囲が分かれば、それほど難しい事ではない。
ここからなら、数分で到着するだろう。
結界の中は、地面がえぐられ、建物もあちこち傷付いている。
通行中であった車なども、横転しているものもあった。
そういうと、直人も意識を集中し、結界の中に入った。
いつもなら術者を確認してから結界侵入を試みるのだが、今回はそうもいっていられない。
結界に入ってすぐ鍵を発動させ、眼鏡を外す。直人の鍵である月の瞳のコンタクトレンズは、直人に合わせて度が入っているため、眼鏡をかけている必要は無くなるのだ。
鍵の発動は、五感、身体能力にも影響をあらわす。爆発音は、通り一つ向こうらしい。
直人は、そこらに転がっている車や建物の破片を2,3拾ってから走り出した。
通路を曲がる瞬間に、血しぶきと樹の枝が飛び出して来る。慌てて後ずさり、直撃を避ける。
みると、一本の樹から伸びる枝に貫かれている一人の人間。
貫かれているのは、20歳くらいの青年であった。青年の腕が力無く落ちると同時に、結界が解ける。
結界を張り直す。たとえ意識を失っていても、血まみれで外に出すわけにはいかない。
まして、動き回る樹などはなおさらだ。
結界を張り直した事で、「樹」の目標が変わったのか、枝は今度は直人に向かって来る。
まず、動きを止めてから貫こうとしているのか、さして鋭くない枝が曲線的な動きで襲い掛かる。
直人の体に触れる瞬間に、枝の先から粉々になって行く。物質崩壊は、振れた瞬間に発動できるまで洗練されていた。
目に映る崩れ落ちた青年の血塗れのからだ。死亡しているのか、気絶しているだけなのかはみただけでは判断できない。
出来る事なら助けたいが……。
「樹」に向かって怒鳴る。答えは、数本の枝での捕縛で返ってきた。あっけなく両手両足を拘束される。
「樹」は、貫くための枝を直人の左目に向かって放つ。明らかに、鍵の破壊を狙っている。
先ほどよりも更に粉々になる枝。自由になった右腕をすばやく懐に入れ、
「樹」に向かって投げつける。
その一言で、車の破片は復元を始める。投げつけた速度はそのままに、質量だけが数百倍となって「樹」に向かう。
数本の枝で受け止め、衝撃を緩和してから横にはじき出す「樹」。しかし、その間、直人への攻撃はなく、直人の姿も車に隠れていた。
はじき出した更に後ろから、影が忍び寄り、幹に触れられる。
鳴き声なのか、枝の軋みなのか分からない音を立てながら、自分の前にある目標に向かって一斉に枝を突き出す。前後上下左右。何処にも逃げ場はない。
直人の声と同時に、「樹」は大鋸屑へと姿を変える。物質の崩壊で粉々になったのだ。
大鋸屑は、地面に落ちる前に黒い塵と化し、空気に解けるように消えて行く。
以前、鍵の具現は止めないが、肩から力を抜く直人。
ゆっくりと歩いていって、青年を見下ろす。
抱き起こして、脈を診る。手に触れれば、その物体がどのような状態であるのかも分かるくらいになっている。
そのまま、ゆっくりと地面に横たえさせ、数歩離れる。
さあっ……と、赤いしぶきが宙に舞った。青年の姿は、もう無い。
死体をそのままで結界を解けば、大事件である。
死体を別の場所に移すわけにもいかない。
住人と堕とし子の戦いの犠牲者には、こうするしか方法が無いのだ。
新宿に、行方不明者が一人増えた。
それだけの事件であった。
1999年(2回目)8月。
住人である直人が偶然にも知らない住人の死を見取ってしまう。
住人と堕とし子の知らされない戦いと、知らされない末路が描かれている。