エピソード072『緩急自在』


目次


エピソード072『緩急自在』

登場人物

八島小次郎(やしま・こじろう)
終末の狩人。侠児を父の仇として追う。異能は影とその実態を切断
する"斬影"
青天目譲(なばため・ゆずる)
終末の狩人。白鷺州風音の対。強力なエンパシー能力者。

本文

波動

たとえば、空気を大きく揺るがせる風のように。

「……?」

きいん、と、その始まりを彼は、可聴域外の音として捉える。
 結界、と。
 名を知ったのは、さほどの昔ではない。

(だれだろう?)

そこに伴う感情は、月影などで出会った人々のそれとは、かなり違う。
 若い。
 未熟さも無責任さもそれゆえの鋭さも含めて。

(……っても、僕と大差ないのか(苦笑))

鋭く光る、刃のような憎しみ。そしてうっすらと同期して流れる自信。
 そして…恐らくは他者の、軽蔑?

「…………」

帝都。昼。
 アスファルトに跳ね返る陽射しのせいか、初夏だというのに体感気温はやたらと高い。
 歯に軋むような、薄黄色い…怒りの波動。
 それに絡み付く、深群青色の、やはり怒りの波動。
 二つの波動は、互いに組み合わさるでもなく、ただきしきしと流れてゆく。

(行って見るか)

偶然休講が重なっての半日休み。レポートを書くための資料として本を借りたはいいが、用語が英語でわからない。さあでは用語辞典を買いに行こう…という、一応万人向けの言い訳と共に本屋に向っていた譲は、あっさりと進路を変更した。
 結界を張るもの。そして、二人分の感情。
 ということは。

(住人と、狩人…か)

つきん、と、頭の右の奥が痛む。細い針で縫うように。
 陸橋の下、と、方向を見定める前に。
 激痛。視界の斜め前方、頭蓋の内側に釘で大きく引き裂くような。

「……っ」

慌てて感情を遮断した、と同時に。
 ふっと、結界が消えるのがわかる。そして……

??
「(畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生………)」

火花のような痛み。譲を引きずり込むような……
 …………それでいて、どこかしら、負けを悟ってしまったような……
 己が望みの、今は叶わぬを知ってしまった者の、それは感情。
 譲は無言で足を速めた。

偶然

足音。
 確実にこちらに向ってくる足音に、小次郎ははっとした。
 敵意、害意、その他負の感情はそこには無い。が、それを感じ取るだけのゆとりは、現在の彼には無い。

小次郎
「……(畜生っ)」

動く右手で上半身を支え、起こそうとした…時に。
 りいん、と音が響いた。

小次郎
「?!」

円く広がる、薄い膜。青銀の色は一瞬だが彼を透過し、そして周囲から彼を隔絶する。
 向こうから来る、もう一人を除いて。

「大丈夫?」

小次郎と大して背格好は変わらない。一見してわかる穏やかな顔立ち。視線は自分の方に向っている。

「無理しないほうが良いよ。とりあえずまわりからは見えないから」
小次郎
「……(こいつ……)」

敵意と不審をはっきりと視線に込めて、小次郎が相手を睨みつける。
 視線の先で、彼よりも数歳上の青年は、笑った。

「……大丈夫だよ。僕は敵じゃない。回復したら、ここから出すから……大丈夫」

癒心

おやおや、と、正直譲としては思ったものだ。
 顔立ちのきちんと整った、恐らく高校生男子。痛みの波動を撒き散らしながら、それでも上半身を起こした……のには、それなりに感服したものだが。

(ここで、こんな格好してたらなあ)

善人ばかりがいるわけではないのは、この帝都でも他でも、同じなのだろうけれども。
 鋭いほどの、敵意と、誰何の念。

(仕方ないか)

嘆息交じりの声は、小次郎には勿論届かない。
 敵意の、薄緑色の波動。それをそっと『押す』。波動を打ち消す方向に、軽く感情を打ちこむ。
 そして、放つ。安堵と、当座の信頼。
 すう、と、少年の表情が緩む。

小次郎
「……あんたは、誰だ?」
「……青天目譲。君と、多分似たような立場にいる者だと思うよ」
小次郎
「俺と……?」

未だ狩人としては未熟である彼にとっては、この言葉はある誤解へと向かいかねない言葉である。

小次郎
(まさか、こいつも……)

侠児を仇と思う一人なのか、と、考えかけた一瞬。

「あ、君が戦ってた人は、僕にとっては知らない人だから」
小次郎
「?!」

タイミングは上々。

小次郎
(こいつ、心を……っ?)
「危ない」

無意識のうちに、身を引いたのが悪かった。がく、と、体重をかけていた右の手が崩れる。同時に体中が悲鳴を上げる。
 軋むような痛みを実感する前に、手が伸びた。

「……かなり、やられたんだなあ……(苦笑)」
小次郎
「……お前っ」
「心身ともに(苦笑)」

相手に向う筈の敵意と怒り、そして心を読まれる可能性への羞恥や苛立ち。
 それが、すう、と……
 溶ける。

「説明に困るんだけれども……僕は君の敵じゃない。そして君の敵の敵でもない……多分ね」
小次郎
「……何の、ことだ」
「今年は、何年?」
小次郎
「…………1999年」

唐突な問いに、思わず答える。相手はまた笑った。

「じゃあ、君は狩人だ」
小次郎
「……狩人?」
「……うん……」

さてどうしよう、と、譲は内心腕組みをする。彼自身が既に、現在を1999年と見なしている。風音の言葉を信じてはいるものの、言わば感覚の上で、今を1999年としか見ることが出来ないのだ。
 丁度、今日の次に明日が来ない可能性も世の中にはあると知っていても、寝るときにはごく当たり前に目覚ましをかけるように。

「僕だと、説明はうまく出来ない……新宿の喫茶店、月影というところに行ったらいい。そこでなら何かを教えてくれる」

穏やかな、笑み。

小次郎
「月影……」

無窮

踏みつけられた痛みは……少なくとも腕からは抜けたようだった。

「じゃあ、結界を解くよ」
小次郎
(頷く)

ポケットから五つの鈴を取りだし、一つ振る。りいん、と音は何故か青銀の壁から鈴を目掛けて走り、すう、と中心へと収束した。
 
 喧騒。そして、日の光。

「帰れるかい?」
小次郎
(頷く)

帰る、と言って良いものかどうか。
 一瞬のためらい、そして深いところでくすぶるやり切れなさ。

「そうだ、名前、訊いていいかな」
小次郎
「…………八島小次郎」
「小次郎君か……」

君呼ばわりされる筋合いは無い……と、一瞬言いかけて、流石に止める。むっとしないではないが、助けてもらったのは確かである。

「一つ、これはまあ、お節介覚悟の忠告だけど」

ほぼ同じ高さからの視線。穏やかな筈のそれに、小次郎は一瞬たじろいだ。

「怒りのままに、走ったってどうしようもない。怒りは必要だし、使い様によっては役に立つ。でも今の君だと」

にこにことした表情から、一閃。

「君がその怒りに引きずりまわされている」
小次郎
「…………貴様……っ」
「見間違えるな。君は、どこにいる?」

つい、と指を伸ばす。相手の眉間へと。

「怒りも、憎しみも。君が使うものだ。君が利用するものだ。利用されていては駄目だよ」
小次郎
「…………っ」

右手を握り締める。その様を譲は苦笑しながら眺めていたが。

「……という、忠告を聞けないのが、若い証拠だからまあ仕方が無いんだけどね」
小次郎
「……貴様あっ」
「僕も、ついこの前までそうだったようだから(苦笑)」

さらりと。
 その一言で、小次郎の怒気が行き場を失う。

「じゃあ」

その一瞬を突いて、いともあっけなくそう言うと、譲はそのまま踵を返した。

時系列

3rd.1999 エピソード070『結界戦闘』の直後。

解説

互いに狩人ではあるが、能力も立場も異なる二人、八島小次郎と青天目譲の出会いの光景です。



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